第10話
成績発表という在学生にとっての一大イベントが終わり、わたしと良雪は無事三年生になることが決定した。
先月までは集中講義がいくつか開かれていたものの、三月に入ったこともあり…この時期に学生を構内で見かけることは、ほとんどない。良雪も、今頃バイトに精を出しているはず。
来週は学位授与式。
わたしは受付の手伝いを頼まれたので、その準備のため大学構内にある事務所にいる。一応、日給が出るので、これもアルバイトになるのだけれども。
「みっちゃん、元気ないね」
「…そう見える?」
人員名簿のチェックをしながらわたしを心配そうに見つめるのは、少し背の高いつり目のショートカットの女子。
犬養砂羽…さっちゃんは、充の生涯の、友。
――あんたが!!あんたがッ!!!みっちゃんを…殺したんだ!!
私が良雪だった頃に、一生抜けることのない、重い、重すぎる楔を打ち込んだ人物。…良雪に激しい憎しみの感情を…激しい怒りをぶつけた、充の親友。
一生忘れ得ぬ咎を背負った、あの日の事が…思い出される。
――知らなかったんだ。
――知ろうとしなかったくせに!
―――知ってたら僕は。
―――知りたくなかったんでしょ?!
――――出てって。
――――あんたに…あんたなんかに、みっちゃんを送る資格はない!!
――――みっちゃんのこと何一つわかってなかったくせに!!!
自分を射抜いた、あの目が思い出される。
あんなにも良雪に厳しかった目は、今、とても心配そうな、やさしい眼差しで充を見つめている。
「…最近、柏崎君とうまくいってないの?なんか、思い詰めてるように、見えて。ごめん、おせっかいだったら」
「ううん、心配してくれてありがとう。…ちょっとだけ、失敗しちゃったんだ」
さっちゃんのやさしさが、わたしを包み込む。
あの冷たい、怒りに我を忘れた目は、わたしに向けられては、いない。けれど、あの目を知っている私は、どうしても、さっちゃんに、どこか恐怖心を持ってしまって。
わたしの中で、混乱と葛藤が…また、生まれてしまう。
楔を打ち込んだ人物である事実。
楔を打ち込まねばならないと思わせた原因は、紛れもなく、わたし。
楔を打ち込まれたことで、人生を孤独に終えた、私。
…さっちゃんは。
昔、私の娘だった。まっすぐ人の目を見つめて、人に寄り添う事を得意とする、自己主張しない、とてもやさしい子だった。自慢の娘、だった。
今回生まれてくるときに、さっちゃんは…寄り添うだけじゃなく、力を与えたいと願って生まれてきている。
…さっちゃんは、確かに、私に、生きる力を与えてくれる、はず。
力を与えてくれたからこそ、あの場面に…、充の最後の瞬間に、良雪が間に合ったのだから。
良雪が来るまで、ずっと充を励まし続けていたのは、ほかならぬさっちゃんだった。
さっちゃんのアカシックレコードが、私に、その事を教えてくれた。私が持ち出したアカシックレコードには、良雪が人生を終えた時点で発生している、すべての事象が記録されているのだ。
…最後の時、良雪は、確かに、充と目を合わせた。
目を、合わせて。
そのまま、目が…閉じていって。
…二度と、目を開けることは、なかったのだ。
「失敗はさ、成功するためには必要なんだから。今日ホワイトデーなんだよ?せっかくのイベントなんだよ?ラブラブしなきゃ、もったいないよ!」
さっちゃんは、わたしと良雪のラブラブっぷりを一番喜んで見ていた人。幸せそうな二人を、心から祝福して、その行く末を夢見て、願って。
…願って、叶わなくて、途方に、くれて。
わたしは、さっちゃんにさえ…、辛い人生を送らせてしまう事に、なるんだ。
……変えたい。
わたしと良雪の運命を変えることで、さっちゃんだって、……変わるはず。
「もったいない、よね。でも、わたし、ちょっとだけ…最近、勇気が出なくて」
「ラブラブするのに勇気がいるの?!」
ついこの前まで、人目を憚らずにラブラブしていたからか、さっちゃんのつり目が大きく見開かれている。……そうね、今までが、ずいぶん無遠慮だったと、今は、思うのよ。
「好きっていう気持ちを、素直に伝えられないの…どうしても」
どうしても、変えられない、変わってくれない、運命に流される私。
伝えたい気持ちがどうしても伝わらなくて、伝えようとする勇気が、どんどん私の中にため込まれて…大きくなりすぎて、重くなって、いつの間にかうまく出せなくなって…。
「…気持ちを汲み取ってくれない柏崎君にも、悪いとこあると思う。みっちゃん、あんまり、思い詰めないで、ね…?」
……良雪は、欲張りになってしまったもの。
初めはただ、好きだった。それが…うれしかった。
好きという気持ちを伝えたくなった。そして、伝えた。
伝えた気持ちは、受け止めてもらえた。
好きという気持ちに、好きという気持ちを返してもらえるようになって…、喜びがあふれて。
それが当たり前になって…、疑問を持ってしまった。
好きという気持ちを向けなかったら、返してもらえないんじゃないだろうか?
