エピローグ 声が届く場所で
春が過ぎ、夏が来た。
新しい生活にも、少しずつ慣れてきた頃。
大学のキャンパスのカフェテラスで、俺・相沢悠真は、ノートPCを広げながらコーヒーをすすっていた。
画面の中央には、見慣れたロゴ。
“TomoTalk ver.2.1”
ウラトモの理念を受け継いだ、俺の新しい居場所だ。
『今日、初めて名前で「ありがとう」って言えた。
匿名の頃よりも、ちょっと怖いけど、ちょっとあったかい。』
誰かの投稿が流れるたびに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
(ああ……ちゃんと続いてる。
“名前”のある世界でも、人はちゃんと本音で繋がれるんだ)
そう思って、PCを閉じかけたそのとき。
スマホが震えた。通知。差出人は、白石夏音。
【夏音】
「講義終わったー! 今カフェにいる?」
【悠真】
「うん、いつもの場所。席とってある。」
【夏音】
「了解。すぐ行く!」
メッセージを送信して数分後。
ドアのベルが鳴り、夏音が駆け込んできた。
「ごめん、遅くなった!」
「全然……講義どうだった?」
「眠かった。でも、ちょっと楽しかったかも」
笑いながら席につく夏音。
大学の新しい生活に少し疲れながらも、それでも目はまっすぐに未来を見ていた。
「ねぇ、これ見た? TomoTalkのレビュー」
彼女がスマホを見せてくる。
『“本音”を言える場所が、ようやく見つかりました。ありがとう。』
「……すごいね。ちゃんと届いてる」
「うん。でもね、これ、投稿したの……私」
「え?」
「匿名じゃない“夏音”として。
ウラトモの時みたいに隠れずに、ちゃんと名前で“ありがとう”って言いたかった」
そう言って、彼女は小さく笑った。
あの日と同じ、柔らかい笑顔で。
「……夏音」
「ん?」
「やっぱり、君が一番の“ユーザー”だよ。
ウラトモも、TomoTalkも。ずっと」
「ふふっ。じゃあ、これからも“投稿者”でいるね」
夏音はストローを回しながら、少しだけ照れたように、でもまっすぐに言った。
「ねぇ、相沢くん。
“本音”を言うって、まだちょっと怖いけど……
でも、誰かの声にちゃんと返せるのって、すごく幸せだね」
「うん……ほんと、そうだね」
窓の外では、夏の陽射しがまぶしく揺れていた。
ざわめくキャンパスの音、コーヒーの香り、そして、隣で笑う彼女の声。
(ウラトモの世界で生まれた“本音”が、今、こうして現実の言葉になって響いている)
匿名の画面越しにしか見えなかった“誰か”が、今はちゃんと“名前”で呼べる距離にいる。
それが、何よりの奇跡だった。
「匿名の声は、消えたわけじゃない。
ちゃんと届いて、名前になって、今を生きてる。」
「ウラトモ、ありがとう。
あの日の僕たちを、勇気づけてくれた全ての言葉に。」
モニターの中で、“TomoTalk”の通知ランプが小さく光った。
誰かが、また一つ本音を伝えた証。
そして、それを受け取る“誰か”が、ここにいる。
もう、匿名じゃない。
けれど、あの優しい夜の声を、俺たちはきっと一生忘れない。




