第四話 On Your Face
「な、なんだお前はっ!」
倉庫の正面の方から見張りの男たちの叫び声が聞こえてきた。優――いやフェアチェーロが陽動を開始したのだろう。
「よし、こっちも行こう」
傍らの光――フェアルーチェに号令をかける。ルーチェは黙って頷き、コンクリート壁に身体を向け、腰を低く落とした。
光がルーチェに変身すると、もともと持っている華やかさや明るさにどこか凄みのようなものが加わる。美しくも勇ましい女戦士、といった形容がピッタリだ。
「せーのっ……ふっ!」
白地に真紅の炎が描かれたトップス、緋色のフレアスカート。全身に赤色を纏ったルーチェは、さらにその身に燃えるような気迫を滾らせ、掌打を放った。
ズンッと鈍い音がして、もともと入っていたヒビから派生するようにさらに細かい無数のヒビが走る。次の瞬間にはガラガラと音を立ててコンクリートの壁が崩れ落ち、ちょうど人間が通れるくらいの穴が開いた。
ルーチェの腕前は見事なものだ。フェアリズムの超人的なパワーで力任せに殴り壊してしまうと、破片が飛び散って麻美や守を傷つけてしまう恐れがある。それを防ぐため、コンクリートがその場で崩れ落ちるような絶妙な力加減をしたのだ。本人曰く、空手の「振り抜かない突き」の要領だそうだ。
ただ、その見事な腕前で作り出した入り口を実際に通るためには、張り巡らされた鉄筋が邪魔だ。
「よし、ナイスだルーチェ。悪いが次は鉄筋も頼む。」
「うん」
俺が言うか言わないかのうちに、ルーチェは穴の中を縦横に走った鉄筋に手を掛けた。その手がぼうっと炎に包まれ、次の瞬間に鉄筋はぐにゃりとひしゃげる。今度は完全に力技だ。
飴細工みたいに鉄筋を捻じ曲げながら、ルーチェは笑う。
「あとで倉庫の持ち主に弁償しなきゃね」
「まあ、そこは比呂志さんがなんとかしてくれるだろ……」
どうやってこんな穴を開けたかの説明を求められたら困るけどな。
そんなことを考えながら、ルーチェに続いて穴をくぐる。中は大きな一つの部屋になっていて、荷物はほとんど置かれていなかった。電気は通っているらしく、やや薄暗いものの天井から照明が降り注いでいる。
麻美の姿は倉庫のほとんど真ん中にあった。相変わらずの感情の読みにくい表情で――しかしほんの少し微笑を浮かべて、俺たちを見ている。その隣には横たわる少年の姿もあった。おそらくそれが守だろう。意識は無いようだが、麻美の表情からして命に別状は無いだろう。恐らく単に気を失っているか、もしくは眠っているかに違いない。
麻美たちのすぐ近くには、三人の男たちが呆気にとられた表情でこっちを見ていた。ヤツらが犯人グループらしい。
「――な、なんだお前らは! どうして、どうやって……!?」
男たちのうちの一人、体格のいい髭面の男が我に返って叫ぶ。その声は脅迫電話を掛けてきた男のものだった。
「ルーチェ、その髭面がボスだ! まず他の二人を!」
「OK!」
突入と同時に駆け出したルーチェは、そう返答した時点で既に男たちに肉薄していた。
「なっ、こいつ――!? ぐへっ!」
「ぐあっ!」
残る二人のうちの片方、痩せぎすの男がようやく状況に気づいて叫び――そして次の瞬間には胸にルーチェの掌打を受けて吹っ飛んでいた。ルーチェはさらに、もう一人のスキンヘッドの巨漢も、一言も発する前に掌打を浴びせて意識を刈りとる。
「――は? え……?」
髭面の男――犯人グループのボスは、あっという間に仲間が倒れていく光景に再び呆然としていた。目の前で起きていることに対して、認識や思考が追いついていない様子だ。
俺はその隙に駆け寄って、守の身柄を確保する。
守は穏やかな表情で呼吸をしていた。やはり眠っているだけらしい。
「待たせたな、麻美。どこも怪我とかしてないか?」
「……大丈夫」
麻美はすっくと立ち上がる。その言葉の通り、麻美には特に負傷は見られない。
麻美はロープで両腕を背中側に固定されているものの、足は自由なままだった。守に至っては手を縛られてすらいない。ずいぶん甘い、隙だらけの拘束の仕方だ。
