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“炎上”がはじまる日

 翌朝、教室の空気は明らかに変わっていた。

 笑い声が不自然に小さい。


 スマホの画面を隠すように操作してるやつが多い。

 何かが起きた、そう直感した。


「なぁ……見た?」


「やばくね、あれ……?」


「てか、なんで消えねぇの、あのタグ……!」


 ひそひそと囁き合う声。

 視線の先、教室の真ん中で女子たちが青ざめていた。


「マジ無理……私、あんなこと書いてないのに……!」


 ――あぁ、動いたか。

 《EgoDive》に昨夜追加した新機能。


 投稿の“再解析”だ。

 ユーザーが文章を修正しても、最初に投稿した文面の心理情報を自動保存し、タグとして永続表示する。


 つまり、消せない“本音の痕跡”。

 結果、今朝――最初の炎上が起きた。


 原因は、三年女子の“竹内杏樹(たけうちあんじゅ)”ってやつ。

 スクールSNSのトップフォロワー、校内一のインフルエンサー。


 彼女のEgoDive投稿が、こうだった。


「今日も一日頑張ろっ♡ みんなに笑顔を届けるよ〜!」


 一見、普通の投稿。

 だが、その下に自動で付いたタグが――


【嫌悪:84%】【嘲笑:67%】


 しかも、校内限定で共有されたそのスクショが一瞬で拡散。


 コメント欄は阿鼻叫喚。


「何これ本音?」


「性格悪w」


「裏では人見下してたのかよ」


 まさに“デジタル断罪”。

 ネットの神が人間を裁く時代だ。


 ……まぁ、神は俺なんだけどな。


「やべーよ、あの杏樹が泣いてたって」


「昨日まで“笑顔の女神”とか言われてたのに」


「タグ出るのマジで本当っぽいよな。俺も“嫉妬:59%”って出たし……当たってるし……」


 教室の片隅で、誰かが怯えたようにスマホを閉じた。

 ざまあみろ。


 笑顔の裏に隠してた黒さが、ようやく日の下に晒される。

 これが、俺の作りたかった世界の一片。


 だが、想定外の展開も一つあった。

 昼休み、俺のもとに一人の女子がやって来た。


「葛西くん、ちょっといい?」


 声をかけてきたのは、霧島澪(きりしまみお)

 同じクラスで、いつも図書室にいるタイプ。

 俺と同じく、群れない側の人間。


「……何か用?」


「EgoDive。あれ、君が作ったんでしょ」


 手が止まった。

 予想より、ずっと早い指摘だった。


「どうしてそう思う?」


「理由はいくつかあるけど……一番大きいのは、“分析精度”」


 彼女は静かに笑う。


「文体解析のアルゴリズム、君の前に出してた“LieTrace(ライトレース)”ってツールと同じ構造……偶然、とは思えない」


 息を呑んだ。


 《LieTrace》。二年前、俺がDevNullで試験的に出した旧モデル。


 一般公開はしていない。

 それを知ってるってことは、彼女はただの読書少女じゃない。


「君……DevNullのユーザーか」


「うん。アカウント名は《Noir(ノワール)》」


 その瞬間、すべてが繋がった。

 チャットで何度も議論した、あの冷静な投稿者。


 “Shade”と“Noir”。

 まさか同じ学校にいたとはな。


「別に責めるつもりはないよ。ただ……このままだと、学校、壊れる」


「壊してる最中なんだけど?」


「……それ、楽しい?」


 その言葉が、少しだけ胸の奥に刺さった。

 でも俺は、視線を外さなかった。


「楽しいさ。あいつらが俺を笑ってた分だけ、笑い返す番だろ」


「……そっか」


 澪は小さくため息をつき、背を向けた。

 去り際、ぽつりと一言。


「でもね、Shade。人間の“裏”を暴くってことは、自分の“裏”も晒すことになるんだよ」




 その日の夜。

 EgoDiveのアクセス数は千を突破。

 投稿数は爆発的に増えていた。


 だが、喜ぶ気にはなれなかった。

 画面のコメント欄が、異様に荒れていたからだ。


「タグふざけんな! 誤判定だろ!」


「杏樹が休んだ。どうすんだよこれ」


「このアプリの作者、捕まるんじゃね?」


「学校、もう修羅場だわw」


 ……いい。

 これでいい。

 最初から、壊すために作ったんだ。

 俺を笑ったこの世界を、平等に焼き払うために。


 ――けれど。


 画面右上の通知が一つ、光った。

 送信者は《Noir》。


Noir:

「君のコード、改変されてるよ。」


Noir:

「EgoDiveの中に、君以外の“誰か”が入ってる。」


「……は?」


 心臓が一瞬で冷えた。

 まさか、外部侵入? いや、ありえない。

 鍵付きのP2P構造だ。クラウドにも依存してない。


 入れるはずがない。

 けど、念のため確認する。


 管理画面を開くと、見慣れないアクセスキーが一つ、表示されていた。


 UserID:root@shadow

 権限:管理者(レベル不明)


 ……誰だ、こいつ。

 俺のアプリは、俺以外の“何か”に乗っ取られ始めていた。




 翌朝。

 学校は、完全に崩壊していた。

 杏樹の後を追うように、他の生徒たちの投稿にも異常タグが出現。


 しかもそれが、誰も投稿していない“嘘の文章”にまで付けられている。


「お前らなんて友達じゃねえ」


「見下してるくせに仲良しごっこ楽しい?」


「嫉妬してるんだろ?」


 そんな文面が、勝手に生成されて拡散していた。

 それはもう“解析”じゃない。

 悪意そのものだ。


 教室に入ると、神原が顔を真っ青にして叫んだ。


「おい葛西! お前の名前、タグに出てんぞ!」


 スマホを突きつけられる。

 そこには、俺の名前が刻まれた投稿。


「この世界を壊すのは俺だ」

【支配欲:98%】【復讐:100%】


 俺は息を呑んだ。

 そんな投稿、していない。


 それでも画面上では、俺のIDが確かに“発信者”として表示されていた。


 誰かが、俺の中にいる。

 画面の中で、黒い通知が一つだけ点滅していた。


 アプリの管理者メッセージ。


 送り主は《shadow(シャドウ)》。


 shadow:

「こんにちは、“神”さん。」


 shadow:

「あなたの作った世界、とても居心地がいいね。」


 教室のざわめきが遠のく。

 頭の奥で、何かが音を立てて崩れた。


 俺は知っていた。

 これは、ただのゲームじゃない。


 EgoDiveが暴いているのは“人間の裏”だけじゃない。


 俺自身の裏まで、すべてだ。

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