124日目:なんでもないですよ
付き合った次の日のお話です。
結ばれた2人は、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。
そんな当たり障りのない文で締めくくられ、幕が下りて終わるのは、童話や昔のドラマだけだ。
むしろ人生というのは、そこからがスタートなのだ。
「……」
「すごい雨だねぇ」
「文化の日は前後の天候に左右されず晴れって、本当だったんですね……」
「そうだねぇ。まさか前後ともに雨とは思わなかったけど」
そう、今日から私と先輩は恋人同士。いや、昨日からか。とにかく、もう恋人同士。
なのに、なのに。折角の振替休日なのに。
朝からずっと雨、窓の外は変わらず土砂降りだ。窓を叩く雨音に、時々ビクッとなる。
そういえば、おばあちゃんに会いに行く前に天気予報を見たけど、その時既に今日は雨だってわかってたんだった。
私の部屋の、椅子として使われることも多いベッドに2人で座りながら、ぼんやりと会話をする。
「先輩……」
「あれ、名前で呼んでくれないのぉ?」
「あれは勢いというか……。普段は先輩って言わせてください」
「はぁい」
おや。いつでも呼んでよぉ、とか2人きりの時ならいいでしょ、とか言われると思ったのに。
雨が降ってるから、気を遣ってくれたのかな。
「で、えっと。先輩」
「なぁに?」
「その、恋人になったわけですし。何かやりたいこととか……あります?」
随分と漠然とした、抽象的とすら言える質問を受け、先輩はうーんと唸りながら考え始めた。
「キス、デート、手を繋ぐ、お泊まり、一緒にお風呂、2人きりで旅行……。全部やっちゃったねぇ」
「そうですね。そう考えると、恋人になってもそんなに変わりはないのかな」
「莎楼はさ、恋人ってすごく特別なものだと思ってる?」
いつも通り整った顔が、鼻先が触れるほどの距離まで接近してきた。とても真面目な表情で。
え、これって破局の危機だったりするのだろうか。答えを間違えたらおしまいだったりしないだろうか。
「特別だと思ってますけど……。今までとは違うわけですし」
「何も違わないよ。だって、さっきボクが言ったこととか既にやってるでしょ」
「確かに、それはそうですけど……」
「『恋人』って関係性が特別なんじゃなくて、莎楼がいてくれることが特別なんだけどなぁ」
最初の頃はあんなに結婚したい、とか言ってたのに。私だけ舞い上がっていたみたいじゃないか。
でも言いたいことは凄く良くわかるし、なんていうかもうズルい。ズルいですよって指差しながら大きい声で言いたい。
「……先輩って本当にズルいですよね」
「ずるい?」
「そんなの私だってそうですよ。でも華咲音がそう言うなら、本当に今までと変わりなく接しますからね。えっちなこともしないんだからね」
「あっ……。え、えっとぉ」
「なんですか」
「つ、付き合ったらそういうことしてくれるって、言ってたから……その、あえて言わなかったというかね?」
「しませーん。キス以上のことはしませーん」
時計の秒針の音しか聞こえなくなった。
流石にいじわるが過ぎたかな、と思って先輩の顔を確認する。
「……ほんとにボクとしたくない?」
真剣な表情に、少し潤んだ瞳。もしかすると泣いてしまうのでは、と思わせるその表情に、なんて言えば良いだろう。
自分がしたいだけでしょ、って返しても良いんだけど。
「したいです」
自分に正直に生きようと思う。
必ずしも、心だけの関係が清く美しいとは限らない。愛にも色々と形があって、その内のひとつがからだの関係ってだけ。
もっと先輩に深く刺さるような、それこそ恋人らしくて、甘い上に哲学的なフレーズでも捻り出せたら良かったんだけど、今の私には難しい。
「ほんとに……?」
「前にも言ったけど、私だって別に性欲が無いわけじゃないですし。それに」
「それに?」
