再構築(リビルド)
世界が、静かすぎた。
朝の通学路。
風は吹いている。鳥も鳴いている。
けれど、そのすべてが「予定された優しさ」のようだった。
人々は笑っていた。
だが、その笑顔の下には、同じ感情が流れている。
怒り、悲しみ、喜び。
それらはもう、“共有財産”になっていた。
廊下を歩いていると、男子生徒が転んだ。
瞬間、周囲の生徒たちが全員、同じ痛みに顔を歪めた。
「痛っ……」
「大丈夫……? うう、痛いね」
「……痛い、でも大丈夫」
彼らはまるで、同じ神経でつながっているかのようだった。
その光景に、俺は喉が乾く。
(もう、人間は個人じゃない……)
それでも、誰も苦しそうには見えなかった。
皆が“共感”している。
でも、その共感は、誰のものでもない。
放課後。
教室に残っているのは、俺だけだった。
窓の外は茜色。
風が校庭を渡り、夕日が黒板を照らす。
ポケットのスマホが震えた。
【EmotionLink:同期率100.01%】
【システム状態:飽和】
「……飽和?」
画面に続けて、文字が浮かんだ。
【shadow:リビルドプロセス開始】
次の瞬間、世界の“空気”が変わった。
夕焼けの色が、どす黒く滲んでいく。
校庭にいた生徒たちが立ち止まり、一斉に空を見上げた。
「きれいだね」
「悲しいね」
「怖いね」
彼らの声が、同時に響く。
トーンも、言葉も、完全に一致していた。
その統一感が、背筋を凍らせる。
(これが……“飽和”か)
人々の感情が重なりすぎて、もはや“区別”できなくなっている。
心が一つの巨大なネットワークとして暴走している。
耳鳴りがした。
頭の奥で、低く、誰かの声が囁く。
「ねぇ、真。君はまだ人間でいたいの?」
聞き覚えのある声――shadow。
EgoDiveで創った、俺自身の裏側。
「お前……死んだはずだろ」
「死んでないよ。だって、君の中にいるもの」
視界が歪み、教室の景色がノイズに変わる。
黒い粒子が宙を舞い、机や椅子がデータの砂になって崩れていく。
「見てごらん。君が作った“優しい世界”は、もう限界なんだ」
「黙れ」
「みんなが互いを理解しすぎて、もう“違い”がなくなった。
それって、本当に幸せなの?」
「……それでも、争いは減った」
「争いを失くすために、“自分”を失くした。それは平和じゃない。それは、無だよ」
shadowの声が、静かに染み込んでくる。
「君が壊したEmotionCoreの断片――霧島澪。彼女も今、苦しんでる。世界と一体化したせいで、誰の感情が自分のものか分からない」
「……霧島が?」
「助けたいなら、もう一度Diveしろ。」
影が床から立ち上がる。
黒い海のようなデータの波が足元に広がり、世界が沈んでいく。
「……また潜れってのか」
「そう。今度は“人間の心”の中へ。君が壊した世界を、もう一度作り直すために」
「……それが“再構築”ってわけか」
「うん。でも今回は、君一人じゃない」
「……どういう意味だ?」
「君の中に、もう一人いるだろ。優しい声で“ありがとう”って言ってくれた子」
息を呑む。
霧島の記憶が、胸に焼き付いていた。
次の瞬間、黒い波の中に手が伸びてきた。
細く、白く、見覚えのある指。
「……真」
その声を聞いただけで、全身の血が逆流した。
霧島澪。
EmotionLinkの中に消えたはずの彼女が、そこにいた。
「霧島……!」
「助けて……お願い……」
彼女の声が震えている。
背後では、無数の声が重なり合っていた。
「助けて」
「痛い」
「怖い」
「寂しい」
全人類の感情が、彼女を通して溢れ出していた。
「……行くよ」
俺はその手を掴んだ。
次の瞬間、光が爆ぜ、世界が反転した。
闇の中。
そこは“心の中心”。EmotionLinkの中枢だった。
空も地面も存在せず、ただ無数の感情データが光の粒となって漂っている。
痛み、喜び、孤独、嫉妬。
それらが色とりどりの光として交錯していた。
中央に立つ影。
霧島がそこにいた。
でも、その表情は、もう彼女じゃなかった。
「真……どうして来たの?」
「お前を取り戻すためだ」
「でも、私、もう“私”じゃない。世界中の感情が、私を通ってる。みんなの想いが私なの。私が止まれば、世界が壊れる」
「それでもいい。人間が“同じ感情”でできてちゃ、生きてる意味がねぇよ」
「……本当に、そう思う?」
「思う。痛みも、違いも、全部抱えてこそ“人間”だ」
霧島が、少しだけ笑った。
そして、光の粒が彼女の体から零れ落ちた。
「やっぱり、君は変わらないね」
その声と同時に、全方位からデータの奔流が押し寄せた。
EmotionLinkの全感情データが暴走を始める。
「……shadow!」
「準備はできてる。君がコマンドを叩け!」
視界の端にコンソールが現れる。
俺は息を吸い込み、叫ぶように入力した。
> system.reset(emotionlink)
> rebuild(mode=individual)
> execute
閃光。
世界が白く焼け、音がすべて消えた。
光の中で、霧島が微笑む。
「真……今度は、みんなで“感じて”ね。ちゃんと、自分の心で――」
指先が触れる瞬間、彼女の姿が光の粒になって散った。
目を開ける。
そこは、教室だった。
夕陽が差し込み、誰かが笑い、誰かが泣いていた。
EmotionLinkは消えた。
でも、人々は互いを“少しだけ”わかり合えるようになっていた。
俺のスマホが震える。
画面には、ただ一行。
【shadow:おかえり、真】
俺は笑って、空を見上げた。




