第一六話 総力戦 2 -O brawling love! O loving hate! 2-
「――見えたぞ、あれが出口だ!」
「うん。でも……」
隣を走るフィオーレが頷き、それから顔を曇らせる。
マーレと別れておおよそ十分といったところか。その間、俺たちは精神の地平線を走り続けた。
天井に並ぶ逆さまの街並みが目印になってくれた突入時と違い、今はおぼろげな方向感覚を頼りに進むしかない。本当にこの方角で合っているだろうか――そんな不安が微かに湧いてきた頃、幸いにも進む先に空間の裂け目が見えたのだった。
だが視線はすぐに、裂け目の前に立ちはだかる影に吸い込まれる。
それがフィオーレの表情を曇らせた要因だ。
「よォ、フェアリズムども。遅かったじゃねェか」
「歓迎するぞ。このバカと二人で待ち惚けるも飽いたところじゃ」
ウルフカットの赤い髪の下から、ギラギラとした好戦的な視線をぶつけて来ているシスター・アセロス。可憐な容姿と裏腹に、どこか思惑の読めない妖しい雰囲気を漂わせているシスター・アン。
俺たちを待ち構えていた二人のシスターは、ニヤリと不敵に笑う。
アセロスの両脇には、戦国時代の鎧武者を思わせる甲冑姿が仁王立ちしている。面頬のせいで顔立ちは見えないが、瞳のところがぼうっと赤い光を放っている。落ち武者の幽霊とか、動く甲冑なんて形容が相応しい姿だ。
そしてアンが座っているのは、体長三メートルはあろうかという巨躯の男の肩の上。男は全身が銀灰色の体毛に覆われ、頭部は狼のそれそのもの。ビーハンに登場する狼皮の狂戦士というモンスターによく似ている。つまり、紛うことなき《人狼》そのものだ。
どちらも恐らく絶望のエンブリオで生み出された人型フアンダーだろう。
シスター二人にフアンダー三体、つまり敵の総数は五。一方こちらで戦えるのはフィオーレ・ルーチェ・ステラの三人だけだ。
ここは三人で協力して戦うべき――普通ならそう言うところだ。
だが。
「両兄とフィオーレは先に行って!」
「……ここは作戦通り、ステラたちが、引き受けるから」
ルーチェとステラが足を止め、構えを取る。
アセロスとアンもこの戦いに参加していることは、既にポプレの言葉で知っていた。
だから俺たちは走りながら、二人に遭遇した際の作戦を立てておいたのだ。
よほど大量にフアンダーを連れているとかじゃない限り、アセロスはルーチェが、アンはステラが食い止める。それがルーチェとステラの強い希望だった。
エレメントストーンの捜索と螢との戦いは、俺とフィオーレに託される形だ。
「ルーチェ、本当に大丈夫なんだな?」
「当たり前でしょ。ほら、さっさと行って。――ま、あたしがカッコよく戦うとこをずーっと見ていたいのはわかるけどね」
五対二という戦力差は「作戦通り」と言ってしまうには微妙なラインだ。
だが念の為に最終確認した俺に、ルーチェはいつもの太陽みたいな笑顔で明るく返した。
きっと多少の強がりは含まれているのだろう。だがそれでも、こんな顔をされたら反論はできない。
「ステラ、無理はするなよ」
「……平気。……にーさまは、優ちゃんを、お願い」
俺の言葉に対し、ステラは肯定とも否定とも取れない答えを返して、俺の背で眠る優の顔を覗き込んだ。
キャンサー戦で優に無理をさせたのだから、今度は自分の番――いつになく強い感情を宿したステラの瞳は、そう語っている。
きっと止めたって聞かないだろう。だから俺は「平気」という言葉を信じるしかない。
「わかった。二人ともここは頼んだぞ!」
「絶対に、絶対に螢ちゃんは助けるから!」
俺とフィオーレはそのままノンストップで裂け目に向かって走る。
二人のシスターは当然、俺たちを阻むように立ちはだかる。
「おいおい、オレたちが黙って通すと思ってるのかァ? ――バーニング・ダークフレイム!」
「黙らせてでも通させるってぇの! ――ルーチェ・フレイム!」
