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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Element.3 光と闇と
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第一五話 総力戦 1 -O brawling love! O loving hate! 1-

「ぐっ……ポプレ、貴様……」


 キャンサーはうつ伏せに倒れたまま、力を振り絞るようにしてようやく首を動かし、ポプレを見上げた。

 息は絶え絶えで、元からしわがれていた声は掠れてたどたどしい。

 その弱り切ったキャンサーの様子と恨みがましい視線に、ポプレの妖艶な笑みは恍惚の色を含む。


「いい目だわぁ、キャンサー。あなたのそういう顔、見てみたかったのよねぇ」


 そう言ってポプレはキャンサーの背を――たったいま自ら負わせたばかりの刺し傷を、爪先で抉るように踏みつけた。

 キャンサーは悲鳴こそ上げなかったが、苦悶の表情を浮かべポプレを睨む。その態度がなおさらポプレをエスカレートさせてしまうことくらい、キャンサーだってわかっているはずだ。

 それでも、衰弱しきった今のキャンサーにできることはそれくらいしかないのだろう。


「やめろ、シスター・ポプレ!」

「……はぁ?」


 思わず怒鳴った俺を、ポプレは怪訝そうな目で一瞥した。


「あなたたち、こいつと殺し合ってたんでしょぉ? あたしを止める意味がわからないわぁ」

「違う、殺し合いなんかしていない! 俺たちはキャンサーを――メトシェラを救うために戦ったんだ!」

「メトシェラ、ねぇ……」


 ポプレの声は急に低く、冷たいものへと変わった。

 妖艶な笑みはスッと消え、見る見る間に険しさに染まっていく。


「あなたが妖精の王族で、その上フアンダー化してたなんてねぇ、キャンサー?」


 瞳に憎悪の炎を滾らせて、ポプレがようやくキャンサーの背から爪先を離す。

――が、次の瞬間にはその足を勢い良く振り上げていた。

 ドゴッ、という鈍い音とともに、キャンサーの身体が跳ね上がる。


「ぐあぁッッ!」

「あなたの出番はお終い。撤退くらいは許してあげるから、今すぐあたしに殺されたくなければ退きなさい」

「――くっ」


 冷徹に言い放ったポプレを、キャンサーはもう一度忌々しげに睨み返す。

 が、次の瞬間にはフッと掻き消えるように姿を消した。

 恐らく撤退したのだろう。


 キャンサーを倒すチャンス――そしてメトシェラと刹那を助けるチャンスを逸してしまったのは痛い。

 チェーロがあれだけの死闘の果てにようやく追い詰めたというのに、振り出しに戻ってしまったことになる。

 だがポプレが現れた瞬間から、それはもう覚悟していた。これまでに二度撃退に成功しているとはいえ、ポプレだって決して甘い相手ではない。今は気持ちを切り替え、全力でポプレに立ち向かうべき時だ。


 そのポプレは、たった今までキャンサーのいた場所を、冷徹な目でジッと見下ろしていた。


「……フアンダー化できるのはダイアだけだと聞いた矢先にこれだもの。あなたといいイルネス様といい、隠し事まみれ。その上あたしを駒扱いしてくれて……不愉快なのよねぇ」


 ポプレは悪鬼のような気迫を浮かべながら、一方で口調は恐ろしいまでに冷たい。

 だが、肝を冷やしている場合じゃない。その坦々と語られた言葉を、俺は聞き捨てるわけにはいかなかった。


「ダイアが――螢がフアンダー化ってどういう意味だ!」


 ポプレは面倒くさそうに溜め息をついて、俺たちの方に向き直る。


「言葉通りそのまま、今のダイアはフアンダーになったって意味よぉ。あなたたちの知っている甘っちょろい螢ちゃんじゃなくなっちゃったわねぇ?」

「なっ――!?」

「今のあの子は人間を傷つけることも躊躇しないわぁ」


 俺たちは思わず顔を見合わせた。ルーチェもステラも目に見えて動揺している。そしてそれ以上に、フィオーレは青ざめていた。

 俺だって信じられない。ダイアが――シスターでありながら「希望によって傷つく人々を絶望によって救う」という理想を掲げていた螢が、フアンダーになって人を傷つけるだって?


