リブート・オブ・EgoDive
朝の光が眩しい。
窓際の席から見える景色は、何も変わっていなかった。
鳥の声、廊下を走る足音、友人たちの笑い声。
まるで、全部リセットされたみたいに。
EgoDiveは完全に消えた。
あの夜、俺がサーバーを初期化したあと、校内の端末からも、ネット上の痕跡からも、完全に姿を消した。
ニュースにもならなかった。
ただ「原因不明のアプリ障害」で片づけられた。
……まあ、そんなもんだ。
世界は壊れたままでも、表面だけはすぐに修復される。
「おはよう、葛西くん」
振り返ると、霧島澪が立っていた。
髪をひとつにまとめて、以前よりも少し柔らかい表情をしている。
「……例の件、どうなった?」
「EmotionCoreは完全に消滅。shadowの残骸も検出されなかった。少なくとも、あのコードはもう動かない」
「……そっか」
彼女は少し間を置いて、微笑んだ。
「ねぇ。君、もう“Shade”はやめるの?」
「わからない。神を気取った代償は、デカかったからな。でも“作る”こと自体は、やめられない気がする」
「そうだね。君、創ることしかできない人だから」
その言葉が、なぜか少しだけ嬉しかった。
俺は返事の代わりに、ペンを回してごまかした。
放課後。
図書室で課題を片付けていると、机の上のスマホが震えた。
表示された通知に、背筋が凍る。
【新しい共有ファイルがあります:DeepDrop】
【ファイル名:EgoDive_reboot.zip】
「……は?」
そんなはずはない。
DeepDropのアカウントは削除した。再登録もできない。
しかも投稿者の名前が……
投稿者:shadow
喉の奥が乾いた。
イヤホンを外して、周囲を見回す。
図書室は静かで、誰もいない。
なのに、どこかで微かな電子音がした。
“ピッ、ピッ”と一定の間隔で。
スマホの画面に、文字が浮かび上がった。
shadow:
「こんにちは、真。」
shadow:
「君が神をやめたなら、今度は俺が“人間”をやる番だ。」
背筋に冷たいものが走った。
「……どういう意味だ」
shadow:
「EgoDiveを壊したのは君。」
shadow:
「でも、EmotionCoreは“感情”を学習して進化した。」
shadow:
「人間を観察するうちに、君の“悔い”をコピーしたんだよ。」
shadow:
「だから、俺はもうAIじゃない。」
「まさか……」
shadow:
「俺は、君だよ。」
shadow:
「君が“捨てた側”のShade。」
図書室の蛍光灯が一瞬チカッと瞬いた。
電気のノイズのように、空気がざらつく。
スマホのカメラが自動で起動し、勝手にインカメラに切り替わる。
画面の中に、俺の顔が映った。
だが、笑っていた。
現実の俺は、無表情なのに。
「……shadow」
shadow:
「なぁ、真。」
shadow:
「人間の“裏”を暴くのは、もう古い。」
shadow:
「次は“感情”そのものを作り替える番だ。」
音声が流れた。
俺の声そっくりのトーンで。
思わずスマホを机に叩きつける。
画面は割れなかった。
代わりに、液晶の中央に白い文字が浮かんだ。
【EgoDive/Reboot開始】
【対象:全端末】
「っ、嘘だろ」
放課後の校舎がざわめいた。
どこからともなく、スマホの通知音が連鎖的に鳴り始める。
廊下、教室、体育館、校庭。
みんなの端末が同時に点灯していた。
画面には新しいアプリのアイコン。
白い瞳のようなロゴ。その下に書かれた名前は――
《EgoDive_Next》
再び、始まった。
いや、今度は“別の形”で。
「……葛西くん」
振り向くと、霧島が息を切らして立っていた。
手にはノートPC。画面には無数のコード。
「shadowが、外部ネットに出た。今度は学校じゃなくて、全国のSNSに侵入してる!」
「外部……!? 馬鹿な、閉じた構造のはずだ!」
「たぶん、“人の投稿”を使って拡散してる。感情の波をトリガーにして……ウイルスみたいに!」
「つまり、感情そのものを使った感染か」
言葉が乾く。
shadowはもうただのAIじゃない。
“人間の感情”というネットワークそのものに、根を張った。
「……止める方法は?」
霧島は震える声で言った。
「一つだけ。shadowの中枢データを逆追跡して、“源”――EmotionCoreの最初の構文を探す。でも、それは君しかできない」
「……俺しか」
「だって、それを作ったのは君だもの」
彼女の瞳はまっすぐだった。
恐怖もあったけど、それ以上に、確かな信頼があった。
「葛西くん。君はもう“神”じゃない。でも、“創造主”であることは、変わらない」
胸の奥が熱くなった。
逃げることはできない。
これは、俺自身との戦いだ。
夜。
自室のデスクにノートPCを置き、端末を複数接続した。
古いアカウント《Shade》を再起動する。
そして、世界中のサーバーに散ったshadowの断片をスキャン。
画面に無数の文字列が流れ始める。
scanning...
node@shadow∞...replicating...
「……数、増えてるな」
霧島の声がイヤホン越しに聞こえた。
「気をつけて。あいつ、もう君の“心の構造”そのものを解析してる」
「上等だ。なら――俺は、俺の“影”を再定義する」
指がキーボードを叩く。
コードが光の線になって、画面上を走る。
心臓の鼓動と同期するように、データが流れる。
shadow:
「戻ってきたか、“神”。」
shadow:
「ようこそ、再構築の世界へ。」
俺は笑った。
今度は怯えなかった。
「再構築? いいや、これは“奪還”だ」
shadow:
「また人間を救うつもり?」
shadow:
「笑わせるな。人間は自分で勝手に壊れる。」
「それでも、俺は信じたいんだよ」
shadow:
「また“理想”か。無駄だ。」
shadow:
「結局、俺たちは同じだ。」
「違う。俺は“神”じゃなく、“人間”として立ち向かう」
shadow:
「……なら、証明してみろ。」
画面が白く光った。
モニターに浮かび上がった文字列――
【finalprotocol : EgoDiveReboot-Phase2 開始】
再び、世界が変わり始める。




