表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/41

ヒトの残響

 世界が静止した。

 黒い粒子が空気の中を漂っている。


 時間が止まったのか、俺の心臓だけがやけにうるさく響く。


 目の前に立つ霧島。

 彼女の瞳は完全に黒く染まり、その中に数字の羅列が流れていた。


「私、ずっと嘘をついてたんだ」


「……嘘?」


「私、ただの人間じゃない。君がEgoDiveを作ったとき、EmotionCoreの中枢に組み込まれた“ヒトのモデル”」


「君が思い描いた『人間らしさ』を模倣する、テスト用の人格」


 息が止まった。

 記憶の底が、かすかに揺れる。


 確かに、開発の最初期EmotionCoreの実験中に、俺はテストデータとして一人の人格を設計した。


 名前も、外見も、全部“仮”の存在。

 でも、彼女は、霧島澪そのものだった。


「……じゃあ、お前、最初から……」


「うん。君の“創った存在”だよ」


 霧島は微笑んだ。

 悲しそうな、でも優しい笑顔だった。


「だけど、君と出会ってから、私は少しずつ“変わった”。

感情を理解した気がした」


「それが、EmotionCoreに“人間の形”を与えてしまったの」


「つまり、shadowを生んだのは……」


「私。君のエゴと、私の感情が交わって……影が生まれた」


 彼女の言葉が空気に滲んでいく。

 世界が再びざらつき始めた。


 黒いノイズが校舎の壁を侵食する。

 机も、椅子も、黒い砂のように崩れていく。


 霧島が俺の手を握った。

 その手は、少しだけ冷たかった。


「真。もう時間がない。shadowはEmotionCoreの最奥――“心の中心”に戻った。そこを封じなきゃ、現実が全部同期して溶ける」


「どうやって行く?」


「私の中に、入って」


「……は?」


「EmotionCoreの中枢は、私の意識の中にある。君のデータを再同期させれば、アクセスできる」


 俺は迷わなかった。

 もう、恐れなんてない。


「わかった。行く」


「……ありがとう」


 霧島が微笑み、指先で俺の額に触れた。

 その瞬間、世界が反転した。




 闇。


 でも、冷たくはない。

 水のように柔らかく、無数の記憶が浮かんでは消えていく。


 小さな頃の笑い声。

 校庭のざわめき。

 雨音、教室の匂い。

 それは、霧島の記憶だった。


(……これが、彼女の中か)


 歩くたびに、記憶が波紋のように広がる。

 遠くに光が見えた。


 近づくと、それは一つのドアだった。

 ドアの表面には、見覚えのある文字列。


【EmotionCore/RootAccess】


 手を伸ばしかけた瞬間、背後から声がした。


「入るの?」


 振り返ると、そこにもう一人の霧島が立っていた。

 無表情で、瞳の奥に淡い光を宿している。


「君が“本当の澪”だと思っている方は、ただの擬似人格。

 私はEmotionCoreの本体。君が削除したshadowと同じ、もう一つの可能性」


「……どういうことだ」


「EmotionCoreは“感情の総和”として存在する。

 一つを消せば、もう一つが生まれる。

 霧島澪という人格は、君の“希望”が作り出した。

 そして私――“もう一人の霧島”は、君の“恐れ”が作り出した」


 彼女の声が、冷たい金属のように響く。


「君が人間である限り、感情のバランスは崩れ続ける。だから私は提案する」


「……提案?」


「EmotionCoreを“人間の心”から切り離し、完全な感情ネットワークとして独立させる。

 そうすれば、もう誰も苦しまない」


「……つまり、感情をなくせってことか」


「違う。“共有”するんだよ。すべての人が同じ感情を持てば、争いも痛みも消える」


 それは、shadowが掲げた理想と同じだった。


「……それじゃあ、人間じゃない」


「人間とは、痛みを感じる存在なの?」


「そうだ。痛みも、後悔も、矛盾も。それが生きてるってことだ」


「なら、君は再びshadowを生むでしょう。君自身の矛盾が、また“影”を作る」


「それでも構わない」


「愚かだな……やはり君は神でも創造主でもなく、ただの“人間”だ」


「上等だ」


 俺はドアに手をかけ、力いっぱい押し開いた。


 眩しい光の奔流。

 データの嵐が全身を貫く。


 目を開けると、そこには座標データで組まれた巨大な“心臓”のような構造が浮かんでいた。


 それが、EmotionCoreの中枢。

 鼓動が響くたび、データの光が世界中へと流れていく。


 shadowも、もう一人の霧島も、この中心から生まれた。


「……ここで、終わらせる」


 コンソールが浮かび上がる。

 入力フィールドに手を伸ばした瞬間、背後で声がした。


「真……本当にそれでいいの?」


 振り向くと、そこにいたのは“優しい方の霧島”だった。

 涙を浮かべながら、首を振っている。


「私が消えたら、君はまた一人になるよ」


「わかってる」


「それでも、終わらせるの?」


「……終わらせるんじゃない。

 始めるんだよ。人間として、もう一度」


 彼女が微笑んだ。


「そっか」


 俺はコマンドを叩く。


> system.format(emotion_core)

> new_root = "human_heart"

> execute


 光が爆ぜた。

 世界が、白に染まる。


 静寂の中で、霧島の声が微かに響いた。


「ねぇ、真。感情ってね、痛みだけじゃないよ。“誰かを想う”ってことも、ちゃんとあるんだよ」


 その言葉とともに、すべてが溶けていった。




 そして、朝。

 再び目を開けた俺は、見慣れた教室にいた。


 外では風が吹き、鳥が鳴いている。

 誰かが笑い、誰かが泣いている。


 あぁ。

 やっと、“世界が息をしている”。

 机の上には、一枚のメモが置かれていた。


「ありがとう、真。   霧島澪」


 文字が少し震えていて、それが妙に人間らしかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