そう思った次の瞬間、俺はその理由を知ることになった。
「お、お前ら俺から離れろ! こいつがどうなってもいいのか!」
髭面の男は、立ち上がった麻美の側頭部に拳銃を突きつけていた。その銃身は、現代を舞台にしたガンアクションゲームで見覚えがある。確かマカロフPM――旧ソ連製の拳銃だ。あるいは中国辺りで生産されたデッドコピー品かもしれない。
いずれにせよ二人の拘束が緩かった理由は、拳銃という圧倒的優位があったからだろう。逃げれば撃つ――そう言って二人を脅したのだ。
「分かった……これでいいか?」
髭面の言う通りに、守を抱えたまま後ずさりで距離をとる。ルーチェもそれに従いながら、さり気なく俺たちを庇うように射線を身体で遮った。
「お前、その声……」
髭面は俺の「これでいいか?」という問いには答えず、訝しむように目を細めた。
「電話に出た金元比呂志の弟……いやそれにしちゃ若いな。高校生か?」
「ああ、悪いけど比呂志さんの弟ってのは嘘だ」
こうなったらもう隠す必要は無い。ネタばらしの時間だ。
「この場所を知ったのは娘に持たせたGPSか? 携帯電話は破壊したはずだが……」
「携帯はフェイクだ、他に発信機を持たせてある。あんたらが狙い通りに麻美を拐ってくれて助かったよ」
「最初からそのつもりで俺たちを誘導してやがったってのか……。くそ、騙しやがって」
髭面は瞳に憎悪を燈し、悔しそうに唇を噛みしめた。
幼い子供を誘拐するような奴に、騙したの騙されただの言われるのは心外だ。まあ、騙したのは事実だけどさ。
「――だが」
髭面は悔し顔から一転、ニヤリと下卑た笑みを浮かべる。
「肝心なところで失敗したな……この引き金を引かれたくなければ大人しくしろ!」
髭面はドスの利いた声で吼える。麻美に銃を突き付けて脅せば、俺たちは黙って従うしか無い。――どうやらまだそんな風に考えているらしい。
「悪いが、俺たちは何も失敗しちゃいない。この状況も狙い通りのうちだ。単に守を救出するだけなら、お前らが麻美を人質にしてくれた時点で達成したも同然だったんだよ。なあ――麻美!」
「なに……っ!?」
驚愕の表情を浮かべた髭面の顔面が、横から金色の光を浴びる。
後ろ手で縛られた麻美の左手薬指で、五大の地のエレメントストーンが眩く輝いていた。
「フェアリズム・カーテンライズ!」
叫び声と同時に、麻美の全身は光に包まれてフワリと浮かんだ。エレメントストーンから放たれた光は、まるで砂金みたいに小さな粒上になってキラキラと輝き、薄暗い倉庫内を照らす。
瞬き続ける光の粒の中で着ていたサマードレスは形を失い、後ろ手の戒めも消滅。麻美の身体はほとんど裸同然のシルエットとなる。
麻美はいつもの無表情が嘘みたいに、人が変わったかのような明るい笑みを浮かべている。
光の粒はくっつき合って糸状になり、さらに折り重なって繊維状になり、麻美の小柄な上半身を覆っていく。やがてそれは白地に黄色い星型のモチーフをあしらったトップスへと変貌した。
次に無数の光の粒は一層輝きを増しながら麻美の下半身を包み込み、同じように折り重なってサンライトイエローのフレアスカートに姿を変える。
四肢の先で、ぐにゃりとまるで空間が歪むような奇妙な揺らぎが起きる。その次の瞬間にはスカートと同じ色のアームカバーとブーツが手足を覆っていた。
髪型こそ大きな変化が無いものの、髪の色は明るさを増してほとんど金色に輝いている。その髪を飾り立ている長いリボンのついた星型のヘアコサージュは、流れ星を思わせる。
「キラッキラの星の輝き、フェアステラ!」
変身を終えた地の戦士フェアステラは、高らかにブーツを鳴らして着地した。
「な、なんだぁっ!? こ、この!」
髭面は変身したステラに向かって、取り乱しながらマカロフの銃身で殴りかかる。だが電磁気力を操るフェアステラに、そんなものが通用するはずもなかった。
「つっ!」
髭面は弾かれるように飛び退き、その拍子に手にしていたマカロフを投げ出してしまう。
