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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Element.3 光と闇と
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第一二話 空と風と 2 -Brave New World 2-

――助かった。


 自信に満ちたチェーロの横顔に、俺は胸中でそう呟いた。

 だが同時に、幾ばくかの疑問も湧き上がる。

 (ゆう)が寺の境内で「悩んでいる」と弱気な顔を見せたのは、今日の昼のことだった。それからまだ数時間だというのに、今のチェーロの表情は見違えている。


「……チェーロ。……校内に残った人の、避難は大丈夫?」

「うん、大体は完了。まだ何人か残ってるけど、後はマーレが引き受けてくれたよ」


 ステラの問いに応える時も、チェーロの様子はいつもと同じ自然体。

 初めは仲間の前で弱気な姿を見せまいとしているのかと思ったが、その考えはすぐに改めることになった。


「敵がキャンサーってことは、ぼくの出番かと思ってね」


 チェーロの不敵な表情には、少しの虚勢も感じられない。本当にチェーロには勝算があるということなのだろう。


「ここは任せてって、チェーロ一人であいつらと戦うつもりか?」


 一応真意を問い質す。ただ、返ってくる答えは分かりきっていた。


「そのつもりだけど、ダメかな? ――ちょっと試したいことがあってね」

「言い出したら聞かないのはわかってるさ。――勝算が無いのにそんなことを言い出すようなヤツじゃないってこともな」

「ふふ、ありがとう」


 チェーロははにかむように笑った。

 変身前はボーイッシュで中性的な見た目なのに、変身後のチェーロは凛々しい女戦士といった風貌だ。その女戦士が無防備な笑顔を浮かべるものだから、ギャップの二段構えだ。そんなものを見せられたら、俺が思わずドキリとしてしまったのも、仕方のない事だと弁明したい。

 ……主に隣でじいっと俺を睨んでるステラに対して。


「チェーロ、本当に大丈夫なの?」

「悔しいけどアイツら、本当に厄介だよ」


 フィオーレとルーチェが心配そうな顔でチェーロに駆け寄る。二人だってチェーロが何の勝算も無く虚勢を張るタイプじゃないと知ってはいるものの、相手が相手だから心配も当然だ。

 しかしチェーロはそんな仲間たちに、もう一度穏やかな微笑みを返した。


「大丈夫、リョウくんが信頼してくれるなら――ぼくは無敵さ」


 この二日で三度目のセリフを言い放ち、チェーロは双面フアンダーに向き直った。

 対する双面フアンダーは訝しげに睨み返す。


『はぁ……アンタは馬鹿か、それとも死にたがりなの?』

『そっちの奴らが三人がかりで勝てなかった僕とキャンサー様に、お前一人で勝てると思ってるのか?』

「うん、多分ね」


 女性面と男性面が交互に放った嘲りに、チェーロは動じずに言い返した。


「信頼してくれる仲間がいて、その信頼に応えたい自分がいる。それがきっとぼくの力の源だから」


 それは境内のケヤキの木の上で俺が(ゆう)に言った言葉だった。

 俺は思ったことを正直そのまま伝えただけ。でも、それがチェーロに自信を与えたならば俺だって嬉しい。


 対する双面フアンダーは、真逆の反応を見せる。


『――バカバカしい。信頼なんて、都合よく相手を束縛するためのもの。自由を奪い取るだけのものだ』


 半ばうめくようにそう言った双面フアンダーは、その二つの顔にまさしく鬼神の如き怒りを浮かべた。

 彼あるいは彼女は、かつて他者からの一方的な信頼によって傷つけられたのだと、言葉と表情が物語っている。

 チェーロはそんな双面フアンダーの怒りを真正面から受け止め、ゆっくりと首を左右に振った。


「それは違うよ。信頼することができないからこそ、恐れ、不安に陥り、束縛してしまうんだ。他人のことも、そして自分のこともね」

『なんだと……』

「心からの信頼があれば不安は晴れる。そこに束縛なんて要らない。――そう、本当の自由は信頼の繋がりの中にあるんだよ」

『屁理屈を……っ!』

「屁理屈かどうか、試してみればいいさ。ぼくの力は風――何ものにも縛られない自由な風。その自由を支える信頼の繋がりこそが、このフェアチェーロの《世界を繋ぐ愛》だからね!」


 チェーロが高らかに宣言すると同時に、その左手の薬指にはめられた指輪――五大の風のエレメントストーンが、まばゆいスカイグリーンの光を放ち始めた。


――あれって、まさか?

