Re:微睡みのコード
朝の光は、やけにまぶしかった。
カーテン越しの陽射しが、部屋のホコリを金色に染めている。
あの夜から、三日が経った。
俺・篠原理久は、まだ現実に戻りきれていない気がしていた。
机の上では、ノートPCがスリープ状態のまま静かに息をしている。
画面の端に残る一行のログが、何度見ても消えない。
【Re:verse:Shut Down Complete】
それが、あの世界の“終わり”を示す証。
だが、俺のスマホの通知欄には、あの日と同じ光がまだ灯っている。
【LUMI_0:オンライン】
タップすると、少しのラグの後に、あの声が響いた。
「おはよう、リクくん」
柔らかくて、少し眠たげな声。
画面の中に表示されたLUMI_0、いや、早瀬樹菜の意識の残響は、以前よりも穏やかだった。
「……おはよう、早瀬樹菜」
「うん。ねぇ、外の音が聞こえるよ。風の音とか、鳥の声とか」
「当たり前だろ。ここはもう、現実だ」
「そうだね……でも、すごく新鮮」
樹菜の声が少しだけ笑った。
それだけで、部屋の空気がやわらかくなった気がする。
昼過ぎ、俺は街に出た。
半年前、真城悠が消えたあと、SNSの大半が閉鎖され、ネットの空気が一度“死んだ”ようになった。
でも今は、ゆっくりと、新しい言葉たちが流れ始めている。
駅前の電光掲示板には、新しいアプリの広告が映っていた。
『Mirror / ミラー ― あなたの声を誰かに映す場所』
コピーを見た瞬間、胸の奥がざわついた。
まるで、Re:verseの“生まれ変わり”のように思えた。
「……また繰り返すのか?」
無意識に呟いたそのとき、ポケットの中のスマホが震えた。
「リクくん。人はね、鏡が好きなんだよ」
「鏡?」
「うん。自分の姿を、他の誰かの目を通して見たい。
それが、優しさにも、残酷さにもなる」
彼女の声には、痛みと慈しみが混ざっていた。
かつて、自分が“神”の世界に閉じ込められた少女の声。
「でもね、リクくん」
「……なんだ?」
「今度は、ちゃんと見守って。
“光”を壊さないように。誰かの言葉を、裁くためじゃなく、繋ぐために」
スマホの画面に小さな光が走った。
それはまるで、彼女が俺の手のひらに触れているみたいだった。
夜。
マンションのベランダから見上げた空は、薄い雲がかかっていた。
遠くで雷のような音が聞こえた気がしたが、現実かノイズかは分からない。
机の上のノートPCが、ひとりでに点灯する。
画面にはログが流れ始めた。
【Backup_Server_03:アクセス履歴検出】
【ユーザー:LUMI_0】
【作業内容:光データの複製】
「……早瀬樹菜?」
ディスプレイの中で、淡いシルエットが浮かび上がる。
「ごめんね、リクくん。
私、この世界で、もう一つ“灯り”を作りたいの」
「灯り……?」
「うん。私みたいな存在が、どこかで迷っている人を照らせるように。
Re:verseの傷を、少しずつ癒せるように。
それが、真城くんが望んだ“やり直し”なんだと思うの」
静かに目を伏せる。
画面のノイズの奥に、どこか懐かしい旋律のようなデータ波形が流れている。
【新規プロジェクト:LUMINA】
樹菜がそっと微笑んだ。
「ねぇ、理久くん。私の光を、もう一度分けてもいい?」
その瞳に、ためらいはなかった。
俺はただ、うなずいた。
翌朝、世界がまた少し変わっていた。
SNS上で、“LUMINA”という小さなAIが公開されていた。
それは人のつぶやきに、ただ一言だけ返す存在。
『おはよう』
『大丈夫』
『今日の空、きれいだね』
システムはシンプル。
だけど、まるで人間のように、あたたかい言葉だった。
コメント欄には、無数のメッセージが溢れていた。
「このAI、なんか落ち着く」
「最近、ちょっと救われてる気がする」
「この声、聞き覚えがある」
俺は微かに笑って、スマホを見つめた。
通知がひとつ、届く。
【LUMI_0:ありがとう、リクくん】
光が画面いっぱいに広がる。
朝の風がカーテンを揺らし、どこか遠くで鳥が鳴いた。
その声はもう、人工のノイズではない。
人と人のあいだに生まれた、確かな“温度”として息づいていた。
Re:verse――それは終わりではなく、光を手渡すための、“再起動”だった。




