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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Element.3 光と闇と
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第七話 変容 -Absent Thee from Felicity Awhile-

 黒耀城エイルメントの謁見の間は、静かに戦いの気配をみなぎらせていた。


 西側の壁付近でシスター・アセロスの周囲を脇侍のように固めるのは、真っ黒な和甲冑を纏った二体の人型。

 そこから少し離れた位置には、漆黒の狼を思わせる顔と硬い体毛を持つ、体長三メートルはあろうかという大男が佇んでいる。狼男はシスター・アンを肩に担ぎ、強大なその身をゆっくり震わせながら、喉を鳴らすように低い唸り声を上げている。

 そして部屋の中央に立つシスター・キャンサーの傍らには、やはり漆黒の衣に身を包んだ男。――いや、男というのは適切ではなかった。なぜなら彼――あるいは彼女は、美しい顔立ちの男女一対、二つの頭部を持っていたからだ。


 まるで子供の頃に本で読んだヤヌス神のようだ。

 シスター・ポプレはそんな感想を抱きながら、東側の壁に寄りかかったまま、もう一度謁見の間の全体を眺め回す。

 子供の頃――捨て去ったつもりだった過去を、そんなふうに現在の自分と地続きのものとして思い出すのは、ポプレにとって珍しいことだった。その理由なんて考える必要も無かったが、それでもポプレは自分の中に生じた戸惑いに気づかない素振りをする。


 アセロス・アン・キャンサーが従えているのは、いずれも人型フアンダーだ。それも《絶望のエンブリオ》を用いて生み出した、極めて強力なフアンダーである。

 司祭イルネスによるフェアリズムへの総攻撃宣言から十日。今日が決行の日だ。

 ポプレの三人の同僚たちはこの日のために何度か人間界に赴き、こうして戦力を調達してきたのだった。


 一方のポプレは、まだフアンダーを一体も用意していない。

 以前のフェアリズムとの戦いで絶望のエンブリオを使い果たしてしまったというのが直接の理由だ。

 だが、たとえエンブリオを所持していたとしても、ポプレにはどんなフアンダーを用意すればいいか見当がつかなかった。


 十日前の海辺での戦いでは、絶望のエンブリオを用いない下等フアンダーとはいえ、三十以上もの戦力がフェアフィオーレ・フェアチェーロ・フェアマーレのたった三人を相手にあっさり浄化されてしまった。それどころかポプレ自身もまた、大幅な戦力増強を果たしていたにもかかわらず、フェアフィオーレに敗北を喫した。

 幾度となくフェアリズムと戦ってきたポプレは、彼女たちの力が日に日に強くなっていることを感じていた。


 果たして絶望のエンブリオを使った程度で、フェアリズムに勝てるのだろうか?

 フェアフィオーレはフェアリズムの力を愛――繋がりを守ろうとする心だと言った。

 それに対抗するために必要なのは、本当に強力なフアンダーを用意することなのだろうか?

 そんな疑念がポプレの頭にこびり付いて離れない。


 一体、どうすれば――。

 どうすれば、フェアリズムたちを倒すことができるのか。

 どうすれば、自らの忌まわしい過去を知るあの男――花澤両太郎を抹殺することができるのか。

 ポプレはギリッと奥歯を噛み鳴らした。


 憎しみだ。

 もっと強く、深い憎悪。

 愛が世界の全てを繋ぐというのなら、それすらも断ち切る憎悪。

 そんな憎悪だけが、フェアリズムの喉元に突き立てる刃となり得る。

 だが、そのためにはフェアリズムの手にしたエレメンタルボンドと逆の力――憎悪を力に変える手段が必要だ。


 ポプレがそんな結論に歯痒さを募らせていると、不意に礼拝堂へと続く扉が低い音を立てて開かれた。

 現れたのは黒いローブを纏った、大柄な禿頭の老人。ポプレたちを従える大司祭イルネスだった。

 その傍らには長い黒髪の少女、シスター・ダイアの姿もある。

 ダイアは黒いネグリジェだけを身に着け、冷たく細めた目で中空を見つめていた。その様子にどこか人形めいたものを感じ、ポプレは眉を顰める。

 ダイアがイルネスの手によって、エレメントストーンの力を引き出すための儀式を受けているという話はポプレも聞いていた。だがそれを経て現れたダイアは、見た目には何も変化が無いものの、まるで別人のような空気を纏っていたのだ。


