第五話 Side by Side
「いやぁ、まさか本当に犯人を一網打尽にしてしまうとはな!」
比呂志さんはワイングラスを片手に上機嫌に笑った。テーブルを囲む菜穂子さん、守、麻美、優、光も穏やかな微笑を浮かべている。
あれから金元邸に戻った俺たちは比呂志さんの賛辞と菜穂子さんの抱擁に出迎えられ、あれよあれよという間に寿さんの案内で食堂のテーブルに座らされた。
比呂志さんは最初にほんの少し「危険なことはなるべくしないでくれ」というようなお小言を述べたあとは、もうずっと上機嫌だ。何度も同じような褒め言葉を俺たちに浴びせている。なんだか昔遊んだゲームに出てきた、主人公の花嫁候補の父親を思い出す。
「両太郎くん、本当にありがとう。おかげで麻美も守も無事で、身代金まで返ってきた。実に見事な手際だった!」
「いえ、俺は計画を立てただけですから」
テンションの高い比呂志さんに気圧されつつ、正直な胸中を伝える。別に謙遜のつもりは無い。
麻美も比呂志さんも、まるで俺の作戦のおかげで事件が解決したかのように言ってくれた。でも、実際に活躍してくれたのは麻美や優、光だ。それに比呂志さんたちは知らないけれど、その三人にはフェアリズムという超人的な能力が備わっている。俺の作戦なんてその力を前提とした簡単なものにすぎない。俺が褒められたんじゃ、みんなの手柄を横取りしたみたいでバツが悪い。
だがそんな俺の言葉に、比呂志さんは表情を変えた。真剣な眼差しでジッと俺の目を見据えて来る。
俺は思わず目を逸しそうになりながら、その意図を探ろうとするも、見当がつかない。
「……その計画が重要だった」
比呂志さんは静かに言った。それまで談笑していた菜穂子さんや優、光も何かを感じたらしく、黙って比呂志さんに視線を注ぐ。
「両太郎くん、きみの立てた計画に対して私は『無茶だ、危険だ』と言ったね」
「……はい」
麻美やみんなを危険に晒しかねない作戦内容を再度叱責されるのだろうか。そう思った。
だが、比呂志さんは真剣な瞳を俺に向けたまま、顎先だけで軽く頷いた。
「つまり私にはきみと同じ計画を立てて提案することはできなかった。あれはきみだからこそ立てられた計画なんだ。もちろん、それだけではきみが単に危険を鑑みない無鉄砲な性格というだけかもしれない。現に私は一度そう思った。――でも、麻美や優ちゃん、光ちゃんはそうではなかったね」
そう言って比呂志さんはようやく俺から視線を外し、テーブルに付いたみんなを見回していく。
「最初にきみたちが計画を口にした時、私は麻美に武術を学ぶことを許したのは失敗だったと思ったんだよ。人より強い力を手にして、それを過信し、自ら危険に飛び込もうとしている。あるいは単に力を振りかざしたがっている。そう考えたんだ」
「……とーさま、それは」
麻美が眉を顰め、比呂志さんの言葉を遮る。
だが、比呂志さんは真剣な顔にようやく笑みを戻して、首を左右に振った。
「わかっている――いや、わからされたよ。きみたちが危険の伴う計画を恐れずに実行できたのは、手にした力に酔っているからじゃない。計画を――それを立てた両太郎くんを信じているからだ。そうだね?」
比呂志さんの問いに、麻美は一瞬驚いたように目を見開き、それからいつもの無表情に戻って頷いた。優と光も顔を見合わせ、ニッと笑う。
そんな三人の様子に、比呂志さんはもう一度満足気に頷いた。
「そういうことだ、両太郎くん。もしも他の誰かがきみと同じ計画を立てても、きっと同じ結果にはならなかった。きみはきみにしかできない特別なことをしたんだ。もちろん全てを自分の手柄だと思ってはいけない。でも、きみは自分のしたことをもう少し誇っていい」