 いや、そのまさかしか考えられない。


 フィオーレ・ルーチェ・ステラも、ハッと驚いた顔でその光景を眺めている。

 三人の視線の先、チェーロはまるでいたわるように、止めどない光を放つ指輪をそっと撫でた。


「五大の風のエレメントストーン、行くよ! ――チェーロ・エレメンタルボンド!」


 チェーロが叫ぶ。すると無軌道に放たれるだけだった光はその色味を増し、まるで凝縮されるようにチェーロの右手に吸い込まれていく。

 やがて光が収まった時、チェーロの左手からはエレメントストーンの指輪が消失していた。かわりに、右手に一本のバトンのようなものが握りしめられている。

 白い円柱状の持ち手に、少し膨らんだ先端。そこにはスカイグリーンの宝石が輝いている。宝石を支える薄緑の台座には、三対六枚の純白の翼。折り重なるように広がったそのうちの一対が、ナックルガードさながらにチェーロの拳を防護している。

 そして翼の付け根――バトンの天頂部分からは、やはりスカイグリーンに輝く、薄く透き通った細い剣身が伸びていた。持ち手部分の意匠はフィオーレの持つボンドによく似ているが、全体としての印象は《剣》と言ったほうがしっくりくる。風の力を持つ、一振りのサーベルだ。


 チェーロの自信満々の態度の根拠、そして「試したいこと」というのは、このエレメンタルボンドのことだったのだろう。


 世界を繋ぐもの――元素と元素を結びつけ、世界を繋ぐ、フェアリズムの真の力。以前フェアリエンの女王タイタニアは、それをフェアリズム自身で見つけなければならないと言っていた。俺は今まで、その言葉の意味を本当には理解していなかったのかもしれない。


