41日目:六月の終わり(後編)
6月最後のデート。
「あのお蕎麦屋さん、よさそうじゃない?」
「手打そば処『鵐雨天』ですか」
「入ってみよっかぁ」
「はい」
店名の刻まれた木の看板、焦げ茶色の引き戸に緑色の暖簾。
襖を模した窓がオシャレだ。
先輩が戸を開けると、出汁のいい匂いと、50代前半くらいの男性が私たちを歓迎した。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
「窓際にしよっか」
窓際の席に座り、壁に貼られている店長の経歴を見る。元自衛隊員で、そば屋を始めたのは5年前。どうやら厨房には奥さんも居るらしい。
少しして、編み込みをした髪を右肩に乗せた、眼鏡の女性が水を持ってきた。
「いらっしゃいませ。お冷です……って、カサちゃん」
「えっ、村栄センパイ?」
「久しぶりだね、その子は彼女?」
「そんな感じぃ」
「違います。ただの後輩です」
どうやら、先輩の知り合いらしい。ヒアさん以外にも慕うセンパイがいたことに少し驚いた。
というか、彼女かどうか訊いてきたということは、先輩のことをよく知る人物なのだろうか。それとも普通に冗談なのか。
「村栄センパイは、ここでバイトしてるのぉ?」
「いや、実家なんだよここ。給料は貰ってるけど」
「そうなんだぁ。知らなかったよ」
「別にわざわざ言うことでもないかなーって。そうそう、煙は元気?」
「元気だねぇ。元気なさそうにしか見えないけど」
「確かに」
ムラエさんは笑いながら、注文が決まったら呼んでね、と言い残して厨房に消えていった。
「ケムリ、ってどなたですか」
「センパイのことだよ。本名は煙って言うの」
初めて聞いた。今まで本名も知らずに接してきたというのも、なんだか変な話だけど。
「色々と興味深いですが、まずは注文を決めましょうか」
「じゃあ、ボクは天ぷらそば」
「私は……鴨そばにします」
「村栄センパーイ、注文決まったよぉ」
「はいはい、天ぷらそばと鴨そばね」
「聞いてたのぉ?」
そばが来るまでの間、先輩のことをなんとなく見る。
小さいテディベアが沢山描かれている、サイズが少し大きめの服に、ジーンズのショートパンツ。……あれ、なんか既視感。
「先輩、その服のピンク持ってませんでした?」
「おっ、よくわかったねぇ。そう、あれの色違いなのだぁ」
「私も、そういう服を買ってみようかな」
「君に似合う服、探すの楽しみだなぁ」
にこにこする先輩を見てると、なんだか私も楽しくなってくる。
明日から7月だし、夏らしい服が欲しいところだ。あと歯磨き粉。
「お待たせしました、鴨そばです」
「ありがとうございます」
店主が、私の前に鴨そばを置く。湯気から香る出汁の匂いと、油の浮いた、濃いめのつゆの上に並ぶ鴨肉。
食べる前からわかる、美味しいやつだ。
「天ぷらは時間かかるだろうし、先に食べてていいよぉ」
「では、お言葉に甘えて。いただきます」
割り箸をぱきんっと割り、最初にそばを持ち上げる。それを口に運び、麺とつゆを同時に堪能する。
深みのある、濃厚な旨み。そばは十割だろうか、しかし独特のそばの匂いがほとんどしない。
「おいしい?」
「とっても美味しいです」
「お待たせしました、天ぷらそばです」
「ありがとぉ」
今度も店主が運んできた。そばを運ぶのはムラエさんの仕事ではないのだろうか。店主のこだわりとか。
「エビ、食べるぅ?」
「え、良いんですか」
「エビ2本に野菜のかき揚げまであるからねぇ。おすそ分けぇ」
「ありがたくいただきます」
「おそばの上に置いても大丈夫ぅ?」
「はい、平気ですよ」
先輩がくれたエビの天ぷらを食べる。揚げたてサクサクの衣に、少し染み込んだつゆ。エビ自体が大きくて美味しい。
お互い、ほぼ無言でそばを食べ進め、10分ほどで食べ終わった。
「おいしかったねぇ」
「そうですね。また来たいですね」
「あはぁ。もう次の話ぃ?」
「麺類を食べる先輩が好きなんですよ」
「ふふ、そんな目で見てたのぉ?」
一緒に立ち上がると、ムラエさんがやって来た。
「お会計は別かな?」
「一緒でお願いしまぁす」
「え、先輩」
「だからぁ、次は君が払って?」
「……わかりました、ここより安いところでお願いします」
「あはぁ。どーしよっかなぁ」
先輩はお金を払い、ムラエさんに手を振った。
一緒に、ごちそうさまでしたと言って店を出る。
「それでは、服を見に行きましょうか」
「どこら辺にあるのかなぁ」
「こっちの方とか、お店ありそうですよ」
「じゃあ、君を信じるねぇ」
手を繋いで、なんとなくお店がありそうな方へ歩き出す。ギリギリ6月だというのに、もう暑い。地球が温暖化しているせいだろうか。それとも、そばを食べたからだろうか。
