105日目:しあわせなこども
三連休最終日。
気がついたら、時計の針は2本とも頂点に達していた。
自分が小学生の頃は遅くても午後10時までには寝ていたので、キツちゃんが少しも眠くなさそうな顔をしているのには素直に驚いた。
因みに先輩は、もうベッドに寝転がっている。少し前からほとんど発言もしていない。
「先輩、寝るならちゃんと布団かぶってくださいよ」
「……寝ないもん……起きてるもん」
「別に、無理に起きてなくても良いですよ」
「そうだよカサちゃん、無理はよくないよ」
「…………ゅむに」
「なんて?」
そこから返事は無く、布団を被らずうつ伏せのまま先輩は夢の世界に旅立った。
「クグルさんも、無理しなくていいから……ね?」
「私は平気ですよ、夜更かし得意なので。もし、私たちと寝るのが嫌ならそう言ってくださいね」
「そ、そんなことないよ。ただ、わたしはあまり眠たくならないの」
不眠症……だったりするのかな。それか単純に夜型なのかもしれないし、環境の変化に敏感なタイプなのかもしれない。
静かに寝息を立てている先輩を起こさないように、少しベッドから離れてキツちゃんと向かい合って座る。
「普段はヒアさんと寝てるんですか?」
「一緒に寝る時と寝ない時があるよ。ヒアちゃんが誘ってきたら一緒に寝るの」
誘ってきたら一緒に寝る。
別に何も変な意味は無いのに、脳内で反芻してしまった。先輩の言う通り、ヒアさんは寂しがり屋さんなのかも。
でも、誰かと一緒に寝たいと思うのは寂しいからじゃない気もする。どちらかと言えば、大切に思っているから一緒に朝を迎えたくなるんだと思う。
「ヒアさんにとって、キツちゃんは大切な人ってことですね」
「そ、そうなのかな……。あの、クグルさん」
「なんですか?」
「どうしてわたしにも敬語なの……?」
「誰に対してもこうなので、特に理由とかは無いですよ」
「そ、そっか」
「……もしかして、だから私だけさん付けなんですかね」
「うん」
「ヒアさんも先輩も私より年上なのにちゃん付けだし、おかしいなとは思ってたんですよ」
「ごっ、ごめんなさい……」
「いや、謝ることでは。じゃあ、私が敬語をなるべく遣わないようにするから、ちゃん付けで呼んでくれる?」
なんかこう言うと、まるで私が自分だけさん付けなことを気にしているみたいじゃないか。
距離を感じると思っていたのはきっとキツちゃんの方なので、私が気にするのは変な話だ。
「うん。でも大丈夫? わたしもヒアちゃんに会うまでは敬語だったからわかるけど、つかわないのって難しいよね」
「そうだったんだね。私は逆に子どもの頃は敬語じゃなかったし、最近は敬語が抜けてきてるって先輩にもよく言われるから」
他人と距離を置くのに便利な道具、として敬語を遣っていたので、もし敬語に意思があったりしたら怒られそうだ。
「好きな人にはつかわないってこと?」
「ふふっ。そうかもね」
「お、大人だ……!」
「そんなことないよ。子どもだよ、私も先輩も」
謙遜でも自虐でも皮肉でもなく、心の底からそう思う。
未成年というのもあるし、親元から離れられない身分というのもあるけど、もっと根本的にまだまだ大人にはなれそうにない。
「そっか……」
「キツちゃんは、大人になりたいの?」
「早くヒアちゃんに追いつきたい、とは思ってるかな」
こういう時、先輩ならなんて言うかな。私は誰かにアドバイスができるような人間じゃないし、それこそ全然大人なんかじゃない。
先輩もキツちゃんも、私から見ると『大人にならないといけなかった子ども』のように映る。
親の助けが無くて、自分で生きていかないといけなかった2人の苦労は、私には計り知れない。