「全員揃っているようだな……」


 イルネスは謁見の間を見回し、低く重々しい声で言った。


「予定通りフェアリズムへの総攻撃を開始せよ」

「おう、待ちくたびれたぜ!」

「承知した。くく、珍しくアセロスと同意見じゃのう」

「我、任務を承った」


 イルネスの号令に、アセロス・アン・キャンサーが三者三様の返答を返した。

 その様子を黙ったまま眺めているポプレに、イルネスは怪訝そうに目を細める。


「どうした、ポプレよ。何か不服でもあるか?」

「へっ、まさか怖気づいたのかァ?」

「――別に、何でも無いわぁ。どうやってあの子たちを痛めつけてやるか、考えていただけよぉ」


 訝しむイルネスと嘲るアセロスにそう答えながらも、ポプレは自身の内に湧き上がった疑念を消し去ることはできなかった。

 果たして我々はフェアリズムに勝てるのか、と。


 だが、その疑念は次の瞬間に消し飛んだ。


「ポプレ、これを使いなさい」


 そう言ってダイアが投げ放ったのは、卓球の球ほどの小さな二つの球体だ。

 ポプレが目を細めて右腕をかざすと、掌の中心から二匹の蛇がにゅうっと鎌首を持ち上げ、その二つの球体を器用に口でキャッチする。

 蛇たちはポプレの左手にそっと球体を受け渡すと、全身が水へと変化して崩れ落ち、バシャリと床を濡らした。


「……どういうつもりかしらぁ?」


 投げ渡されたものを確認するや、ポプレはダイアを睨み付ける。

 それはクルミによく似た形をした、毒々しい色の木の実――絶望のエンブリオだった。


「どういう、つもり? ……質問の意図がわからないわ。あなたは以前フェアリズムとの戦いでエンブリオを使い切ったのでしょう? わたしにはもう必要がないもの、()()をあげるから、使いなさいと言っているの」


 ダイアは表情一つ変えず、なんでもない様子で淡々と答えた。

 だが、それこそが決して『なんでもない』などという状況ではないことを物語っている。


 言うはずがない。

 ポプレの知るダイアは、絶望のエンブリオを使えなどと決して言うはずがない。

 ポプレとダイアが所属する《組織》――障皇軍(シンドローム)の目的は、この妖精界フェアリエン、そして人間界、全てを絶望のどん底に沈めることだ。そのためならばどんな犠牲も厭わない。いや、犠牲こそがより大きな絶望の源になる。


 だがポプレの知る限り、ダイアはそんな障皇軍(シンドローム)の中にありながら、人間を傷つけることを懸命に避けようとしていた。

 覚悟の定まらない甘っちょろい小娘――それがポプレから見たダイアだった。


 そして何より、ダイアはポプレを心から嫌っていた。ポプレはそれをよく知っている。

 そんなダイアが、ポプレに絶望のエンブリオを差し出すはずがない。ましてや、使えなどと言うことはあり得ない。


「ダイア、あなた一体どうしちゃったのかしらぁ……?」

「……どう? それも質問の意図がわからないわ。わたしはイルネス様の忠実なしもべ、《猜疑》を司るシスター・ダイア。その役割と使命に従うまでよ」


 取り付く島がない。

 顔も声も全てがダイアそのものだというのに、ポプレにはそれがまるで誰か別人になってしまったように感じられた。


「絶望のエンブリオを使えば――人型フアンダーならばフェアリズムに勝てるなんて、あなた本気で考えているのぉ?」

「それは無理でしょうね。でもフアンダーに人間たちを襲わせれば、フェアリズムに隙ができるわ」

「――っ!?」

「さあ、さっさと人間界に向かいなさい。わたしも着替え終わったら向かうわ。それまでにせいぜい、今までの失態を挽回できるよう頑張るのね」


 ダイアはそう言い残し、謁見の間を後にする。

 その背を見送りながら、ポプレは確信した。あれはダイアではない――少なくとも正気のダイアではないのだと。


 ポプレは自身の内に苛立ちが込み上げてくるのを感じていた。

 ダイアの物言いは、かつてポプレがダイアに向かって言い放ったものとさほど違いはない。ポプレ自身、フアンダーは捨て駒で人間は脆いオモチャ、そんな風に考えている。それは今も変わらない。

 だからポプレには本来、反発する理由など無い。

 しかし、そんな言葉をダイアの口から聞くのが、ポプレにはたまらなく不愉快だった。


「イルネス様、あなた一体ダイアに何をしたのぉ……?」

「くく、《死に至る病》の力を引き出したのだ」


 上擦った声で問い質そうとするポプレに、禿頭の大司祭はニィっと口角を歪めて答えた。


「お前たちシスターの胸に宿る《死に至る病》。その黒き核はお前たちの人間の心を封じ込め、そのエネルギーをシスターの力として変換する。いわば魂の牢獄と言えよう――そう、牢獄なのだ。その檻の中には依然として人の心が存在する。移ろいやすく、脆弱で、不安に染まりやすい人の心がな」


