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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Element.3 光と闇と
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第一八話 ルーチェとアセロス -Sys-Ter ATHEROSclerosis-

 あーあ、行っちゃった。

 両太郎の後ろ姿が空間の裂け目に吸い込まれていくのを見届け、フェアルーチェは心の中でそう呟いた。


 両兄とフィオーレは先に行って――そう言ったのはルーチェ自身だ。

 両太郎たちがその言葉の通りにルーチェとステラにこの場を任せたのは、二人への信頼の証。そのことは、ルーチェにとっても嬉しいことだ。


 ただ、寂しく思う気持ちが無いと言えば嘘になる。

 本当は両太郎に近くにいて欲しい。戦いを見守ってほしい。それがきっと何よりも自分の力になるのだと、ルーチェは自覚していた。


 そんなルーチェの内心を知ってか知らずか、


「さァて……さっさとテメェをブチのめして、あのリョータロとかいうヤツを追いかけねェとな」


 シスター・アセロスはギラギラとした戦意を迸らせて不敵に笑う。


「まずはこいつらに勝ってみせな。そォしたらオレが相手をしてやるぜ」


 アセロスが手振りで合図をすると、その両脇に侍していた二体の甲冑姿のフアンダーが、がしゃんと金属質な音を立てて刀を抜き、ルーチェに向かって身構えた。


 フアンダーたちは全身が戦国時代風の和甲冑――当世具足(とうせいぐそく)に覆われている。人間のフアンダーなのか、それとも具足がフアンダー化したものなのか、外見からは判断がつかない。

 だが、その静かな構えからルーチェに向かって放たれる、野生の生き物とは違う類の気迫、そして重圧感。

 間違いなく二体とも人間の――武道を修めた人間のフアンダーであると、ルーチェは感じ取っていた。


「さァいくぜェッ!」


 アセロスの掛け声と共に、場に漲っていたピリピリとした戦意が弾ける。

 二体の具足フアンダーは、その重苦しい身体を驚くべき身軽さで操り、猛烈な速度でルーチェに迫った。


『フアンダァァッ!』

「――やばっ!?」


 ノイズとエコーがかかったような声で吠え、具足フアンダーたちは踏み込みと同時に上段から太刀を振り下ろす。

 攻撃を受け止めようと拳を構えたルーチェは、背筋に寒気を感じ、咄嗟に回避に転じた。


 びゅおっ、と宙を裂く音。

 次の瞬間、ルーチェは左肩に灼熱感を伴う痛みを感じた。

 見れば、スズメバチフアンダーの針すら通さなかったフェアリズムのコスチュームがあっさり裂け、ルーチェの肩から二の腕にかけて鋭い傷が走っていた。

 一体目の具足フアンダーの攻撃に反応して咄嗟に横っ飛びで躱したものの、わずかにタイミングをずらして放たれた二体目の斬撃を避けきれず、肩を掠めていたのだ。


――もしそのまま受け止めようとしていたら、あたし……?


 つうっと腕を伝う自らの血に、ルーチェは再びぞっとするような寒気を覚えた。


 具足フアンダーたちの放った斬撃の鋭さは、《威力》や《破壊力》といった言葉では評価し尽くせない。

 その真に恐るべきは《殺傷力》――相手の命を奪う力。

 ルーチェには知る由も無いことだが、その剣筋は幕末期までれっきとした殺人剣術として時代に名を刻み、「一撃必殺」「二の太刀要らず」と恐れられた流派のものだ。


 これまでルーチェが戦ってきたフアンダーの多くも、フェアリズムたちを傷つけようとはしてきた。

 けれど、それらのフアンダーが放っていたのはあくまで敵意や害意。相手に苦痛を与えることで自らの不安から逃れようとする、フアンダーの本能のようなものなのだろう。


 具足フアンダーたちは、そんな通常のフアンダーとは全く異質な存在なのだと、ルーチェは感じ取っていた。

 相手に苦痛を与えるかどうかなんて、恐らくどうでもいい。

 命を奪う。ただただそれだけのためだけに動く、殺人機械キリングマシーンとも言うべき存在。


 それはフェアリズムとしても、武道を嗜む人間としても、ルーチェにとって初めて相対する類の相手だった。


『フアンダァァァ!』


 ルーチェの考える余裕を奪おうとでもいうかのように、二体の具足フアンダーが左右に分かれる。

 二体はルーチェを両側から挟みこむと、そのまま間合いを取りながら円を描くように周囲をぐるぐると回り始めた。

 ルーチェが一方の攻撃を防げば、もう一方が背後から襲いかかる。囲いから離脱しようとすれば一方がそれを阻んで、やはりもう一方が斬りかかる。多対一のアドバンテージを存分に振るう、必殺の陣形だ。