何が起きたかは、パリパリと音を立てて逆立つステラの髪を見れば一目瞭然だった。髭面は腕に電気ショックを浴びたのだ。
「ひいっ……い、今のは……?」
髭面は尻もちをつき、恐怖の混じった目でステラを見上げる。
と、その時入り口のシャッターがガラガラと音を立てて開いた。まだ明るい外の光が、薄暗かった倉庫内を満たしていく。
取り乱した髭面は、その音にさらに目を見開く。
「こっちは片付いたよー」
そう言って入口側から現れたのは、グリーンのコスチュームに身を包んだ風の戦士・フェアチェーロだ。チェーロは作業着を着た二人の男を、出前の蕎麦でも運ぶみたいに両手それぞれで持ち上げている。倉庫前にいた見張りだ。
見張りの二人は力なく四肢を投げ出し、意識を失っているようだった。なるべく負傷させないと決めてはいたので、恐らく気絶させただけだろう。
痩せぎすとスキンヘッドの倒れているすぐ側にチェーロが二人の見張りをそっと横たわらせた。
髭面は呆然とそれを目で追い、もはや残っているのは自分一人だと知ってガクンと項垂れた。完全に敗北を悟ったらしく、全身から諦念が伝わってくる。
「……と、まあこういうわけだ。最初から無事に逃げるだけなら麻美一人で十分だったんだよ。俺たちが来たのは、悪いけどアンタたちを一人残らず引っ捕らえるためだ」
「くそ……何なんだ、何なんだお前ら……」
髭面は地面を見つめたまま、声を振り絞るように言った。
「変身って、何だよそりゃ……俺は夢でも見てるのか!? 正義のヒーロー? んなもんが本当にいるってのかよ。だったらどうして……どうしてあの時俺を助けなかった!」
もう髭面からはこの場を切り抜けようとする気力は感じられない。だが、そのかわりに彼の感情の奥底から沸き上がってきたもの――それは明らかな怒りだった。
髭面が口にした「あの時」が何を指すのかはわからない。きっと彼にも悪事に手を染める何らかのきっかけがあったということなのだろう。
だが、どんな理由やきっかけがあろうと、彼の行った誘拐という行為が正当化されるわけではない。
「ふざけんな! 世の中を見てみろ、犯罪や暴力なんてそこら中に溢れてるじゃねえか! なんで俺の邪魔をするんだよ……なんで他のヤツらを捕まえずに俺なんだよ!」
髭面は血走ったその瞳に憎悪の炎を燈し、心中で飽和した怒りをぶち撒けるように吠えた。彼の言動は支離滅裂のやけっぱち――そんな風に表現するしか無い。だが、それが心の底からの真剣な叫びであることもまた、ひしひしと伝わってくる。
不安。怒り。憎悪。焦燥。失望。絶望。全身からそれらを滾らせて吼えるその姿。それはまるで――。
「両兄、この人――フアンダーと一緒だ……」
眉を顰めてそう言ったルーチェも、俺と同じことを感じていたようだ。
もちろん彼は普通の人間であり、フアンダーのような怪物の力を持っているわけではない。だが、負の感情に思考を支配されているその姿はまさにフアンダーのそれにそっくりだった。
「正義の味方なんてのがいるなら、なんで俺を助けなかった! 俺を助けなかったくせに、守ってくれなかったくせに、なんで邪魔だけするんだよ! そんな正義なんか認められるかよぉっ!」
髭面は狂ったように身勝手な言い分を喚き散らす。
その姿は醜悪で、浅薄で、愚劣。見ているだけで嫌悪感と怒りが湧いてくる。
だがそれでも、彼がフアンダーと同じような心理状態だというのなら、それを頭ごなしに否定してしまうわけにいかない。
ステラ、チェーロ、ルーチェは戸惑った表情で俺を見つめている。
髭面をどうするのか、俺の判断に委ねる。三人の目はそう言っていた。
大丈夫だ。俺は三人の信頼に応えてみせる。俺が髭面に向かって言うべきこと。投げかけるべき言葉。その答えを俺は知っている。
こんな時、桃なら――フェアリズムたちの中で一番先に「世界を繋ぐもの」に辿り着いたフェアフィオーレなら何て言うか。桃と長い時間を一緒に過ごしてきた俺にはわかる。
そして、それがきっと正しい答えだ。
「俺たちは正義なんかじゃないよ」
「……あ?」
髭面は叫ぶのを止め、ギロリと睨みつけてきた。
