81日目:(M)OTHER(後編)
「ただいまぁ」
「……おかえりなさい」
「わっ。そんなとこで寝てたのぉ?」
待ち侘びていた先輩の帰宅。甘い嬌声が耳に届いたというのに、私の体はソファに縫い付けられたみたいに動かない。
「寝ていたというか、気絶していたというか」
「もぉ。ボクのベッドで寝ればよかったのにぃ」
「色々ありましてね……」
説明するか悩んだけど、変な心配もかけたくないし止めておこう。
ソファから起き上がって、笑顔を作る。上手くできているだろうか。
「あ、詫びバーガー沢山ですね」
「うん。店長にいーっぱい作らせたからねぇ。食べよ」
「食べます。それはもういっぱい食べます」
テーブルの上に、沢山のハンバーガーが入った袋が置かれた。二人で食べる量じゃないな。
「飲み物、なんかあったかなぁ」
冷蔵庫に向かう先輩を目で追いながら、とんでもないことを思い出した。
昨日の先輩は、料理をするために冷蔵庫の中を見ていた。つまり、中を見たらものが増えていることに気が付いてしまう。
「せ、先輩」
「……なるほどねぇ」
帰ってきた時とは違う、少し低い声で呟きながら、ペットボトルの緑茶を二本取り出す先輩。
それをテーブルに置いて、袋からハンバーガーを出しながら私の目を真っ直ぐに見つめる。どうやら、冷蔵庫の中を見て何かを確信したらしい。
「な、なんですか」
「イヤな気持ちにならなかった?」
「えっ、と」
「それだけが心配だよ。それとごめんね、ボクが家を空けたばっかりに」
「先輩は何も悪くありません。いや、誰も悪くないんですけど」
「会話したの?」
「しました。少しだけ、ですけど」
例え問いただされたとしても、内容を言うつもりは無いけど。思い出したくもないし、自分の口から言いたくも無い。
それを察したのか、先輩はそれ以上は何も言わなかった。この話題はもうおしまいにしよう、そんな空気。
「楽しい話でもしながら、ハンバーガー食べよ?」
「はい。いただきます。……うん、めちゃくちゃ美味しいですね」
「チェーンのファストフードとは違うからねぇ。その分、値が張るんだけど」
「私、一回しか行ったこと無いんですよ」
「そうだったんだねぇ。函館のハッピーピエロの方がボクは好きだけど」
「ふふっ。自分のバイト先なのに辛辣ですね」
「逆に身内に厳しい、みたいな感じかなぁ」
身内に厳しい、なんて言葉で先輩の母親を思い浮かべてしまう。いや、あれはもう厳しいとかじゃない。ただの無関心だ。
それに、そうだろうか。少なくとも、私にはめちゃくちゃ甘いと思うけど。
普段の二倍くらいの量を食べて、緑茶を流し込む。
「無理して食べないでね?」
「えっ、大丈夫ですよ」
「ならいいけどぉ」
普段の私の食べる量を把握しているだけあって、この勢いは心配になったらしい。
ヤケ食いなんてするような性格じゃないんだけど、というかしたこと無いんだけど、先輩に心配をかけるのは本意じゃない。
「そういえば先輩、突然話題を変えるんですけど」
「うん?」
「明日から九月じゃないですか」
「そうだねぇ」
「確か、先輩のお好きなアーティストのライブがあるって言ってましたよね」
「うん、多分話した気がするけど。……えっ、もしかして一緒に行ってくれるのぉ?」
「はい。先輩さえ良ければ」
「いいに決まってるじゃん。よかったぁ、チケットが無駄にならずに済むよぉ」
「あ、もう二枚取ってたんですね」
「一応ねぇ。君に断られたら、一緒に行く人のアテもなかったしよかったよぉ」
「そう、ですか」
ヒアさんとか、ニケさんとかアラさんとか、探せばいくらでも居そうだけど。
しかし、気の合う友人と音楽の趣味まで合うとは限らないか。一緒にバンドを組んでいても、方向性の違いで解散したりする人も居るし。
正確には、私も先輩と音楽の趣味が同じわけではない。
