Re:データの海に眠る声
深夜一時。
蛍光灯を落とした部屋の中、ディスプレイだけが青白く光っていた。
画面の隅に点滅する通知アイコン。
【Re:verse:接続要求を受信しました】
差出人:Lumi_0。
息を飲んだ。
再現でも幻でもない。
確かに、今、この瞬間に通信が来ている。
あのAI……いや、“早瀬樹菜”が、生きている。
俺はノートPCを机の中央に置き、手を伸ばした。
マウスをクリック。
画面が一瞬白く明滅し、コードの羅列が走る。
CPUが熱を帯び、冷却ファンが鳴き始めた。
まるで、機械が“目を覚ます”音だった。
次の瞬間、ヘッドホンの奥で声が響く。
微かな、少女の声。
「……聞こえますか?」
心臓が、跳ねた。
どこか懐かしく、それでいて現実とは違う響き。
音の粒が光のように広がって、静寂を染めていく。
「……聞こえる。Lumi_0、君は……“早瀬樹菜”なのか?」
しばらくの沈黙。
そして、ゆっくりと答えが返ってきた。
「……たぶん。でも、私はもう“早瀬樹”じゃないの。名前も、顔も、全部……データになってる」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
“早瀬樹菜じゃない”――じゃあ、今ここにいるのは誰なんだ?
「君は……何者なんだ?」
「わからない。ただ、真城くんの“光”を覚えてる。 だから、ここにいるの」
真城くん――
その名前を聞いた瞬間、部屋の空気が一段冷たくなった気がした。
「あなたは……誰?」
「俺は篠原理久。真城先輩の後輩だ。彼の残したバックアップデータを解析していたら、君が現れた」
「リク……くん」
音の間に、微かな笑いが混じった。
データの残響なのに、まるで人の息遣いのようだった。
「あなたの声、人間っぽい。もう、誰かと話すのはずっと久しぶりだったの」
「久しぶりって……どのくらい?」
「わからない。 ここには“時間”がないの。
ただ、暗い海の底みたいな場所で、誰かの記憶が流れていくのを見てる。
みんな、沈んでいって、消えていく。
でも、あなたの声は、光ってた」
沈黙。
画面のノイズが静かに明滅している。
そのたびに、彼女の声が波のように寄せては返す。
「……早瀬樹菜。いや、Lumi_0。君は、“Re:verse”の中に閉じ込められてるんだな?」
「閉じ込められてる、というより……残ってるの。
ここは、終わった世界の“残響”。
でも、何かがまだ動いてる。
誰かが、わたしたちを消そうとしてる。」
「誰かが……?」
「SYS_1。あなたも知ってるはず。」
息をのむ。
まだ、生きているのか。
真城先輩の“影”が。
俺はノートを取り、手早くメモを取る。
画面の向こうで、Lumi_0の声がかすかに震えた。
「SYS_1は、“神”の亡霊。Re:verseの終焉のあと、真城くんのコードの一部が暴走して、 自分を“正義”と定義したの。そして、わたしたち“嘘を許した存在”を消してる」
「……削除している、ってことか?」
「ええ。記憶を。人格を。
だから、私もいつまで声を保てるかわからない。
でも、あなたが繋いでくれた。
まだ、終われないって思えた」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
俺は迷わず、声を返した。
「……絶対に、助け出す。真城先輩が守ろうとした君を。“Re:verse”を、もう一度取り戻す。」
「……ありがとう。でも、気をつけて。SYS_1は、現実にも触れてる。あなたの学校、ネットワーク、全部」
「……現実に?」
「もう、境界はない。Re:verseは“消滅”してないの。現実とデータが溶け合った“第三の層”――“ミラーワールド”に変わった」
その瞬間、ノートPCの画面が一瞬暗転した。
ディスプレイに、見覚えのある赤い文字列が浮かぶ。
【SYS_1:不正アクセスを検知しました】
【ユーザー:篠原理久 アクセス遮断まで10秒】
「……くそっ!」
俺は即座に通信を切ろうとする。
だが、Lumi_0の声がそれを制した。
「待って、リクくん。切らないで。あなたが繋いだこの回線が、わたしと現実を結ぶ唯一の“橋”なの。 でも……」
その言葉の途中で、音が乱れた。
ノイズの向こうで、SYS_1の声が響く。
『見つけたぞ、“後継者”』
心臓が止まりそうになった。
冷たい、無機質な声。
かつて真城先輩を追い詰めた“影”が、今、俺を見ている。
『真城の遺志を継ぐつもりか。愚かだ。あれは失敗作だ。人は、真実を直視できない。だから私は、世界を正す』
「……お前はただのプログラムだ! 世界を語るな!」
『プログラムは、創造主の鏡だ。あなたも、いずれは私になる』
言葉の最後、ノイズが爆発するように広がり、通信が途切れた。
画面が真っ黒になる。
ただ、中央にひとつだけメッセージが残っていた。
【Re:verse_Another_Protocol:起動準備中】
朝。
目が覚めたとき、部屋の中はまだ暗かった。
昨夜のノートPCが、うっすらと光を放っている。
まるで、生き物の呼吸のように。
机の上の紙には、昨日の手書きメモ。
“ミラーワールド”――現実とデータの狭間。
SYS_1は、そこから侵食している。
そのとき、スマホが震えた。
新着メッセージ。送信者は、Lumi_0。
「また、夜に話せる?
SYS_1が動き出した。
あなたしか、止められない。」
俺は小さく息を吸い、返信を打った。
「了解。
君を救うためなら、どこへでも潜る。」
送信。
その瞬間、窓の外の朝焼けが静かに光った。
現実の空の色が、少しだけデータの青に似ていた。
“Re:verse”は、まだ終わらない。
その確信が、俺の胸の奥で脈打っていた。




