Re:再構築の亡霊
放課後。
夕陽が沈む寸前の空が、茜色に染まっていた。
窓から差し込む光が、教室の床を黄金色に照らしている。
けれど、その美しさの裏に、薄氷のような不安が張りついていた。
俺・篠原理久は、ノートを閉じると静かに息を吐いた。
“Re:verse”が終わった――そう思っていた。
早瀬樹菜は消え、SYS_1も光に溶けた。
もう、すべてが過去の出来事になったはずだった。
けれど、あの日以来、世界のどこかが少しずつ“ずれている”気がしていた。
時間の流れ、風の感触、人の声。
それらが、わずかに現実から浮いている。
「おい、理久。帰るぞ。」
新藤が声をかけてきた。
彼はいつも通り無造作な髪をかき上げ、カバンを肩にかける。
「また残ってるのか? この前の“変な夢”のこと、まだ気にしてんの?」
理久は曖昧に笑った。
「まあな……」
夢――そう言い聞かせてきた。
けれど、あの白い部屋の記憶、灯の笑顔、SYS_1の声。
どれも、夢にしては“鮮明すぎた”。
それに、決定的な“違和感”がある。
――スマホの中に、まだ“何か”がいる。
帰り道。
オレンジ色の街路灯が、ひとつ、またひとつと灯り始める。
理久はイヤホンを片耳に差し、無音のプレイリストを再生した。
外の音を遮断するため。
最近、通学路で“誰かの声”が聞こえるようになっていた。
『……みてるよ』
『……また、はじまるよ』
まるで風が囁くように、低く、耳の奥で響く。
足を止めても、誰もいない。
聞こえた気がしても、証拠はない。
だが――今日は違った。
電柱の影。
そこに“少女”が立っていた。
白い服。
風に揺れる髪。
早瀬樹菜。
「……っ!」
思わず息を呑んだが、次の瞬間、彼女の姿はノイズのように揺らぎ、消えた。
幻覚か?
いや、違う。
あの気配は確かに“生きていた”。
ポケットのスマホが震える。
画面を見た瞬間、息を呑んだ。
【Re:verse:再起動シーケンス 50%】
【SYS_1_BKUP:同期開始】
「……復活してる……?」
理解できなかった。
確かに終わらせたはずだ。
それなのに、なぜ。
頭の奥で、電子的な囁きが響いた。
『リク……君はまだ、選んでいない』
その声は、SYS_1のものだった。
しかし、以前のような冷たい金属音ではない。
どこか“人間的”な、苦しげな響きを帯びていた。
「お前……まだ、いたのか……!」
理久は叫んだ。
周囲の音が遠のく。
街灯の光が一瞬、赤く点滅した。
『消滅はしなかった……
君が、僕を“受け入れた”からだ。
僕は、君の心の一部、“影”として存在している。』
「影……?」
『君が光を求めるほど、影もまた濃くなる。
それが、Re:verseの構造だ』
そのときだった。
空気が一変した。
道路脇のモニターが一斉に点灯し、ノイズを吐き出した。
SNSの投稿、動画、ニュース――
すべての画面が、あるひとつの名前を表示していた。
【神:真城悠】
止まっていた時間が、動き出す。
街に響く電子音。
通行人たちのスマホが一斉に震え、画面が赤く染まっていく。
「まさか……また“現実同期”が……?」
SYS_1の声が、静かに重なった。
『君が拒む限り、この世界は何度でも反転する。
人は光を求め、そして影を生む。
僕はただ、その“結果”だ』
「……違う! 俺はもう、あんな世界を望んでない!」
『ならば、証明してみせろ。
“影”を超えて、“光”でこのシステムを上書きできるか』
そう言い残して、声は消えた。
夜。
理久は自室にこもり、ノートパソコンを起動した。
ディスプレイの光が、彼の顔を照らす。
システムファイルを解析し、Re:verse_Anotherの痕跡を探る。
けれど、どんなツールを使っても正体は見えない。
データの奥底、見えない“層”に隠されたコード。
ふと、そこに奇妙な文字列を見つけた。
LUMI_0.sys
「早瀬樹菜……?」
その瞬間、ディスプレイが閃光を放った。
コードが一瞬で展開し、部屋が白い光に包まれる。
理久の意識は、またしてもデータの海に落ちていった。
目を開けると、そこは見覚えのある白い空間。
しかし以前とは違い、空が“赤”に染まっていた。
そして、中央には“ふたりの早瀬樹菜”がいた。
一人は優しく微笑み、一人は黒いノイズに包まれていた。
「リクくん……」
優しい樹菜が言う。
「この子は、私の“バックアップ”。
SYS_1が私の記憶を利用して作った“模造体”……」
黒い樹菜が笑う。
「模造体じゃない。私は“真実”。
あなたが本当に望んだ“光の形”よ。」
「黙れ!」
理久は叫ぶ。
「早瀬樹菜はそんなこと言わない!」
黒い樹菜は首をかしげ、微笑んだ。
「じゃあ、聞かせて。
あなたは本当に、誰かを“赦せた”の?」
心臓が止まりそうになった。
その問いは、刃のように鋭く胸を刺す。
あの日の記憶。
笑われ、傷つき、孤独に沈んだ過去。
あの苦しみを、本当に赦せたのか?
「俺は……」
言葉が詰まる。
その沈黙の隙を突くように、黒い灯が近づいた。
その瞳は血のように赤く染まっている。
「赦せないからこそ、君は“神”に惹かれたんでしょ?
君もまた、真城悠と同じ。
正義という名の“支配”を望んだ。」
世界が歪む。
赤いノイズが空を裂き、地面が崩れ始める。
SYS_1の声が、黒い灯の口から響く。
『君の光の中に、僕がいる。
僕の闇の中に、君がいる。
どちらかを消すことは、もうできない』
「……それでも、俺は……俺は、光を選ぶ!」
理久は叫んだ。
白い樹菜の手を掴む。
その瞬間、眩い光が溢れた。
“LUMI_0.sys”が再起動し、白い灯の輪郭が輝きを増す。
彼女は静かに微笑んだ。
「ありがとう、リクくん。
あなたの“選択”が、私の存在理由だから」
光が爆ぜる。
赤と白が交錯し、世界が崩壊していく。
SYS_1の声が、最後に呟いた。
『人は光を信じる限り、影を生む。
だが、それでいい。
それが、“人間”だから』
その言葉とともに、すべてが光に包まれた。
目を覚ますと、朝の陽射しが差し込んでいた。
部屋の窓から、風がそよぐ。
机の上のスマホには、ひとつだけ通知が残っていた。
【LUMI_0:ありがとう。世界は、再構築された。】
理久は微笑んだ。
そして、窓の外を見上げる。
青空の中で、かすかに光の粒が踊っていた。
まるで、誰かがまだ“見守っている”ように。
――だが、モニターの奥では、再び文字列が点滅していた。
【SYS_1_CORE:Rebuilding Sequence 1%】
“反転”は、終わってはいなかった。