「ふざけたことを言うな! そんな話、信じられるか!」

「あらぁ……信じられないんじゃなくて、信じたくないんでしょぉ?」

「――っ!」

「でもぉ、これを見たら信じるしかないわねぇ?」


 ポプレは再び嗜虐的な笑みを浮かべ、両手を左右に突き出した。同時に二本の渦巻いた水柱が立ち上る。

 直径にして二、三メートルはあろうかという巨大な水柱に、俺たちは壮絶な一撃を予期し、思わず身構えた。

 だが、それに反して水柱はバシャッと音を立て、すぐに崩れる。

 一体何の真似を――そう思った次の瞬間、水柱の消えたその場所に、二人の人間の姿が出現していた。


 その二人の姿に、俺は――いや俺たち全員は思わず息を呑む。

 一人は背が高く、いつもはヘラヘラと締りのない笑顔を浮かべた眼鏡の少年。

 もう一人は気の強い顔立ちで、普段は顔立ち通りの姉御肌で豪快に笑う、ショートカットの少女。

 二人とも朝陽(ちょうよう)学園の高等部制服を着たまま、目を閉じて立ち尽くしていた。


「――梶!」

「佐倉先輩!」

 

 俺たちの叫び声を浴び、梶藤也(かじとうや)佐倉敦子(さくらあつこ)の二人は、微かに目を開いた。

 二人とも状況が飲み込めていない上に意識がはっきりしないらしく、半開きの虚ろな目で周囲を見回す。

 そんな二人を順に一瞥してから、ポプレはローブの袖から何かを取り出した。


 毒々しい紫色をした、形だけならばクルミによく似た木の実が二つ。

 見間違えようがない。絶望のエンブリオだった。


「――ポプレ! お前……っ!」


 ポプレは取り出した絶望のエンブリオを、梶と佐倉さんのみぞおちの辺りに押し付ける直前で止めた。それからねっとりと厭らしい笑みを浮かべ、俺たちを一瞥する。

 咄嗟に数歩踏み出していた俺とフィオーレは、思わず後ずさった。


「ねえ、花澤両太郎。以前あなたたちとの戦いでエンブリオを使い果たしたあたしが、どうして今また二つも持ってるのか、お分かりかしらぁ?」


 三日月のように口角を吊り上げ、さも愉快そうにポプレが言う。

 俺がその答えに衝撃を受け、苦しむとわかっている顔だ。


「――まさか」

「そのま・さ・か、よぉ。これはダイアがくれたの。あなたたちの親しい人間をフアンダーにして、苦しめてやれってねぇ」


 ポプレの言葉に、俺たちは絶句してしまった。

 額面通りそのまま全てを信じたわけではない。だが、まるっきり嘘というわけではないのだろう。


 ポプレがエンブリオを持っている理由なんて、可能性だけならいくらでも考えつく。

 でも、察してしまった。

 キャンサー――メトシェラがこれまでの冷静さを失い、必死に俺たちを食い止めようとしていたこと。

 ポプレが使いきったはずのエンブリオを持っていること。

 螢の身に何かが起きてフアンダーになってしまったのだとしたら、その両方に説明がついてしまうのだと。


「なんで……どうして螢がフアンダーなんかに……」

「さあねぇ、本人に訊いてみたらいいんじゃなぁい?」

「本人にって――螢もここに来ているのか!?」

「それだけじゃないわぁ。アンとアセロスも――シスター全員での総攻撃だもの。ダイアは今頃、外で暴れてるかもしれないわねぇ」

「…………っ!」


 思わず気持ちが外に――螢に向かった。

 ポプレの言葉が事実だとしたら、今すぐに螢を止めに行かなければならない。

 そんな俺の一瞬の思考を、ポプレは決して見逃さなかった。


「あらぁ? 両太郎くんはお友達を見捨ててダイアのところに行っちゃうのかしらぁ?」


 絶望のエンブリオを持つ手にぐっと力を込めながら、ポプレは恍惚とした笑みを浮かべた。

 梶も佐倉さんも、まるで糸の切れた人形のようにぼうっと立ち尽くしているだけだ。ポプレから逃げようとする素振りすら無い。

 ひょっとすると既に何かの力で操られてしまっているのかもしれない。


 もちろん、こんな状態で二人を放って置けるはずなんかない。

