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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Element.3 光と闇と
88/93

第一三話 空と風と 3 -Brave New World 3-

「チェーロ・エリアルダガーっ!」

「くっ……、ストーミー・ダークガスト!」


 チェーロの放った無数の短剣に、キャンサーは漆黒の突風で対抗する。

 一騎打ちが始まっておよそ五分。キャンサーはこれまでずっと防御に用いてきた五大の空のエレメントストーンを攻撃に回し、懸命にチェーロに抵抗していた。だがそれでも、どちらが優位に戦いを進めているかは明白だ。

 終始チェーロの猛攻をキャンサーがどうにか防いでいる状況で、今も止めきれなかった二本の短剣がキャンサーの左腕と右肩を掠め、漆黒のローブに僅かな傷を刻んだ。


――いける!


 俺は思わずガッツポーズをしてしまった。

 これまでのシスターとの戦いで、その身に纏ったローブの防御性能や耐久性は嫌というほど思い知らされている。まともに技が通ったのは、ポプレに対してフィオーレ・チェーロ・ステラの三人がかりで放ったエレメンタルサーキュレイションくらいだ。それ以外は基本的に、相手のスタミナ切れを狙うのが対シスター戦のセオリーだった。

 だが、ボンドを手にしたチェーロの攻撃力は、たとえ掠り傷程度とはいえローブの防御力を上回っている。それは戦いの主導権が俺たちに傾こうとしていることを示している。


 ……だが、その興奮はすぐに薄れた。

 勝利に逸る気持ちの片隅で、心の隅に引っかかった不安の棘は確実に存在感を増している。


 冷静・冷徹・冷酷をもって俺たちを苦しめてきたシスター・キャンサーが、自身の不利に気がついていないはずがない。

 恐らくどうしても戦いを続けなければならない何かがキャンサーにはある。

 ついさっき口にした「退けない理由」――それは一体何だっていうんだ?


「さあ、覚悟してもらうよ! チェーロ・エリアルソード!」


 チェーロの掛け声に呼応し、ボンドの先端から伸びたスカイグリーンの刀身は幅広の両刃へと変化する。同時にナックルガードのように拳を覆っていた翼のレリーフは、互い違いに組み合わさってSの字状に形を変えた。

 さっきまでのボンドがサーベルだとしたら、今度はカッツバルゲル。普段チェーロが好んで使っているエリアルソードの形状そのものだ。

 チェーロはボンドを凛々しく正眼に構え、キャンサーとの距離を詰めていく。

 対するキャンサーはじりじりと後退するも、未だ撤退する素振りはない。


「……ストーミー・ダークブレイド」


 キャンサーがしわがれ声で唱えると、その眼前に闇色の剣が生成される。

 幅広のショートソードであるチェーロの剣とは対照的に、こちらは細身で非常に長い刀身を持つ大剣だ。形状は一言で言うならばツヴァイヘンダー――確か奇しくもカッツバルゲルと同じく、中世のドイツ傭兵部隊(ランツクネヒト)が用いた武器だったはずだ。


 自らの身長ほどもある大剣を手に、キャンサーも構えを取った。

 ただでさえ長身のキャンサーにこれまた長身の剣の組み合わせは、間合いの面でも威圧感の面でもチェーロを圧倒的に上回っている。


 だが当のチェーロは落ち着き払った様子で、迫る剣気を涼やかな顔でいなす。


「言っとくけどぼく、剣の勝負で負けるつもりはないからね。その五大の空のエレメントストーン、今日こそ返してもらうよ」

「言ったはずだ、我にも退けぬ理由があると。それに、エレメントストーンは精霊界フェアリエンの至宝である。汝ら人間の所有物ではない!」


 先に攻撃を仕掛けたのはキャンサーだ。

 らしからぬ激情を乗せて袈裟懸けに振り払われた剣身は、びゅおっと轟音を立ててチェーロに迫る。

 チェーロは鍔際でその一撃を受け止め、そのまま払うように腕を振るう。恐ろしく精緻な、そして流麗な受け流し(パリィング)だ。剣身同士が滑るように交叉し、受け流されたキャンサーの攻撃は宙を斬る。


 一度攻撃を外してしまえば、長い刀身はそのまま隙に転化する。そして、その隙を見逃すようなチェーロではない。

 はぁっと掛け声を発し、身を屈ませるようにして突進。瞬時にキャンサーの懐に潜り込んだチェーロは、そこから旋風の如く身を捻り、目にも止まらない速度でに三連撃を浴びせる。

