親という生き物《1》
――深夜。
辺境の街『アルフィーロ』。
月も出ていないような闇夜の中で、路地裏に佇む男が、二人。
一人はフードを目深に被った男で、もう一人は路地裏の壁を背に、顔面を腫らしてしている男である。
「――では、話を聞かせてもらおうか」
犬耳をフードで隠した獣人族の男――ベルギルス=ギロルのその言葉に、もう一人の男は腫れた顔面を引き攣らせ、捲し立てる。
「く、詳しいことは何も知らねぇよ!!俺が知っているのは、以前ここらのシマを取り仕切っていた組織が、魔王とその手下にぶっ殺されたってことだけだ!!」
「ほう? 魔王などという者が、何をしにこの街へ?」
「う、噂だと、その組織に娘を攫われたらしい。それで怒り狂って、森に住まうドラゴンどもを手下に、襲いに来たって……」
――やはり人間というものは、度し難い強欲どもだな。
魔王という存在は、どいつもこいつも力に溺れた、抑制というものをどこかに置き忘れて来た阿呆どもばかりであるが、人間という種もまた、その強欲っぷりは魔王と良い勝負だろう。
どちらの存在も反吐が出る程嫌いなベルギルスは、「フン」と鼻を鳴らしてから質問を続ける。
「では、次だ。この街には獣人――いや、人間以外の娘の奴隷が多くいるはずだ。戦争奴隷や、無法者に捕まった娘達が。それはどうなった」
「ま、魔王が、自身の娘と一緒に全員攫って行った。これは間違いない、実際に連れて行かれるところを見たヤツが何人もいる!」
……なるほど、人間どもに、生贄代わりに魔王への献上品とされた訳か。
とすると、自身の娘――リューイン=ギロルは今、魔王の下にいる、と。
「その魔王の住処は?」
「そ、それも詳しいことは知らない。だが、ヤツらがやって来たのは、この街の北に広がっている『魔境の森』って話だ」
――魔境の森、と来たか。
名前は、聞いたことがある。
その場所へ行くならば、万全の装備を整える必要があるだろう。
……身内贔屓かもしれないが、リューインは、相当に顔立ちの整った美しい娘だ。
そして魔王とは、欲望に忠実な者達。
何をされているのか、ということは、大体見当がつくだろう。
その想像をした瞬間、ベルギルスは知らず知らずの内に、ギリィ、と人間より鋭い歯を血が出んばかりに噛み締めていた。
「も、もういいだろ!!早く解放しグェッ――」
騒がしい男の顔面を殴り飛ばし、意識を飛ばしてからベルギルスは、踵を返す。
娘の所在地は、わかった。
ならばこれ以上、ここに長居する必要はない。
ウォーウルフという種は人間より夜目が効くため、こうして夜陰に乗じて街に忍び込んでいるが、ここはあくまで人間の街。
あまり長く滞在していると、仲間を不必要な危険に晒してしまう。
次の目的地も決まった以上、さっさと退散するのが吉、だろう。
「――やっと……やっとここまで……」
グ、と強く拳を握りながら、彼は仲間の待つ場所へと急いで駆けて行った。
* * *
「絶対に突出するな!!味方を信じろ、一人で戦っているのではないぞ!!」
そう仲間に指示を出しながら、ベルギルス自身もまた、牙のような形をした剣を振るい、襲い来る魔物どもを斬り捨てていく。
その武器の名は、牙剣『狼牙』。
ウォーウルフの長のみが持つことを許される、代々伝わる秘宝の魔剣である。
本来であれば、戦時のような緊急事態の場合ぐらいしか使わないような武器も持ち出し、本気の臨戦態勢で臨んでいる訳だが――それでもこの森は、想像以上に過酷な地であった。
街の破落戸から聞いた、ここ――『魔境の森』。
伝説の龍族『覇龍』の住まう地として、遠く離れた場所に住む自分達ですら知っている秘境である。
非常に危険な地域である、ということは前々から知っていたが、しかし実際に内部へと侵入し、その脅威が遥か想像の彼方であった、ということを痛い程に実感するハメとなった。
魔物が、異常に強いのだ。
他の土地であれば一帯の『ヌシ』でもやれそうな個体が、ここではごく当たり前のように出現し、しかもその出現数が非常に多いのだ。
まだ森に入ってから半日と経っていないというのに、すでに付いて来てくれた仲間達はその三分の一が負傷し、動けない程の重傷を負った者も数人出ている。
――クッ……!!ここまで凄まじいのか……!!
