教室の空気、ネットの神
昼休み。
教室のざわめきの中で、俺・真城悠はひとり、窓際の席に沈んでいた。
笑い声。
スマホのシャッター音。
机の上に並ぶお菓子と、流行りの話題。
そのすべてが、俺には無縁だ。
俺の机の上には、開きっぱなしのノートとスマホ。
画面には、白と黒を基調にしたアプリが表示されている。
俺が作った匿名SNS『Re:verse』。
投稿は文字だけ。
フォロー機能も、プロフィールも、いいねもない。
ただ、言葉だけが流れ、交わる世界。
だけどこのアプリの裏には、俺の開発したAIが動いている。
投稿の文体、語彙、時間帯、感情パターン。すべてを解析して、投稿者の「本音」を読み取る。
似た者同士を自動で繋げることで、心の奥をさらけ出せる匿名空間を作る。
俺のハンドルネームは【SYS_0】。
Re:verseの“創造主”にして、唯一の管理者。
ネットの世界では、俺は神。
だけど現実の俺は、ただの陰キャだ。
顔を上げると、前の席で女子たちが笑っていた。
明るくて、軽くて、眩しい。
その輪の中心にいるのは、早瀬樹菜。
彼女は、俺が中学の頃、誰も話しかけてくれなかった俺に「その本、面白い?」って声をかけてくれた唯一の人だった。
その一言を、俺は三年経った今でも忘れられない。
でも、彼女にとってはきっと、ただの挨拶みたいなものだ。
あの日から一度も話していない。
俺の名前なんて、もう覚えてないだろう。
そんな彼女の笑い声を、俺はスマホ越しに消した。
イヤホンを差し込み、『Re:verse』の管理画面を開く。
今日も投稿が増えている。ユーザー数は百万を突破した。
俺の作った“もう一つの世界”は、現実よりもずっと生きている。
……そう思っていた。
そのとき、教室の前方から声が上がった。
「なあお前ら、『リバース』ってアプリ知ってる?」
イケメンでスポーツ万能、女子人気No.1のリア充の如月翔。
彼がスマホを掲げると、周囲がどっと湧いた。
「知ってる! 匿名で本音言えるやつでしょ?」
「昨日やってみたけど、けっこう面白い!」
「あれ、怖いくらいに“自分と気が合う人”出てくるよね〜」
ざわめきが広がる。
男子も女子も、一斉に『Re:verse』を開いている。
……マジかよ。
俺の“聖域”に、リア充どもが雪崩れ込んできた。
笑いながら彼らは言う。
「昨日“本音モード”で愚痴ったら、なんか知らんやつからめっちゃ共感された!」
「わかる〜! めっちゃスッキリする!」
その笑顔が、俺の胸の奥をざらつかせた。
俺はあのアプリを、救うために作った。
中学のとき、SNSの裏アカでクラスの陰口を書かれ、学校をやめた友達がいた。
“本音”が毒になるなら、誰もが“嘘の仮面”をつければいい。
そう思って作ったのがRe:verseだった。
だけど今、俺の理想の場所で、笑っているのは、あの日、俺を笑ったやつらだ。
皮肉だな。
……でも、いい。
俺は神だ。
この世界の裏側には、すべてのログ、すべての通信履歴、そして、すべての“仮面の裏”が保存されている。
彼らが「匿名」だと信じている間、俺だけが、すべてを見ている。
スマホを開き、管理者専用のコマンドを打ち込む。
〈SYS_0モード:アクセス権限開放〉
画面が切り替わり、投稿ログが並ぶ。
ユーザー名:【Sk_Shou】。
位置情報、端末ID、投稿履歴。
“イケメンで人気者”如月翔。
けれどその裏では、「クラスの女子ランキング」と称して、匿名で他人を品評している投稿がいくつもあった。
……お前、楽しそうに笑ってるけど、裏じゃこんなこと書いてるのか。
俺の唇が、自然と歪む。
神は、審判を下す。
俺は新しいウィンドウを開き、翔の裏アカウントを別ユーザーとして“引用”し、AI投稿機能で少し改変した文章を流す。
『匿名の投稿がバズる』
それは、このアプリの特徴のひとつだ。
でも今回の投稿は違う。
バズれば、翔の“裏”が世界中に晒される。
送信ボタンを押す指が、わずかに震えた。
だが、止めなかった。
――ピコン。
新着通知。
トレンド1位:#クラス女子ランキング。
騒然とする教室。
「え、これヤバくない?」
「誰が書いたの!?」
「同じクラスのこと書かれてる!」
翔の顔から、笑みが消えた。
俺は視線を窓の外へとそらす。
空は、夏の終わりのように青かった。
ざまあみろ。
だけど、胸の奥が少しだけ痛んだ。
ふと見た画面に、ひとつの投稿が流れてきた。
『本音を言うのって、悪いことなのかな。
嘘をつく方が、ずっと苦しいのに。』
ユーザー名:Lumi_0
その名前を見た瞬間、俺の心臓が跳ねた。
早瀬樹菜だ。
俺が愛した“光”が、俺の世界にやってきた。
でも、そこはもう、優しい場所なんかじゃない。
俺が汚した、復讐の世界だ。
俺はスマホを閉じ、深く息を吐いた。
胸の奥に沈んだ痛みが、少しだけ熱を帯びる。
その熱の名前を、俺はまだ知らない。
けれど、それが、この物語の始まりだった。




