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66日目:ステイ・ウィズ・ミー(前編)

8月初のお泊まり。

「おじゃましまぁす」


 まだまだ暑い夕方五時、いつものリュックを背負った先輩が我が家にやってきた。


 手には真っ赤なキャリーバッグ。いいな、ガラガラ引いて歩くの。子どもの頃から憧れているんだよね。


「それが旅行用のバッグですか」

「うん、今回に向けて買ったのだぁ。ガラガラーって引きながら歩いてみたかったんだよねぇ」


 このリュックも持っていくよ、と先輩は付け加えた。長めに泊まりそうだし、荷物は多いに越したことはないだろう。


「では、私の部屋に行きましょうか」

「その前にぃ、お義母さんに挨拶してくるね」

「あ、バッグ持ちますよ」

「ありがとぉ」


 なんなら、先に部屋に運んでおこう。キャリーバッグは階段ではガラガラできないという当然の事実を噛み締めつつ、一人で二階へ向かう。地味に大変だ。


 到着した自分の部屋に荷物を置いて、先輩が来るのを待つ。

 程なくして、軽快に階段を上る足音が耳に届いた。


「わざわざ運んでくれてありがとぉ」

「どういたしまして。お母さん、何か言ってました?」

「『今日の夕飯は私が作ったものを食べてね』って言ってたよ」

「そう、ですか」


 先輩が泊まりに来ること自体は何度もあったけど、お母さんが作ったご飯を先輩が食べたことは無かったはず。

 私の作るご飯を美味しいと褒めてくれる先輩のことだから、口に合わないことは間違いなくないだろう。


 テーブルを挟んで、私に向かい合う形で座る先輩。

 英語の書かれたシンプルなTシャツとダメージジーンズを着た先輩が、ニコニコしながら私のことを見つめている。可愛い。

 ただTシャツだけを着ているのは珍しいな。胸が凄いから文字が読みにくいけど、なんとなく解読を試みる。


「『I WANT TO KISS YOU』……いや何処に売ってるんですかそんなの」

「あはぁ。いいでしょこれ」

「まぁ、ある意味でピッタリですけどね」

「というわけでぇ」


 立ち上がり、両手の人差し指で自分のTシャツを指さす先輩。いや、普通に口で言えば良いのに。


 なんとなくベッドに移動して座ると、先輩もそれに合わせてベッドに腰掛けた。別に変な意味も理由も無いんだけど、なんとなく自分の部屋でキスをする時はベッドの上が良い。


 期待の眼差しを向ける先輩の唇に、軽くキスをする。

 先輩の右手が、私の左肩を掴んで抱き寄せる。グッと距離が近付いて、胸の柔らかい感触がダイレクトに伝わる。

 大丈夫かな、汗くさくないかな。なんて心配は秒で過ぎ去って、軽く重ねたハズの唇はすぐに深く長く繋がり始めた。


「んっ……ふ、んん……」

「ちゅぷ……んむ」


 声というよりは吐息、あるいは擬音。そんな微かな音がお互いの口元から漏れる。頭がぽーっとする、甘い匂いと熱だけはしっかりと感じられる。


「ぷはっ」

「……窒息するかと思いましたよ」

「あはぁ。苦しかった?」

「いえ、呼吸的な意味ではなく」

「じゃあ、文学的な表現ってことかなぁ」


 そう言いながら、先輩はベッドに倒れ込んだ。てっきり、押し倒されるとばかり。

 その隣に、私も倒れる。柔らかくも固くもない、日々の眠りをサポートしてくれるベッドがそれを受け止める。


「ねぇ先輩。私から誘っておいてなんですけど、実は特に何も考えてないんです」

「君のおうちでお泊まりってだけで、ボクは満足だよぉ」

「ふふ、ありがとうございます」

「とりあえず、キスしたからログボは獲得ってことでぇ」

「そうですね。それで、明日はデートでもしますか」

「いいねぇ」


 ベッドで横になって見つめ合っていると、なんだか不思議な気持ちになる。いや、変な意味じゃなくて。なんというか、幸せというか。

 呼吸を感じ、手を伸ばせばどこにでも()れてしまえる距離。この近さに、私は幸せと安心を感じている。


「……先輩」

「ん?」

「ぎゅってしてください」

「いいよぉ」


