表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/41

プログラムと感情

 金曜日。

 昼間はまだほんのり暖かいが、夕方の空気には確実に秋の気配が混ざっていた。


 放課後。

 校内には部活の声が響き、教室にも廊下にも、もう俺たちのクラスの姿はなかった。


 俺は中庭のベンチに一人で座り、手のひらでスマホを握りしめていた。


 約束通りーーいや、確信犯的に仕組まれた“答え合わせ”の場に、俺は立っていた。


 心臓が早鐘のように打つ。呼吸が少し乱れている。


 そして、やってきた。


「ごめん、待たせた?」


 制服の裾を風になびかせながら、白石夏音は笑っていた。

 その笑顔は柔らかく、だけど目は真っ直ぐで、何かを測るような鋭さもあった。


 俺は自然と息を呑む。


「……話、って」


「うん」


 彼女はベンチの端に座る。

 微かに肩をすくめる仕草に、緊張が滲んでいる。

 俺も少しだけ体を傾け、距離を詰める。


「ずっと聞きたかったの……どうして、このアプリがあるのか」


 言葉の重みが胸に刺さる。

 逃げることも嘘をつくこともできない。


 だから、俺は小さく息を吸った。


「……誰かの、本音が聞きたかったんだ」


 夏音の瞳が、少し揺れる。


「え?」


「俺、昔から“空気”読むの苦手でさ。話すのも得意じゃなくて、いつも誰かに取り残されてた」


 風に揺れる落ち葉が、静かに足元を覆う。


「……」


「でも、ネットでは違った。顔も名前も知らない誰かの“本音”が、文章で読めるだけで、安心できたんだ」


 夏音は黙って俺の顔を見つめている。


「だから、俺もそういう場所を作ってみたかった……“本音を、怖がらなくていい場所”」


 小さく笑った彼女の口元が、秋の光に柔らかく照らされる。


「優しいね、相沢くんは」


 俺は首を横に振った。


「いや、優しくないよ。ただ……誰かに見てほしかっただけかも、自分のこと」


 そのとき、ポケットのスマホが震える。


 通知。ウラトモの緊急エラーだ。


「……やばっ」


 思わず俺はスマホを取り出す。画面にはエラーと警告が並ぶ。


 !サーバーエラー発生:ルーム #1876 投稿同期失敗

 !ログイン状態不整合:複数端末からのアクセスを検出


(……なんだこれ。明らかに外部からの侵入……!?)


「相沢くん?」


 夏音の声に振り返ると、目が少し心配そうに見開かれている。


「ちょっと……ごめん、これだけ確認させて」


 俺はベンチに座ったままノートPCを取り出し、急いでログを確認する。


 画面上には異常な数の同時接続と、不自然な投稿の連投。


(これは……botだ。誰かがウラトモに不正プログラム仕込もうとしてる……!?)


 一気に冷や汗が背中を伝う。


 放置すれば、匿名投稿の“安全性”が崩れる──。


 @ura_buster:

「匿名性なんて、所詮は幻想だって証明する。ログ、抜かせてもらうよ。」


(クソッ、マジか……!)


 俺はすぐにプログラム画面を開き、セキュリティアップデート用のコードを打ち込む。


 手が震える。指先が思うように動かない。

 夏音は横で、じっと俺を見守る。


「……相沢くん、大丈夫? ウラトモ、なくならない?」


「……」


「正直、怖かった。知っちゃいけないこと、知っちゃったんじゃないかって」


 彼女は小さく息をつく。


「……俺のこと、バラすなら、止めないよ」


「違うよ、そうじゃなくて……私、自分の“言葉”をずっと怖がってきたけど、でも、ウラトモではそれが言えた。救われた」


ポケットからスマホを取り出し、画面を俺に見せる。


 @nanonanonano:

「好きになるって、勇気がいることなんだね。

 でも、それを伝えるのは、もっと怖い。

 傷ついても、あなたに届けばって、

 そんな自分を許したくて、投稿してた。」


「これ、私。読んでくれてた?」


「……うん。ずっと」


 そのとき、サーバーが安定した。

 俺が打ち込んだコードが正しく機能し、不正アクセスは遮断された。


 そして。


 @ura_buster:

「……チッ、逃げやがったな。けど、次はないぞ」


 ログアウト通知。

 俺は深く息を吐き、肩の力を抜く。


「……防げた」


「……すごいね。ヒーローみたい」


「いや、ただの陰キャプログラマだよ」


「でも、そんな“ただの陰キャ”が、私の居場所をしっかり守ってくれた」


 夏音は立ち上がり、まっすぐ俺を見つめる。


「相沢くん、ありがとう」


 その言葉は、俺にとって、何よりの“承認”だった。

 胸の奥がじんわり温かくなる。


 これまで感じたことのない感覚が、静かに広がった。



           ***



 帰り道。

 二人並んで歩く。まだ少し照れるけれど、心の距離は以前より近い。


「これからも、ウラトモ、続けるの?」


「うん……でも、もうちょっと“優しく”していきたいなって思ってる」


「ふふっ。いいと思う」


「でも、投稿とか減ったらどうしよう」


「大丈夫。私が書くから」


 その笑顔に、心がほっとする。


(ああ、そうか。俺、この笑顔を守りたいんだ)


「……白石さん」 


「ん?」


「もし……ウラトモが、終わるときが来ても、俺は、もう一つ別の場所を作りたい」


「別の場所?」


「誰かと、ちゃんと本音を言い合える場所。匿名じゃなくて、“名前”で話せる場所」


 夏音は少しだけ目を見開く。

 そして、小さく、でも力強くうなずいた。


「……それ、きっと素敵な場所だね」


 二人の影が、落ち葉に溶けて長く伸びる。

 秋の夕暮れに、静かだけど確かな希望が差し込んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