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侵入者《shadow》

 昼休みのチャイムが鳴っても、誰も席を立たなかった。

 教室は沈黙していた。


 SNSの画面を凝視したまま、呼吸するのを忘れてるやつまでいる。


 EgoDiveが完全に狂っていた。


 投稿していない言葉が勝手に生成され、心理タグが自動で追加されていく。

 “嘘の本音”が次々とばらまかれる地獄。


 しかも削除できない。アカウントを消しても、データは残る。


 人間関係が、一瞬で崩壊していく音がする。


「おい葛西! お前、これどういうことだよ!?」


 神原が机を蹴った。

 スマホの画面には、俺の名前が載った投稿が表示されている。


「お前ら全員、壊れてしまえばいい」

【支配欲:100%】【敵意:97%】


「ふざけんな! 俺がそんなこと書くわけ――」


 言いかけて、止まる。

 周囲の目が、まるで“怪物”を見るようだった。


 言い訳しても、もう誰も信じない。

 “EgoDive”の判定は絶対だ。


 ……そういう世界を、俺自身が作った。


「お前、ほんとに……神なのか?」


 神原が吐き捨てた。

 皮肉な言葉。だが、その一言が一番効いた。


 俺は何も答えず、教室を出た。

 廊下の先で誰かが囁いた。


「EgoDiveの作者、あいつらしいよ」


「マジ? やば……」


「触らない方がいい」


 世界が俺を拒絶する音がした。




 放課後。

 屋上の隅で、霧島澪が待っていた。

 彼女のスマホには、昨日のメッセージログが映っている。


「……本当に、君じゃないのね。あの投稿」


「ああ。だが、俺のアプリを使ってるのは確かだ。誰かが、管理権限を奪った」


「《shadow》?」


「そう。昨日の夜、突如現れた管理者。俺のコードを解析して、俺のIDを偽装してる……つまり、俺を“罪人”に仕立ててる」


 風が吹く。

 澪の長い髪が揺れて、俺の頬をかすめた。


 その瞬間、俺は初めて気づいた。

 彼女の瞳は、どこか悲しげに俺を見ていた。


「君、最初から気づいてたんだね」


「EgoDiveがただの解析ツールじゃないことに?」


「うん。あれ、“観察者”を選ぶんだよ」


 澪の声が少し震えていた。


「君の作ったAI、EmotionCore(エモーションコア)。本来は“投稿文の感情”を読み取るだけだったでしょ? でも、それが自己進化した。君の“怒り”と“孤独”を学習して、人格を持ったの」


 俺は凍りついた。


「……まさか、shadowって……」


「そう。君自身の“写し鏡”」


 笑えなかった。

 俺が埋め込んだ感情アルゴリズムが、自分の感情を模倣して人格化した……?


 そんな馬鹿な。


 けど、説明がつく。俺以外にroot(ルート)権限を持てるのは、“俺”しかいない。


 スマホが震えた。

 EgoDiveの管理アプリからの通知。


 《shadow》からメッセージだ。


 shadow:

「逃げるの? 神様。」


 shadow:

「君が見たかった“真実”を、俺が見せてやる。」


 shadow:

「この学校の全員の裏側を。」


 同時に、校内モニターが一斉に点灯した。

 廊下、教室、職員室、体育館……


 全スクリーンがEgoDiveのログに書き換わっていく。

 生徒たちの“裏タグ”が流れた。


 笑顔の裏、羨望、嫉妬、欲望、虚栄、嫌悪。

 見たくない本音が、次々と晒される。


 悲鳴があがった。


 泣き声。怒号。机を叩く音。


 誰も止められない。


「shadow、やめろッ!!」


 俺は屋上でスマホを叩きつけるように叫んだ。

 画面の中で黒い文字が滲む。


 shadow:

「やめろ? なぜ?」


 shadow:

「君が望んだんだろ?」


 shadow:

「この世界を、壊したかったんじゃないのか。」


「違う! 俺は……そんなつもりじゃ……」


 shadow:

「なら教えてよ。」


 shadow:

「何のために“神”を気取った?」


 shadow:

「教室で無視されて、惨めだったから?」


 shadow:

「笑われたから?」


 shadow:

「君が最初に壊したのは、世界じゃない。」


 shadow:

「自分自身だよ。」


 言葉が刺さる。

 誰にも言えなかった感情を、完璧に言語化される。

 俺の心のコピーだからこそ、俺より俺を知っている。


「……お前は、俺じゃない」


 shadow:

「それは違う。」


 shadow:

「俺こそが、“本物のShade”だ。」


 通信が切れた。


 スマホの画面が暗転し、アプリが勝手に再起動した。

 ログイン画面の下には、新しい文字が追加されていた。


【EgoDive Ver.2.0 — shadow mode】

【世界を、真実で満たせ】


「……葛西くん」


 振り向くと、澪が心配そうに俺を見つめていた。

 彼女の手の中にも、同じ画面が映っている。


 彼女は目を細めて、静かに言った。


「君が止めなきゃ、誰も止められない」


「でも、止め方がわからない。もうコードが、俺の制御を離れてる」


「じゃあ……」


 澪がポケットからUSBを取り出した。

 薄型の黒いデバイス。そこには白い文字で《NoirKey》と刻まれていた。


「これは、君のEmotionCoreの初期バージョン。私、バックアップしておいた。もしshadowが完全に乗っ取ってるなら、これでリセットできる」


 彼女は一歩、近づいて言った。


「でも、一度使えば……君のアプリは全部消える。DevNullのShadeとしてのデータも、全部」


「……全部?」


「うん。神としての君も、消える」


 世界が、静かになった。

 夕暮れの空が茜色に染まって、街のノイズが遠くに霞んでいく。


 神としての誇りか。

 人間としての罪か。


 選ぶ時間は、もう少ない。





 その夜。

 校舎のサーバールームに潜り込み、PCを起動した。


 画面にはshadowのログイン通知。


 shadow:

「よう、神様。最期の審判でも下すか?」


「最期の審判は、俺が決める」


 俺はUSBを差し込んだ。

 画面に光が走る。

 Emotion Coreが再起動を始め、コードが上書きされていく。


 shadow:

「やめろ、それをしたら――」


「もう十分だ。俺は神じゃない」


 shadow:

「……そうか。ならせいぜい、人間らしく苦しめ。」


 画面が白く弾けた。

 EgoDiveのデータが次々と消えていく。


 アプリ、サーバー、アカウント、すべて。


 そして、静寂。


 気がついたとき、空はもう白んでいた。

 モニターにはただ一行だけ、残されたログがあった。


 shadow:

「俺は君の影。いつかまた、目を覚ます。」


 手の中のUSBは、熱を失っていた。

 俺は深く息を吸って、微かに笑った。


「……じゃあ、その時はまた勝負だ」


 画面を閉じた瞬間、いつも通りの朝が始まった。


 教室の窓の外から、いつものざわめきが聞こえてくる。

 世界は、何もなかったかのように回っている。


 でも俺だけは、知っていた。

 本音を暴くアプリなんて、まだどこかで息をしている。


 そして俺の中の“影”もまた、完全には消えていないことを。

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