94日目:デートとライブ(前編)
ライブ当日の、ライブ前。
「着きましたよ、起きてください」
「ん……え、ボクと君の同衾シーンは……?」
「確かに朝、そういうシーンはあったと思いますが」
今は、加木駅に到着したシーンになる。
いや、シーンってなんだろう。アニメでも舞台でもなんでもないんだけど。
またも早起きした反動で、先輩は行きの電車の中ではほとんど寝ていたわけだけど。
それでも、いつもなら目を覚ますのに。
寝て回復してもらうのは大歓迎だけど、ちょっとだけ寂しかった。
今日は読み進める予定の無かった小説が、残りページ半分まで進んでしまう程度には寂しかった。
電車を降りて、手を繋いで駅を歩く。約四ヶ月ぶりの加木だけど、流石は有名観光地なだけあって人が沢山居る。
「ごめんねぇ、君を一人にしちゃって」
「本当ですよ。寂しかったんですからね」
いつもの先輩みたいに、怒るフリでもしてみようかと思ったけどやめた。唇を尖らせて首を横に振るなんて、演技でもできない。
「怒ってる……?」
「先輩って、私が怒っているかどうか確認することが多いですよね。最近は特に」
そんなに怒っているように見えるのだろうか。昔ならまだしも、今の私はそれなりに柔和な表情を浮かべている自信があったんだけど。
「えっとね」
「そんなに怒ってるように見えます?」
「怒ってるように見えないから、つい確認しちゃうんだけど」
「顔で笑って心で怒るタイプ、でも無いですよ。少なくとも先輩に対しては」
表情と感情も、口に出す言葉と心の中の独白も、ほとんど矛盾は無いようにしているつもりではある。
何もかもを包み隠さず口にする、という意味では無いけれど。
「そっか。じゃあやっぱり、ボクに足りないのは自信ってことかなぁ」
先輩のことをよく知らない頃は、きっと人生イージーモードなんだろうなって勝手に想像していた。
美人でスタイル抜群で、勉強も運動もできて親がお金持ちで。
羅列したステータスを見ただけでは、自信が持てないのが理解できない人の方がほとんどだろう。
でも、今ならわかる。今の私なら理解できる。
「私が先輩のことを好きっていうことだけは、どうか自信を持ってください」
「あはぁ。この前もそう言ってくれたよね」
「何度でも言いますよ。……無責任なことは言えないけど。その、好きなら言えるから」
「……ふっ、ぅぐ……!」
「先輩?」
「幸福過多でしぬぅ……」
「幸福に致死量は無いはずですが」
もしそんなものがあったとしたら、私は何ヶ月か前に死に至っている可能性が高い。
「ところで、加木に到着したのは良いんですけど、ライブまでどう過ごすんですか?」
「あのね、物販に行きたいんだぁ」
「ライブグッズとか買うやつですね」
「うん。今回のツアーTシャツとか着て参加したいからさぁ」
「なるほど」
それは私もしてみたい。こんな時じゃないとそんな機会、無いだろうし。
そこまでお金に余裕があるわけじゃないけど、修学旅行のお小遣いはお母さんがくれるって言ってたし、ここは積極的に買っていこう。
「そういえばチケット代、まだ払ってませんでしたね」
「え、いらないよぉ?」
ボクが勝手に取っただけだし、と先輩は続ける。
確かにそれはそうなんだけど、誰かが行けなくなって代わりに行くとかならまだしも、私と行きたくて取ってくれたチケットだし払いたい。
「でも」
「布教ってことにしておいて? ほら、君だって好きな小説を人に勧める時にぃ、お金を取ったりしないでしょ?」
「まぁ、それはそうですけど……」
文字通り桁が違うと思うけど、受け取らないモードの先輩にお金を支払うことは困難なので諦める。
素直に喜んでおこう。先輩だってきっと、同じ趣味の人が増えれば嬉しいだろうし。
「誰でもいいわけじゃないよ? 莎楼が好きになってくれるのが嬉しいんだからね?」
「ふふっ。私も、誰彼構わず沼に誘いたいわけじゃないですよ」
「でしょ?」
「うん」
手を繋いだまま、四ヶ月ぶりの加木散策をする。
今日は水族館にも動物園にも行かないけど、歩くだけで楽しい。
物販は、ライブ会場でもあるコンサートホールで既に開始されているらしい。
ライブは夕方の五時から始まるから、物販の後に昼食を食べて、時間を潰してからまた戻ってくる感じになるだろうか。
「あ、見えてきたよぉ。あれがコンサートホール!」
「デカいですね。キャパはどれくらいなんですか?」
「地下一階アリーナ席と一階、二階席と仮設席を合わせたら一万人は入るらしいよぉ」
「凄いですね……アンヒアって結構な人気があるんだ」
「今回のチケットも抽選だったからねぇ」
笑顔でピースサインを作る先輩。
当選すると、自分以外に三人まで連れて行けるらしい。けど、選ばれたのは私一人。贅沢。
早速、会場に入る。
