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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Element.3 光と闇と
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第五話 空1 -Entity and Empty1-

 目の前にはギザギザの縁をした深緑色の木の葉が無数に茂っていた。

 葉の隙間から覗くバカみたいに真っ青な空を、千切った食パンみたいな雲がゆっくり横切っていく。

 微かな風が枝を揺らし、ざわざわと葉擦れ音を立てている。そしてその音に対抗する義務でも課されているのか、腹の底から絞りだすようなみーんみんというセミの鳴き声がそこかしこから聞こえてくる。

 時々混じっているヘタクソな鳴き声が、やかましさに辟易しかけている気分を和らげてくれた。


 俺は今、都下のとある寺の境内にある大ケヤキの上にいる。

 どっしりとそばだつ年季の入った木は、都心ではなかなかお目にかかれない見事な大きさだ。以前戦ったケヤキのフアンダーにも勝るとも劣らない。こうして高校生男子の俺が登っても、逞しく張り出した太い枝はびくともしない。

 俺が座っているのは木の全長からすればまだ半分程度の位置にある枝の付け根なのだが、既に寺の本堂の屋根よりも高い位置に目線がある。


 本堂の赤茶けた瓦屋根の上に隣の五重塔の影が落ち、その影に身を隠すように猫が三匹丸まってひなたぼっこをしているのが見える。五重塔の足元では、数組の親子連れの観光客が弁当を広げて談笑していた。


 小高い丘の上にある寺のさらに高いこのケヤキの上からは、境内だけじゃなく街並みも良く見渡せる。周囲はまださほど再開発が進んでおらず、庭付き戸建ての低層住宅がずらりと並ぶ。庭どころか家屋より広い面積の畑を備えた家だって少なくない。牧歌的――とまで言ってしまえば大げさだが、普段住んでいる都心から電車で一時間もかからない距離なのに、まるで別世界だ。時間がゆっくり流れているような感覚すら受ける。


 もう一度視線を上に向け、空を眺める。さっきと同じ、真っ青な空に白い雲。雲の形だけが少し変わって、食パンからわたあめになっていた。

 平和だ。実に平和だ。

 だが、それに浮かれてもいられない。


 どうして俺が寺で木登りなんかしているかといえば、五大の空のエレメントストーン攻略のためなのだ。

 昨夜の打ち合わせは日付が今日になるまで続いたが、結局はキャンサーへの新たな対抗手段は何も浮かばなかった。それどころか、五大の空のエレメントストーンの力がどういうものなのか、まだ俺たちはちっとも把握できていない。

 そんな折、(ゆう)から提案があった。

 (ゆう)のお祖父さんの弟、つまり大叔父にあたる人物が、寺で住職をしているということだった。そしてその寺の本尊は「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」というらしい。

 五大の空のエレメントストーンと虚空蔵菩薩……(くう)という言葉に共通点があるものの、関連性があるかどうかはわからない。しかし何か少しでもヒントになればと、文字通り仏にすがる思いで二人でこの寺にやってきたのだった。

 ちなみに桃と渚は別働隊で、図書館で調べ物をしてもらっている。(ひかる)と麻美もそっちに合流してもらう予定だ。


 さて、どうして寺訪問が木登りに繋がるかというと、それは今が昼休み時間だからだ。

 寺には午前中に到着し、住職さんにも笑顔で出迎えられた。……が、運悪く見学の観光客が寺を訪れており、住職さんはしばらくそちらの相手をしなければならないという。なし崩し的に半日修行体験ツアーに参加することになった俺と(ゆう)は、さっきまで観光客に混じって本堂の雑巾がけをしていた。慣れない筋肉の酷使にふくらはぎがぷるぷるとし始めた頃、ようやく昼休みを申し渡され自由時間を迎えたというわけだ。

 まさか「(くう)」がそのまますなわち「(そら)」の意味だとは思っていないが、それでも何かのヒントくらいは見つかるかもしれない。少しでも空に近いところに行ってみようと、昼食を済ませてからこうして大ケヤキに登ってみた次第である。


