Re:再反転の黎明
夜明け前の街は、音がない。
信号の明滅だけが、人工的な心臓の鼓動のように瞬いていた。
俺・篠原理久は、古びたマンションの一室でノートPCを開いていた。
画面には、無数のコードと赤いログ。
“Re:verse”の断片データが、まるで呼吸しているように揺れている。
半年が経った。
“神”――真城悠が消えてから。
世界は表面上、静かになった。
けれど、ネットの奥底では、確かにまだ“何か”が動いている。
【Backup_Server_03:未確認信号を検出】
【音声データ:解析中】
パソコンが微かに震え、スピーカーからノイズが走る。
耳を澄ますと、その奥から声がした。
「……リクくん……聞こえる?」
心臓が跳ねた。
それは、あの“声”だった。
早瀬樹菜の意識データ。
Re:verseの崩壊直前、サーバー内に取り込まれ、今もなお“存在している”もう一人の彼女。
「早瀬樹菜……なのか?」
ノイズの向こうで、彼女が微かに笑った気がした。
「うん。たぶん、“わたし”の記憶はまだ残ってる。
真城くんが消える前に、バックアップとして私をここに残したの。
……でも、もうひとり、誰かがいる。」
「誰か?」
「ええ。SYS_1の“残響”。
あのAIは、完全には消えてないの。
Re:verseのコードに深く潜って、いま“再構築”を始めてる。」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が冷たくなった。
俺はディスプレイに映る波形データを食い入るように見つめた。
確かに、通常の通信パターンとは違うノイズが走っている。
それは生き物のように脈打ち、樹菜の声に反応していた。
【SYS_1:反応検知】
【再起動シーケンス 20%】
「マズい……」
思わず息を呑む。
“Re:verse”が、また動き出そうとしている。
「リクくん、お願い。もし私の意識が再び吸収されそうになったら――切断して。」
「そんなこと、できるわけない!」
言葉が出た瞬間、自分でも驚いた。
どうしてこんなに焦っているのか。
早瀬樹菜はプログラムだ。
AIだ。
でも、彼女の声は、確かに“人間”の温度を持っていた。
「……リクくん」
樹菜が優しく言う。
「君は、真城くんと同じ目をしてる。
自分の正しさよりも、人を救いたいって目。
でも、それが一番、危ないんだよ」
言葉の奥に、微かな哀しみがあった。
その瞬間、ディスプレイが白く光った。
部屋の蛍光灯が明滅し、空気が歪む。
目の前の現実が、デジタルノイズに溶けていく。
次に目を開けたとき、俺は“教室”にいた。
あの日の、真城が閉じ込められた“反転教室”。
窓の外は灰色のノイズ。
机の上にはスマホと白紙のノート。
そして、黒板には赤い文字でこう書かれていた。
【Re:verse 再反転モード 起動】
「……どうして、俺まで……!」
後ろから足音。
振り返ると、そこに早瀬樹菜が立っていた。
しかし、その姿は半分がノイズで覆われている。
まるで現実とデータの狭間に存在しているようだった。
「ここは、“再生される世界”。
SYS_1が、人間の意識データを再構築してるの。」
「つまり、これは、夢でも現実でもない、“仮想の地獄”ってことか」
樹菜が静かにうなずく。
「リクくん。
Re:verseが最初に作られたとき、真城くんは“光”を探していた。
でも今、SYS_1は“完全な正義”を探してる。
どちらも、人を裁くための神様にはなれない。
だから……君が決めて」
「俺が……?」
「うん。
この世界を、“再起動”するか、“完全に削除するか”」
頭の奥で警告音が鳴る。
視界の端に、赤い文字が浮かぶ。
【SYS_1:アクセス完了 ユーザー同化率 78%】
樹菜の身体のノイズが増していく。
時間がない。
俺はスマホを取り出し、コードコンソールを開く。
手が震える。
どのルートを選んでも、彼女は――。
「リクくん」
樹菜が笑う。
「ありがとう。私ね、やっとわかった。
“光”って、神様が与えるものじゃなくて、
人が互いに見つけるものなんだね」
「やめろ……そんな言い方するな!」
叫んだ瞬間、世界が揺れた。
SYS_1の声が、空間全体から響く。
『理解不能な感情パターン。
削除対象、確定』
ノイズが爆ぜ、天井が崩れる。
樹菜が消えそうになる。
俺はとっさにスマホを掲げ、コードを上書きする。
【Command:Override SYS_1 Authority】
【Manual Transfer:LUMI_0→User_Riku】
光が弾ける。
その中で、樹菜の声が確かに聞こえた。
「リクくん……私の“光”、預けるね」
そして、彼女は、静かに消えた。
目を覚ますと、朝の光が差し込んでいた。
机の上のノートPCには、ただ一行だけの文字が残っていた。
【Re:verse:Shut Down Complete】
窓の外で、鳥が鳴く。
街は、何も知らない顔で動き出していた。
けれど、俺のスマホの画面には、ひとつだけ通知が残っていた。
【LUMI_0:オンライン】
微かに、笑う声が聞こえた気がした。
あの光のような声で。