比呂志さんの口調は優しかった。だが、同時に力強かった。
単に俺を褒めてくれているだけじゃない。この人はいま俺に向かって、「信頼される」ということの意味を伝えようとしている。
「……ご忠告、ありがとうございます」
俺の言葉に、比呂志さんは目を見開いた。ついさっきの麻美の顔とよく似ている。麻美の顔立ちは菜穂子さんそっくりだけど、驚き顔は比呂志さん譲りなのかもしれない。
「どうして忠告だと思ったのかね。私は単にきみを褒めたつもりだが?」
比呂志さんは愉快そうに口角を歪めながら、白々しく尋ねてくる。
「逆に考えてみたんです。みんなが俺を信じてくれるということは、俺がしくじってしまったらみんなを危険に晒すということ。もしそうなった時に『俺は作戦を立てただけだから』なんて口にしたら、それは単なる責任逃れです。だからこうして上手くいった今回も、俺は誇らなきゃならない。誇って、自分に寄せられた信頼を――責任を自覚しなければいけない。そうおっしゃりたいのかと思いました」
言い切ると、そこまで堪えるようなニヤケ顔で黙っていた比呂志さんは、とうとう破顔した。
「いいね、実にいい。私はきみが気に入ったよ」
「……え?」
またもゲームに出てきた花嫁の父親のような発言をして、比呂志さんはクイッとワインをあおる。
「私としては少し寂しいが、きみになら麻美を嫁にやってもいいな」
『え、えええええええ!?』
突然とんでもないことを言い出した比呂志さんに、俺・優・光の驚嘆の叫びが重なる。そんなところまでゲームキャラそっくりな発言をしなくても。
「いやー、麻美もなかなか男を見る目があるな。はっはっは」
勝手に話を進めて豪快に笑う比呂志さんに、俺はなんて言葉を返せばいいかわからなかった。横目で麻美をチラと見ると、真っ赤に蒸気した顔を引き攣らせて固まっている。怒ってるのだろうか――あとでボディブローの二、三発は覚悟しておいた方がいいかもしれない。
その隣に座る守は口をへの字に曲げて俺を睨み――こっちは分かりやすく何か怒っているらしい。
「あらあら比呂くんったら、ちょっと飲み過ぎたのかしらね?」
おろおろと困惑している俺たちに代わり、比呂志さんをたしなめてくれたのは菜穂子さんだった。
「いやいや、私は真剣だとも! さっきも言ったが私は両太郎くんが気に入っ――」
「いい加減になさい、比呂くん。そういう話は私たちが勝手に決めることではないでしょう?」
菜穂子さんはニコニコと柔和な笑みを崩さずに言ったが、その声には有無を言わさぬ迫力があった。これには比呂志さんも「は、はい……」とだけ答えてしゅんとしてしまう。
いつも無表情な麻美も心中を推し量りにくいけど、菜穂子さんもなかなか読めないお方だ。
「両太郎くん、ごめんなさいね。比呂くんは思い込んだら突っ走っちゃう子なの」
大の大人を捕まえて「子」はないでしょう……とは言えなかった。実際、菜穂子さんの前では比呂志さんは大きな子供みたいになってしまっている。
「あ、いえ……全然気にしてませんから」
「あら、それはそれで困っちゃうわね」
「え?」
「うふふ、なんでもありません」
菜穂子さんが思わせぶりに笑って、隣に座る麻美が何故かさらに顔を引き攣らせた。
-†-
「いやー、立派な家だな」
小学生の読書感想文みたいな言葉が口を突いて出る。
俺は今、絨毯が敷き詰められた金元邸の廊下を歩いていた。
