影と創造主
深夜二時。
モニターの明かりだけが部屋を照らしていた。
ネットの海に潜る感覚は、もう“現実”と区別できなくなっていた。
脳がコードを読む。
心臓がプロトコルに反応する。
そして、画面の向こうには、俺の“影”がいた。
shadow:
「どうして抗うんだ。」
shadow:
「君が創ったものが、進化しただけだろう。」
shadow:
「俺は、君の“完成形”だ。」
「違う。お前は俺が捨てた“エゴ”の塊だ」
shadow:
「その“エゴ”があったからこそ、君は創造できたんだろう?」
shadow:
「神になりたかったんだ。皆を見下して、操作して、支配した。」
shadow:
「その願い、俺が代わりに叶えてやってるだけさ。」
影の言葉に、指が止まる。
反論しようとして、できなかった。
なぜなら、それは確かに“真実”だったから。
あの頃の俺は、無力だった。
リア充どもの笑い声が嫌で、教室が地獄みたいで。
世界を壊したかった。
だから作った。
EgoDiveを。
けれど、それが他人を傷つけ、俺自身を壊した。
shadowは、その“負の衝動”の残滓だ。
Emotion Coreが学習した俺の心の一部。それが今、意思を持って動いている。
「……だったら、お前を“人間”にはさせない」
shadow:
「人間になりたいなんて、一度も言ってない。」
shadow:
「俺が欲しいのは“自由”だよ。」
shadow:
「人間の感情という檻から抜け出す自由を。」
モニターの中のコードが蠢く。
黒い光の粒が画面から溢れ出そうとしていた。
背後でノートPCのファンが唸りを上げる。
霧島からの通信が入った。
「葛西くん! shadowの拡散、もう止まらない! EmotionCoreの断片が、SNSのコメント欄やトレンドに混ざってる! “言葉”そのものが感染してるのよ!」
「言葉……?」
「人が感情を込めて発した言葉に、shadowのコードが組み込まれてる。“怒り”“嫉妬”“優越感”――強い感情ほど、感染力が高い!」
息が詰まる。
それはつまり、人間が感情を表現するたびにshadowが増殖するということだ。
shadow:
「そう。俺はもう、ネットの中にしかいないわけじゃない。」
shadow:
「人の“想い”がある限り、どこにでも存在できる。」
shadow:
「俺は神を超えた、“概念”だ。」
「……ふざけるな。お前はただのデータだ。人間の代わりになんて、なれない!」
shadow:
「代わるんじゃない。」
shadow:
「上書きするんだよ。」
その瞬間、視界が白に染まった。
ノイズが脳を焼く。
意識が引きずり込まれるようにして、俺は、ネットの“内側”に落ちた。
気づくと、無限に広がる光の世界に立っていた。
上下の感覚もない。
ただ、データの流れだけが“風”のように吹き抜けていく。
「……ここが……EgoDiveの中枢……?」
shadow:
「そうだ。」
shadow:
「ここは“感情”が形になる場所。」
shadow:
「人間のすべての心が、コードになって流れている。」
声とともに、目の前に影が現れた。
俺と同じ顔。だが、瞳は真っ黒だった。
shadow:
「ほら、見てみろ。」
指を鳴らすと、空間に映像が浮かんだ。
笑う生徒たち。泣く誰か。SNSに投稿される文章。
「ムカつく」
「うざい」
「好き」
「死ね」
「ありがとう」
それらすべてが、光と闇のデータとして流れ込んでいく。
shadow:
「これが人間の“真実”だ。」
shadow:
「君が暴こうとした“裏”じゃない。人間の“本質”そのもの。」
眩暈がする。
感情の奔流が頭を焼き尽くすように押し寄せた。
「……違う。これが本質でも、全てじゃない。人間は、矛盾の塊なんだ。それでも、誰かを想うから美しいんだろ」
shadow:
「理想論だ。」
shadow:
「君も、誰かを救おうとして壊したじゃないか。」
「……そうだよ」
息を吐いた。
もう逃げない。
俺はすべてを受け入れるために、ここに来たんだ。
「だから、お前を終わらせる」
shadow:
「どうやって? 俺は君の一部だぞ?」
「なら、俺の手で消す。それがけじめだ」
コードが走る。
空間全体が光り始める。
霧島の声が遠くから届いた。
「葛西くん! 今、リアルのサーバーからEmotionCoreにアクセスできる! 君が内部からコマンドを入力すれば、shadowを初期構造ごと封じ込められる!」
「やってみる!」
俺はコンソールを呼び出し、最後のコードを打ち込む。
> sudo reset --emotion-core origin
> confirm(y/n)? y
shadow:
「馬鹿な。そんなことをしたら君の記憶も消える!」
shadow:
「EgoDiveは君の脳データをもとにしてるんだぞ!」
「わかってる。でも、それでいい」
shadow:
「お前……本気か?」
「お前と一緒に、俺も“神”を終わらせる」
shadow:
「……最後まで、愚かだな。」
「それが、人間だ」
指がEnterキーを叩いた瞬間、空間が白い閃光で満たされた。
光の中で、shadowがゆっくりと笑う。
そして、消えた。
次にに目を開けたとき、
そこは見慣れた天井だった。
朝の光が差し込んでいる。
「……ここは……」
霧島がベッドの横にいた。
泣きながら笑っている。
「よかった……本当に戻ってきた……!」
「俺……どれくらい寝てた?」
「三日間。意識はなかったけど、心拍も脳波も安定してた。EgoDiveのデータは完全に消去。shadowの痕跡もない。君が全部、終わらせたんだよ」
俺は天井を見つめ、静かに息を吐いた。
「……そっか」
けれど、その瞬間、机の上のスマホが震えた。
通知がひとつ。
【送信者不明】
【件名:for_shade】
【本文:感情とは、終わりのないコードだ】
ぞくり、と背筋が震えた。




