タイムカプセル
薄手のベージュのコートを羽織って、駅前の通天閣を歩いていた。若葉の芽を膨らませ始めた街路樹の枝が風に弄ばれてさわさわと揺れている。黒いポロが傍を通りすぎてその衝動で風が吹き、何とも言えないにおいが鼻を刺した。休日のこんな日、別に用があるわけでもない。家でツイッターをやっていてもよかったけど、たまには外に出るのも良いだろうと思っただけだ。
腕に付けた時計を見ると、短針は一のところを指していた。腹も減ってきたし、どこかで舌づつみを打とうかと、視界に入る飲食店を見繕い始めた俺の背に声がかけられた。
「近藤君?」
懐かしいその声に振り返った俺の目に映ったのは――――。
「君は……」
「久しぶりだね、天野さん」
高校三年生の頃俺の同級生だった天野さん。彼女はOLになっていると、当時の同級生の野郎共から何度か聞いた。クラスの紅一点というわけでもなかったけど、それなりに可愛らしかった彼女の容姿は、衰えることもなかったようだ。デニムのシャツとスカートを着用して俺の向かい側に座っている。
彼女は俺に会うなり嬉しそうなリアクションをとって、傍の喫茶店に連れていった。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「じゃあ、カモミールティーで」
「俺は……コーヒーをブラックでいいや」
「かしこまりました」
ウェイトレスはうやうやしくお辞儀をするとオーダーの紙を持って去っていった。
「久しぶりね……本当に」
天野さんは愛しげな目で俺を見つめた……ななな、そんな風に見つめられたら、どう反応していいか……。焦っているのは心の中だけのつもりだったけど、天野さんは何故か俺の反応を面白がっているようだった。
「ねえ、小垣君って覚えてる?」
彼女は、肩にかかっていた髪をはらった。
「小垣って……いつも寝ていて、注意されてたアイツか」
「うん、皆から『眠れる小垣』なんて言われてたわね」
頭の中に、目を半開きにした少年の顔が思い浮かんだ。その瞬間、あのときのクラスメイトの顔が次々に浮かんできた。
「神埼さんっていたよな?」
「学年トップだった人?」
「そうそう……」
俺も天野さんも、楽しく話していた。先生の物真似がやけに上手だった人、統率力が高かった学級委員長、英語だけ凄くて、いつも模試や考査でランキングの一位に乗っていた人……。
あのとき、高校最後の体育祭や文化祭だから、と全力を尽くした覚えがある。夏も終わり、受験勉強が本格的にスタートしていたというのに。
「ほんっと、青かったなあ、あのころは」
「そういえば、近藤君って仕事何してるんだっけ?」
運ばれてきたカモミールティーをすすりながら聞く天野さんの顔をじっと見つめていたことに気付き、慌てて目を反らしながら答えた。
「作家だ。短編集とか書いてちまちま出版してるんだけどな」
「ホント?」
「ああ、高校の頃からずっと夢だったんだよ。いつか作家になるって言って、毎日小説書いててさ。終いには渾名が“小説家”になったの、覚えてる」
天野さんは、俺の小恥ずかしい過去の逸話を聞いて、くすくすと笑った。
それから小一時間ほど話していて、不意に天野さんは時計を見て立ち上がった。
「いけない、これから友達と約束があるの。もういくね」
「そっか、じゃあね」
「うん、今日は楽しかったよ。また話そうね」
天野さんは立ち上がって、お金を払って店を出ていった。
テラスの向こう側に映る彼女の影を見て、俺は咄嗟に立ち上がった。名刺と鉛筆をを取り出してサラサラと書き、早々に勘定をすませると、彼女の後を追った。
「天野さんっ!」
彼女は、思ってたより先を歩いていた。周囲の人が振り向くのも構わずに大声で呼び止めた。
「何?」
俺は息を切らしながら、さっきの名刺を渡した。
「俺のメアドと電話番号。気が向いたら連絡してくれ」
今日話せてよかった。色んなことを思い出せた。きっと、君と話していたらもっともっとたくさんのことを思い出すことができる。
そう言いたかったけど、言えなかった。
「有難う」
天野さんは笑って言った。何かを、懐かしんでいるような目だった。
「……近藤君って、高校生の頃のこと、よくそんなに覚えてたよね」
「え? ああ……いや、何か思い出せてたんだ」
彼女は微笑ましく笑って言った。
「そっか、面白いね、何だか……」
微妙……かもしれません。しかしここでお終いです。