「あんたの言う通りだ。世の中には犯罪も暴力も溢れている。俺たちにはその全部を無くすことなんてできない。きっと今も世界のどこかで酷い目に遭っている人たちがいる。俺たちはその人たちを見殺しにしているも同然だ。だから俺たちは正義なんて名乗れないし、名乗るつもりも無い」
髭面は目を細めた。一層の怪訝そうな表情を浮かべて、ジッと俺の次の言葉を待っているようだった。
「きっとこの子たちの力をフルに発揮すれば、今こうしてあんたたちを壊滅させたみたいに、沢山の犯罪や暴力を力ずくで止めることができる。でもこの力はそのための――力ずくで誰かを従わせるための力じゃない」
「……どの口で言うんだよ」
髭面は床に転がる四人の仲間を一瞥して、呆れ声で言った。
四人とも意識は失ったままだが、呼吸は落ち着いている。チェーロもルーチェも上手く気絶させてくれたようだ。
「そりゃあそれくらいの正当防衛は仕方ないだろ。本来は人間相手に振るっていい力じゃないから、怪我させないように手加減するのは大変だったはずだぞ」
俺の言葉に対し、髭面は「ヘッ」と自嘲気味に鼻で笑った。
「じゃあなんだ。もしも俺たちのターゲットが金元のガキじゃなく、お前らと関係のない子供だったら、お前らはこうやってしゃしゃり出て来ることも無くその子供を見殺しにしたってのか?」
「……そりゃあ俺たちは基本的に正義の味方でもなんでもない、ただの学生だからな。事件のことを知る手段だって無かったと思う。きっと知らないところで事件が起きて、知らないところで終わって、夜のニュースであらましを知るくらいしかできなかった」
「じゃあそこのガキが助かったのも、俺たちがしくじったのも、運が悪かったってことかよ……」
髭面の声からは先程までの威勢は感じられなかった。ぐったりとした疲労感を含んだ、弱々しい声だ。
「――それは違う。今回あんたたちに捕まったのは俺たちの大切な仲間の、そのまた大切な家族だった。だから俺たちは俺たちにできる範囲でその大切な相手を守ったんだ。もしあんたたちが誘拐したのが別の子供だったとしても、きっとその子供を大切に思う誰かが精一杯その子を守ろうとしたはずだ。そして、それこそが俺たちの守るべきものなんだ。俺たちが守ろうとしているのは正義とか悪とかじゃない。誰かが大切な誰かを守り、その誰かが別の誰かを守って、そうやって繋がっていく世界の在り方だ。それはもう運なんかじゃない――《縁》だ。あんたたちを失敗させたのは運じゃない。人と人の繋がり、縁なんだ」
髭面は何も言い返さない。黙って俯いてしまった。
「それに、守が助かったのは俺たちが介入したからじゃないだろう? あんたたちは――少なくともあんたは、最初から人質を傷つけるつもりは無かったはずだ」
「……なんでお前にそんなことがわかる」
髭面は俯いたまま、呟くように言い返した。しかし俺の言葉を否定はしていない。
「守が傷一つ無いからな。もしあんたたちにその気があれば、金元氏を脅す際に人質の身柄を使ってもっと残酷な手を使うことだってできたはずだ。あんたたちはそうせず、麻美に持たせた薬だってちゃんと飲ませてくれたんだろ?」
「…………」
髭面は答えない。だがその代わりに、ステラが頷いて俺の言葉の正しさを証明してくれた。
「たった今だってそうだ。あんたは変身したステラに襲いかかる際、わざわざ手にした銃を撃たずに銃身で殴りかかった。――子供を傷つけることを躊躇したからだ。違うか?」
やはり髭面は何も答えなかった。
もちろん、子供を傷つけなかったというだけで彼を「本当は悪人じゃないんだ」などと言うつもりはない。子供を誘拐するということがそもそも卑劣な行為でしかないのだから、彼には社会のルールに則って然るべき罰を受けてもらうほかない。
ただ――。
「さっきあんたは『あの時どうして俺を助けなかった』と叫んだな。俺はあんたの過去に何があったかなんて知らないし、たとえ何があったとしてもそれが誘拐をしていい理由になんてならない。罰は受けろ。――ただ、『子供を傷つけなかった』ということはきっと罰を受け終えたその先で、あんたにとってもう一度人間と――世界と繋がっていくための大切な鍵になる」