だから、知ったようなことを言うなんてできない。急いで大人になる必要は無いとか、逆にもう十分に大人っぽいよとか。私の語彙で、キツちゃんに言える言葉を紡ぐ。
「どんなに遠くに見える背中にも、追いつく日がきっと来ます。慌てなくても、歩みさえ止めなければね」
「このままで、いいのかな」
「キツちゃんの気持ちも、ヒアさんの気持ちも、私にはわからないよ。でも、そんなに不安になったり焦ったりすることは無いんじゃないかな」
「あ、ありがと……。そうだよね、きっとヒアちゃんは待っててくれるよね」
「ヒアさんは、恋をしたことが無いって言ってたし大丈夫だと思うよ」
「え、あんなにお付き合いしたことあるのに?」
「本人がそう言っていたので」
「ふーん……」
少し思案するような素振りを見せた後に、キツちゃんは穏やかな笑顔を見せた。
本人は自覚していないみたいだけど、やっぱりキツちゃんの表情や反応を見るに、好意の種類が違うように思える。
とはいえ、ココさんじゃあるまいし、これを恋だと断じて見守るなんて出過ぎた真似はしないけどね。
「ふわぁ……」
小さく欠伸をして、涙目になったキツちゃん。想定よりも早く睡魔が来てくれたらしい。
「そろそろ寝ましょうかね」
「うん、そうだね」
思わず敬語が出てしまった。習慣というものは恐ろしい。
先輩を起こさないように、と言っても起きる可能性は限りなくゼロに近いけど、一応静かにベッドに乗る。
ベッドの奥、右手側で先輩は寝ているので、先にキツちゃんが布団に入り、最後に私が川の字を完成させた。
これで、万が一が起きてもベッドから落ちるのは私だけで済む。
「おやすみなさい、キツちゃん」
「おやすみなさい、クグルちゃん」
部屋の電気を消して、目をつぶる。
3人分の寝息が溶けて混ざるのに、そう時間はかからなかった。
―――――――――――――――――――――
誰も目覚まし時計もアラームもセットしていなかったけど、いつも起きている時間なのか、キツちゃんが8時丁度に起き上がった。
「んぅ……もう起きるの……?」
「ご、ごめんね。起こしちゃった……?」
「ふぇ……あぁ、センパイが来るもんね。よっと」
突然覚醒した先輩が、素早く起き上がった。あれ、まさかの私が取り残されてしまった。何食わぬ顔でゆっくり起き上がっておこう。
「おはようございます。先輩、キツちゃん」
「おはようございます。カサちゃん、クグルちゃん」
「おはよぉ。……あれぇ、なんか仲良くなってるぅ?」
「別に、最初からこんな感じだったよ。ね、キツちゃん?」
「う、うん。そうだね、クグルちゃん」
「ボクが寝てる間に何が……!?」
内緒にするようなことも、勿体ぶるようなことも無いけど、なんとなくイジワルなことを言ってしまった。
混乱する先輩を見て、キツちゃんはオドオドしている。勝手に共犯者にするべきではなかったかもしれない。
「先輩、本当に別に何も無いんですよ。ただ、キツちゃんに敬語を遣うのをやめただけです」
「なるほどぉ。それで、ちゃん付けになったんだね」
「はい」
そんな話をベッドの上でしていたら、先輩のスマホから着信音が鳴り始めた。
「はぁい。うん、起きてるよぉ。うん、うん、気をつけてねぇ」
「ヒアさんからですか?」
「うん。あと10分くらいで着くってさぁ。急いで着替えなきゃ」
寝間着の宴ならぬ寝間着の仲間たちなので、急いでベッドから下りて着替える。
きっとヒアさんも、早くキツちゃんに会いたいのだろう。
昨日よりも表情が明るくなったキツちゃんを見て、思わず笑みがこぼれる。
「あ、ボクと莎楼は急いでるわけじゃないし、部屋を出てるねぇ」
「ご、ごめんなさい。そんな気をつかわせて……」
