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67日目:旅行の前の日

特にこれといって特別なことのない一日。

「……暑い」


 寝ている間も決して離れることのなかった先輩ホールドをゆっくり外して、体を起こす。


 時計を確認すると、時刻は朝の10時。日付が変わる前に寝たのに、随分と寝ていたことになる。


 ベッドから出て、いつもの場所にあるはずのスマホを探したが見当たらない。そういえば充電するのを忘れていた。


 沈黙している扇風機のタイマーをゼロに戻して、沈黙している先輩を起こす。


「起きてください、朝ですよー」

「んぅ……うん……本当に朝なのかなぁ……」

「正真正銘、紛うことなき朝です」

「じゃあ起きる……起こしてぇ……?」


 脱力している先輩の上半身を抱き抱え、ゆっくりと起こす。子どもかお年寄りを起こしているみたいだ。経験ないけど。


 体は起きているけれど、目が半分くらいしか開いていない。


 ほっぺたを両手で挟んでむにむにしてみたけれど、柔らかめの擬音が口から発せられるだけだった。


「先輩……どうしてあんなに寝たのに眠そうなんですか」

「んむぅ……だってドキドキしてたから……」

「そ、そうですか」


 秒で寝たように見えたけど、そう言われて悪い気はしない。


 ベッドの上で正座している先輩を放置して、シャワーを浴びるために着替えを準備する。


「……もう出かけるのぉ?」

「シャワーを浴びてから行こうかと」

「なるほどねぇ……ボクも後で入ろぉ……」

「では、私がシャワーを浴びている間に目を覚ましておいてくださいね?」

「はぁい……ふわぁ」

「二度寝しちゃダメですからね」

「うん……」


 大丈夫かな。心配だけど、取り敢えずシャワーを浴びよう。

 朝食と昼食は兼用になりそうだ。


 部屋のドアを開けて、階段を下りる。

 と、後ろからゆっくりと足音が着いてくる。振り向くと、着替えを手に持った先輩がいた。コンタクト無しで大丈夫かな。


「どうしたんですか」

「時間節約のために、一緒にシャワー浴びようよぉ」

「以前、シャワーは一緒に入らないと言ってましたよね」

「前は前、今は今だよぉ」


 まぁ確かに、時間短縮にはなる。一緒に入って一緒に髪を乾かして着替えればすぐにVentiに行けるし。


 同時にシャワーを浴びるのは初体験だけど、上手くできるんだろうか。


 脱衣所に入って、すっかり汗の乾いた服を脱ぎ捨てる。洗濯カゴの中がそろそろ満杯になりそうなので、明日にでも洗濯機を回そう。


 ……いや、明日にはもう家に居ないんだった。


「先輩」

「ん?」

「今日は朝昼兼用で良いですか」

「うん。ボクがいつまでも寝てたから仕方ないねぇ」

「いや、私も結構寝てましたよ。ドキドキしつつも」

「あはぁ。一緒にいるのが当たり前になってきたぁ?」

「慣れって怖いですね」

「マンネリ化はゴメンだけどねぇ」


 換気扇を回したままにしておいたおかげで、乾いている浴室の床に一歩を踏み出す。


 付き合ってもいないのに、一緒に居るのが当たり前になったらダメだよなぁ。いや、付き合っていてもダメだ。


 先輩は水でも空気でも無いのだから。


―――――――――――――――――――――


「いらっしゃいませ……。あら、茶戸さんとカサさん」

「明日からお休みをいただくので、改めて伺いました」

「あと、普通に朝昼兼用のご飯を食べに来たよぉ」

「ふふ……お気になさらず。ご注文は……?」

「ボクはいつもの」

「私は……ミニアップルパイとカルボナーラ、食前に珈琲をお願いします」

「かしこまりました……」


 カウンター席に座ろうとしたら、私たちと同じくらいの常連さんが既に珈琲を飲んでいた。


「あ、センパイ」

「こんにちは」

「ん」

「こ、こんにちは」


 いつも通り、パーカーを羽織って下はジャージのヒアさんと、髪を短いポニーテールにして、セーラー服のようなワンピースを着ているキツちゃん。


「2人も朝ごはん食べてるのぉ?」

「そんなところ」


 椅子ひとつ分空けて、お2人の横に座る。既に食べ終えて、後は珈琲を飲み干すだけといったところか。


「カサ。北海道に行くのは明日だっけ」

「そうだよぉ。お土産期待しててねぇ」

「空港までどうやって行くの」

「タクシーで行こうと思ってるよぉ」

「空港ですか。わたし、飛んでない飛行機って見たことないな」

「……私が送ってあげる。何時に行けばいい」

「えっ、それは悪いよぉ」

「きーちゃんに飛行機を見せたいだけ」


 タイラちゃんからキツちゃんに呼び方が変わる瞬間はこの前見たけど、いつの間にか『きーちゃん』になっている。


 ヒアさんはあだ名を付けるのが好きっぽいから、当然といえば当然だろうか。


「朝8時の便で行くんだけど」

「じゃあ6時に迎えに行く。どっちの家に泊まってるの」

「莎楼の家だけど、どうして泊まってるってわかったのぉ?」

「匂い。ホテル帰りじゃないならどっちかの家でしょ」

「相変わらず、センパイはすごいねぇ」

「別に。そろそろ帰ろっか、きーちゃん」

「う、うん」


 そう言って、ヒアさんは残っていた珈琲を一気に飲み干し、机の上に二千円を置いて、キツちゃんと手を繋いで出て行った。


 まさかヒアさんに送っていただけることになるとは。キツちゃんに飛行機を見せたいだけって言っていたけど、あれは照れ隠しのようなものだろうか。


 淡々と喋るからなんとなく冷たく感じるけど、そういう人ではないことはよく知っている。


「あれ……また帰っちゃいましたか……」

「あ、マスター。はい、二千円置いて」

「全く、普通に帰ればいいのに……。あ、ご注文の品です……」

「ありがとうございます」

「おいしそうだねぇ。カルボナーラ、一口ちょーだい」

「取り皿……使いますか……?」

「あ、大丈夫です」


 二千円を握って厨房に戻るマスターに軽く会釈をし、 フォークをカルボナーラに突き立てる。

 くるくると巻き取り、黄色いソースが数滴落ちるのを見送ってから左隣の先輩の方を向く。


「はい、アーン」

「あーん」


 一口で先輩の口の中に消えていくカルボナーラ。美味しそうに咀嚼して、柔らかな微笑みを浮かべる。

 カルボナーラも先輩に食べてもらえて、さぞ幸せだろう。


 続いて、私もカルボナーラを口に運ぶ。うん、濃厚だけどそこまで塩味が強くない。ベーコンが良いアクセントになっている。美味しい。


「今度来た時は、ボクもアップルパイじゃないものを頼んでみようかなぁ」

「その時は、私にもアーンしてくださいね」

「はぁい」

「そういえば、今日は早く寝ないとダメですね」

「そうだねぇ。少しでも遅れたら、君にもセンパイにも怒られちゃう」

「ふふっ。私も寝坊しないように気を付けます」


 今日はドキドキを控えめにして寝ないと。


 しかしだからと言って、キスもハグもお預けなんて言ったら、先輩に怒られちゃう。

次回、後編ではなく先輩目線で旅行前日をお届け。

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