『ガァッ!』

「甘いっ! ――って、うわっ!」


 正面の具足フアンダーが放った斬撃を、ルーチェはサイドステップで避ける。が、そこにすかさず背後のもう一体が剣を振り下ろした。

 その虚を突く追撃を、ルーチェはギリギリで身を捻って躱す。

 太刀筋を見切った、などという上等なものではない。あらかじめ追撃が来ることを予測していたとはいえ、ほとんど勘と反射神経――あとは運で助かったようなものだ。


 具足フアンダーたちに距離を詰め直される前に、ルーチェは大きく跳躍する。

 囲まれた状態での近接戦闘は勝機が薄い。しっかり距離を置いて、炎を主体とした遠距離戦で戦おう。


 そう思いながら地面に着地した、その瞬間。

 ルーチェの眼前には、ドス黒い炎で形作られた竜の鎌首が迫っていた。


「なァにを逃げまわってンだァ? つまんねェ真似しやがるなら消し炭にするぞ!」

「こっ……んのおおおおおおぉぉぉっ!」


 バーニング・ダークフレイム。

 アセロスの放った炎の一撃に、回避が間に合わないと悟ったルーチェは咄嗟に正面から拳をぶつける。

 瞬間的に爆発するように燃え上がった炎がルーチェの拳を包んで、黒炎竜の鼻先を貫いた。


 炎と炎の衝突が爆風を巻き起こし、足元の草を灰に変えながら巻き上げる。

 間一髪、どうにか相殺が間に合った形だ。


――が、息をつく暇も無く、爆炎を切り裂いて二体の具足フアンダーがルーチェへ迫る。


『フアンダァァァッ!』


 掛け声のような咆哮と共に、二つの剣先が閃く。


 これだけの力を持つ人型フアンダーならば、言葉を発することもできるはずだ。

 にも関わらず、具足フアンダーたちは最低限の発声しか行わない。

 感情も感傷も無く、負かすためでも傷つけるためでもなく、命を奪うために振るわれる剣。


 躱さなければ危ない。

 そう思えば思うほど、その冷たい輝きが鎖となって、ルーチェの身体の自由を奪っていく。


「………………ッ!」


 間一髪でバックステップ。鼻先わずか数ミリのところで刃が宙を裂いた。

 具足フアンダーたちが再び刀を構えるのを見届けながら、ルーチェは乱れた呼吸を整える。


――これは、焦り?