 しかし空をいくら眺めても、答えは見つからない。のどかな青空が、なんだか妙に焦燥感を煽ってくる。


「リョウくん、難しい顔してるねー? はい、これ」

「うわっ!?」

「おおっと、危ない!」


 突然首筋に冷たいものを押し付けられ、驚いた拍子に木から滑り落ちそうになる。それを間一髪で後ろから抱きかかえて食い止めてくれたのは(ゆう)だった。木に登ったのは俺一人のはずだったのに、一体どういうことだろう。


(ゆう)……いつの間に?」

「五分くらい前かな? 声もかけたのに、リョウくんったら全然気が付かないんだから」

「そ、そうか、それはすまない……」


 木の上で体勢を立て直しながら謝ると、(ゆう)は呆れ顔で笑った。


「考え事の邪魔しちゃったかな?」

「いや、そんなこと無いよ。何も浮かばなくて行き詰まってたところだし――っと、サンキュ」


 眉根を下げて尋ねてきた(ゆう)に正直な気持ちを答えながら、差し出された緑茶のペットボトルを受け取る。どうやら先ほど首筋に押し付けられた冷たい物体はこれだったらしい。

 それにしても、そこまで考えることに没頭していたつもりはないのだが、声をかけられても気が付かなかったとは不覚だ。念の為に胸ポケットからスマートフォンを取り出し、時間を確認する。まもなく十二時三十分。既に昼休みが始まってから一時間近くが経過していた。

 午後の部――座禅体験会まではまだ三十分あるはずだが、何か予定が変わったとかだろうか?


「もしかして、午後の部が始まりそうだから呼びに来たとか?」

「ううん、逆。子供連れの家族客が多いから、昼休みは午後一時半まで延長だって」

「ってことは、あと一時間か――」


 だったら今のうちに住職さんの話を聞くことはできないのか――そんな疑問が喉元まで出かかって慌てて飲み込む。向こうも今のうちに昼を済ませるとか、色々都合があるはずだ。(ゆう)の呼びかけに気が付かなかったのもそうだけど、俺はちょっと焦りすぎているのかもしれない。


 お茶を飲んだはずみで言葉が途切れ、暫く俺も(ゆう)も黙り込む。ただ風が木々を揺らす音と、蝉の鳴き声だけが場を満たしていく。

 そのさんざめいた静寂を先に破ったのは(ゆう)だった。


「ね、リョウくん。来週の金竜シグルドと水竜スサノオの二択、どうする?」

「……え?」


 それは俺と(ゆう)がハマっているゲーム『ビーハン』の話だ。来週配信される限定クエストを一緒にプレイする約束だったのだ。


「ほら、シグルドの素材武器は再来週の毒竜ベオウルフの特攻、スサノオの素材武器は同じく再来週の地竜マルドゥクの特攻でしょ。実質来週どっちを選ぶかで再来週のターゲットも決まるから」

「ま、待ってくれよ(ゆう)。今俺は――」


 今俺はゲームどころじゃない、五大の空のエレメントストーンの攻略法を探すのに必死なんだ。

 そう言おうとした俺に向かって、(ゆう)はそっと首を左右に振った。


「リョウくん、合宿から戻ってすぐにリョウくんはぼくたち皆に言ったよね。張り詰めた緊張感は長続きしない、本当に大切なことを見失わないためにも日常生活を大切にしよう――って。それはメリハリをつけようってことだよね?」

「……ああ」

「ぼくたち、今日はここに何しに来たんだっけ?」

「……住職さんに、『(くう)』について話を聞きに」

「そうだね。じゃあ今は何の時間?」

「……昼休みだ」

「うん、よろしい! ……ふふふ」


 まるで聞き分けのない子供を諭す教師のように、(ゆう)は目を細めてニカリと笑う。くそ、悔しいけれど自分でも焦ってるんじゃないかと自覚したばかりだったので、反論の余地がない。

 ……と思いきや。


「ま、そんなこと言っておいてなんだけど、ぼくもちょっと悩んでるんだけどね」


 (ゆう)は俺の笑みを崩さないまま、左隣――俺より少しだけ枝の先端側に座って、不意に寄りかかってきた。俺は半袖シャツ、(ゆう)はノースリーブのワンピースなものだから、二の腕の辺りが直接肌と肌で触れて体温が伝わってくる。

 いつも男友達みたいな距離感で接している(ゆう)だけど、こんなふうに密着されると流石に平静ではいられない。何よりも、こんなところを誰かに見られたらあらぬ誤解を受けかねない。

 ……まあ、誰も見てるヤツなんていないんだけどさ。


「ゆ、(ゆう)……?」

「リョウくんが仕事モードなら、せっかくだから相談に乗ってもらおうかなー」


 そう言って(ゆう)は俺の肩に体重を預けると、ふうっと息を吐き出した。

 相談? 一体何だというのだろう?

