132日目:mother(中編)
動揺しながらも、そして狼狽しながらも、少しずつ自分の頭が冷静さを取り戻しつつあることに気が付いた。
思えば、随分と前から予感はあった。でも、点と点を結んで線にするのは避けていた。
自分の母親のことでも、踏み込みすぎるのはやっぱり怖いから。
『お母さんは、好きな人と一緒になってないの?』
『なれなかった。相手も女性だったから』
そう、お母さんは女の人が好きで。血は争えないわね、なんてことも言ってた。
『職場の飲み会だけで、こんなに遅くなるだろうか。なんて、邪推しても仕方ないか』
明らかに朝帰りの時もあった。仕事が休みなのに、化粧をばっちりして出かけたこともあった。
『……サド、ってどういう字』
初めて先輩のお母さんに会った時、何故か私の名前に関心を持っていた。全く興味が無さそうだったのに、会話までした。
『茶戸……いや、クグルさん。娘をよろしく』
記憶に新しい、おばあちゃんの家に突然現れて、私たちを助けてくれた時。
あの時は急いで逃げることで頭がいっぱいだったけど、思い返してみると、下の名前は名乗っていなかったのに知っていた。
『で、そのスーパーの店員さんってどんな人だったんだよ』
『美人だったよ。客の方はダウナー系の美人だったわ。店員さんの名札も見たんだけど、なんだったかな……水戸、とか戸田……とにかく、戸って字は入ってたと思う』
この前の昼休みに聞こえてきた会話。これは流石に決定的すぎたというか、深く考えると真実に到達してしまいそうだと思っていた。
「あの時はありがとうございました、ハオリさん」
「名前。なんで知ってるの」
「テラコさんが言ってました」
「そう。因みに、あの時は別に助けに行ったわけじゃないよ」
「では、何故」
助けに来るような人ではない、それはわかっている。けれど、事実としてあの時は確実に助けられた。救われた。
「あなたが、沙桜さんの娘だから」
自分の母親が、自分の彼女の母親に名前で呼ばれているという事実に、軽い目眩を覚える。
「じゃあ、華咲音さんではなく私のことを助けたってことですか?」
「概ねそう。だから、私に期待なんてしないでね」
「……お母さんは、いつからハオリさんと、えっと」
どういう仲なのかわからないので、言葉に詰まってしまった。友だちだろうか、それともそれ以上だろうか。
でも、先輩のお母さんは何もかも愛せないって言ってたし。私のお母さんのことは例外、とかだったりするのだろうか。……頭が痛くなってきた。
「今年の夏だったかしら。いつも大量に食品を買っているから、顔は覚えていたのよ。で、暇だったから会計の時に話しかけてみたの」
「安心してね、そういう関係じゃないから。前にも言ったけど、私は他人を愛せないし」
けど、こうして遊びに来て話に花を咲かせる程度には、好ましく思っているってことなのでは?
訊きたいことが山ほどあるけど、もう何も聞きたくないという気持ちもある。
何より、先輩を待たせている。さっさと部屋に戻って鍵を回収しないと。
「忘れ物、取りに来たんでしょ。カサネちゃんが待ってるわよ」
「わかってるよ、もう!」
自分の声量と語気の強さに、我ながら嫌気が差す。
遅れてきた反抗期だろうか、なんて自嘲気味に思いながら、リビングを出て階段を上る。
お母さんがどんな人と仲良くしていても、それが先輩の母親であったとしても、そんなことは私には関係無いのに。
けど。
「お母さんと仲良くできるなら、先輩とも仲良くしてよ……!」
思わずこぼれたその言葉は、怒りにも似たモヤモヤの一部を言語化できているように思えた。
部屋のドアをやや乱暴に開けて、机の引き出しを開けて鍵を取り出す。これでもし、この鍵が全く関係の無いものだったら、その場で壊してやる。
急いで階段を下りて、今度はリビングを覗かずに家を出る。最初から開いてたんだし、玄関は施錠しない。
本当は水を飲みたかったけど、リビングを通らないとキッチンには行けないので断念。財布も置いてきたし、自販機やコンビニにも頼れない。
「よしっ、戻ろう」
ヘルメットを被り、気合いを入れ直す。今あったことはもう忘れよう。いや、それは無理だけど気にしない。
楽しいことだけ考えよう。このことは先輩には言わず、胸に秘めてお泊まりを楽しもう。
もう、ほとんど秘密なんて無くなったのに、また先輩に言えないことがひとつ増えてしまった。
ペダルを踏み、さっきよりも寒くて、星々が輝き始めている夜を駆け始める。
待っててね、先輩。




