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お祭りと秘密

「ねぇ、相沢くん。今度のお祭り、行かない?」


 それは放課後の帰り道、校門を出たところでふいに言われた言葉だった。


 西の空は茜色に染まり、校舎の影が長く伸びている。風がカーテンのように吹き抜け、制服の袖を少しだけ揺らした。


「え、お祭りって……あの、駅前の?」


「うん。今年は土曜日らしいよ。夜、少しだけなら行けるかなって思って」


「……俺と?」


「うん。相沢くんと」


 その笑顔は、どこか探るようで、どこか確かめるようでもあった。


 彼女ーー白石さんは、まだ俺の“正体”をはっきりとは口にしていない。


 俺もはっきりとは言っていない。


 アプリがある理由を聞かれた。

 コードを打ち込んでいるところを見られた。


 でも白石さんは俺がどこまでウラトモに関わっているかはわかっていないのかもしれない。

 

 ウラトモの管理者。

 匿名の裏側でコードを書き続けてきた俺の、もう一つの顔。


 それをなんとなくでも知りながら、彼女はこうして誘ってくれた。


「……うん。行こう」


 逃げ場はもうなかった。

 でも、逃げたいとも思わなかった。


 少なくとも、この瞬間だけは。



          ***



 土曜日、午後七時。

 商店街の通りは、提灯の赤に染まっていた。


 金魚すくいの水面がゆらゆらと反射し、焼きそばの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

 笑い声と呼び込みの声が入り混じり、世界全体がお祭りほ音に包まれていた。


 俺は手にしたスマホをポケットに押し込みながら、約束の駅前広場へと向かった。


 そして、彼女が、現れた。

 白のワンピースに、ゆるくまとめたポニーテール。


 月明かりの下、白石夏音はいつもより少し大人びて見えた。


「……なに? 変?」


「いや……すげえ、似合ってる」


「ふふっ、ありがとう。相沢くんも、なんか清潔感あるじゃん。珍しい」


「褒めてる?」


「ちょっとだけね」


 笑いながら、並んで歩く。

 沈黙が気まずくない。むしろ、言葉がなくても伝わる何かがあった。


 屋台の列をめぐりながら、焼きそばを半分こしたり、わたあめを分け合って手をベタベタにしたり。


 そんな当たり前の時間が、なぜか胸の奥を熱くした。


 けれど、その裏で、俺はずっと落ち着かなかった。


(……おかしいな。ウラトモの通知が、一件も来ない)


 いつもなら、祭りの日はバズ投稿が飛び交う。

 「#浴衣」「#青春」なんてタグがトレンドを埋め尽くしているはずなのに。


 それが、今日は静まり返っていた。

 嫌な予感を覚えながらも、俺はスマホを取り出さず、白石さんとの時間を優先することにした。


「ねぇ、あそこに行こうよ」


 彼女が指さしたのは、神社の裏手の坂道。

 その上には、人が少ない小さな展望スペースがある。



          ***


 坂を上りきると、夜風が頬を撫でた。

 見下ろす街は、金色の光で溢れていた。


「ここ、穴場だね」


「うん。知ってる人、あんまりいないんだ」


 並んで腰を下ろす。

 どこかで太鼓の音が響く。もうすぐ花火が上がる合図だ。


 少しの沈黙のあと、白石さんが口を開いた。


「相沢くん」


「ん?」


「……前にね、私、ウラトモである投稿をしたの」


「うん。たぶん、見てる」


「“好き”って気持ち……でも、そのときは怖くて、名前なんて絶対言えなかった」


「……今は?」


 彼女は、少しだけ顔を俺の方に向けた。

 瞳が、提灯の光を反射して揺れていた。


「少しは変わったかな。ちゃんと、伝えたいなって思ってる」


(白石さん……)


 胸の鼓動が跳ねる。


 何かを言いかけたその瞬間。


 スマホが震えた。

 ポケットの中で、異様なほど重いバイブ音。


 反射的に取り出すと、画面には見慣れたシステム通知が。


【ウラトモ管理者通知】

「あなたのアカウントに不審なアクセスがありました。ログを確認してください」


 やばい。


 顔が一瞬にして固まった。

 隣にいる白石さんの視線が、俺の手元へと落ちる。


「それ、今の通知……」


「っ、違っ……いや、その……」


 言い訳が喉の奥で途切れた。


 彼女の指先が、そっと俺のスマホに触れる。


 そして、画面に映った“管理者モード”のログイン画面を見て、息を呑んだ。


 しばらくの沈黙。

 そして、静かな声。


「やっぱり……管理者も相沢くんだったんだね」


 その声には怒りも驚きもなかった。

 ただ、どこかに少しだけ、寂しさが混じっていた。


「ずっと、気づかないふりしてたの。言葉じゃなくて、あなたの“優しさ”で、答え合わせしたかったから」


「……ごめん」


「ううん。謝らないで……ありがとう」


 その言葉に、俺は何も返せなかった。


 花火が、夜空に咲いた。

 ドン、と胸の奥まで響く音。


 色とりどりの光が、彼女の横顔を照らした。

 涙じゃない。だけど、心が揺れた。


 言いたかった言葉が、喉の奥で溶けて消えていく。

 それでも、彼女は、隣にいた。


 手の届く距離で、同じ空を見上げていた。


(……もし、この夜が終わっても)


(この気持ちだけは、なくしたくない)


 夜風の中、花火の光が一度だけ、ふたりを照らした。

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