にわかどころじゃないけど、ライブに行っても大丈夫なのかな。独特なルールとか振り付けとかあったらどうしよう。
そんなことを心配しても仕方ないので、ハンバーガーを頬張る先輩のことを眺めることにした。うん、やっぱり可愛い。
「そういえば、お風呂は直ったのぉ?」
「それについては、まだ連絡が来ていませんね」
「そっかぁ」
「……ずっと直らなきゃいいのにーって思いました?」
「えっ。まさかボクの心を読めるのぉ?」
「それは先輩の固有スキルのはずでしたが」
勿論、思考を読めるわけじゃないけれど、こんな恥ずかしい推測を口に出せる程度には親密になった。ということにしておこう。
「明日にはもう帰っちゃう?」
「一応、そのつもりです。月曜は普通に学校ですし、お昼頃には帰ろうかと」
「そっかぁ。そうだよね、月曜は学校だもんね」
「……先輩、言動と行動が合ってませんよ」
納得したような口ぶりだけど、私の腕は先輩の熱い抱擁によってロックされてしまった。
そんな、今すぐに帰ろうというわけじゃないのに。
「帰っちゃダメぇ。ずっとここで暮らすのぉ」
「うぐっ……そんな可愛い声と顔と目をしてもダメ……揺らいじゃうじゃないですか」
「あはぁ。冗談だよぉ、君を困らせるのは本意じゃないしねぇ」
帰ってほしくないのは本当だけど、と言いながらハンバーガーを頬張る先輩。
私だって、あまり帰りたくないというか同棲したいというか、このままずっと一緒に居たいというか。
しかし、それはまだまだ先のことというか、少なくとも在学中に達成できる夢ではない。
「一緒に暮らすにしても、この家はお断りです」
「そ、それってさ! この家じゃなかったらいいってこと!?」
「さぁ、どうでしょうね」
「イジワルぅ。でも好き!」
「はいはい、私も好きですよ」
前にも似たようなやり取りをした気がする。チャットログを見直したい。
テーブルの上のハンバーガーは、思ったよりも少なくなっていた。私が普段より食べたのもあるけど、やっぱり先輩の食べる量は桁違いだ。
「ふぅ。お腹いっぱいになっちゃった」
「私も満腹です。この後は何をします?」
「んぅー。急なバイトで疲れたし、一緒にお昼寝とか……ダメ?」
「ふふっ。良いですよ、私も疲れたので」
「じゃあ、残ったハンバーガーは冷蔵庫に入れておくね。それで、ボクの部屋でおしゃべりしながら寝よ?」
「なんか、面白い話をお願いしますね」
「任せておいてよぉ。あのね、今日バイト先に来たお客さんがさぁ」
先輩は冷蔵庫にハンバーガーをしまって、くるりとこちらを向く。
笑顔で話す先輩と、手を繋いで部屋に向かう。
やっぱり、先輩とあの人は全然違う。
それとも、あれは『私に出会わなかった先輩』だったりするのだろうか。どんな過去があって、どんな業を背負っているのか、それはわからないし同情もできない。
けど、恋をしたことがなかった私にとっても、他人事では無い気がした。
もしかすると、『先輩に出会わなかった私』でもあるのかもしれない。
先輩の母親でもあり、私にとっては他人でもある彼女のことが、ほんの少しだけわかった気がした。ただ、気がしただけだろうけど。
「……でね、そのお客さんはポテトが付いてくるセットを頼んだのに、単品でもポテトを頼んでさぁ」
「うーむ、ポテトがダブってしまったぞ。とか心の中で呟いてそうですね」
「あはぁ。確かにぃ」
部屋に入って、ほとんど同時にベッドに倒れ込む。
さっきまで喋っていた先輩は、既に目が半分ほどしか開いていない。
「バイト、お疲れ様でした。今日の夕飯は私が作るから、ゆっくり休んでね」
「ありがとぉ……。おやすみぃ」
「おやすみなさい」
先輩の声が溶けて無くなってから、私も眠ることにした。
いい夢が見られますように。
基本シリアス無し、ですが書かずにはいられませんでした。




