第九話 守りたいもの -To be, or not to be-
「あっ、花澤くんだ」
「ホントだ、リョウじゃん。何してるのー?」
桃と二人で高等部校舎を足早に歩いていると、不意にそんな声に呼び止められた。
振り向けば、十人ほどの生徒たちが教室から出てくるところだった。集団の先頭では、我が親友・梶が相変わらずのヘラヘラした笑みを浮かべている。
梶の他にも、二人クラスメイトの姿があった。声から察するに、最初に俺に気づいたのはそのうちの一人で、梶の隣にいるショートカットの女子。放課後によく、俺を迎えに来たフェアリズムの面々を取り次いでくれた、クラス委員の佐倉さんだ。
夏休み真っ盛りだというのに、梶や佐倉さんを含めて何故か全員制服を着て通学カバンを手に持ち、まるで平日の帰宅途中みたいな出で立ちをしている。
「何って……お前こそ登校日でもないのに何してるんだよ、梶」
「んー? 僕は集中補習だよー。言わなかったっけ?」
梶は呑気な声で答えた。
そういえば確か、難関大学の志望者を集めて、普段よりレベルの高い内容を教える夏季補習があるとかなんとか聞いたような気がする。言われてみればここにいるのは梶や佐倉さん以外も、各クラスの上位成績者ばかりだ。
しかし尋ねておいてなんだが、正直に言ってしまえば理由はどうでも良かった。
俺にとって気がかりなのは、今ここに梶や佐倉さんたちがいるという事実そのものなのだから。
「それで――もう補習は終わったのか? すぐに帰れるのか?」
気が急いたあまり、思わず早口でまくし立ててしまった。
梶は俺の態度から何か察したのか、眉を顰めて俺と桃の顔を交互に眺める。
と、その横で、
「桃ちゃんも一緒だったんだ。久しぶり、今日はどうしたの?」
「は、はい佐倉先輩」
「今から補習組でカラオケに行くんだけど、桃ちゃんもお兄ちゃんと一緒にどう?」
桃がいることに気づいた佐倉さんが、気さくなノリで桃にグイグイと話しかけ始めた。
毎日のように世話を焼いてくれているうち、佐倉さんは桃たちとすっかり顔見知りになったようだ。中でも特に桃と麻美が彼女のお気に入りらしい。
「えっと、わたしは、その……」
桃は困り顔でしどろもどろに応答する。
そんな桃の様子を見て、梶は眉間の縦皺を深めた。
いくら桃が人見知りの激しい性格といっても、佐倉さんにはずいぶん慣れていた。梶もそれを知っているからこそ、桃が困惑する理由が別にあるのだと気づいたのだろう。
「リョウも桃ちゃんも、もしかして渚ちゃんたちと一緒にお客さんのおもてなしかなー?」
いつもと変わらない間延びした声、いつもと変わらない緊張感の無いニヤケ顔で梶が言う。
だがその言葉からは俺たちの今の状況を――その「いつも」が脅かされている事実を、おおよそ正確に把握してくれたことが伝わってくる。
まったく、こういう時には本当に頼りになる相棒だ。
「――あ、ああ。実はそうなんだ。だからすまん、カラオケはまたの機会で」
「むう……そっか、お仕事か。花澤くん中等部生徒会の指導生だもんね」
佐倉さんは腕組みをしながら難しい顔で頷く。こういう大仰なジェスチャーを好むところは光と少し似ている。
ちなみに「中等部生徒会の指導生」というのは、桃たちが放課後の度に俺を迎えに来ることについて、梶や渚と相談してでっちあげた口実だ。
「羨ましいぞリョウ、歳下の女子にハーレムのごとく囲まれる仕事なんて……!」
「梶、あたしはアンタのその脳天気さが羨ましいわ……」
アホ話を始めた梶に、佐倉さんは呆れ顔で溜息をつく。
実際のところ中等部の女子たちとしょっちゅう行動をともにしていることについて、こうやっていつも梶が率先してダメな方向に冷やかしてくるおかげで、他のクラスメイトたちからはさほど奇異の目で見られずに済んでいる。どこまで本音でどこから計算かは知らないが、腹立たしいことに梶には借りを作りっぱなしなのだ。