 フィオーレによってその力の根源が「愛」であると示された後も、他のメンバーはボンドを手にすることができなかった。その理由が何なのか、俺達は頭を悩ませてきた。

 でも、答えは簡単だった。


 繋ぐ力の形は――愛の形は、たった一つではない。


 フィオーレの《仁慈(じんじ)》、チェーロの《信頼》。そしてきっとルーチェにも、マーレにも、ステラにも、その力の源になる繋がりの形、愛の形がきっとある。

 だからこそ、それは他人に教えられるのではなく、彼女たち自身で見つけなければならないんだ。


「さあ、かかって来なよ。あなたの不安も憎しみも、ぼくの風が全て受け止めて――吹き飛ばしてみせる」


 ボンドを携え、チェーロは流麗な足取りでゆっくりと双面フアンダーに近づいていく。

 その穏やかな所作は凪――無風を思わせる。

 だが双面フアンダーは気圧されるように、僅かに後ずさった。凪の後には嵐が来る――それを本能的に感じ取ったのかもしれない。


「――じゃあ、こっちから行くよ」


 チェーロはすとんと身を沈めると、次の瞬間にその歩みを爆発的に加速した。

 呼吸をする間もなく、一陣の突風と化したチェーロが猛烈な速度で双面フアンダーに肉薄する。


『くうっ!』


 双面フアンダーは二対四つの目でその動きを見切り、両手の曲刀を交叉させるように振り下ろす。

――が、その切っ先は虚しく宙を裂き、黒く濁った地面を打ち付けただけだった。


『何ぃ……っ!』

「遅い!」


 きぃんと甲高い音が響き、双面フアンダーの曲刀が真横に吹っ飛んでいく。

 チェーロが体を捻るように回転させて斬撃を躱しながら、ボンドで曲刀を弾き飛ばしたのだ。


 しかし双面フアンダーも驚いているばかりではない。

 得物を弾かれた勢いを利用し、体勢が傾いたままのチェーロを右足で真上に蹴り上げる。

 ドゴッ、と鈍い音がして、チェーロの細身が宙を舞った。


 さらに容赦無く追撃を加えようと、双面フアンダーは拳を振りかぶる。空中で身動きの取れないチェーロに渾身の一撃を放つつもりだ。


 だがそれは、風の戦士フェアチェーロを相手にする上では、あまりに愚策だった。

 二、三メートルの高さまで蹴り上げられたチェーロは、空中でくるんと身を捻る。そして、まるでそこに足場でもあるみたいに、思い切り宙を蹴った。

 同時に一瞬だけ爪先の辺りに薄緑の光を伴った空気の対流が生まれ、チェーロの身体を押し返す。

 チェーロの十八番(おはこ)、二段跳躍だ。


――いや、三段、四段、五段……続けざまに宙を蹴り、チェーロはあっという間に十メートル近い高さまで舞い上がる。


「チェーロ・エリアルダガーっ!」


 叫び声とともにチェーロがボンドを一薙ぎすると、その剣先が描いたスカイグリーンの軌跡が、無数の短剣の形に姿を変えた。

 夥しい数の風の短剣は、空を切り裂いて一斉に双面フアンダーへと降り注ぐ。


 だがそれは物理現象の風ではなく、エレメントストーンの力そのものだ。

 案の定、身構えることすらせずにニィっと笑みを浮かべる双面フアンダーの後ろで、キャンサーがすかさず手を翳す。

 風刃は双面フアンダーの身体に到達するよりも前に、スッと大気に融けるように掻き消されてしまう。


「………………」


 チェーロは腕組みをして、上空からその光景を観察するかのようにジッと見下ろしていた。

 その足元には、薄緑の風の対流でできた足場。どうやら二段跳躍どころか、足場を出しっぱなしにして宙に浮くこともできるらしい。

 流石は空中戦のスペシャリストだ。自ら巻き起こした風で思い切りスカートがめくれているのが少々カッコ悪いが、この際指摘しないでおいてやろう。まあ、フェアリズムのバトルコスチュームがレギンス付きで良かった……。


「……なるほど、ね」


 腕組みをしたままチェーロは頷いた。

 攻撃が通じなかったというのに動揺は見られない。それどころか何か得心した様子で、ニッと微笑む。


「それならこれは――どうかなっ!」


 チェーロは再び跳躍すると、空中で急激に方向転換した。

 両手で握ったボンドを真っ直ぐ突き出し、身体ごと双面フアンダーへと突進していく。


『舐め……るなぁっ!』


 双面フアンダーは半身をずらし、拳を振りかぶる。チェーロの攻撃を躱してカウンターを打ち込む気だ。

 だがそこで、双面フアンダーの身体が突然バランスを崩し、大きく揺らぐ。


『……何っ!?』


 見ればその足元に、スカイグリーンの風が渦を巻いていた。


 上手い!

 単純な突進と思わせてカウンターを誘い、相手の意識がボンドの切っ先に向いたところで、すかさず風の力で足元を掬ったのだ。チェーロのこういう細かい戦いの駆け引きは、武道だけじゃなくゲームで培ったものかもしれない。


 体勢を崩した双面フアンダーの身体を、チェーロのエレメンタルボンドが袈裟斬りに捉える。

 漆黒の貫頭衣(チュニック)が千切れ飛び、双面フアンダーはくぐもった悲鳴を轟かせた。


――だが、その肉体には切り傷一つ生じない。

 露わになった上半身には、あって然るべきの刀傷が無い。その代わりに刃が辿った軌跡をなぞるように、薄緑の光が帯状にまとわり付いていた。

 返す刀でもう一太刀、今度は横薙ぎの一撃が完全に入る。

 またも双面フアンダーの肉体は傷つくことがなく、かわりに薄緑の光の筋が浮かぶ。


「もう一丁――っ!」


 チェーロはさらにボンドを振りかぶる。

――が、その一撃が放たれることはなかった。


「それは不可能だ」

「………………!」


 キャンサーがチェーロに向かって手を翳す。

 その瞬間、チェーロの纏っていたコスチューム、そして握りしめていたボンドが音も無く霧散した。


 かわりにその身を覆うのは白いノースリーブのサマードレス。超人的な防御性能を誇るフェアリズムのコスチュームと違い、単なる衣服でしかない。

 風に揺らぐ長い緑の髪は、元のボーイッシュな黒髪のショートカットに。ボンドに姿を変えていたはずのエレメントストーンも、再び指輪の形に戻って左薬指にあった。

 以前八々木(ややぎ)公園で戦った時と同じように、《(くう)》の力によって強制的に変身を解除されてしまったらしい。

 ボンドを手にしてパワーアップを果たしたチェーロさえも、《(くう)》の力の前には無力だったのだ。


 対する双面フアンダーは貫頭衣(チュニック)こそ千切れ飛んだものの、チェーロの斬撃によって刻まれていた薄緑の光の帯も消え去り、ほぼ万全の状態だ。

 あっさりと翻弄されて二太刀も浴びせられた恥辱によるものか、険しい怒りの形相を浮かべて拳を振りかざす。


(ゆう)っ!」

(ゆう)ちゃん!」


 チェーロ――いや(ゆう)の絶体絶命のピンチに、俺達は思わず叫んだ。

 だが、当人である(ゆう)は焦った様子すら見せず、「やっぱり、そうなんだ」なんて言いながら空になった両手をジッと眺めている。


「おい、(ゆう)!」

「大丈夫大丈夫。ぼく、ちょっと試したいことがあるって言ったでしょ?」


 (ゆう)は再度変身するどころか、逃げようとすらしない。俺たちにへらへらした笑みを投げて、落ち着き払った様子で双面フアンダーに向き直る。


――っていうか、試したいことってエレメンタルボンドのことじゃなかったのか? (ゆう)のヤツ、何をする気なんだ?