 自らの動きから精彩を奪っているものが何なのか、ルーチェは思案する。

 対峙する相手は、単純にこれまで戦ってきた敵以上に強い。

 でも、それだけじゃない。

 何かが自身の身体を縛り、思考を遮っている。そうルーチェは感じていた。


 胴薙ぎの一閃。返す刀で袈裟斬りの二閃。……刃を真っ直ぐに構えて突きの三閃。

 次々と迫り来る必殺の剣閃を、ルーチェは次々と躱す。

 だが、優位に立っているという実感は無い。

 死の淵で、辛うじて生を繋ぎ留めている。ほんの一歩足を踏み外せば、あっという間に奈落の底に転落してしまう。

 氷の体温を持つ死神が背中に張り付いている――そんな感覚がルーチェに付きまとう。

 その感覚の正体を掴めないまま、ルーチェの懸命の防戦が続く。


 そして、そんなルーチェに不用意にもヒントを与えてしまったのは、対峙する相手――アセロスだった。


「おいおいどうしたんだァ、フェアルーチェ! まさかテメェ、ビビッてんのかァ?」


 アセロスが苛立たしそうに放った嘲りに、ルーチェは稲妻に打たれたような衝撃を受けた。

 背筋にへばりつく悪寒。四肢の動きを鈍らせている要因。アセロスに言われて初めて、それをルーチェは自覚した。


――そうか。あたしは今、恐怖を感じてるんだ。


 気がついてしまえば、単純なことだった。

 シスター・キャンサーの《くう》の力に太刀打ちできなかったこと。

 フィオーレやチェーロ、マーレに次々と先を越されていること。

 武道家として恐らく格上の相手が、殺意とともに剣を振るってくること。

 そういった様々な要因が、恐怖となって自らを縛っているのだと、ルーチェは理解した。


 そして、理解すると同時に、その恐怖がすうっと薄れていくことも感じていた。

 恥ずかしい、情けない、不甲斐ない……そんな気持ちが無いわけではない。

 しかしそれ以上に、立ち向かうべきものが何なのかを理解できたことが、ルーチェの心を軽くした。


『フアンダァァァァッ!』


 気迫が込められた掛け声とともに、具足フアンダーの刃が再びルーチェに迫る。

 だがルーチェは、今度はもう避けるつもりは無かった。


 ルーチェの思考のすべてが、ある《技》のイメージに注がれていく。


 それは空手部の友人から教えられた動画で見た、徒手空拳の極意中の極意。

 実戦では実現不可能だ、あくまでフィクション作品の演出だ、などと言われてきた離れ業。


 それでも、フェアリズムのスピードと動体視力があれば可能だと、ルーチェには確信があった。


 腰を落とす。

 全身から無駄な力みや緊張を取り除く。

 呼吸を整える。

 そして、剣筋を見極める。


 時間が何倍もの長さでゆっくりと過ぎていくような錯覚。

 視界から具足フアンダーの剣先以外、すべてが消え失せていく。


 そして、ルーチェは見つけた。

――位置、タイミング、呼吸、すべてが噛み合う一瞬を。


『フアンダァァァァッ!』

「せいっ!」


 具足フアンダーとルーチェ、双方の気迫に満ちた掛け声が同時に響く。

 果たして、ルーチェの両の掌は挟み込むように具足フアンダーの剣先を受け止めていた。


 真剣白刃取り。

 失敗すれば命を失う、あまりにリスクの大きな斬撃への対応法。

 だが、こと実戦において、その成功がもたらしたリターンは計り知れなかった。


『なんだと……?』

『まさか……!』


 ルーチェに刃を受け止められた手前の具足フアンダーが困惑の声を漏らす。

 追い打ちのためにその背後に控えていたもう一体の具足フアンダーも、目の前の出来事に呆然としている。

 二体とも初めて言葉らしい言葉を発した。

 それだけ白刃取りが与えたショックは大きかったのだ。


 そして、決死の一手が生じさせたその隙を、ルーチェは見逃さなかった。


「はあああぁっ!」


 気合とともに刃を挟んだ両掌に炎を灯す。

 そしてそのまま、勢いよく手首を捻る。


 ベキッと鈍い音を立て、刀が根本から折れた。

 続けざまに、まだ動揺の残る具足フアンダーの胴に「せいっ!」と掛け声とともに正拳突き。

 フェアリズムのパワーで放たれる炎を纏った拳の一撃は、重厚な鎧で固められた具足フアンダーをあっけなく五、六メートル吹っ飛ばした。


『お、おのれッ!』


 もう一体の、まだ刀を持っている方の具足フアンダーが慌てて得物を上段に振りかざす。

 だがルーチェは退くことも――そして受けることすらもしない。

 瞬時に具足フアンダーの懐に飛び込み、刀を振り下ろす直前の腕を掴み取り、そのまま捻り上げて刀を落とさせる。


