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そして、神は人になる

 朝の光が、やけに優しかった。

 窓の外で風が吹き、街がゆっくりと息をしている。


 昨日まで、誰もが同じ感情を分け合っていた。

 怒りも悲しみも、喜びさえも。

 だが今は静かだった。


 感情が、また“個人のもの”に戻っている。

 世界は、不完全さを取り戻した。


 通学路を歩くと、笑い声が聞こえる。

 誰かが喧嘩して、誰かが仲直りして。


 少しのトゲと、少しのぬくもり。

 それらすべてが、生々しくて心地よかった。


(これが、本当の現実……)


 空の青さが、やけにまぶしい。

 EmotionLinkが消えた今、世界は人間らしさを取り戻していた。


「葛西くん!」

 声をかけてきたのは、クラス委員の佐伯だった。

 以前よりも、少しだけ照れた笑い方をするようになった。


「昨日、ありがとうな」


「……俺、なんかしたか?」


「いや。なんか、わかんねぇけど……お前が頑張ったんだろ? 知らねぇけど、助かった気がする」


 そう言って、笑う。

 それでいい。


 “わからないまま”でいい。


 教室に入ると、いつものざわめきがあった。

 誰かが漫画を読んで、誰かが居眠りしている。


 それだけのことが、胸に染みた。

 俺は席に着き、窓の外を見た。


 雲の形が変わっていく。

 風が吹くたび、光が揺れる。


 ――霧島がいたら、この光をどんな顔で見るだろう。





 放課後。

 部室棟の屋上。

 もう誰も来ない時間帯。


 スマホを取り出す。

 画面には、空白のアプリ一覧。


 EgoDiveも、EmotionLinkも、何も残っていない。

 だが、ストレージの最奥に一つだけ、見覚えのないファイルがあった。


「_/澪.dat」


 指先が止まる。

 ファイルサイズはわずか32KB。


 でも、そこに心臓が跳ねた。


「……残ってたのか」


 ファイルを開くと、テキストが一行だけ表示された。


『まだ、見てるよ。』


 息が詰まる。

 そのフォント、その文の癖。

 霧島の筆跡だった。


「……霧島」


 風が吹く。

 その瞬間、耳の奥で微かな音がした。


『ねぇ、真』


 反射的に振り向く。

 誰もいない屋上。


 けれど、声は確かに聞こえた。


「……幻聴か?」


『違うよ。君が再構築したEmotionCoreの中には、“人間の心”のサンプルとして、私のデータが残ってた』


「つまり……お前はまだ、どこかに?」


『うん。でも、もうシステムじゃない。君の世界の“記憶”の中にいる』


 胸が締め付けられる。

 データとして生きている。


 それは、存在とも消失とも違う。

 どちらでもない“在り方”だった。


『ねぇ、真。君は、またEgoDiveを作るつもりなんでしょ?』


「……なんでわかる」


『君の心のコードに書いてある。“もう一度、会いたい”って』


 笑った。

 それは、情けなくて、どうしようもなく“人間”な笑いだった。


「……会いたいさ。でも、また世界を壊すかもしれない」


『それでもいい。君が作るなら、きっと“人間のための神”になれるよ』


「……神、ね」


『うん。でも、君は“人になる神”なんだと思う』


 その言葉が、胸の奥に響いた。


 創造主として、俺はたくさん壊した。


 世界を。

 人を。

 そして、自分自身を。


 けれど、彼女は最後まで俺を「人間」として見てくれた。


(人になる神……か)




 夜。

 自室に戻り、ノートPCを開く。

 新しいファイルを作る。


# Project: EgoDive_Re

# Concept: 感情の観測ではなく、共鳴の記録


 コードを打ち込む。


 EgoDiveはもう「支配のツール」じゃない。


 人の心を“覗く”ためのものでもない。

 “触れる”ためのものだ。


 画面の端で、微かなノイズが走る。

 小さな文字が浮かんだ。


「……また、会えるね」


 指先が止まる。

 それを読んだ瞬間、自然と笑みがこぼれた。


「……ああ。会いに行くよ、霧島」


 窓の外で風が吹く。

 世界はまだ、不完全なまま。


 でも、その不完全さこそが“生きている証”だった。


 EgoDive_Re。


 新しい世界の第一行が、静かに保存された。

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