チッ、と髭面は舌打ちをした。
「問答無用でぶちのめしてくれた後でそんな慰めが何になる? たとえお前の言う通りだったとしても、刑務所の中で俺は『ああ子供を傷つけなくて良かった』じゃなく『次は子供を傷つけてでも成功させてやる』と考えるかもしれねえぞ?」
「――その時はまた俺たちがあんたを止めるさ」
「止めるって……」
髭面はもう一度、床に倒れている一味の四人を一瞥し、肩をすくませた。
それを見て、フェアリズムの三人は顔を見合わせて微笑む。
「もしまた誘拐なんかしたくなったら、その時はぼくたちのところに来なよ」
「あたしたち、もう知り合いになっちゃったからね。ぶん殴ってでも止めてあげる」
「……それも縁、だね」
次々と髭面に声をかける三人からは、もうさっきまでの戦いの緊迫感は感じられない。
髭面は眉を顰め、ステラの感情の読めない顔をジッと見つめる。
「なあ嬢ちゃん、俺はアンタの弟を誘拐したんだぜ? アンタにはこの場で俺を攻撃するだけの筋合いがある。糾弾でも復讐でも懲罰でも、口実はなんでもな」
髭面はステラの心中を探るように言った。
恐らく本気でステラに攻撃されたいわけではないだろう。髭面は今、俺たちの言葉を疑っている。いや、俺たちのこと以上に、きっと自分自身を疑っている。螢やポプレの時と同じだ。心を蝕んだ絶望によって、自分自身が誰かと繋がって生きていく未来を信じられなくなっているのだ。
ステラはそんな髭面を、無言のまま見つめ返していた。その表情から心中を察することはできない。
だが、何も心配は要らないだろう。
ステラは今、フェアリズムとしてこの場にいる。フェアリズムの戦いは相手を打ち負かして追い詰めるためのものではない。繋がりを守るためのものなのだから。
「……守を誘拐したことは、許さない」
ステラは淡々と言い放った。
それを聞いた髭面はフッと口元を緩め、嘲るような笑みを浮かべた。ほらみろ、人と人の繋がりなんてそんなものだ。髭面の目はそんな風に語っている。
だがステラは表情を少しも変えず、再び口を開く。
「……でも、あなたは守を、決して傷つけなかった。……それだけは、その心だけは、否定したくない――肯定したい。……許すとか、許さないとかじゃなくて、その心を守りたい」
髭面は目を見開き、呆然とそれを聞いていた。
してしまった行為は許さないけれど、心は守る――それは厳しさと優しさを同時に含んだ言葉だった。果たして彼に届いたのだろうか。いや、いつも口数の少ないステラにこれだけ言葉を発させたんだ、届かなかったとは言わせない。
「……やってらんねぇな」
髭面はそう言って、右手でバリバリと頭を掻いた。それから大きく息を吐き出す。深く、深く――まるで体の中の空気を全て入れ替えようとしているかにも見えた。もっとも、この倉庫内はあまり良い空気ではないのだが。
「ったく、中高生のガキにぶん殴られて、説教されて、挙句に優しく諭されて――何なんだよこりゃ。こんな情けねぇ目、二度と御免だ」
顔を上げた髭面は、口角を歪めてくたびれた笑みを浮かべていた。
電話口での下卑た笑いとも、ついさっき見せた自嘲とも違う。憑き物が落ちたかのような、穏やかな安堵の笑顔だった。
-†-
それから俺たちは警察を呼んだ。
パトカーの到着を待つ間、髭面はステラに電気ショックを要求した。他の四人が気絶させられたのに自分だけ免れるわけにはいかない、という妙なところで律儀な理由だ。ステラは露骨に嫌そうな顔をしつつもそれに応じ、髭面は希望通りに電撃によって気を失った。ステラが不機嫌そうに語ったところによると、人を失神させられかつ命に危険が及ばないような電流量に調整するのは、なかなかに面倒らしい。そう言いつつしっかりそれをやってのけた辺り、こっそり練習していた節がある。俺がそのターゲットにならないことを祈るしかない。