 先輩は、笑顔で私を抱きしめてくれた。いつもの暴力的なまでの柔らかさといい匂い。自分から抱きしめる時とは違う感覚と感触。


 この、ぎゅっとされている時の安心感というか、腕に込められた力というか。上手く言語化できないけど、やっぱりハグは好きだ。


「そろそろ、夕飯が出来上がる頃だと思います」

「結構早めに食べるんだねぇ」

「休みの日は早いんですよ」

「そっかぁ。じゃあ、そろそろ行くぅ?」

「も、もう少しだけ。もう少しだけ……ぎゅってしてて……」

「んふふ。そんなに甘えるなんて珍しいねぇ」

「私には先輩が必要なんです。だから……あまり気を遣ったりしないでくださいね」

「ありがとぉ。本当に優しいね莎楼は」

「べ、別に昨日のこととか気にしたりしてませんからね」

「うん、そういうことにしておくねぇ」


 余計なことを言ってしまった。ツンデレか私は。


 階段の下から、夕飯ができたことを告げるお母さんの声が聞こえた。流石にもう行かないと。


「あの、ありがとうございました。そろそろ行きましょう」

「はぁい」


 ハグをやめて、先輩はゆっくり立ち上がった。それに続いて私も立ち上がり、一緒に部屋を出て階段を下りる。


「いい匂いがするねぇ」

「そうですね」


 リビングに入ると、食卓にズラリと皿が並べられていた。普段の夕飯と皿の量が違う。明らかに気合が入っている。


「お母さん、これ……」

「娘の彼女が泊まりに来て、気合いを入れない母親なんていないわよ」

「ごめん、ツッコミが追いつかない」

「わぁ、すっごいおいしそうだねぇ!」

「沢山食べるって聞いてるから、沢山作ってみたわ」


 先輩のことを食いしん坊って紹介してるみたいじゃん。誤解を招くようなことを言わないでほしい。

 あと付き合ってないから。現時点では。


 三人で椅子に座り、食卓につく。このメンバーでご飯を食べるなんて、謎の緊張感がある。

 先輩のおばあちゃんとご飯を食べた時に似ている。


「いただきまぁす」

「いただきます」

「どうぞ、召し上がれ」


 まず先輩は、豚汁に手を伸ばした。豚肉とサツマイモを頬張り、汁を啜る。

 次に唐揚げを一つ白米の上に置き、半分ほど齧った。その次はサラダを──。


「いや、ボクのこと見すぎじゃない?」

「えっ、あ、すみません」

「いや、好きな人がご飯食べるのって見たくなるわよね。わかる」

「さすが親子、似てますねぇ。あ、ご飯ぜーんぶおいしいですよぉ」

「敬語遣わなくてもいいわよ。苦手でしょ、敬語」

「じゃあ、お義母さんには遠慮しないねぇ」

「そうして」


 お母さんは、随分と先輩のことを気に入っているらしい。普段はあまり何も言わないから、どう思っているかは案外わからなかったりする。


 少なくとも嫌いではないだろうし、泊まることも遊ぶことも学校をサボることも何一つ否定しないのがお母さんだけれども、やっぱり気に入られている方が嬉しいに決まっている。


「お義母さんの料理、本当においしぃねぇ。いくらでも食べられるよぉ」

「莎楼のご飯も美味しいわよ。って知ってるか」

「うん。お義母さん譲りなんだろうねぇ」

「人に食べさせてあげたいって気持ちがあれば、簡単に上達するよ」

「なるほど、勉強になるなぁ」


 私が入り込む隙が無い。まぁ、二人が会話しているのを見るのも新鮮で楽しいから良いけど。


 今日も美味しいお母さんのご飯を食べ終え、和やかな夕飯は終わりを迎えた。


「ごちそうさまでしたぁ」

「ごちそうさまでした」

「本当に全部食べるとは思わなかったわ」

「あはぁ。だっておいしぃんだもん」

「……先輩ちゃんは、人に好かれやすい感じがする」

「人たらしだよ。私もすっかりやられてるから」

「それ、褒めてるぅ?」

「褒めてますよ」

「落ち着いたら、お風呂に入りな。お湯は少なめにしておいたから」


 いつも一緒に入ってお湯が溢れることが見透かされている。

 二人で入るのが前提になっているの、冷静に考えると恥ずかしいな。

次回、日付けが変わる前にもう一回。

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