 咄嗟にバックステップで回避を試みるキャンサーだったが、チェーロの剣閃はその速度を上回った。漆黒のローブの上に、ボンドによって刻まれた薄緑の光の筋が三本浮かぶ。


「たああぁぁぁぁっ!」


 間髪入れずにチェーロがさらなる追撃。

 空を裂く横薙ぎの一線を、キャンサーはツヴァイヘンダーを垂直に構えてブロック。どちらの剣も金属製では無いはずだが、キィィンと甲高い音が響く。

――が、それでもチェーロは攻撃の手を緩めない。しなやかに舞うような動きで、次々と斬撃を繰り出す。

 キャンサーは懸命にそれを防ぎ、その度に二本の剣が悲鳴を上げる。だが、スカイグリーンのカッツバルゲルは輝きを失わずに閃き続けるのに対し、それを受け止める漆黒のツヴァイヘンダーには、衝突の度に光の筋が刻まれていく。


「風よっ……!」


 一際大きな振りかぶりとともにチェーロが叫ぶ。

 するとツヴァイヘンダーの刀身に刻まれた無数の光の筋から、薄緑の閃光が迸った。

 パリィィンと、今度はガラスめいた音を響かせて、ツヴァイヘンダーの刀身が砕け散る。


「何っ!」

「行けええええぇぇぇぇ!」


 チェーロの全身が薄緑に輝き、猛烈に加速する。フェアリズムの常人を凌駕する身体能力に加え、風の力をアシストに回したのだ。

 得物を失って無防備になったキャンサーに、まずは横一文字の一撃が炸裂する。さらにチェーロは剣撃の勢いのままに身体を独楽のように回転させ、ボンドを上段から真っ直ぐ振り下ろす。その稲妻のような閃きがキャンサーの正中線を完全に捉え、ビシィッと破砕音を轟かせた。


「ぐ……ッ」


 キャンサーの身体がぐらりと揺らぐ。

 その顔を覆っていた仮面が真っ二つに割れ、音も無く地面に落ちる。

 が、それでもキャンサーは倒れなかった。


 チェーロの剣の本質は浄化。その刃が相手に外傷を与えることはない。

 だがそのかわりに、不安と絶望を司るシスターという存在――あるいはそれを生み出している《死に至る病》に対して、着実なダメージを与えたはずなのだ。

 現にキャンサーはガクリと項垂れ、全身をわなわなと震えさせ、今にも崩れ落ちそうな身体を両足で突っ張るようにしている。立っているのがやっと、といった様子だ。

 しかし、そんな状態でもまだキャンサーの気迫は衰えていなかった。


「我は負けぬ……負けるわけにはいかぬ……!」


 目を爛々と輝かせ、短い髪を振り乱しながらキャンサーが吠える。

 同時に、これまで仮面に隠されていたその素顔が露わになった。


「……………………え?」


 俺は心臓を鷲掴みにされたかのような、冷たい衝撃に襲われた。

 その衝撃をもたらしたのは、仮面の下にあったキャンサーの素顔。


 バサッと音を立て、とうとうキャンサーのローブが破れ落ちる。

 その下から現れたのは小さな鎖で編まれた漆黒のチェインメイル。まるで忍者のようないでたちだ。

 腕や手首、胸元には黄金色に輝くアクセサリをいくつも身に着けている。もしかするとその一つ一つが不思議な効果を持つ、フェアリエンの至宝に数えられる魔法道具(マジックアイテム)かもしれない。

 そんなことを考えながら、しかし俺の意識はもっと別なことに釘付けだった。


 キャンサーの顔は左半分が老婆のごとくしわくちゃで、しかし残る右半分は若々しさに溢れていた。

 そして、その右半分の顔に、俺は見覚えがあった。


――そんな馬鹿な。一体どうして……?


 疑問が、焦りが、そして恐れが頭を駆け巡る。

 同時に、キャンサーが撤退を拒んで戦い続けた理由も、そして海合宿の際にわざわざ螢がシスター・ダイアとしての力を振るうしかない状況を作った理由も、()()()()()()()()()()と腑に落ちてしまう。