アセロスの足元から巻き上がった炎の竜巻が、赤黒い炎竜と化し、俺たちを威嚇するように鎌首をもたげる。だがその眉間を、すかさず真紅の火球が撃ち抜く。
炎と炎のぶつかり合い。
まず戦端を開いたのは、アセロスとルーチェだった。
「面白ェ、やれるもんならやってみやがれ! 暴れな、ダークフレイムッ!」
アセロスの激昂に共鳴し、さらにいくつもの炎竜の首が生じる。ポプレのダークスプラッシュが水の多頭竜だとしたら、アセロスのダークフレイムは炎の多頭竜だ。
恐らくその首の一つ一つが、人間を一瞬で消し炭にするほどの火力を持っている。
フィオーレはまだしも、その手に抱えられた元双面フアンダーの女性や、俺と優は生身。軽く掠っただけでも致命傷になりかねない。
だがそれでも、俺には躊躇も恐れもなかった。
炎竜の攻撃は決して俺に届かない。ルーチェとステラが届かせない。
だから俺たちは、迷わず走り抜ければいい。
「オレを黙らせられるもんなら、やってみやがれッ!」
アセロスが吠えるように叫ぶ。
同時に幾つもの炎竜の鎌首が、俺たちとルーチェそれぞれに向かって同時に襲いかかった。
燃え盛る巨大な顎が、俺を飲み込もうと迫ってくる。
その勢いで生じた熱風だけで、全身を火傷するんじゃないかと思うほどのヒリヒリとした痛みが走る。
だが、それでも俺は止まらない。止まる必要なんか無い。
炎竜が俺を呑み込むその直前、バチィッと炸裂音が轟いた。
同時に眼前を覆い尽くしていた炎竜の顎が、呆気無く形を失って掻き消える。
「……黙らせた、けど?」
アセロスのすぐ隣で、地面に拳を突き立ててそう言ったのはステラだった。
ルーチェが大技で気を引いている隙に、ステラが俺たちを追い越して突貫し、地を伝う雷撃によって炎竜を根本から叩いたのだ。
「ッ……! てめェの相手はアンだろうがッ!」
怒りに任せ、アセロスが炎を纏った横薙ぎの拳を放つ。
だが、その拳がステラに届くより先に、
「だったら、アンタの相手はあたしでしょうが!」
いつの間にか距離を詰めていたルーチェの拳が、正面からぶつかった。
炎を纏った拳と拳の衝突は、爆発の如き音と衝撃波を生む。
爆心の間近にいた甲冑フアンダーたちは、その見るからに重そうな巨体をよろめかせた。
「こ……ンのッ!」
アセロスは爆風に顔を顰めながらも、踏ん張って抗う。
ルーチェはすかさず追撃の拳を放ったが、アセロスもまた拳撃を繰り出してそれを迎え撃つ。
再び炎拳同士がぶつかり合って、熱風が巻き起こった。
五行の火と五大の火――炎のエレメント同士の激突は、文字通り膨大な熱量を迸らせている。
「わかったよ、フェアルーチェ。どうやらオレがヌルかったみてェだ」
大きく飛び退いてルーチェと距離を取ると、アセロスはギラギラとした戦意を滾らせながら笑った。
ルーチェと戦いながら俺たちの行く手も阻む――そんな考えを捨てたのだろう。持てる集中力の全てをルーチェに注ごうとしているのが伝わってくる。
「あれもこれもなんて、オレの性に合わねェ。ここは通してやるからさっさと行きな」
アセロスはそう言って視線を僅かに俺たちに向け、そしてすぐにルーチェに戻した。
四方八方に撒き散らしていた戦意が、鋭く鋭く収束し、ルーチェに向けられていく。
きっともうアセロスの眼中に俺たちの姿は無い。返事をしたところで声すらも届かないだろう。
「やれやれアセロスめ、次々と勝手に決めおって……」
呆れ口調で言ったのはもう一人のシスター、アンだった。巨大な人狼フアンダーの肩に座って足をパタパタと動かしながら、口調とは裏腹に楽しそうに口元を綻ばせている。
まだ二度目の対峙ということを差っ引いても、このシスターは一体何を考えているのか読み難い。
外見は金髪碧眼のあどけない少女にしか見えないが、その態度や雰囲気からは老獪さすら伝わってくる。
「まあ、いいじゃろう。わらわもここを通してやるとしよう。――じゃが」