「……恋人になったんだから、やっと堂々とできるでしょ」
「うふふぅ。そうだねぇ」
「でも、恋人なんて別に特別じゃないんでしょ?」
「莎楼は、そんなに恋人って言葉が好きなの?」
なんだかそう言われると、私ばかりが浮かれている気がする。
意外にも、ここでいじわるとかやっぱり前言撤回するね、とか言うと思ったのに先輩の意見は変わらないらしい。
最近は色々あったから忘れかけていたけど、元々先輩は強い人だ。簡単に自分の意見を変えたりしない。
私のことを特別って言ってくれるのは嬉しいけど、恋人同士ってことにも少しくらいは喜んでほしかったな。
「ボクはね、恋人って関係で終わるつもりはないから。ずっと一緒にいたらさ、この関係は違う名前になる時が来るでしょ」
「家族……とかですか?」
「そうかも。もしかしたら、まだこの世には名前がない関係になるかもしれないよぉ」
「ふふっ。良いですね、それ」
「でしょ?」
やっと付き合うことができた。けど、それはゴールじゃない。
私たちだって、永遠に不変というわけじゃない。関係性の名前は変わっていって、移りゆく時代や日々を生きていく。
「でも、先輩」
「んぅ?」
それでも私は、ずっと先輩のことが好きです。
いや、これからも守り続けます。この手は決して離しません。
いやいや、やっぱり私より1日でも良いから長生きしてくださいとか。は違うか、そういうことじゃなくて。
「……やっぱり、なんでもない。なんでもないですよ」
「そっかぁ」
また、沈黙が流れてしまった。雨音は止まない。
付き合う前は、もっと自然に会話ができていたような気がする。
「あの」
「ねぇ」
「あっ、さ、先にどうぞ」
「なんでそんなに緊張してるのさぁ。じゃあ、ボクから言うね」
「は、はい」
「莎楼と付き合ったこと、センパイとニケとアラには報告したいんだけど……いいかなぁ?」
「あっ、それ私も言おうとしてたんです。私の場合は、お母さんとマスターとココさんですけど」
別に内緒の関係でもないし、かと言って誰彼構わず吹聴するつもりも無くて。
先輩が公言したいならそれを止めるつもりはないし、誰にも言いたくないならそれでも良い。そう思っていたから、先輩から切り出してくれて良かった。
「莎楼が良いなら、誰に言ってもボクは平気だよぉ」
「私も。先輩が言いたいなら、誰に言っても大丈夫です」
「あはぁ。もし色んな人に知られちゃって、それで何か言われても平気なのぉ?」
「平気ですよ。あ、でもそれに付随して先輩が嫌な気持ちになるのは、当然困りますけど」
「も、もぉ。ボクのことは心配しないでよぉ」
「心配というか、ただ大切にしたいだけです」
「……好きぃ」
むぎゅっ、と抱きしめられた。やわらかくて甘い匂いがして、ほんの少しだけ息苦しくなるのがたまらない。
抱き返したら、豆腐みたいに崩れてしまいそう。
「……雨、止みませんね」
「そうだねぇ。まだ夕飯まで時間あるし、ちょっと寝ちゃう?」
「お手柔らかに……?」
「違うよ!? 寝るってそういうことじゃなくて、お昼寝って意味だよ!?」
素で間違えてしまった。さっきの会話の流れ的に、今日にでもしたいのかと思ってた。
顔を真っ赤にして慌てる先輩に、なんて言えば良いのかわからなくなってしまった。
今度、雨が降ってない日にしましょうね。とか、冗談ですよ早くお昼寝しましょう、とかで誤魔化すとか。
そんなんじゃなくて、もっと素敵で冴え渡る言葉を……。
「ふふっ、んふふ。可愛いね、華咲音は」
「ふぇっ!?」
「ううん。なんでもないよ」
「なんでもあったよ!?」
「なんでもないですってば。ほら、寝ましょ。で、起きたら一緒にご飯作りましょうよ。ね?」
「じゃあ、マカロニグラタンがいいなぁ」
「良いですよ。では、おやすみなさい」
「おやすみぃ」
こうして先輩と抱き合って眠れるなら、雨もそう悪くはないかも。
次回、付き合って初めての登校!