『螢をよろしく頼みます』


 穏やかな笑みを浮かべて俺にそう言ったのと、寸分違わない顔立ち。

 今は怒りに歪んでいるけれど、深い理知を湛えた瞳と、きっと笑えばえくぼが浮かぶであろうその頬。


『私の今の名前はそのうちわかります。ま、今のところは刹那でもメトシェラでもいいですよ』

『私もまた、精霊界フェアリエンと人間界を巻き込んだ戦いの輪から逃れることはできないのですから』


 かつて聞いた言葉が、次々と受け入れ難い理解を伴って浮かんでくる。


 そう、そこにあったのは螢の兄、黒沢刹那(せつな)の顔。

 いや正確に言えば一瞬の名を持つ少年・刹那と、長命の名を持つ妖精・メトシェラが融合して生まれた、人であり妖精であり、男であり女である存在だった。


「刹那……メトシェラ! 一体どうして……!?」


 思わず叫んでしまった俺を、キャンサーはジロリと睨む。


「……ヴィジュニャーナより我の知識を得ていたか」


 忌々しげに放った声は、やはり老婆のようにしわがれている。かつてヴィジュニャーナの見せる幻影の中で会った刹那とは違う声だ。


「刹那? それって、螢ちゃんの……!」


 俺の隣でフィオーレが驚嘆の声を漏らした。それを受けてルーチェもステラも、そして戦いの真っ最中であるはずのチェーロまでもがハッとした表情で俺を振り向く。


「ああ、間違いない。そいつは――キャンサーは、螢の兄・刹那と親友メトシェラの融合した存在だ。でも、一体どうして……?」


 今思えば、キャンサーが妖精の王族にしか使えない至宝を自在に操って見せたのも当然だ。その存在の半分は、メトシェラ――王族たる老帝エイジングの娘なのだから。


 色々と納得できることはある。でも、それ以上に信じられないという思いが俺を支配している。

 刹那とメトシェラは螢を救うためにその生命を投げ出し、そしてフェアリエンの至宝《シュレディンガーの剣》によって二人で一つの新たな存在へと生まれ変わった。

 それが一体どうして――何があって、《組織》のシスターなんかになってしまったというのか。


 それだけじゃない。螢の話では、螢を《組織》へと引き入れたのもこのキャンサーだったはずだ。

 命がけで蘇生させたはずの螢を、絶望の淵に追いやるような真似をしたのは何故なのか。

 顔の左半分に刻まれた深い皺や、老婆の如くしわがれた声は何なのか。


 疑問は次々と湧いてくる。こんな時、ヴィジュニャーナの力で全てを知ることができたらいいのに。

 そんな歯痒さを噛み締めながら、俺を睨み続けるキャンサーを必死に睨み返す。


 キャンサーはそんな俺の視線を遮るように目を細めた。


「……よもや我がここまで追い詰められようとはな」


 静かにそう言ったキャンサーの声は、凍てつくほどに冷たかった。そこには先程までの焦りも激情も全く感じられない。

 五大の空のエレメントストーンの力は通じず、全身を覆うローブを失い、仮面の底に隠していた素顔すらも暴かれた。そんな状況の中、ここに来てキャンサーは恐ろしいまでの冷静さを取り戻していた。


 それはどこか諦観のようにも見えて――そして後から思えば、実際にそうだったのかもしれない。

 とにかく、キャンサーはこの瞬間、最後の切り札を切ることを決めたのだ。


「やはり汝らは危険だ。ダイアと戦わせるわけにはいかない――」


――ゆらり、と。


 キャンサーの全身から、薄黒い蒸気のようなものが立ち昇る。

 怪訝に思う暇すら無く、その噴出は瞬く間に勢いを強めた。

 バキン、ガキンと不吉な音を立てて、キャンサーの四肢を飾っていた黄金色のアクセサリが次々と砕け散る。そしてその度にキャンサーの四肢が怒張し、ビリビリと空気が震えるほどの重圧感が場を支配していく。


「まさか、あの金ピカは飾りでも道具でもなくて……」


 チェーロが困惑を含む声で呟いた。

 どうやら俺と同じ結論に、ほぼ同時に至ったらしい。


 キャンサーが何か奥の手を隠し持っていることは俺も警戒していた。

 そして、黄金のアクセサリがその何かだと思った。

 だが、そうではなかった。

 奥の手はキャンサー自身。黄金のアクセサリはそれを封印していたのだ。


 呆気にとられる俺達の目の前で、キャンサーの全身が膨れ上がったオーラと一体化していく。

 五、六メートルは下らない、見上げんばかりの巨体。

 胴体に対して妙に長い腕――その先端の掌は、指の一本一本が丸太ほどに太く、人間を一捻りに握り潰すことも容易いだろう。

 そして吸い込まれるほどに真っ黒な体表は、まるで子供がクレヨンで落書きしたみたいに、乱雑に波打っていた。


 グチャグチャに波打つ頭部に爛々と輝く瞳が灯り、そのすぐ下が半月形に裂ける。


「グオオオオオオオオオオオォォォォォッ!」


 キャンサーは耳をつんざく大音量で吠えた。

 もはや刹那の面影もメトシェラの面影も、シスター・キャンサーとしての面影すらも無い。そこにいるのは、一体の巨大なフアンダーだった。

 かつてヴィジュニャーナの見せた幻の中で見た、女王タイタニアが幽閉されている精神の地平線(マインド・ホライズン)の主――絶望の巨人によく似ている。

 だが、絶望の巨人ほど圧倒的な巨体ではなく、体のラインもどこか女性的なフォルムを残している。


()()()()()()()()()。あらゆる老いを司り、遠ざける者なり……」


 はるか頭上から俺たちを見下ろし、キャンサーが威厳に満ちたしわがれ声を響かせる。

 その一息一息が空気を振動させ、大地を揺るがし、おぞましいまでのプレッシャーとなって俺達に降り注ぐのだった。

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