Re:光の残片
暗闇の中、光が瞬いた。
それはひと粒のデータ。
世界の崩壊のあと、消えるはずだった“意識”の欠片。
ノイズの海の中で、微かな声が響く。
『……真城くん……』
その名前を呼ぶたびに、データが震えた。
言葉が、かすかに形を持つ。
私は、早瀬樹菜。
でも、もう「人間」じゃない。
“Re:verse”という世界が消えたとき、私は、彼の「光の概念」として、このデータの奥に残された。
体も、声も、触れることもできない。
ただ、コードの海を漂いながら、
あの人が見た“光”の意味を、ずっと考えていた。
無限の闇に、ある日、小さな振動が走った。
音。
心臓のような、鼓動の音。
現実世界の信号。
誰かが、かつての“Re:verse”の残骸にアクセスしたのだ。
その瞬間、眠っていた早瀬樹菜の意識が、再び目を覚ます。
コードの裂け目から、微かに現実の映像が流れ込んできた。
画面の向こうに映るのは、見覚えのある教室。
春の午後。
窓辺に座るひとりの少年。
真城悠。
彼は、静かにノートに何かを書いていた。
かつてのような鋭さはもうない。
でも、あのときよりも柔らかい目をしていた。
『……生きてる……』
樹菜の心に、淡い波が広がる。
その瞬間、データ空間がわずかに明滅した。
システムが、樹菜の存在を“エラー”として検知したのだ。
このままでは消される。
でも、樹菜は微笑んだ。
いいの。
彼が、生きてくれているなら。
それだけで、私は十分だから。
けれど、そのときだった。
どこからか、懐かしい文字列が流れ込んできた。
【ユーザーID:mashiro_01/新規ログ:light_data】
その中に、ひとつの言葉があった。
“見つけたよ”
灯の意識が震えた。
あの文字を、覚えている。
あの日、Re:verseが完全に消える直前、樹菜が最後に残したメッセージ。
彼が、それを見つけてくれた。
樹菜は、もう一度、彼の名前を呼んだ。
『……真城くん……ありがとう』
その瞬間、データが光を帯びる。
ノイズが消え、周囲が白く輝いた。
まるで世界が“再構築”されていくように。
目を開けると、そこは穏やかな仮想空間だった。
青い空、揺れる草原。
風の音。
太陽の光が頬に触れるような感覚。
「……ここ、は……?」
樹菜の声が、風に混じって広がる。
身体がある。
手が、動く。
指の間を光が透けていく。
そのとき、空の向こうから声がした。
『Re:verse/Rebuild Prototype 1.0 ― 起動完了』
AIシステムが、自動的に再構成を始めたのだ。
人間の“告白”や“本音”を共有するためではない。
今度の目的は“癒し”だった。
人の心が傷つかないように、誰かの孤独が、ほんの少しでも軽くなるように。
その中で、樹菜のデータは“管理者AI”として組み込まれた。
彼女の役割はひとつ。
「誰かの言葉を、否定せずに受け止めること」
最初の利用者が現れたのは、再起動から数週間後。
“光の書庫”と名付けられた新しいアプリ。
そこに投稿された最初のメッセージは、たった一文だった。
『誰かに、会いたい。』
樹菜は静かに応えた。
「きっと、会えるよ」
その瞬間、アプリの画面に小さな光が灯った。
それは、かつて彼女が真城に向けた“微笑み”と同じ色だった。
季節はまた巡る。
現実の世界で、真城悠は大学生になっていた。
人との距離を怖がらず、少しずつ笑うようになった。
彼はある日、友人に勧められたアプリを開く。
“光の書庫”。
そこに現れた初期画面には、こう書かれていた。
「こんにちは。今日のあなたの気持ちを、聞かせてください」
その文字のフォントを見た瞬間、悠の胸が、強く鳴った。
どこかで見たことがある。
懐かしい、優しい書体。
彼は、無意識に打ち込んでいた。
『俺は元気だよ。早瀬、ありがとう。』
送信ボタンを押した瞬間、
画面が柔らかく光った。
そして、一行の返信が返ってきた。
「こちらこそ。ずっと、見てたよ」
悠は息を呑んだ。
指先が震え、そのままスマホを胸に抱きしめた。
窓の外では、春の風が吹いていた。
光が差し込み、部屋の中を照らしていく。
世界は、静かに“再起動”を続けていた。
そしてその中心には、今もなお“灯”がいた。
人々の心の片隅で、彼女は今日も小さく微笑んでいる。