物販には既に待機列ができていたので、最後尾に並ぶ。開始時間まで、あと十分ほどあるらしい。
並んでいる人たちをなんとなく観察してみる。
友だち同士らしい若い女性が多くて、次に多いのが一人で来ている男性。
アンヒアは、所謂『病み曲』も少なくないので、なんとなくファン層からもそんな雰囲気を感じる。……流石に失礼か。
でも、疲れていたり悩んでいたり病んでいたりする人を、否定も肯定もしない歌ばかりなので結構好きになりつつある。
「先輩は、Tシャツの他に何を買うか決めてるの?」
「うんとねぇ、タオルとリストバンドも買おうかなぁ。莎楼は?」
「私もTシャツと、パーカーも買おうかな。リストバンドはあった方が良いですかね」
「強制はしないけど、つけてるとテンションが上がると思うよぉ」
「では買います」
「あとはねぇ、タオルを首に巻くと興奮するよ」
「では、それも買います。先輩はライブ慣れしてるんですね」
「そんなことないよぉ。今回が二回目ぇ」
「そうだったんですね」
先輩も、歌に救われてきた人の一人なのかな。
否定も肯定もせず、突き放さず適度に寄り添う歌に、励まされたりしてきたのかな。
私には、好きな歌が無い。
アンヒアの歌を何曲か聴いて勉強して、好きになりつつはあるけれど、これといって心が揺さぶられることは無かった。いつか見つけられるだろうか。
「お待たせしました、物販開始します!」
「お、始まったねぇ。行こ、莎楼」
「はい」
進んでいく列の後ろ……いや、いつの間にか私たちの後ろにも多くの人が並んでいたので、列の真ん中に位置する私たちも流れに合わせて行進する。
沢山の机の上に所狭しと並べられたグッズを、みんなが目を輝かせて見ている。
ざわめきの中で、アンヒアの歌がBGMとして流れている。
「Tシャツ、パーカー、リストバンドとタオル……」
「すぐに来て正解だったねぇ、全部買えちゃう」
「あ、先輩。これとかどうです?」
「イヤリング?」
「暗いところで光るらしいですよ」
「いいねぇ。おそろいにする?」
「しちゃおっか」
思ったより買うことになってしまったけど、初めてのライブだし先輩がとっても楽しそうなので良しとしよう。
しばらく出費の予定も無いし。先輩と遊ぶようになってからは課金もほとんどしてないし。
会計を担当するスタッフさんは、横一列に六人も並んでいる。
買ったグッズが、手早くオリジナルのトートバッグに積められていく。どうやら六千円を超えるとトートバッグが貰えるみたい。超える予定は無かったからビックリ。
「無事に買えたねぇ。次はどこに行こっか」
「まずはお昼ご飯……ですかね。何か食べたいものはありますか?」
「折角の加木だし、海鮮が良いなぁ。海鮮丼とか!」
「良いですね。普段食べる機会がありませんし」
「そうなんだよぉ」
会場を出て、お互いトートバッグを持ったまま、空いている手を繋いで街中を歩く。
「あと、もっと近くで海が見たいです」
「普段見れないもんね」
「夏休みに、結局海に行けなかったじゃないですか。それのリベンジというか」
「なるほどねぇ。確かに、あれは残念だったなぁ」
信号を渡って、街から海の近くへ向けて歩を進める。
時間的にも昼食にはまだ早いし、このまま海を見に行こう。
これはどうやら言葉にしなくても伝わったらしく、気がつけば海が見えるところまで来ていた。
「潮の匂いがするねぇ」
「砂浜に入ります?」
「うん。波打ち際まで行っちゃお」
「行っちゃいますか」
犬の散歩をしているおじいさんと、石段に座って会話をしている男子高校生くらいしか居ない。
キラキラと陽光を反射して、水面が波打っている。透き通っているから、海藻が揺らめいているのがわかる。
「海だねぇ」
「海ですね」
「わっ、思っていたより波がくるよ」
「もう少し離れましょうか」
今日は海で遊ぶスタイルじゃないから、先輩の靴や裾が濡れたら大変だ。
「……ねぇ。チューしたい」
「えっ。えーっと」
慌てて周囲を見渡す。
おじいさんの背中は随分と遠ざかっているし、男子高校生たちはスマホの画面に夢中だ。
「……良いですよ」
「ありがとぉ」
手を離して、軽く膝を曲げた先輩が私にキスをした。
海の匂いがする風が吹き抜けて、先輩の甘い匂いと、靴越しに伝わる砂の感触や、柔らかい唇の感触が同時に伝わってくる。
「海でするのも良いものですね」
「そうだねぇ。なんか、まだ夏みたい」
「確かに。今度は、本当の夏にまた来ましょうね」
「うんっ」
また手を繋いで、海に背を向けて歩き出す。
キス欲の次に、食欲を満たすために。そう、先輩がご所望の海鮮丼が食べられそうな店を探すために。
次回、歌詞とかいっぱい出しても「?」ってなりそうだからどう書くか悩んでいるけどライブに参加します!




