盤外編:ボヘミアン・ラプソディ
先輩の母親・葉織里と、莎楼の母親・沙桜。時系列的には、まだ葉織里は莎楼に会ってません。
「こんなに甘ったるいもの、よく飲めるね」
原材料名に羅列されている名前は、多く使われているものほど前に来るようになっている。
彼女、沙桜さんのお気に入りのチョコレートドリンクには、砂糖が一番含まれているらしい。通りで甘ったるいわけだ、牛乳で割って飲んでも良いくらいには。
「酒にも薬にも溺れていないだけ、マシでしょ」
「まぁ、そうだね。砂糖の依存度はそれらに近いと思うけど」
「じゃあ、私という人間に原材料の羅列されたラベルが貼られたとして。一番先頭に来る構成物質は何かしら」
こういう日常会話の枠から脱した会話に、彼女はおおよそ期待通りの言葉を返してくれる。
日本語として成立さえしていれば、前後の繋がりや整合性は無視してくれる。それを優しさと呼ぶならそう呼びたいけれど、それを彼女が許可するかは別だ。
知り合ってまだ間もない……正確な日数は記憶していないけれど、旧知の仲でも無いし友人というわけでもない。ママ友なんて陳腐でチープな単語で表すのは気が引けるし。
本当、なんなんだろう。この世界の全てが嫌いだと思っていたのに、許容できる人間に出会えるなんて思いもしなかった。
「あなたを構成する最大の要素は、まぁ……娘じゃないの?」
「そうね、そうかもしれない。葉織里さんにも娘がいるんでしょ」
「いる。けど、私を構成する要素には含まれていないし、あの子も私を母親とは思っていないと思う」
「これはまた、随分と複雑ね」
それこそママ友ではないから、子どもについてだとか育児についてだとか、そういった話をすることは無い。
仮にそういった話題になっても、私に話せるのは育児放棄のような話だけ。
けど、こうして知り合ったことには意味があるように思う。運命、なんてそれこそ陳腐だから言わないけど。
「複雑じゃないよ。単純に、私が娘を愛せないだけ」
「訊いても良いのかしら、理由とか」
「理由、か。特に明確なものは無いよ。むしろ曖昧とも言える」
「じゃあ、その曖昧な理由未満の何かだけでも教えてよ」
「嫌いだから。娘がどうとかじゃなくて、この世の全てが」
裕福な家庭に産まれ落ち、両親から沢山の愛情を注がれて、様々な検査も診査も通過して、ごく普通の人間として生きる土壌は整っていたのに、それでも私は愛を持たない。
口を開けば人を苛立たせ、好きでもない人と結婚して、誰にも望まれていない女の子を出産した。
そんな自分も、それを取り巻くこの世界も。何もかもが嫌いで、許せなくて、でも怒りは既に沸き上がらなくて。
惰性で生きている、この余生を。
「えっ、じゃあ私のことも嫌いなの?」
「あなたは……不思議と嫌いになれない。家に招くほど馴れ馴れしい、ただのスーパーの店員のあなたを」
「良かったわ。じゃあ、この先もっと好きなものが増えるわよ」
好き、とまでは言ってないのに。随分と自信家だ、過剰なまでに。
「たとえば?」
「好きな食べ物は?」
「特に無い」
「じゃあ趣味とか。仕事は好きかしら」
「趣味は無い。仕事も行かなくて良いなら行かない、その程度の認識」
「これは手強いわね」
「何が」
私に踏み込んで、模索して何かを探すことになんの意味があるというのだろう。
どうでもいいのに。愛も心も持ち合わせていない、こんな空虚な人間になんて、構わなければいいのに。
「そういう私も、別にスーパーで働きたくなんてないし、娘と私は違う人間だから、あまり気にしてはいないけどね」
「はぁ。また冗談を」
「あら、冗談じゃないわよ。娘が誰を好きになっても、我が家を私物化しようとも構わないし」
「私物化、と言えばうちも娘が私物にしてるよ」
まぁ、ほとんど帰らずに放置している私が悪いけど。
あの人も滅多に帰ってこないし、今頃どこで誰と寝ていることやら。それか、私の預かり知らないところで勝手に死んでくれていたら良い。
「そうなのね。うちの娘は先輩の家にしょっちゅう泊まりに行ってるから、そろそろ親御さんにご挨拶とかした方が良いかしらね」
「別に大丈夫でしょ、そんなことしなくても」
そういえば、うちにも誰かを招いている形跡がある。前まではほとんど使っていなかった食材も使ってるし、料理ができる彼氏でもできたのかな。
いや、作るとしたら彼女か。同性しか愛せないって言ってたし。
「話を戻すけど、何か好きなものは見つけた方が良いわよ」
「要らない。そんな甘ったるい飲み物、好きになるわけないし」
「ほら、『愛の反対は憎悪ではなく無関心』って有名な言葉があるでしょ。まぁ私、あれ嫌いなんだけど」
「はぁ。嫌いなら何故それを……」
「割とあってると思うから。だって、嫌いだって感じる心は持ち合わせてるわけだし」
そうか。私は無関心ではないのか。いや、そんなことは無い。この世の全てが嫌いなことと、それはそれとして無関心であることは矛盾しない。
何処かで誰かがどうなろうと、心底興味も関心も無いけども、そんな私にも心があると言うのか。
「……」
「ほら、私と会話して発見があったでしょう。それが、例えその大きな胸を切り裂いて、奥を覗いたとしても見えないところにあるものが『心』よ」
「格好いい風なことを言いながら、セクハラしなかった……?」
胸が大きいのはそちらも同じでしょ、なんてことは流石に言わない。
しかし心、か。愛を持たず、喜怒哀楽をほぼ感じずに生きている人間失格で、母親失格のこの私にもそれがあると言うなら、この終わり尽くしている人生をどうにか出来たりするのだろうか。
今更、娘と普通の親子になりたいだとか、幸せになりたいだとか、親に謝りたいとか、そんなことは微塵も思わないけど。
「とにかく、私と友だちになれる人生は送れるよって話よ」
「はぁ。どうして、私なんかと仲良くしたいの」
「え、普通に好みだから。顔とか」
夫となったあの人は、別に私の容姿を褒めたりしなかったな。家柄と、資産と、『健康な男の子を出産できそう』なところにしか興味が無かっただろうし。
「私には理解できない」
「解り合っていきましょ、ね?」
「はぁ……」
心地良さ、みたいなものは感じないけど、不思議と嫌な気分にはならない。
なんとなく終わり、のような気がしたので帰る準備をする。と言っても、特に何もすることは無いけど。
「また遊びに来て。娘が外出してる時にでも」
「……気が向いたら」
「向くように言っておいて、気に」
またね、と言って手を振られた。振り返すつもりは無いし、笑顔で会釈なんかも当然しない。できない。
私という人間に、もし原材料が羅列されたラベルが貼られるなら。空白ばかりが目立つそのラベルには、沙桜という名前が書かれそうな気がしてならない。
はぁ。