変身を解いて警察を出迎え、男たちを引き渡した後は一緒にパトカーで警察署へ。事情聴取を受けた。
フェアリズムに変身して戦った云々は当然伏せ、それ以外はところどころ誤魔化しながらもほぼ事実のままに状況を伝えた。最初は困惑していた警官たちも、聴取の最中に髭面が意識を取り戻して犯行を自供したのと、金元家を見張っていた男が無事に捕まったのを受け、ようやく俺たちの説明を信じてくれたようだった。
犯人とやりあった無茶をこってり叱られてから、俺と光・優・麻美は解放された。
警察署の正面玄関を出た時には、時計は十七時を回ったところだった。夏の夕空はまだまだ明るい。
守は既に目を覚まし、病院での検査も済ませて家に帰っているらしい。今頃は菜穂子さんと一緒に夕飯の支度でもしているだろうか。
金元家の食事の時間は知らないが、比呂志さんと約束した「夕飯までに帰る」というのは達成できたということにしておこう。
警察署の前で迎えの車を待っていると、不意に腕を指先で突つかれた。
振り向けば、麻美がいつもの無表情で俺の顔を見上げていた。
「ん、どうした?」
「……あげる」
麻美はペットボトルのスポーツドリンクを差し出してきた。署の玄関口にあった自販機で買ってきたのだろうか。周囲を見れば、光と優も同じものを既に飲んでいた。
そういえば喉が乾いていた。昼過ぎに金元邸を出発してから、今までろくに水分を補給していなかったのだから当然だ。
「気が利くな。ありがとう」
ペットボトルを受け取って、ついつい麻美の頭を撫でる。
わしゃわしゃと手を三往復ほどさせたところで、ハッと我に返る。そういえば麻美、頭を撫でると「子供扱いするな」って怒るんだよな……。
「………………」
麻美は黙ったまま、ジッと俺の顔を見つめている。俺は今更ごまかすこともできず、麻美の頭に手を置いたまま硬直している。
これ、怒ってるのかな? 怒ってるんだろな……。
と、思いきや。
「……にーさま、今日は、本当にありがとう……」
予想に反し、麻美の口から飛び出したのは感謝の言葉だった。
「い、いや、守くんが無事で良かったよ。それに俺はいつも通り指示を出してただけだからさ。こうして無事に解決できたのは、光も優も、もちろん麻美も、みんなの力があってこそだ」
「……うん」
麻美は頷いて、くるっと回れ右をする。
「……光ちゃん、優ちゃん、二人も、ありがとう」
心なしかいつもより大きな声で告げられたお礼に、二人は笑顔で振り向いた。
「気にしない気にしない、守はぼくにとっても弟みたいなものだからね」
「うんうん、お安いご用! ……って両兄、なんで麻美の頭撫でてるわけ!?」
あっ、と慌てて手を引っ込めてももう遅かった。
三人の友情が交錯する感動のシーンから一転、光から不穏な空気が漂い始める。
「不公平だ! あたしのことも撫でなさい!」
「うわっ!」
光は一見すると受け身なセリフを発しながら、しかしその実は肉食獣の如き気迫を放ち、俺に掴みかかってきた。どうにか逃げようとするも、体捌きではやはり格闘技経験者の光には敵わない。あっさりと捕まってしまった。
「ほらほら両兄、あたしも頑張ったんだから」
そう言って光は腕にまとわりついてくる。
いや、そんな風に腕を掴まれてたら撫でようにも撫でられないって。それにいつものことだけど、胸が当たって――って、あれ? 何かいつもと感触が違うような……?
「……光、えっと――胸、縮んだ?」
「へ? ――あ、ああああぁっ!」
血色の良い光の顔がさーっと急激に青褪め、がっちり掴まれていた腕がパッと解放された。
「わ、忘れてた! 今のナシ! ナシだから! 今度アリの時に改めてもう一回、ね!」
何やら意味不明なことを言い放って、光は背を向けてしまった。
一体なんのこっちゃ。
そんなこんなで騒いでいるうちに、高垣さんの迎えの車がやってきた。
凶悪な誘拐事件などどこへやら。すっかりいつものノリに戻ってしまった俺たちは、金元邸へと向かった。
次回でElement2.5麻美・優・光編は完結です。
なるべく2月中の更新ができるよう頑張ります。