 勢いの乗った一撃を受けるのが難しいならば、勢いが付く前に抑えてしまえばいい。

 理屈としては単純だが、刃物を持った相手にやってのけるのは、生半可なことではない。

 それは、ルーチェが自らを縛っていた恐怖を乗り越えたことを如実に物語っていた。


『白刃取りの次は無刀取りとは……見事な技、そして見事な勇気だ』

「へへっ、ありがと!」


 観念したかのように感服の言葉を述べる具足フアンダーに、ルーチェはニッと明るい笑みを返した。

 そこには殺されかけた恨みも、勝ち誇る驕りも無い。


「あんたたちの剣もすごかったよ。おかげであたし、わかったんだ」


 微笑むルーチェの左薬指で、五行の火のエレメントストーンがきらりと輝いた。


「本当の勇気って、恐怖を知らないってことじゃない。恐怖を知って――その恐怖に立ち向かい、乗り越えることなんだって」


 エレメントストーンの輝きはゆらゆらと揺らめく炎と化し、次第に大きくなっていく。

 ルーチェは掴んでいた具足フアンダーの腕を離し、そっとエレメントストーンを撫でる。

 戒めを解かれた具足フアンダーは、もうルーチェと戦おうとする様子は無かった。


「そして、その勇気はきっと、別の誰かの勇気を奮い立たせる。たとえほんの少しの勇気でも、それが誰かと響きあって、繋がっていけば――きっと大きな恐怖だって乗り越えていける。その勇気の繋がりが、あたしの《世界を繋ぐもの》――愛の形なんだ」


 穏やかな微笑みをたたえ、静かにルーチェが言う。

 そして、ルーチェとは対照的にエレメントストーンの放つ炎はさらにその激しさを増す。

 炎はルーチェを包み込み、まるで天すらも焦がす火柱のように燃え盛り――そして、次の瞬間にフッと消滅した。


――いや。


 炎は姿を変え、ルーチェの右腕を覆っていた。

 その形状は、肘から五指の半ばまでをカバーする真っ白な手甲(ガントレット)。手の甲の部分には炎を象った真紅の膨らみがあり、その中央では同じく燃えるような赤い宝石が輝いている。


「ルーチェ・エレメンタルボンド!」


 その名をルーチェが高らかに呼ぶと、赤い宝石はキラリと輝いてそれに応えた。


「いくよ! ルーチェ・クリメトリーリインカーネイション――リゾーマタ!」


 ルーチェの眼前に炎の壁が生じる。

 その炎の壁に、ルーチェはエレメンタルボンドに包まれた右拳で渾身の正拳を放つ。

 次の瞬間、炎の壁は大きく揺らいで弾け、無数の炎の帯と化し、プロミネンスのごとく弧を描いて二体の具足フアンダーに襲いかかる。


――いや、襲いかかるという表現は適切ではなかった。


 炎はまるで優しく包み込むように、具足フアンダーたちの全身を覆っていく。

 具足フアンダーの側もまた、痛みや苦しみを感じている様子はない。


「――クロージング!」


 ルーチェの掛け声と共に、炎は大きく爆発する。

 その爆発が収まると、そこには二人の男性が仰向けに倒れていた。

 

 一人は小柄で初老の男性。そしてもう一人は二十代から三十代前半くらいの大柄な男性。

 年齢も体格も違ったが、二人はよく似ていた。


 ルーチェは無言のまま二人をそっと抱き上げ、戦いに巻き込まれないように少し離れた位置に並べて寝かせる。

 二人とも意識こそ戻っていないが、穏やかな表情で眠っていた。


 親子だろうか?

 そんなことを考えながら、ルーチェは優しく微笑む。


 彼らの不安の源が何だったのか、ルーチェには知る由もない。

 けれど、きっと彼らは不安から解き放たれたはずだ。


 それでももしまた彼らが不安に心を苛まされることがあったならば、その時は何度だって浄化しよう。

 そして、彼らに勇気を分け与えよう。

 ルーチェの笑顔には、そんな決意が込められていた。


 それからルーチェは、無言のまま自信を見つめる仇敵――アセロスの方に向き直る。

 二人を浄化する間、そして離れた位置に避難させる間も、アセロスは手出しをせずに待っていた。

 そのことが、ルーチェにはなんだか嬉しかった。


「お待たせ。……さあ、次はあんたの番だよ、アセロス! 思いっきりやろう!」

「面白ェ。オレと戦おうって奴はやっぱそォじゃねェとなァ? フェアルーチェ!」


 ギラギラとした好戦的な視線がぶつかり合う。

 五行の火のエレメントストーンを持つフェアルーチェと、五大の火のエレメントストーンを持つシスター・アセロス。

 炎の力を操る二人の、文字通り戦いの火蓋が切られようとしていた。

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