「あはぁ。別に気をつかってるつもりはないよぉ」
裸を見られたくないキツちゃんを残して、先輩と一緒に部屋を出る。
確かにここは先輩の家だし、私もまだ帰るつもりは無いし、ヒアさんにパジャマ姿を見られることは別に恥ずかしくないし。
「歯磨きと洗顔だけ済ませましょうか。多分、すぐ来るでしょうし」
「そうだねぇ」
階段を下りて、我が家の2倍くらいの大きさの洗面所で洗顔をして、歯を磨く。
何もかも大きいこの家、洗面所まで広い意味はちょっとわからない。
「今日はお互いバイトですけど、それまで何します?」
「えっ、まだいてくれるのぉ!?」
「そのつもりだったけど……?」
「じゃあさ、昨日の続き……しよ?」
「良いよ」
普通に濃密なキスをした気がするけど、あれでまだ終わりじゃないなら続きって何をするんだろう。
「あ、スポーツの日だからですか?」
「脳内でどんな結論が出たのぉ?」
「カサちゃんとクグルちゃん、あとでスポーツするの?」
「タイラちゃん!?」
「わっ、えっ、ごめんなさい……」
「あっ、ごめんねぇ大きい声出して。そう、スポーツをしようと思ってねぇ」
「ふーん、わたしはほとんどしたことないな」
健全な、極めて健全なごくごく普通の会話を止めるインターホンの音が鳴り響いた。まるで救いのベルだ。
ほぼ間違いなくヒアさんだろうけど、先輩より先に玄関に向かおうとはしないキツちゃんを見て、偉いなぁと思った。子どもの頃の自分だったら、絶対に走り出してる。
先輩がドアを開けると、いつもより気だるそうなヒアさんが立っていた。手には何か、白っぽい箱の入ったビニール袋を持っている。
「おはよぉ、センパイ。タイラちゃんは何も問題なく、元気に過ごしてたよ」
「ありがとう。保育園の先生みたいだね」
「おかえり、ヒアちゃん」
「ただいま、きーちゃん」
抱き着いたキツちゃんを、優しく微笑んで抱きしめるヒアさん。恋人とか家族とか、既存の関係性を表す言葉では定義できないようなぬくもりを感じる。
「カサとサドちゃん、本当にありがとう。これはお礼」
そう言って、手に持っている袋を先輩に手渡した。先輩が中に入っている箱を開封すると、そこには美味しそうなケーキが4つ並んでいた。
「えっ、これって超有名なお店のケーキじゃない?」
「うん。今回の用事でその店の近くまで行ったから」
「4つってことは、センパイとタイラちゃんの分も入ってるのぉ?」
「いや。私たちの分は別にあるから大丈夫。2人で食べて」
「ありがとぉ。スポーツする前に食べるねぇ」
「ちょっ、先輩?」
「あぁ。今日はそういう日だったか」
ストレートな表現なのかはたまた隠語なのか、変に変換している私の方がおかしいのか、訊くに訊けない。
先輩は箱を元に戻して、靴を履いて荷物を持ち直したキツちゃんに手を振った。
「それじゃ、またねぇ。今度はセンパイも一緒に遊ぼうねぇ」
「ん。それじゃ」
「バイバイ、キツちゃん」
「お世話になりました。楽しかったよ」
「ボクも楽しかったよぉ」
先輩と手を振り続け、ドアを開けて出ていく2人を見送った。
ドアが閉まるのと同時に、先輩はさっきまで振っていた手で私の手を握った。ケーキの箱が揺れる。
「よし、朝ごはんはケーキにしよ!」
「そうしましょうか」
甘いケーキを食べた後は、もっと甘い時間が待っている。
三連休の最終日に、こんなに幸せで良いのかな。
キツちゃんより、私の方がよっぽど子どもだな。だって、好きな人と一緒にケーキを食べるってだけで、こんなにもワクワクとドキドキが止まらないんだから。
賛否あるとは思いますが、キツちゃんが2人と関わるお話が書けて良かったです。