このままでは、遠からず全滅の未来が待っているだろう。
……どういう訳か、少し前から魔物の出現がピタリと止まっているのだが、このタイミングで一度撤退の指示を出すべきか。
だが、一人の父親としては、一秒でも早く娘を救ってやりたいこともまた、確かな想いである。
……比べるまでもない。
もしかすれば、もう死んでいるかもしれない娘のために、今生きている仲間達を危険に晒すことは出来ない。
それでもいいと言って、付いて来てくれた者達であるが、この身は群れの長。
ならば、第一に考えなければならないのは、群れの存続である。
……いや、仮に自分の望みを優先するのだとしても、ここまで陣が崩れてしまった以上、一度撤退して態勢を立て直すことが、何よりも最善の策だろう。
そう決断を下したベルギルスは、その旨を伝えるため口を開き――。
「――おい、こっちだ」
突如聞こえたその声に、氏族の者達全員がそちらへと顔を向ける。
いつの間にかそこにいたのは、この森に似合わないような軽装の、一人の年若い青年。
珍しい黒髪に、魔族であるのか片目が赤く片目が髪と同じ黒色をした、非常に怪しい青年である。
まるで普段着のような装いをしており、防具は一つも身に付けておらず、かと言って何かの魔法を発動している風でもなく、魔力の高まりも感じられない。
極め付けは、この恐ろしい森に武器すら持たず、全くの手ぶらでいることだ。
この、魔物がひっきりなしに現れては襲い来る秘境において、武具を身に着けずにいるなど、自殺願望も良いところである。
それだけの実力者、とでも言うのだろうか。
ただ、そんな見るからに怪しい相手であるのは間違いないのだが――敵意は、全く感じられない。
やはり自分と同じく、怪しいと思った部下がその青年に向かって怒声を放つが……それでもなお、青年から敵意は感じられない。
ウォーウルフのみならず、獣人族は鼻が利く。
相手の放つ臭い、発汗、表情、筋肉の緊張具合などを感じ取り、相手がこちらに対して敵意を持っているかどうか、見分けることが出来る。
部下との会話を聞くに、どうもこちらの様子を見かねて接触して来たようだが……果たして、信用して良いのだろうか。
信じられないことに、この青年はここ『魔境の森』における安全地帯などというものを知っていると言う。
この様子からすると……つまりは、青年が拠点にしている場所だろう。
にわかには信じがたい。
今ちょうど、この森の恐ろしさを骨身に染みる程理解したところなのだ。
歴戦の戦士のような男であればまだ納得出来たであろうが、目の前の男の見た目はただの年若い青年なのである。
外見だけで判断する愚かさは重々理解している。
相手が魔族という、見た目がアテにならない種族であるということもわかっている。
だが……それをわかっているからと言って、簡単に信用出来るかと言えば、それは全くの別問題なのである。
――何が、最善か。
この青年を信じず、被害を出しながらこの森を撤退するか。
敵意の感じられないこの青年を信じ、被害を最小化するか。
……この森に住んでいるのであれば、目的の魔王に関しても、何か詳しいことを知っているかもしれない。
しばし黙ってから、ベルギルスは、やがて結論を出す。
どうするべきか話し始めた部下達を退け、彼は、ズイと青年の前に出る。
「……貴殿の言葉、信じて良いのだな?」
「俺からすると、信じてくれとしか言えんがな。まあ、悪いようにはしねぇよ」
そう言って肩を竦める青年に、ベルギルスは小さく苦笑を溢す。
確かに、この青年からすればそうとしか言いようが無いだろう。
まあ、元より敵意は感じられないのだ。
もしかすると、相手が非常に上手く偽っているだけかもしれないが、そこまで考え出してしまっては、何も進まない。
「……わかった、貴殿を信じよう。お前達、武器を下ろせ」
と、青年の言葉に頷くと、部下の一人が彼に向かって言葉を放つ。
「し、しかしボス! 俺達はまだやれます! ここで立ち止まる訳には……!!」
――本当に、ありがたい部下達だ。
「お前達の忠義、ありがたく思う。だが、想定以上に被害が出過ぎた。今後のためにも、一度態勢を立て直した方が良いだろう」
「……了解!」
ベルギルスの言葉に、彼の部下達は一斉に行動を開始し、移動の準備を始める。
その様子を見ながら、青年は合点がいった、といった様子でベルギルスに言葉を掛ける。
「……あぁ、アンタがウォーウルフの族長か」
「そうだ。ギロル氏族の長、ベルギルス=ギロル。此度の助け、恩に着る」
――そう言って、小さく頭を下げたベルギルスに、青年は。
何でもないかのように、口を開く。
「じゃあ、あんたがリューの親御さんなんだな?」
「……ッ!!む、娘のことか!?」
――この青年は、覇龍の縄張りである恐ろしいこの森を、装備無しで歩ける程の実力者。
そして、魔王が攫って行った、娘の名前を知っている。
となれば、導き出せる答えは、一つだろう。
「と、ということは貴様ッ、ま、魔王!?」
「え? あぁ、そうだけど」
若干困惑した様子で、返答を返す、青年――魔王。
娘を攫った、憎き敵である。
「お、おのれ魔王めッ!!謀ったな!!その命ッ、刺し違えてでもここで断つッッ!!」
その瞬間ベルギルスは、激しい怒りで考えていたこと全てが頭の中から吹き飛び、青年が親しみを込めて娘の名を呼んでいたことにも気が付かず、目の前の憎き魔王に向かって、思わずそう怒声を上げていたのだった。