 口ぶりからして、(ゆう)も何か気がかりなことがある様子だが……。


 なんて声をかけたものか判断がつかず、俺は黙って次の言葉を待つしかなかった。左肩に感じる(ゆう)の頭の重みが、妙な後ろめたさになってチクチクと俺の胸を突き立てる。


「リョウくん、ぼくのことどう思う?」

「んなっ……!?」


 数瞬を経て、(ゆう)が静かなトーンで紡ぎだしたのはそんな言葉だった。

 あまりにざっくりとした、大雑把な問いかけ。しかしそれでいて、返答を決して間違えてはいけない繊細さも含まれているように思えて、背筋に緊張が走る。

 一体(ゆう)は何を――どういう意味で訊いてるんだ?


「……それじゃあ、渚と麻美のことは? どう思う?」


 俺が返すべき言葉を必死に探していると、(ゆう)はそう続けた。

 またも質問内容は大雑把で、状況に進展はない。ただそれでも、問いかけの持つ危うさは幾分か軽減され、俺は内心でホッとする。

 しかし、『どう』って一体なんだろう。渚や麻美と喧嘩でもしたのだろうか? でも、昨日渚と一緒に体育館で屋内線のトレーニングをした時には、そんな素振りはなかった。

 そんな俺の戸惑いを察したのか、(ゆう)はさらに言葉を続ける。


「エレメンタルボンドさ。なんとなく渚も麻美も、それから(ひかる)も、すぐに使えるようになるんじゃないかって思うんだ。三人とももう『世界を繋ぐもの』を見つけてるんじゃないかって、そんな気がしてる」

「え……そうなのか?」


 それは嬉しいニュースだ。

 エレメンタルボンド。それは先日の合宿やその最中に起きた戦いを経て、まずは桃――フェアフィオーレが手にした、フェアリズムの新たな力。その力の源を女王タイタニアは『世界を繋ぐもの』と表現した。

 最初は何のことかさっぱりわからなかったが、エミちゃんや梶の協力も得て辿り着いた答え、それは『愛』――心の繋がりを守ろうとする想いだった。


 エミちゃんから説明を受けたところによれば、古代ギリシャのある哲学者はあらゆる存在の根源にあるのは火・水・地・風の四大元素であると考え、それらの元素が愛で結びついたり憎しみで分かたれたりすることで万物が生まれていると説いたという。

 また古代インドの別の思想家も、あらゆる物質はごく小さな『自我』が寄り集まってできていると説いたそうだ。

 いずれの説もこの世界のあらゆる物質の根源を『心の繋がり』と捉えている点で共通している。

 化学教師であるエミちゃんはそれらの知識から、俺たちより先に『世界を繋ぐもの』の正体を察することができたのだ。元素の繋がりとは心の繋がり、元素を司るフェアリズムの力とは心の繋がりの力――愛なのだと。


 しかしそれを知ってなお、今のところ(ゆう)も渚も麻美も(ひかる)も、桃以外は誰一人ボンドを手にするに至っていない。

 確かに桃は思いやりの強い子で、かつて俺もそれに救われたことがある。

 けれど桃以外のみんなだって仲間思いで、人との繋がりをちゃんと大切にできる子たちなのだ。俺から見れば全員がボンドを持つのに相応しい。


 だからもし本当に渚たちがボンドを使えるようになるなら、それは俺たちにとって大きな前進だ。

 でも、それなら――それだけなら、どうして(ゆう)はこんなにも浮かない声なのか、説明がつかない。その答えは、直後の(ゆう)の言葉にあった。


「でもぼくはどうなのか――ボンドに近づけているのか、わからなくて。ぼくも皆に置いていかれないようにボンドを使えるようになりたいって思ったら、ちょっと焦っちゃってね」


