噂の正体を追え!
10月。
季節はすっかり秋めき、教室に差し込む夕方の陽射しも柔らかい。
だけど、空気はピリついていた。
「おい、聞いた? ウラトモの“中の人”、本格的に特定され始めてるらしいぞ」
「2年C組が怪しいって話、やっぱマジだったのか?」
「いやいや、1年の情報オタク説も根強いらしいらしいぞ」
「つか、またバズってる投稿あったよな。“アカウント解析して突き止めます”とかって……やばすぎでしょ」
そんな話題が飛び交う中、俺・相沢悠真は、机に突っ伏して頭を抱えていた。
(……詰んできた)
本当に、詰んできた。
なにがヤバいって、ウラトモの中で、開発者を探すための“専用アカウント”がいくつも出現し始めていることだ。
@ura_buster:
「こっちは本気で解析する。IPも時間帯も行動傾向も洗い出す」
@ura_truth_leaks:
「中の人、怖がって震えてる? ごめん、もう手遅れだから」
(お前ら、匿名の意味わかってんのかよ……!)
しかもこの事態に、アイツらが動き出していた。
藤堂先生と白石夏音。
***
昼休みの教室。
ざわめきがいつもより大きく、窓の外の風の音よりも耳につく。
「ねえ、見た? ウラトモ、また解析用アカウントが立ち上がったらしいよ」
「え、やばくね? 2年C組って……あの陰キャがいるクラスか?」
俺の心臓は、不規則に跳ねる。
目の前で、同級生たちがスマホを覗き込み、ひそひそと噂を囁く。
(……今までの“匿名の世界”が、現実の視線に押し潰される気分……)
俺は背筋を伸ばすが、どうにも落ち着かない。
手元のスマホが小さく震えているのを感じた。
***
その日の放課後、俺は凛と一緒にPC室へ逃げ込んでいた。
扉を閉め、カーテンを引き、モニタを点ける。
「……ログイン数、今週だけで300%増」
「ま、そりゃそうだろ。学校中がウラトモの話してるしな。お前、もう文化だよ」
「文化って言うなよ……バレたら終わりなんだぞ」
「それな。でもな、俺は、お前がやってること、好きだぜ?」
凛はポテチを一枚くわえながら、そう言ってくる。
「ただな、相沢」
「……ん?」
「白石が、本気で“中の人”を探し始めたらしい」
「……マジで?」
「ああ。今日の昼休み、図書室で見かけた。“アカウント分析の方法”って本、借りてた」
(それ、完全に“俺”を探す気じゃん……!)
背筋がゾクッと冷たくなる。
***
その夜。
またあのアカウントから通知が届く。
@nanonanonano:
「“この世界”で、本音を言えるのは、いつまでだろう」
@nanonanonano:
「正体がバレても、それでも続けられるのかな」
@nanonanonano:
「ここがなくなるのは嫌だな」
不安と、それでも何かを信じたい気持ちが滲む文章。
胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
(……白石さん。何となく気づいてるんだろうな)
いや、気づいてるからこそ、あえて匿名で問いかけているのかもしれない。
***
翌日、教室に藤堂先生が現れた。
「おい、お前ら。ちょっとアンケート答えろ」
配られたのは、匿名アプリ“ウラトモ”についての簡易調査票。
利用したことがあるか
投稿をしたことがあるか
有益だと感じるか、迷惑だと感じるか
“開発者”がこの学校内にいるとしたら、どう思うか
クラス中がざわめく中、俺はなんとか平常心を装って記入を済ませた。
けれど調査票を集める時に最後の自由記述欄に、見慣れた筆跡が目に入る。
白石夏音の文字。
「もし“中の人”がクラスメイトだったとしても、私は責めません。
むしろ、話してくれたら嬉しいです。」
(……やめてくれよ……そんなの……)
期待されるのも、信じられるのも、俺には重すぎるんだよ……!
でも、逃げたいわけじゃない。
この場所を壊したくない。守りたい。
***
数日後、ついに「ある事件」が起きた。
職員室前の掲示板に、『ウラトモ特定プロジェクト』の張り紙が貼られたのだ。
名前があったのは、情報研究会の数名と、白石夏音。
(終わった……)
マジで詰んだ。
俺の心臓は、胸の中で小刻みに跳ね、手のひらが冷たくなる。
……でも、そのときだった。
「相沢くん、ちょっといい?」
放課後。廊下で呼び止められた俺は、断れずについていった。
連れてこられたのは、図書室の奥、誰も来ない“静かな席”。
夏音が、小さく笑った。
「私さ、たぶん分かっちゃったかもしれない」
「……なにが?」
「ウラトモの“中の人”、誰なのか」
喉がカラカラになる。
胸の奥が、張り裂けそうなほど高鳴った。
「でもね、私は、言わないよ。先生にも、誰にも」
「……なんで」
「私ね、信じたいんだよ。“あの場所”を作った人が、ちゃんと人の気持ちを考えてるって」
俺は何も言えなかった。
言葉が喉に詰まる。
だけど、夏音は静かに続ける。
「……一つだけ、お願いしてもいい?」
「なに?」
彼女は少し目を伏せて、まるで告白のように言った。
「今度の金曜日、放課後。中庭で、少しだけ話せない?」
「……いいよ」
それは、たぶん、彼女なりの“答え合わせ”の時間だった。
***
その日の帰り道。
俺は、図書室の窓から見える夕焼けに視線を向ける。
心臓はまだ落ち着かない。
だが、胸の奥には、わずかな安堵も混ざっていた。
(……逃げなくていいんだ。信じてくれる人が、ここにいる)
視線は自然と沈みゆく夕日に向かっていた。
そして、金曜日。
二人だけの放課後が、確かに近づいていることを、無意識に期待していた。