その梶を守るため、そして梶が守ろうとしてくれている俺や桃たちの日常を守るためにも、今日の戦いは決して負けられない。
たとえ誰が――そう、誰が俺達の前に立ちはだかろうとも。
-†-
梶に急かされて下校していく補習組と別れ、俺たちは再び高等部校舎の見回りを続ける。
途中で出くわした人たちの人数や位置は、逐一他のみんなと連絡し合っている。
果たして戦いが始まるまでに梶たちが学園から充分に離れられるか、気がかりじゃないと言ったら嘘になる。
だが、まだ高等部校舎の見回りが全て終わったわけじゃない。今は梶たちだけを気にするわけにもいかない。
今回、俺はチームを次の三つのように振り分けた。
渚・優 ……中等部校舎見回り、避難誘導担当
光・麻美 ……屋外見回り、戦闘担当
桃・俺 ……高等部校舎見回り、指揮・遊撃担当
シスターやフアンダーとの戦いが始まってしまった場合、一般人を巻き込む危険性がある状態ではフェアリズム側も全力を出すことは難しい。そのため、校内に残った人たちをどれだけ速やかに避難させられるかが非常に重要だ。
渚と優のペアには先日の体育館のトレーニングを活かし、敵が現れたらすぐに避難誘導にあたってもらう。
とはいえ、避難が済むまで敵を放置するわけにもいかない。そこで広範囲・高出力の火力戦を得意とする光と麻美には、校庭などの広い場所まで敵を誘導し、食い止めてもらう手筈だ。
そして俺と桃は、その両方のチームに指示・伝達を送りながら、状況に応じてサポートに入る役割だ。
エレメンタルボンドを持つフェアフィオーレは現時点の最大戦力であり、そして治癒の技を得意とする回復役でもある。
そのため、フィオーレには必要に応じて戦闘と避難誘導のどちらにも駆け付けてもらう。
宙ぶらりんのポジションでありながら、最も戦局を左右しかねないのもフィオーレなのだ。
そのため、フィオーレ――桃には指揮官である俺とペアになってもらった。
思いつく限りでは、この配置が今回の戦いにおける最善手だと言える。渚からも異論が出なかったということは、同じ結論に至ったということだろう。
ただ正直なところを言えば、俺が桃とペアを組んだ理由はそれだけではない。
この戦いの鍵を握る桃に、もう一度確認しておきたいことがあったからだ。
それは、もし今日戦う相手が螢――シスター・ダイアだった場合に、桃は本当に戦うことができるのかどうかということ。
先日の合宿中に起きた戦いの後、桃は友達としての螢を取り戻すと誓った。そしてそのために敵としてのダイアに決して負けないと、そう言った。
その言葉にきっと嘘は無い。それを裏付けるように、桃は以前にも増して日々のトレーニングを頑張ってきた。今のフェアフィオーレは、あの日よりもずっと強くなっているはずだ。
けれど、それはあくまで強くなるための意志の話で、その強さを相手にぶつけられるかどうかはまた別の話だ。
桃は子供の頃から少し引っ込み思案で、誰かと争うことが苦手な子だった。
それだけじゃない。人を思いやる気持ちが人一倍強く、他者を傷つけるくらいなら自分が傷つく方を選んでしまいかねない。そんな危うさすらある。
何より、螢だって闇雲に他者を傷つけようとしているわけではない。
希望のせいで傷ついてしまう人々を、絶望によって救いたい。
歪んでいるとはいえ、その願いは螢なりの他者へのいたわりの形でもある。
シスター・ダイアと戦って勝つということは、その願いを打ち砕くということに他ならない。
もしダイアが現れた時、果たして桃は――フィオーレは戦うことができるのだろうか。
実のところ、それが今日の戦いにおける最大の未知数であり、不安要素なのだ。
しかし、それをどうやって桃に問うたものか。
変な訊き方をして、かえって桃の覚悟を鈍らせたり、プレッシャーをかけるようなことになったらマズい。
結局上手く切り出せないまま高等部校舎を歩き回るうち、気がつけば残す見まわり箇所は屋上だけになっていた。