 大丈夫。

 その言葉を信じたい気持ちはある。

 だが今の(ゆう)は、いくら武道で鍛えているとはいっても、華奢な少女に過ぎない。どれだけ(ゆう)を信じてたって、その身を案じずにはいられない。


『観念したか……これで終わりだぁぁぁッ!』


 双面フアンダーのノイズがかった絶叫とともに、拳が振り下ろされた。

 鈍い音とともに濁った地面が粉塵を巻き上げて砕け、(ゆう)と双面フアンダーの姿を飲み込む。


(ゆう)……?」


 ずん、と地面の振動が足元を伝うのを感じながら、俺は呆然とその光景を眺めることしかできなかった。

 人ならざるものと化したフアンダーの渾身の一撃。硬くも柔らかくもある奇妙な地面を、ビスケットでも叩き割るみたいに容易く爆砕する衝撃。そんなものを生身の少女がその身に受け、無事で済むはずが無い。


 だが、頭の理解が追いつかない。

 理屈の上では既に最悪の結論が導き出されている。その結論が、みぞおちの辺りを冷たく締め付ける。

 ムカムカとした恐れ、怒り、不安――そういった感情の種が胸の内で次々と芽吹いている。

 けれど、それが大きく膨らむことはなかった。


――(ゆう)がやられるなんて、そんなバカなことがあるかよ。


 そこに合理的な根拠はない。

 半分くらいは、受け入れ難い結論をただ否定したがっているだけなのかもしれない。


 でも、そうじゃない部分が――残りのもう半分が、(ゆう)なら大丈夫だって信じている。

 だから――。


『……何ぃっ!?』


 だから、双面フアンダーが驚愕に顔を歪めても、


「……何だと?」


 だから、冷静沈着なキャンサーがようやく焦りを見せても、


(ゆう)ちゃん!」


 だから、フィオーレたちが驚きと喜びの入り混じった声で叫んでも、俺は一人、「やっぱりな」なんて落ち着いていた。


『そんな馬鹿な……どうして……?』


 双面フアンダーは振り下ろした右拳に更なる力を込めながらも、動揺を隠せていない。

 その視線の先で、(ゆう)は生身のまま、左手一本でフアンダーの攻撃を受け止めていた。


 いや、正確には違う。

 変身していないはずの(ゆう)の左掌を、薄緑の風の対流が覆って、フアンダーの拳を阻んでいる。間違いなくそれはフェアチェーロの風の力だ。


『どうして、どうして変身もせずにエレメントストーンの力を使えるんだ!?』


 問いかけをぶつけながらも、双面フアンダーは左腕を振るう。

 だが、(ゆう)は右手でそれを難なく受け止めた。今度も風の力が(ゆう)の右手を覆っている。


「変身ならしているよ」


 狼狽する双面フアンダーに向かって、(ゆう)は悠然と笑う。


「いや――したままって言ったほうがいいかな。ね、キャンサー?」

「………………」


 キャンサーは黙したまま何も答えなかった。

 だが、その無言はいつもの落ち着き払った態度とはまるで別。仮面に隠された表情は見えないものの、明らかに焦りが伝わってくる。

 それを見て、俺もようやく何が起きているかを理解した。

 そして、(ゆう)の言った「試したいこと」が何だったのかも。


「そうか(ゆう)、お前……《(くう)》を掴んだんだな?」

「そういうこと。――さあ、反撃させてもらうよ!」


 (ゆう)の勝ち気な宣言と同時に、宙に薄緑の風が巻き起こり、(ゆう)の全身に吸い込まれていく。次の瞬間には、消え去ったはずのフェアチェーロのコスチュームがその全身を覆っていた。

 (ゆう)――いやチェーロは、双面フアンダーの拳を掴んだまま、両手を円を描くように振るう。双面フアンダーの巨体はあっけなく宙を舞い、回転しながら地面に叩きつけられた。(ゆう)の得意の投げ技だ。