いや、先輩と手を繋いでいるからだろうか。私の温暖化も深刻だ。
「6月も今日で終わりですね」
「色々なことがあったよねぇ。今月はログボの振り返りはしないのかなぁ」
「良いんじゃないですか、しなくても。今月はテスト期間や学祭準備で忙しかったイメージです」
「明日からはもっと忙しいよぉ。学祭まであと2週間なんだから」
「面倒なので、2週間後、学校祭当日。みたいに描写しても良いですかね」
「うーん、それはさすがに端折りすぎじゃない?」
早く当日が来てほしい。早く先輩と一緒に周りたい。
けど、それってつまり私はメイド服で過ごすってことか。でも先輩のお化け姿は見たいな。
なんて話しながら歩いていると、ブティックが目に入った。個人経営らしい、小さなお店だ。
「私、こういうお店って入ったことないんですよ」
「じゃあ、入ってみよっかぁ」
先輩がドアを開けると、チリンと鈴が鳴った。それを合図に、糸目の女性店員が私たちに会釈をした。
店内には、可愛らしい夏物の服が所狭しと並べられている。
こういうお店って、値段も高いんだろうなぁと思いながら、近くの服の値札を確認する。……あれ、意外と安い。
「ねぇねぇ、このワンピースとか可愛いんじゃない?」
「オフショルダーですか……私には少しハードルが高い気が」
「夏なんだし、これくらいは肌を出そうよぉ」
「試着するだけ、してみます」
先輩の選んだ、白いオフショルダーのフリルワンピースを持って試着室に入る。と、何故か先輩も一緒に入ろうとしてきた。狭い。
「さすがに入れないかぁ」
「な、なんですか」
「いや、そういえばキスしてないと思ってねぇ」
「タイミングを考え……んむぅ」
「んっ……ちゅ、ん……ぷはぁ」
「……もう。着替えるから待っててくださいね」
「はぁい」
にやにやする先輩が、カーテンで見えなくなる。
本当に突然というか奔放というか自分勝手というか。それが先輩の良いところであり、好きなところでもあるんだけど。
着替え終え、カーテンを開ける。
「どう、ですか」
「ボクの稚拙な語彙では語り尽くせない可愛さだね。もうボクがお金出すから買おうよ。てか買います、買わせてください」
「落ち着いてください、なんか変ですよ」
取り敢えずカーテンを閉めて、元の服に着替える。
ワンピースをハンガーに戻して、カーテンを開ける。
「ねぇ、ボクが買ったら着てくれるぅ?」
「自分で買いますし、夏のデートで着ますから」
「よかったぁ」
先輩がとても褒めてくれたので、それだけで購買意欲がカンストした。そんなに高くないし、買っちゃおう。
「すみません、お会計お願いします」
「はい」
店員さんは値札のタグを切って、慣れた手つきで店名の書いている紙袋に入れる。恥ずかしながら、筆記体で読めない。
「ありがとうございました」
お店を出て、紙袋を右手に持ち替える。空いた左手で、先輩と手を繋ぐ。夏の暑い日も、普通に手って繋ぐのかな。手汗とか心配だな。
なんとなく、駅の方へ向かって歩き出す。先輩は何も買ってないけど良いのかな。
「さて、あとは買うものあるぅ?」
「えっと、歯磨き粉ですね」
「……歯磨き粉ぉ?」
「そろそろ無くなりそうなんですよ」
「ふふっ、あはははぁ!」
「なっ、そんな笑わなくても良いじゃないですか!」
「ごめんごめん。だってなんか、一緒に暮らしてるみたいに聞こえたからさぁ」
「一緒に暮らしても、歯磨き粉は別だと思いますが」
「シャンプーとかは?」
「私は同じでも構いませんが……って、どうして一緒に暮らすことを前提に話しているんですか」
「そういう未来、妄想するくらいならいいでしょ」
「現実になるかもしれませんよ」
思わせぶりなことばかり言うと、また先輩が不安になってしまうかもしれない。けれど、なんだか本当にそんな日が来る気がしている。
「ねぇ、歯磨き粉は肆野で買うの?」
「そう、ですね。このまま駅に行くなら」
「じゃあ、ボクもついて行ってもいい?」
「もちろん。なんならウチに来ませんか」
「いくいくぅ」
朝と変わらず、誰も居ない駅に到着した。相違点は、隣に先輩がいるところくらいか。
あの、朝の不安が嘘みたいだ。
「先輩、スマホは修理に出しました?」
「まだだよぉ」
「では、目覚まし時計を買った方が良いかと」
「それより、君の家に泊まった方が早くない?」
「流石に、朝一緒に登校するのは早くないですか?」
そんな先輩の冗談か本気かわからない提案も、現実になるかもしれない。かも。
これで6月編は終わりです。次の部分に、5月と6月に登場した人物や地名のまとめを掲載します。