 だが一刻も早く螢を止めに行かなければならないのも事実だ。

 梶や佐倉さん、そして螢、どちらかを優先し、どちらかを後回しにしなければならない。

 そんなジレンマを俺に突き付け、苦しむ姿を見るのがポプレの狙いなのだろう。


 そんな策略に乗ってやるのは悔しいが、全てを一度に解決する魔法みたいな手なんて思い浮かばない。

 やはりまずは全力でポプレを撃破し、目の前の状況を解決するのが最優先か。

 そんな結論に至り、俺は頭の中で作戦を組み立て始めた。


――その時だった。


「両太郎さん、騙されてはいけません! マーレ・グレイシアバインドっ!」


 凛々しい声が響き渡り、ポプレたちの足元から青白い光を放つ冷気が立ち昇る。

 ポプレは恐るべき反応を見せ、瞬時に飛び退いた。が、残る梶と佐倉さんはあっという間に巨大な氷の結晶に飲み込まれてしまう。


 ほぼ同時に俺たちのすぐ隣に青のコスチュームを身に纏った少女が上空から舞い降りた。

 フェアマーレ――智慧と変化を司る水の戦士、五大の水のエレメントストーンを持つ頼もしき仲間だ。


「マーレ!」

「両太郎さん、みなさん、遅くなってすみません。あれを――」


 そう言ってマーレが指差したのは、梶たち二人を飲み込んだ氷柱だ。

 そうだ、一体なぜあんな乱暴なことを――そう怪訝に思いながら視線を送ると、氷柱の中の二人の姿が不意に歪む。

 俺は呆気にとられ、ぐにゃりと歪んだ級友たちの姿がそのまま氷の中に融けるように消えていくのを、ぽかんと見守ることしかできなかった。


「幻、だったのか……?」

「五行の水のエレメントストーンの力で光を屈折させ、幻像を見せていたのでしょう。でも――」


 マーレはよく通る声でそう説明して、指先を氷柱からポプレへと向け直した。


「同じ水の力を持つ私は騙せませんよ、シスター・ポプレ! マーレ・ウォーターストリーム!」


 高らかな叫び声と共に、マーレの指の先端から激しい勢いで水流が放たれた。

 水流はスクリューのように回転しながら、真っ直ぐに直線を描いてポプレに襲いかかる。


「……ミラージュ・ダークスプラッシュ!」


 ポプレもすかさず、超圧縮された水球を放った。

 水球はマーレのウォーターストリームとぶつかって弾けるように広がり、無数の頭を持つ多頭竜(ヒュドラ)の如き様相へと変化する。

 一瞬にしてウォーターストリームを飲み込んだその鎌首の一つが、シュルシュルとうねりながらマーレの脇を掠め、俺へと目掛けて襲いかかる。


――が。


 水でできた竜頭は、俺の目の前まで迫ったところで、ピキィンと甲高い音とともに硬直する。

 比喩でもなんでもなく、文字通り凍りついていた。それも首先だけじゃなく、全身だ。

 ダークスプラッシュによって生まれた巨大な水の多頭竜は、一瞬にして氷の像へと変貌していた。


「あなたの水の力は通じないと言ったはずです、ポプレ」


 マーレは多頭竜の胴体に向けて突き出した手をそっと下げながら、静かに言った。

 それから俺達の方を軽く振り向いて、


「皆さんは(ゆう)を連れて、先に脱出してください。ポプレは私が引き受けます」


 口元に笑みすら浮かべ、落ち着き払った様子でそう言った。


「しかし……」

「大丈夫です。(ゆう)にばかりいい格好させられませんから」


 マーレはそう言って冗談めかしながら、俺の背の(ゆう)にいたわるような優しい瞳を向ける。

 先ほどまでのチェーロとキャンサーの戦いを、まるでその場で見ていたかのような口ぶりだ。いや、マーレのことだから実際におおよその流れは察しているのだろう。


 どこまでも冷静で、しかしいつになく力の篭ったマーレの様子に、ポプレは怪訝そうに目を細めた。


「ふぅん……この間まで友達のお荷物になるかもしれないって泣いてた子が、随分一人前の口を利くものねぇ」

「私は自分の弱さと強さを知りましたから」