『このおおぉぉっ!』

「甘いっ! 怒りで動きが単調になってるよ!」


 双面フアンダーが起き上がり際に放った拳を、チェーロは難なく避ける。まるで俺たちに稽古を付けてくれる時みたいに、その所作には気負いも焦りもない。

 続けざまに放たれる双面フアンダーの猛攻を柔らかな動きで的確に捌いていくチェーロの姿は、まさに何ものにも囚われない自由な風そのものだ。

 俺達からチェーロへの信頼。チェーロから俺達への信頼。そしてチェーロの自分自身への信頼。その全てを力に変えて、チェーロは舞うように戦う。


『許さない、そんな自由の在り方を僕は認めない……!』

『この世界は壊させない。やっと手に入れた私が自由になれる世界を、アンタなんかに壊させない!』


 双面フアンダーの大振りの右拳。それをチェーロはスウェーで避け、起き上がりざまに風の力を纏った掌打で双面フアンダーを吹っ飛ばす。


「自由……? こんな世界が自由なもんか」

『アンタなんかに私の気持ちが……この自由をずっと待ち望んでいた私の気持ちがわかるわけがない!』

「わからないよ! でも、そうやって自由自由と口にするあなたの姿は、ぼくには全然自由に見えない!」

『……ッ!』

「本当はあなただってわかってるはずだ。こんな逆さまの街を心の中に築き上げるくらいだから」

『うるさい……うるさい!』

「あなたが求めてるのは孤独な自由なんかじゃない、誰かとの繋がりの中にある自由だ!」

『黙れ、黙れえええええッ!』


 双面フアンダーは二つの顔で喚き散らしながら、滅茶苦茶に腕を振り回して突進する。

 しかしチェーロはその全てを難なく捌き、一撃たりともまともに食らわない。

 もはや、どちらに勝負の分があるのかは一目瞭然だった。


「……五大の空のエレメントストーンよ」


 手下の劣勢を悟ったキャンサーが、再度チェーロに向けて手を翳す。

 チェーロのバトルコスチュームは薄緑色の光の粒に変わって、空気に溶け込むように消滅。変身が強制解除されて、再び白いワンピースドレス姿の(ゆう)へと戻る。

 だが、次の瞬間には薄緑の光が宙から滲み出るように生じ、再び(ゆう)をチェーロの姿へと変えた。

 その間も、チェーロは何事も無かったかのように双面フアンダーの攻撃を捌き続けている。もはやチェーロにとって、キャンサーの《くう》の力は目眩ましにもなっていなかった。


「無駄だよキャンサー。ぼくにはもう、《くう》の力は通じない」

「……どうやらまぐれでは無い、か」


 視線を双面フアンダーに向けたまま言い放ったチェーロに、キャンサーは忌々しげに呟く。

 これまで幾度となく俺たちを苦しめてきたキャンサーの絶対優位性が、完全に崩壊した瞬間だった。


「エレメントストーンの力は消えてたわけじゃなかった。見ることも触れることもできない《(くう)》になっただけで、そのままそこにあったんだ。ぼく自身も《(くう)》になれば、力は再びぼくのもとに還る。リョウくんがそれに気づかせてくれたんだ」


 それは謙遜と過大評価が過ぎるだろ、と俺は苦笑してしまった。

 チェーロは「ぼく自身も《(くう)》になれば」なんて簡単に言うけど、それが実際はどれだけ大変なことか、俺は座禅を通じて散々思い知った。

 それに、俺が辿りつけたのは《(くう)》という概念の入り口まで。それだって住職さんに教えを乞うてようやくといったところだ。

 それをぶっつけ本番で実戦に活かして見せたのは、紛れも無くチェーロ自身の力だ。


「さあ五大の風のエレメントストーン、もう一度いこう。チェーロ・エレメンタルボンド!」


 チェーロの声に呼応し、エレメントストーンは再び風のサーベルへと姿を変えた。間髪入れずにスカイグリーンの刃が目にも留まらぬスピードで翻り、翻り、翻り――あっという間に双面フアンダーの全身に無数の薄緑色をした光の帯が走った。