 それは俺にとっては意外な言葉だった。

 (ゆう)はいつだって飄々としていて、器用で、何だってさも簡単そうにこなす印象が強かった。こんな風に友達に遅れを取ることを恐れる姿は見たことがない。

 俺はまだ、(ゆう)のことを全然知らなかったのかもしれない。


(ゆう)、お前は一人で戦ってるわけじゃない。もし(ゆう)が本当にボンドを使えるようになるのが一番遅かったとしても、それまで仲間のみんながサポートしてくれる。誰もそのことで責めたりなんかしないから、焦る必要は無いよ」

「うん、大丈夫。それは心配してない」


 (ゆう)は明るい声でそう答えてから、再び声のトーンを下げて「でも」と続けた。


「それじゃ駄目なんだ。前に渚がフアンダーにされちゃった時、その原因は何だったか、リョウくんは憶えてる?」


 その問いかけに俺はハッとさせられた。同時に、(ゆう)の言わんとしていることがなんとなく理解できてしまう。

 あの時、渚の心の底にあった不安。それは(ゆう)や麻美と――大切な友人たちと、対等でい続けられないかもしれないというものだった。


「ぼくも麻美も、渚なら絶対にフェアリズムに相応しいって思ってたんだ。心配しなくても渚のことを選ぶエレメントストーンがそのうち見つかるから、それまでぼくと麻美が渚を守ればいいんだって。――でも、それが渚をいつの間にか傷つけてた」

(ゆう)、それは――」

「ぼくも、今になってあの時の渚の気持ちがわかるんだ。僕たちがお互いに助け合うことなんて当たり前だし、勝ちたいとか負けたくないとかそういうのとも違う。でも、対等でいたい。友達だから、仲間だから、ぼくもみんなと一緒に並んで強くなりたいんだ」


 (ゆう)の口調は穏やかで、しかし同時に力強い決意が篭っていた。

 そういえば初めて会った時、(ゆう)はビーハンをソロプレイしていた。最近は一緒に遊ぶことが多いし、気さくで人懐っこい性格のおかげですっかり忘れていたけれど、(ゆう)の心の奥底にはストイックかつアグレッシブなソロプレイヤー気質が潜んでいる。

 そして、それは(ゆう)だけに限った話じゃない。渚と麻美にも少なからずそういう部分がある。

 得意分野も性格もまるで違う三人が親友として――いや、それ以上の繋がりを持つ仲間として長い年月を一緒に過ごしてこられたのは、きっと単に仲が良いという理由だけじゃない。三人それぞれが互いを信頼し、またその信頼に応えられる自分でありたいと強く願っているからだ。

 そんな(ゆう)に「焦らなくていい」なんて、馬鹿にするような発言だったかもしれない。


――だが、そうだとしても。


(ゆう)、やっぱり焦る必要はないよ」


 俺はそう言うしかなかった。

 だって俺には、(ゆう)はもう答えに辿り着いてると思えたから。


(ゆう)。俺は(ゆう)だってすぐにボンドを使えるようになるって思ってる」

「――え?」

「桃が見つけた答えとは違うかもしれない。もしかすると渚とも麻美とも(ひかる)とも違うかもしれない。でも繋がり方は一通りじゃない。仲間を信頼し、また仲間からの信頼に応えようとする――その気持ちがきっと(ゆう)にとっての『世界を繋ぐもの』だ。俺もそんな(ゆう)を信頼してるし、(ゆう)ならその信頼に応えてくれることを知ってる。だから焦る必要なんかない」

「リョウくん……」


 (ゆう)は俺の言葉を反芻するかのように、すぅ、すぅとゆっくり深呼吸をした。

 肩越しに伝わってくる体温が、心なしか僅かに上がった気がする。


「……そっか」


 それだけ呟いて、不意に(ゆう)は立ち上がった。まるでここが地上三メートルはある枝の上だということを忘れたみたいに、ごく自然に。

 軽くなった左肩にほんの少し寂寥感を抱きながら見上げると、逆に俺を見下ろしていた(ゆう)と目が合う。


「危ないぞ、落ちたら怪我をする」


 (ゆう)がそんな不覚を取ることなんて絶対無いだろうと思いつつ、引率者として一応の注意をする。

 そんな俺に(ゆう)はグッとサムズアップを突き付けて、


「大丈夫、リョウくんが信頼してくれるならぼくは無敵さ」


 昨日のトレーニングの時と同じセリフを、力強い笑みとともに言い放ったのだった。

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