お金持ちの邸宅というと俺はついついクラシカルな洋館を思い浮かべてしまうのだが、金元邸は玄関で土足を脱ぐ一般的な日本の住宅の仕組みだ。靴下越しに伝わってくるふかふかした絨毯の感触が心地いい。
「……褒めても何も出ないよ。それよりトイレ、ここ」
「あ、ごめんごめん」
廊下の先で、守に呆れ顔を向けられていた。慌てて早足で追いつく。守とはまだほとんど会話をしていなかったが、会食の途中からなんだかずいぶん不機嫌な様子だ。
今はトイレに案内してもらっている最中だったのだが、廊下の壁に立派な額縁に入った絵画がいくつも飾られていて、ついつい見入ってしまったのだ。
俺でも知っているような有名な画家の複製画がずらりと並ぶ中、一番目を引いたのは、風のそよぐ丘から海を見下ろす構図の油絵だった。丘の上には、日傘を持って長い金髪を風に遊ばせている女性が描かれている。
緑の丘に青い海――濃厚な色が配置されているにも関わらず絵画全体から明るく華々しい印象を受けるのは、天から降り注ぐ光が色彩を通じて描かれているからだ。見たことのない絵だが、作風で言えばモネに近いのだろうか――。
個人の邸宅とは思えない広いトイレで用を足して廊下に戻ると、守は入口の前で待っていてくれた。
ただ、なにか言いたそうな目でじいっと俺を睨みつけている。……大丈夫、ちゃんと手は洗ったぞ?
「……さっきオマエがジロジロ見てた絵、姉様が描いたんだ」
守は探るような目を俺に向け、ぶっきらぼうに言った。年上の俺に向かって「オマエ」なんてずいぶん乱暴な口調だが、話し始めに少し溜めのある喋り方は姉の麻美によく似ている。
「ジロジロ見てた絵って、あの丘から海を見下ろしてる絵のことか?」
守は首肯した。
なるほど、麻美が描いた絵なら過去に見たことがないのは当然だ。それにしても麻美の多才さには驚きだ。複製画とはいえ有名画家の絵がずらりと並ぶ中、麻美の絵は決してそれらに見劣りしない立派な絵だった。
「凄いな、麻美は料理が上手いだけじゃなく油絵まで描くのか」
「……それだけじゃない、姉様は裁縫だって得意だし、ピアノも弾ける」
突然守は姉自慢を始めた。次々と麻美の隠された特技が明らかになっていく。
ただ不思議なのは、どうして守はそれをこんなに不機嫌そうに俺に言うのか、だ。
「だから……だから、くそっ!」
守は吐き捨てるように叫んで、俺を敵意の篭った目でキッと睨みつけてきた。
「えっと、守? 一体何を――」
「……助けてくれたのはカンシャしてるよ。でも、オレはオマエが姉様とケッコンするなんて絶対認めないからな!」
「いてっ!」
ふん! と鼻息を荒らげて、守は俺の脛を思い切り蹴り飛ばし、廊下を駆けていく。思わぬ不意打ちに何の防御も間に合わず、あまりの激痛に俺はうずくまってしまった。
なるほど、理解できた。守はさっきの比呂志さんの冗談を真に受けて、大好きな姉を俺に取られると思って嫉妬しているらしい。
やれやれ、比呂志さんの態度が軟化したと思いきや、今度は守だ。
その後も守はボディガードのごとく麻美に寄り添い、終始威嚇するように俺を睨みつけていた。結局それは俺たちが帰る時までずっと続き、事情を察したらしい優は半分面白がりながらも複雑な表情を浮かべていた。
そういえば優のお兄さんたちも、俺に対してこういう状態なんだよなあ。
フェアリズムのみんなとの信頼――仲間の絆は、こうして戦いや事件を乗り越える度にどんどん強くなっている。しかしその家族たちとの付き合いは、どうやらまだまだ前途多難なのだ。
Extra Element2.5 麻美・優・光編はこれで完結です。
次回はもう少し書き溜めてからなるべく連続更新できるように頑張ります……!