そこまで言ったところで、不意にアンの姿が人狼フアンダーの肩から――いや、視界の全てから消失した。
一体どこに――? そう考えるよりも早く、
「こやつにこのまま脱出されると困るでな」
次の瞬間、アンの声は俺の真横から聞こえてきた。
「なっ――!?」
咄嗟に飛び退こうとして、しかし視界に入ってきた光景に思わず足が止まる。
アンの狙いは俺でもフィオーレでもなかった。
瞬間移動としか思えない速度で現れたアンの、その小さな手は、フィオーレに抱き抱えられた女性へと伸ばされていた。元双面フアンダーだった、この精神の地平線の主だ。
「その手を離してっ!」
「まあ待てフェアフィオーレ、別に取って喰いはせぬ」
臨戦態勢を取ろうとするフィオーレに、アンはのんびりした態度で呵呵と笑う。
戦いの真っ最中にあるまじき態度は余裕の現れなのか、それともこの戦い自体が彼女にとって暇潰しか何かに過ぎないのか。その心はまるで読めない。
「く……あぁぁ……」
「少し我慢しておれよ――それ、これでどうじゃ?」
「あ……ぁぁ…………」
アンの指先が額に触れた瞬間、女性は苦痛の声を漏らした。
だがアンの指先が薄っすらとした光を放つと、すぐに呻き声は収まり、表情からも険しさが取れていく。
こいつ、一体何をしたんだ――?
状況が読めない。俺とフィオーレが顔を見合わせたその直後、
「グオォォォォォォッ!」
ついさっきまでアンを肩に乗せていた人狼フアンダーが猛烈な雄叫びを上げた。
同時に、キャンサーの浄化によって晴れ渡っていたはずの空を、三度の黒雲があっという間に覆い尽くしていく。
硬くも柔らかくもない不思議な感触だった地面は、いつの間にかギザギザとした葉を持つ草が覆っている。
気がつけば精神の地平線は、荒野の様相にその姿を変えていた。
穏やかな表情になった女性。そして人狼フアンダーに呼応して変貌した世界。
何が起きているのか、察することは容易かった。
「まさか、精神の地平線の主を切り替えたのか?」
「ほう? 流石はヴィジュニャーナ、察しが良いのう。あのままこの娘に外に出られてしまうと、この空間が崩壊しておったからの。まあ全員揃って外に出るだけのことじゃが、あの火力バカどもを外で戦わせるのはお主らも困るじゃろう?」
アンは対峙し続けるアセロスとルーチェにチラと視線を送りながら、少し得意げな顔でそう言った。
それだけ見ると、まるで大人に褒めて貰いたがっている小さな女の子のようにも見える。
なんだ、こいつ思ったよりも話のわかる奴なんじゃあ――?
――そんな楽観的なことを考えた瞬間、アンのあどけない表情は嘲るような笑みへと変貌した。
「じゃが満点の正解ではなかったのう。切り替えたのではなく、精神を繋げただけじゃ。さっさとここから出て繋がりを断たんと、この娘の精神も引っ張られて再びフアンダーになるぞ?」
別にそうなっても一向に構わんがな? ――そんな含みを隠しもせず、アンは楽しそうに笑う。
そこに慈悲やいたわりの情など微塵も感じられない。
助かってもいい、助からなくてもいい、ただその狭間で狼狽え足掻く姿を見たい――そんな無邪気でおぞましい笑顔だ。
一瞬でも「分かり合えるかも」なんて安易に考えたのが間違いだった。
こいつもまたシスターの一人。どんな事情を抱えているかは定かではないが、精霊界フェアリエンと人間界を絶望の底に沈めようとする《組織》の一員なのだ。
「――っ! フィオーレ、急ごう!」
「うん!」
顔を見合わせて頷き合い、俺とフィオーレは再び駆け出す。
「両兄、フィオーレ、気をつけて!」
「……ステラたちも、すぐに追いかけるから」
「ハハハッ! フェアルーチェをぶちのめしたらてめェらの番だ、楽しみに待ってやがれ!」
「くく、ほれ急げ急げ。取り返しがつかなくなっても知らぬぞ?」
二人の仲間と二人の敵――四者四様の言葉を背に、俺とフィオーレは空間の裂け目に勢い良く飛び込んだ。