なんで…いつまでたっても、僕ばかりが好きなんだろう?
…思えば、いつだって。
充に好きと言わせる流れを、自分で用意しなければいけなかった。
充はいつも…微笑みを返すだけで。
甘い空気を生み出すきっかけは…いつも自分だけが用意して。
充は僕の望む言葉をくれるけれど……。
僕はただ、返されているだけじゃないか。
充は僕に、気持ちをぶつけてくれない。
僕は、充の気持ちを…もらっていない。
充は、僕に、与えてくれない。
僕ばかりが、与えて。
僕ばかりが……。
これから、どんどん良雪は不満が募ってゆくのよ。
そして、どんどん卑屈になって、こじれていって。
…最後は言葉をかわすことなく。
ただ、ただ……絶望感に包まれる。
「好きという気持ちがあふれてしまって、うまく、伝えられなくて。…難しいね、恋って」
「甘えたら柏崎君も喜ぶと思うよ?…みっちゃん、全部自分で抱え込むから。もうちょっと、ほかの人に寄りかかっても、いいんだよ…?」
ああ、さっちゃんは、こんなにも…、やさしく充に寄り添っていたんだ。
…やっぱりさっちゃんは、私の自慢の娘…ううん、今は、わたしの自慢の親友。
「私は、いつでもみっちゃんの事、支える準備できてるからね?」
「ありがとう、元気出たから…チョコケーキでも作って、良雪に届けようかな、ホワイトデーだけど!」
良雪は、充にホワイトデーのお返しを何も用意していない。
…ねだられるのを、待っているから。あげないことで、充から「好き」という言葉を引き出そうとしている。
けれど、言葉はもらえずに…ケーキをもらって。
少しだけテンションが上がって、四月を迎えることになる。
「名簿チェック終わったかな?」
「はい、これで全部です、ここにまとめました」
事務局の先生が、わたしたちが整頓した書類をチェックしている。
…なにも無ければ、わたしとさっちゃんの今日の仕事は終わり。ほかの学生は花を作っているけれど…、それはわたしたちはしなくてもいいことになっている。このあとケーキを作って、良雪のところにもっていくことができるはず。
「はい、お疲れさま、じゃあ、来週頼みますね」
「「お疲れさまでした」」
大量の花に囲まれた手伝いの学生さんの横を通り過ぎて、わたしとさっちゃんは事務所を出た。
さっちゃんと一緒に、自分の部屋で、ケーキを作って。
一緒に味見をして、二人でおいしさを確認して。
出来立てのケーキを持って…、わたしは良雪のアパートを、尋ねた。
…いないことは、わかっているけれど。
いつもならもう間もなく帰る頃なのだけど、今日、この時間、良雪は残業することになっているから。
ホワイトデーで盛り上がっちゃったバイト仲間が…遅刻してくることになったのよね。
良雪が帰ってくるまで、あと…40分くらい。
……待てるだけ、待ってみよう。
運命を変えるチャンスは、少しでも…掴みたいもの。
できれば、このまま待ち続けて、直接ケーキを渡したいのだけれど…。
あの日、帰宅した良雪は、部屋の前で待つ圭佑と共に部屋に入って、机の上のケーキに大喜びして。
つまみ食いされて、聞きたくない感想を聞かされて、珍しく腹を立てて圭佑を部屋から追い出して。
食い散らかされたケーキを一人で黙々と食べて。
メールで一言、「ありがとう」って、送ったのよ。
あの時、貪るようにして食べたケーキは…、シンプルなチョコレートケーキだった。
…だからわたしは、チョコケーキに、クッキーのプレートをのせることにしたのよ。
クッキーには、「大好きな良雪へ」の、メッセージを入れてある。
クッキーをのせることで、何かが変わるかもしれない。……変わってほしい。
願いを一枚のクッキーに託して、運命が変わることを…祈る。
合鍵を使って良雪の部屋に入り、テーブルの上にケーキをのせる。
メッセージプレートが良く見えるよう、細心の注意を払って。
このままずっと…、この部屋で待っていたらいいじゃない、今日はもう、何も予定はないし…そう思ったのだけれど。
ブーン♪ブーン♪
ああ…スマホが鳴ってる。
運命は、そう簡単には、変わらないみたい…。
「もしもし?」
〈あ、充!おばあちゃんがね、ちょっと行方不明になっちゃって!こっち来てくれないかな?!〉
「ん、わかった、養老園でいいんだよね」
〈タクシー使っていいから!〉
「今から行くね」
チョコケーキに願いを託し、良雪の部屋を、出る。
このケーキは。
このクッキーは。
わたしの運命を、変えてくれるだろうか。
変えてほしい。
お願い……。
願いは……、叶うだろうか。