 チェーロがパチンと指を鳴らす。すると光の帯から荒れ狂う風が吹き出し、双面フアンダーの全身に纏わりつく。


『くそっ、ちくしょおぉぉぉ!』


 双面フアンダーは必死に抵抗を試みる。

 しかし足掻けば足掻くほど風の戒めは強まり、その全身の身動きを奪っていく。


「帰ろう、あなたが求める自由な世界はここじゃない。――チェーロ・エーテリアルピュリフィケイション・リゾーマタ!」


 チェーロの叫びに呼応して、ボンドから薄緑に輝く風が巻き起こる。

 優しく包み込むような柔らかい風は、双面フアンダーの身体をふわりと持ち上げ、幾重にも折り重なって包む。

 双面フアンダーを戒めていた風がエーテリアルピュリフィケイションの中に融けるように消え、強張っていた身体が弛緩していく。

 やがて双面フアンダーは、渦巻く風の球の中に完全に包まれた。


「クロージング!」


 チェーロの掛け声とともに、風の球が轟音を立てて爆発した。

 爆風は上空へと舞い上がり、天井に広がった逆さまの街を塵へと変えて吹き飛ばしていく。

 爆風が収まった時、逆さまの街は全て消え去り、そこには晴れ渡った青空が広がっていた。


 チェーロの足元には、洗いざらしのジーンズにユニセックスな灰色のパーカーを着た、二十歳くらいの人が仰向けに横たわっていた。浄化された双面フアンダーだ。

 元の姿に戻っても、その顔立ちや体格は中性的で、彼あるいは彼女の性別がどちらなのか判断がつかない。あるいはそれが本人にとって、不安の原因だったのかもしれない。

 きっとこの先も社会の中で生きていく限り、同じ悩みや不安がこの人に付きまとうのだろう。

 それでも、フアンダーのままでいたほうが良かったなんてことは決してないはずだ。チェーロの言う通り、彼あるいは彼女の本当の願いは孤独な自由を手にすることではないのだから。


「チェーロ、この人はわたしが」

「ありがとうフィオーレ、頼んだよ」


 フィオーレがチェーロのもとへ駆け寄り、双面フアンダーだった人をそっと抱き上げる。

 庇わなければならない存在がいたままではチェーロの邪魔になると判断したのだろう。

 なにしろ、まだ戦いが終わったわけではないのだから。


「――さあ、シスター・キャンサー。次はきみの番だ。今日こそ覚悟してもらうよ」


 チェーロはボンドを構え直し、その切っ先をキャンサーへと向ける。

 精神の地平線(マインド・ホライズン)は浄化され、キャンサーの《(くう)》の力もチェーロには通用しない。できればこのまま圧倒的有利な状況で、キャンサーを仕留めておきたい。


 だが以前戦った時、シスターたちは精神の地平線(マインド・ホライズン)から一瞬で離脱していた。もしもキャンサーが撤退する気であれば、倒しきるのは難しいだろう。

 しかしキャンサーは予想に反し、無言のまま腰に吊った鞘から短剣を抜いた。ポプレを背後から突き刺したものとは別の、刀身が湾曲した鈍色の短剣だ。


――どういうことだ?


 覆しようのない形勢の不利。それを冷静なキャンサーが悟っていないはずがない。ここは撤退以外の選択はあり得ない。

 それとも応戦する素振りを見せながら、まだ何かを企んでいるのだろうか?


 訝しんだのは俺だけじゃないらしい。

 キャンサーが短剣を構えたのを見て、フィオーレ・ルーチェ・ステラの三人が俺を囲むように立ち位置を変えた。

 キャンサーたち《組織》の目的は、エレメントストーンの他にもう一つある。それは俺の中に眠る謎の存在、ヴィジュニャーナを手中に収めることだ。


 狙いは俺――なのか?

 しかし、その手の短剣は俺ではなく、チェーロに切っ先が向けられている。

 一体何を考えているのか――キャンサーの仮面に隠された表情は読めない。


 そう思った矢先、キャンサーはその全身に気迫を滾らせた。


「……我も、退けぬ理由がある。ここで汝らを一網打尽にせねばならぬ理由がある!」


 しわがれた老人のような声で、キャンサーが吠えた。

 口調こそいつもと変わらないが、その声に篭った激情はこれまでのキャンサーからは考えられない。


 これが全て俺たちを欺くための策略――演技だというのか?

 いや、とてもそうは思えない。

 理由はわからないが、キャンサーは非合理的な選択だと承知の上で、チェーロと戦おうとしている。


 好都合――最大の難敵かと思われたキャンサーを倒すチャンスだ!


 当然のようにそんな考えが頭を過る。

 だがそれと同時に、どういうわけか俺は、心の片隅にチクリとした不安の棘が刺さるのを感じていた。

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