42 まだ残る傷跡
モートン侯爵は外で話を聞いていた様で、私の横を抜けてクララ様に近づいた。
「来ないで!」
「クララ、落ち着いてくれ」
クララ様の背後は柵で、クララ様が一歩下がって柵に背が!
「サリナは俺の妹だ」
聞いた途端、クララ様は唖然としてその場に座り込んでしまった。モートン侯爵が素早く近づいて抱きしめる。
「不安にさせた。すまん」
クララ様は唖然としたままだ。
「お騒がせして、申し訳ありませんでした」
侯爵はそう言って頭を下げると、クララ様を横抱きにしてサリナ様を連れて去って行った。
その直後、テラス席の扉はコリーヌによって閉められ、クリス様は私に椅子に座る様に促されて、再度座る事になった。
「浮気相手ではなく、妹君だったのですね……」
「ああ。子爵家に養子として赤ん坊の頃に出したそうだ」
「何故今になって……」
「オスカーが庶子だったからだ」
オスカー陛下が庶子なのに王となった。つまり跡継ぎになれるのだ。
今までの法律であれば、庶子が爵位や王位を継ぐのは無理だった。しかしそれを王族が覆えした。育てた子供に爵位を継がせれば、高位貴族の家に強く出られるし、最悪乗っ取る事が可能になる。
「サリナ嬢の家は借金こそないが貯蓄も無い。彼女の弟が嫁を迎える為の結納金が無い。サリナ嬢は自分の出自を偶然知り、エルリック殿に相談に来ていたんだ」
かつての王妃と公爵夫人の行いは、未だに深い傷を残している様だ。
「サリナ嬢は、別にモートン家に籍を移す気はないそうだ。……平民になる覚悟もしている」
クリス様は目を伏せる。
「元陛下も叔父上も、ここまでになっていた事に気付いていなかった。高位貴族でも、計算のできない者がいる。……この国は算術のできない貴族が多すぎるんだ」
知があればこその貴族でありその義務。その為の学習が、この国ではかなり疎かになっていた。
特に算術は平民の商人よりもできない者がかなりの数居たのだ。だから大勢が騙された。金利の計算ができないから、クララ様のご実家の様に信じられない金利で金を借りている家もあったのだ。
今、学園では算術の授業に力を入れている。
算術が出来ると、領地経営の安定にも繋がると分かってきて頑張る者も多いのだが、美しいカーテシーの練習ばかりしていた令嬢達には辛い授業になってしまっている。
「どうなさるのですか?」
「結婚時の結納金を助成する」
そうなれば、結婚できないと言っている者達は結婚できる。
「実は……この話をエルリック殿から相談された時に、ロゼライト家の資産の一部をこれに充てようと決めた。元公爵夫人の罪がとにかく大きい。僕は関係ないと言えないんだ」
「それを言うなら、私もです」
この国に来て以来、暮らしに困らなかったのはロゼライト家の資産があったからだ。
「……その、ごめん」
何故謝るのだろうか。
「結婚を待って欲しいんだ」
私は一瞬ぽかんとした後、事態を理解して複雑な気持ちになった。
(やはり、私は結婚できないのかも知れない)
宰相であるクリス様と私の結婚式は、立場上盛大にしなくてはならない。……資金を提供しているのに派手な結婚式をする事は、困窮する貴族から反発が起こるだろう。
問題は何年待てばいいのか分からないと言う事だ。
「……仕方ない事です」
少し声が震えた。
「メイフィー」
「私、すっかり我儘になってしまったみたいです。お母様から手紙が来て……結婚するのが怖くなっていたのです。でも、まさか出来ないとは思っていなくて……」
クリス様の長い腕が伸びてきて、私の涙を指ですくう。
「ずっとじゃない。僕は後何年経とうと、君と結婚する。待てない?」
ただ首を左右に振る。
そこでクリス様が悪い笑顔になった。
「これは……御母上を避けるにも利用できる」
「どういう事ですか?」
「公爵家が資産を提供する事になって、結婚が延期になったと伝えるんだ。……僕はね、君の箱庭に御母上を入れる気がないんだ」
「クリス様……」
「君は、結婚すれば御母上が来ると思っているから、結婚に後ろ向きになっているのだろう?」
私の気持ちは、クリス様に見抜かれていた様だ。
「だから、足止めした上で御母上をこちらには来られないようにする」
クリス様はきっぱりと言い切った。