 イルネスは残忍な笑みを浮かべて笑った。

 ポプレはハッとして握りしめた掌を開く。そこにはダイアから渡された絶望のエンブリオが()()


「あたしたちは全員、三つずつエンブリオを渡されていたわねぇ……。なのにダイアはどうして二つしか持っていなかったのかしらぁ? ――どうしてこの二つを『余り』だと言ったのぉ?」

「くく……お前の想像通りだ、ポプレよ」

「じゃあ、まさか――」

「そうだ、絶望のエンブリオによって《死に至る病》の内にあるダイアの心をフアンダーへと変えたのだ。今のダイアはシスターの力、フアンダーの力、そして陰陽の闇のエレメントストーンの力を備えた、最強のシスターなのだ……!」


 イルネスは恍惚とした表情を浮かべている。まるで最高傑作を作り上げたばかりの芸術家のように。 


「そんな力が得られるなら、どうしてあたしたちをフアンダーにしないのかしらぁ?」

「……本来そのようなことをすれば、相乗効果によって生まれる過剰なパワーの負荷によって、肉体も精神も粉々に砕け散ってしまうのだ。だがダイアの持つ陰陽の闇のエレメントストーンはどういうわけか随分とダイアに協力的でな。シスターとしての肉体とフアンダーとしての精神、その二つを繋ぎ止める楔の役割を果たしてくれているのだ。まあそれでも、恐らく全力で戦えば一時間と経たずに命を落とすことになろう。だが今のダイアの全力ならば、フェアリズムどもは三十分と生きていることはあるまい」


 得意気に語るイルネスに、ポプレは顔をしかめた。

 イルネスは自ら作り出した最強の戦士に絶大なる自信を持っているのだろう。だがそこに愛着はない。口ではああ言っていても、最悪ダイアがフェアリズムと相打ちで命を落としても構わないと考えているのだ。それがポプレの不愉快さをますます増幅させる。


 だがそのイルネスの言葉に、ポプレ以上に強く反応した者がいた。

 ガシャッと金属がぶつかる音が謁見の間に響く。


「……我は問う」


 落としてしまった短剣を拾い上げながら、シスター・キャンサーはしわがれた声をイルネスに投げかける。


「イルネス様、それは契約に反しよう。汝はダイアの命は保証すると誓ったはずだ」


 ポプレには仮面の下のキャンサーの表情は見えない。だがその声色から、怒りの感情を感じ取ることは容易かった。

 常に冷静・冷徹なキャンサーがこのように感情を剥き出しにすること自体が驚愕に値する。ましてや何やらダイアの命に関わる密約をイルネスと交わしているなど、ポプレには思いも寄らないことだった。


「ならばキャンサーよ、お前がフェアリズムどもを一人でも多く撃破すれば良い」

「何?」

「そうすればダイアが命を賭して全力を出す必要が無くなる。違うか?」

「………………」


 キャンサーはしばらく押し黙り、イルネスの方を見つめていた。

 やがて仮面の下でふうっと大きく息を吐き、壁際に掛けられた《クラインの扉》へと向かっていく。


「やれやれ、話は終わったかァ? よくわかんねェけど、ゴチャゴチャ難しいこと考えずにパーッといこうぜェ?」

「アセロス、お主はもう少し難しく考えても罰は当たらんと思うがな」

「アンはいちいちうるせェよ! それよりキャンサー、てめェちゃんとわかってんだろォな? イルネス様がああ言ったからって、俺の獲物(フェアルーチェ)に勝手に手ェ出すんじゃねェぞ! ってこらてめェ、聞いてんのか! ……あーくそ、もう行っちまった」

「ほう、これは驚きじゃ。お主が自分のターゲットをちゃんと憶えていたことに、わらわは猛烈に感動しておるぞ」

「うるせェっつーの!」


 キャンサーが扉をくぐり、アセロスとアンの二人もそれに続く。その下僕たるフアンダーたちもその後を追った。

 取り残されたポプレは溜め息とともに、イルネスに視線を投げる。


「どうしたポプレ、お前も早く行くがいい」

「……ねぇ、イルネス様? さっきの絶望のエンブリオで心をフアンダーにするってヤツ、あたしがやったら何分くらい肉体は持つのかしらぁ?」


 その問い掛けに、イルネスはフッと鼻で笑った。

 そんなことは問うだけ無駄だとでも言わんばかり、イルネスは何も答えずに踵を返し、礼拝堂へと続く扉に向かっていく。


 その重厚な足音を聞きながら、

――ああ、たまらなく不愉快だ。

 ポプレは心の中でそう呟いた。

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