校舎の屋上は一応立ち入り禁止ということになっているのだが、特に封鎖されているわけでもない。
こっそり気分転換に立ち入る生徒も少なくなく、俺もまたその一人だ。
狭い階段を上った先には、張り紙のついたドア。
ノブのサムターンを捻ってドアを押し開くと、夏の屋外のむわっとした空気と、野球部連中の威勢のいい掛け声が隙間から飛び込んできた。
もう十八時近いはずだが、外はまだ灯りが無くても充分に周囲が見渡せる。屋上には俺たち以外の姿は無かった。
「わあ……!」
突然、桃が驚いたような声を上げた。
指差したのは西の方角。新宿駅を挟んだその先では、無数にそびえ立つ高層ビル群の窓という窓が夕焼けを映し出し、茜色に染まっていた。
少し気の早いライトもいくつか灯り、どこか郷愁を誘う幻想的な光景を生み出している。
緊急事態の真っ最中だということも忘れ、俺は桃と二人で暫くその眺めに見入ってしまった。
「……なあ桃」「ね、お兄ちゃん」
意を決して話を切り出そうとしたが、タイミング悪く桃も何かを言い出すところだった。
そういえばあの日――初めてフェアリズムと《組織》の戦いに首を突っ込んだ日も、こんな感じで桃と会話のタイミングが被ってしまったんだっけ。
けれど、
「先にいいかな」
俺に譲ろうとしたあの時とは違い、桃はしっかりした声色でそう言った。
俺が黙って頷くと、桃は表情に真剣さを宿す。
「お兄ちゃん。もし今日戦う相手が螢ちゃんだったら、その時はわたしに戦わせて」
「――え?」
それは思いがけない言葉だった。
「お兄ちゃん、わたしが螢ちゃんと戦えるか心配してるでしょ?」
「……気づいてたのか」
「うん、お兄ちゃんは優しいから」
桃は瞳に強い光を湛えたまま、僅かに頬をほころばせた。
まったく、こいつは何を言ってるんだ。俺は桃が優しい子だからこそ心配したんだってのに、それじゃあまるであべこべだ。
「大丈夫。合宿の時、お風呂場で螢ちゃんに言ったこと――嘘にしたくないから」
「……大切な人を自分の手で守りたいから戦う、ってやつか」
「うん。それに、その『大切な人』には螢ちゃんも含まれるから。だから、わたしが戦いたい。――戦って、それを伝えたいの」
そう言った桃の決意に満ちた横顔を、夕日が赤く染める。
どうやら俺が心配する必要なんて全然無かったらしい。
「わかった。シスター・ダイアのことは任せる。――そして、螢のことを頼む」
「うん、必ず。お兄ちゃんも作戦とかアドバイスとか、色々よろしくね」
「任せとけ」
俺が突き出した右拳に、桃も右拳をコツンとぶつけてきた。
少し照れ臭いけれど、こんな風に桃と気合を入れ合う機会なんて無かったから、なんだか嬉しくもある。
「でも、まだ螢ちゃんが来るって決まったわけじゃないよね。もしシスター・キャンサーだったら……」
桃は歯切れ悪く言い淀んだ。
しかし続きを聞くまでもなく、言いたいことはわかる。
フェアリズムはこれまで、キャンサー相手に一度も勝利できていない。俺たちにとって目下の課題は、螢よりむしろキャンサーの攻略であり、今日も手分けをしてその糸口を探していたくらいなのだから。
住職さんのおかげで五大の空の力がどういうものなのかは理解できたつもりだが、その攻略法までは見つけられていない。もしも相手がキャンサーだったならば、その時は相当厳しい戦いになるだろう。
と、その時。
「グオォォォォォォォッ!」
グラウンドの方から野太い咆哮が轟いた。続けざまに少年たちの悲鳴がいくつもあがる。
最悪なことに、敵は練習中の野球部の目の前に出現したらしい。
そしてもう一つ、最悪が重なっている。
「お兄ちゃん、あれって……」
「クソっ、桃の心配が的中か」
俺と桃は顔を見合わせて頷いた。
聞き間違えようの無いその咆哮は、かつて一度戦った狛犬フアンダーのもの。
それはすなわち、敵がシスター・キャンサーであることを示していた。
誤字修正(15/12/23)