 ポプレの安い挑発に、マーレは少しも動じなかった。

 思惑が外れて眉間に皺を寄せたポプレに、マーレは凛々しい声で続ける。


「私とあなたが持つ水の元素の力は、矛盾だらけです。揺るぎない智慧の象徴でありながら、移ろいやすい感情を司る。不朽不滅の永久性の象徴でありながら、留まることのない流動性を司る。そんな相反した性質を内包しています」

「……それがなんだっていうのかしらぁ?」

「私自身も同じ――そう気づいたのです。不安に囚われあなたに支配を許してしまった私。その支配から脱することができた私。その相反するどちらも、私自身なんです」

「それがあなたの弱さと強さだって言いたいのかしらぁ?」

「ええ。そして私自身の弱さと強さ――その両方を私は受け容れる」


 気怠そうにあしらおうとするポプレに向かって、マーレは強く言い切った。

 ポプレはその言葉の意味を探るように眉を顰める。


「強さとは、弱さを排除することで得られるもの。強さを認めてもらうには、弱さを捨てなければならない。以前の私は少なからずそんな風に思っていました。でも、私の大切な人たち――フェアリズムの皆さん、そして両太郎さんは、私の弱さを知ってなおこの手を掴んで、私の強さを信じてくれた。弱さも強さも、その両方を受け容れてくれた」

「……いやあねぇ、仲良し自慢かしらぁ?」

「そうですね、私の自慢の仲間ですから」


 ポプレの皮肉を真正面から受け止め、マーレはくすくすと笑う。

 その姿は気負いが感じられず、まるで自然体。とても敵と対峙した戦士のものとは思えない。

 けれどそれなのに、どこか力強さが漲っているようにも見える。

 柔らかい強さ、とでも言えばいいのだろうか。


 不意にマーレの左薬指で、五大の水のエレメントストーンがキラリと輝いた気がした。

 それは俺に、一つの確信めいた予感を与える。


「仲間が教えてくれたこの心の繋がり。相反する弱さと強さを、海のように包み込んで受け容れる《包容》。それこそが、このフェアマーレの力の源――世界を繋ぐ愛です!」


 今度は気のせいじゃない。エレメントストーンの指輪が、まばゆいマリンブルーの輝きを放つ。

 止めどない光の洪水の中、マーレはそっと指輪を撫でた。


「さあ五大の水のエレメントストーン、いきましょう。――マーレ・エレメンタルボンド!」


 マーレが叫ぶ。すると無軌道に放たれるだけだった光はその色味を増し、まるで凝縮されるようにマーレの右手に吸い込まれていく。

 やがて光が収まった時、マーレの左手からはエレメントストーンの指輪が消失していた。かわりに、右手に一本のバトンのようなものが握りしめられている。

 白い円柱状の持ち手に、少し膨らんだ先端。そこにはマリンブルーの宝石が輝いている。宝石を支える水色の台座には、逆巻く波のモチーフがあしらわれている。


 マーレ・エレメンタルボンド。

 フィオーレとチェーロに続いて、マーレもまたエレメンタルボンドの力を手にしたのだ。


「両太郎さん、これで安心していただけますね?」


 マーレはボンドを見せびらかすように振って、悪戯っぽく笑う。

 まったく、本当に頼もしい子だ。


「――任せていいんだな?」

(ゆう)を――それから螢さんをお願いします。ポプレを倒したら私もすぐに追いかけますから」


 不敵に言ったマーレと頷き合って、俺は改めてフィオーレ・ルーチェ・ステラの顔を見回した。

 三人ともジッとマーレの手にしたボンドを見つめ、それから決心したように頷く。


「行こう! ――螢のところに!」


 マーレとポプレを背に、俺たちは精神の地平線(マインド・ホライズン)の入り口へと走り出した。

 この先に待ち構えているのがどんな戦いだとしても、今は進むだけ。

 そんな覚悟と決意が、俺たちを突き動かしていた。

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