52日目:同棲予行練習(前編)
なんでもない朝にこそ幸せはある。
お世辞にも爽やかとは言い難い朝。
幸い、雨は降っていないけど肌がベタついている。臭いが心配だ、先輩が起きる前になんとかしたい。
「んぅ……珍しく起きたのだぁ……」
眠り姫が目を覚ました。この瞬間に、汗をかいた証拠の隠滅は不可能であることが決定した。
というかなんだ、その寝起きの台詞は。可愛いな。
「おはようございます、先輩」
「おはよぉ。やっぱり寝汗かいちゃったねぇ」
「仮に一人で寝ても、結果は同じですよ」
良かった、先輩も汗をかいたようだ。たまに汗腺が機能しているのか心配になるけど、ちゃんと先輩も人間ってことだ。
「シャワー借りてもいい?」
「良いですけど、一緒に入ります?」
「魅力的な提案だけどぉ、シャワーは一緒に入るものじゃないと思うなぁ」
「なんか先輩に正論を言われると嫌ですね」
「そ、そんなこと言わないでよぉ」
「冗談ですよ。シャワーは割と本気でしたが」
あたふたする先輩に微笑みかける。自然に笑えているかどうかはわからないけれど、笑えてくるのは自然だ。先輩と話していると楽しい。
「一緒にシャワーって入れるのかなぁ」
「試してみます?」
キャラ崩壊と言われても反論できないレベルで、自分がおかしいことを言っている自覚がある。
どうしたんだろう、夏の熱で脳細胞が茹だってしまったのかな。それとも、先輩が朝から隣に居るという事実で舞い上がってしまっているのかな。
「いや、一人ずつ入ろう。なんとなく、一緒にお風呂に入るよりボクがやばい」
「ふふ、わかりました。朝からすみません」
「何も謝ることはないけどねぇ」
「そういえば、コンタクト外して寝ました?」
「うん。こっそり」
「なら良いですけど」
お互い着替えを用意して部屋を出る。着替えで手がふさがっているので、手を繋げずバラバラに階段を降りる。残念。
そういえば今日は普通に平日なので、お母さんは既に出勤済みだ。まぁデートに行くからあんまり関係無いけど。
「今日、どこに行くか考えたぁ?」
「旅行に向けて、何か買い物でもしようかと」
「なるほどぉ、じゃあ壱津羽か戸毬辺りになるかな?」
「そうですね、イチツウなら大体のものは揃いますしね」
具体的に何が必要かはわからないから、見て考えよう。加木に行った時は手ぶらだったし、先輩にも一緒に考えてもらおう。
「確か君は定期区間外だったよね。泊めてもらったお礼に、ボクが切符代を出すよ」
「そんな、悪いですよ」
「まぁまぁ、そんな大した金額じゃないしさぁ。それくらい払わせてよ」
「……では、お願いします」
「はぁい」
「あ、シャワー先に入ってください。その間に朝ごはん用意しておきます」
「同棲してるみたいな会話だねぇ」
卒業後は一緒に暮らしませんか、なんて言葉が喉のすぐ手前まで出かかった。私の軽率な発言で、先輩の進路を縛るわけにはいかない。もしかしたら、遠くの大学とかに行くかもしれないわけだし。
初めて、同学年だったら良かったのにと思った。
浴室に向かう先輩を見送り、キッチンに向かう。どうせすぐに出かけるだろうし、軽いものを作ろう。
冷蔵庫を開けて、卵を2つ取り出す。それを割ってお椀に入れ、かき混ぜる。私の家の玉子焼きは甘い味付けだけど、先輩の好みはどうだろうか。訊いておけば良かったな。
「砂糖大さじ一、塩と醤油を少し入れて……」
自分で玉子焼きを作るのは久しぶりだ。どう頑張ってもお母さんが作る玉子焼きの方が美味しいので、半ば諦めているとも言える。
玉子焼き用のフライパンに油を垂らし、溶いた卵の三分の一を流し込む。菜箸でかき混ぜ、半熟になったタイミングで巻いていく。ここが難しい。
「でも、フライ返しでやると負けた気がするんだよね」
なんとか菜箸で巻き終え、空いた所にまた卵を流し込む。
これをお椀の中が空になるまで繰り返し、綺麗に整えてまな板の上に乗せる。よし、中々の出来だ。
後は包丁で切って完成。味噌汁はインスタントにしよう。炊飯器の中に保温されたご飯もあるし、先輩がシャワーを上がったら盛り付けよう。
「いや、あと一品は欲しいな」
冷蔵庫の中をもう一度確認する。昨日の夕飯の残りの鮭の切り身と、野菜が少し。
インスタントの味噌汁を中止して、アレを作ろう。
「おまたせぇ。いい匂いだねぇ」
濡れた髪と、ほんのり色付いた顔。シャワー上がりの先輩、めちゃくちゃ可愛い。
「先に食べていても良いですよ」
「髪乾かす時間もあるし、君がシャワー上がるまで待ってるよぉ」
「ありがとうございます。急いで済ませますね」
サッと汗を流して、すぐにご飯にしよう。
自己最高記録レベルの早さで服を脱ぎ、シャワーを浴びる。頭と体もササッと洗い流す、もう人間というか犬を洗う感覚。洗ったこと無いけど。
先輩が髪を乾かし終えるのにかかる時間を5分として、それに間に合う程度の早さでシャワーを終えることができた。
ネトゲで培った作業効率を上げるスキルが役に立っている。気がする。
「お待たせしました、先輩」
「早いねぇ。カラスの行水ってやつ?」
「シャワーに時間をかけても仕方ないじゃないですか。ご飯冷めちゃいますし」
髪を乾かし終えたらしい先輩が椅子に座る。
茶碗にご飯を盛り、先輩と自分の前に置いた。白米から立ち上る湯気が保温の効果を物語る。炊飯器のスイッチを切っておかないと。
「ご飯と玉子焼きと、これはなぁに?」
「これは、鮭と野菜を味噌で炒めたちゃんちゃん焼きというものです。北海道の料理ですよ」
「おっ、もう北海道旅行に向けた意識改革ぅ?」
「北海道について調べていたら目に入りまして。作ってみました」
「おいしそうだねぇ。それじゃ、いただきまーす」
「いただきます」
まず先輩は、玉子焼きに箸を伸ばした。緊張の一瞬。
一切れをそのまま持ち上げて、丁度半分くらいの大きさになるように噛む。もぐもぐと口を動かすのを、ただ静かに見守る。
「この玉子焼き、甘くておいしぃ!」
「お口に合ったようで安心しました」
これで私も食べられる。うん、味見してなかったけど美味しい。自画自賛。でも、やっぱりお母さんの玉子焼きには遠く及ばない。修行が足りないな。
先輩はそもそも家で玉子焼きとか食べたことがあるのだろうか。おふくろの味という概念が存在しないのだとしたら、少し悲しい気がする。
「ちゃんちゃん焼きもおいしいねぇ。初めての組み合わせだけど、味噌の塩気が鮭とぴったり。野菜もしゃきしゃきでいいねぇ」
「先輩は無言で食べず、しっかり味の感想を言ってくれるので好きです」
「あはぁ。告白されちゃったぁ」
「してません」
でも、美味しそうにご飯を食べる先輩を見ると本当に幸せな気持ちになれるので、今後とも作って食べさせたい。おふくろの味を知らないなら、私の味を知ってもらえば良い。
外食もアリだけど、『私が作った食事』を食べる先輩はまた別物だ。なんだろう、これはなんて感情なんだろう。
「食べ終わったら、出かけよっか」
「はい。その前に髪を乾かす時間をください」
「もちろんだよぉ」
ほぼ同時に食べ終え、一緒にごちそうさまをする。
食器をシンクに置くと、先輩が突然私を抱きしめた。ノーモーションで攻撃ができる強キャラのようだ。
「先輩?」
「お皿はボクが洗っておくから、髪を乾かしておいでぇ?」
「あ、ありがとうございます」
「えへへ。莎楼からいい匂いする」
「先輩からもしますよ」
「おんなじ匂いでしょ」
抱きしめながら、首元やうなじの辺りの匂いを犬みたいに嗅ぐ先輩。シャワーに入ったとはいえ、なんだか恥ずかしい。
しかも、先輩の柔らかさが遠慮なしに体に当たっているので、ドキドキも止まらない。なんだろう、なんの時間なんだろうこれ。試験か何かの時間だろうか。
「じゅーでんしゅーりょー。それじゃ、お皿洗うねぇ」
「よろしくお願いします……」
いつもの気まぐれかな、と思いつつ、私も充電されたから深く気にしないことにした。髪を乾かそう。
考えていなかったけど、今日のログボはどうしようかな。
次回、お買い物デート。




