第四話 渚の誓い
窓から見下ろす夜の遊園地は、まるで宝石箱をひっくり返したみたいにキラキラと輝いていた。何時間か前に私たちも乗っていた観覧車は、イルミネイションを灯してゆっくりと回っている。
私と両太郎さんは、遊園地に併設されたホテルの高層階にあるレストランで並んで座っていた。
店内は華美な装飾を施しながらも落ち着いた雰囲気で、メニューに目を通すまでもなく中高生のお小遣いでまかなえる価格帯ではないことは明らかだ。
でも、そんなことはどうだっていい。自分たちで払うわけではないのだから。
私たちの向かいにはスーツに身を包んだ中年男性が座り、ニコニコと柔和な笑みを浮かべている。我が父、水樹隆史だ。
「初めまして、花澤両太郎といいます」
緊張した面持ちで両太郎さんがお父様に挨拶をする。お父様は笑みを崩さずに頷いた。
両太郎さんのたっての希望で、お父様に紹介することになってしまったのである。
一体両太郎さんが何を考えているのかはわからないけれど、今日のデートがフェイクだったとバレてしまっては困る。ボロを出さないように気をつけなければならない。
そう肝に銘じる私を嘲笑うかのように、
「水樹隆史だ、よろしく。今日は娘のわがままで茶番劇に付きあわせてすまなかったね、もう恋人のふりはしなくて大丈夫だ」
お父様は開口一番、愉快そうにそう言った。
これには両太郎さんも目を丸くして、私の表情を伺ってきた。「バレてるみたいだけど、どうする?」と視線が語っている。
「き、気づいていたんですか、お父様……」
「当然だ。これでも私はきみの父親だよ」
お父様は得意気に言う。
「だったらどうして何も言わずに、その茶番に付き合われたのですか?」
「そりゃあ、渚が私を騙す共犯者に選ぶのはどんな少年か知りたかったからね。それとあとは――面白かったから、かな」
「お、おもしろ……?」
「ああ、面白いとも。いつも物分りの良い渚が私相手にあれこれ画策するなんて、滅多にないことだからね。一度目は生天目くんのところの――優ちゃんを同じ小学校に通わせたいと言い出した時。二度目は科学者になりたいと言い出した時。大きなところではその二度くらいかな」
お父様の言葉に私はハッとした。
私が科学者を志したきっかけは、識名博士が亡くなってしまったことだ。両太郎さんが識名博士の実の息子だと知らないお父様は、何か迂闊なことを言ってしまうかもしれない。
「渚が科学者になりたいと言い出したのは小学生の時。ある尊敬する科学者が事故で亡くなってしまった――その直後だった」
「お父様、それは――!」
案の定だった。
私は慌ててお父様を遮ろうとする。しかしお父様はスッと手を伸ばして逆に私に「黙っていろ」のジェスチュア。両太郎さんの方をジッと見つめて、言葉を続けた。
「きみのお父君だ、識名両太郎くん」
思わずギョッとしてしまう。両太郎さんのことまでお父様は調べてあったのだ。
まさか遊園地で遊んでいるわたしたちを見て、そこから調べ始めたわけではないだろう。もっと早い段階から両太郎さんの存在を知っていたとしか思えない。
一体、いつから――?
私は焦りながら、お父様と両太郎さんの表情を交互に確認した。
お父様は相変わらずの穏やかな目で両太郎さんを見つめている。対する両太郎さんは、少し驚いた様子で――しかしお父様をしっかり見つめ返していた。
「失礼だとは思うが、君のことを少し調べさせてもらった。気を悪くしたらどうか許して欲しい」
「いえ、俺も最近似たようなことをしましたから」
両太郎さんは自嘲気味に答えた。
その「似たようなこと」とは、ひょっとするとヴィジュニャーナの力によって螢さんやシスター・ポプレの過去を一方的に覗いたことを言っているのかもしれない。
「渚は識名博士を非常に尊敬していてね。生天目くんのところで武術の稽古を始めたと聞いた時は驚いたが、そこに一人混じっている少年が識名博士の息子さんだと知った時はもっと驚かされた。不思議な縁もあるものだね」
お父様は淡々と続ける。
今の話しぶりからして、両太郎さんの存在を知ったのは生天目のおじさま――優のお父さん経由だったらしい。優ったら、あれほど口止めをするように言ったのに……。
「お父君の件はとても残念だった。事故のことだけではなく、世間の声もだ。政治の一端を担う者として、彼のような立派な志を持つ科学者の名誉を守れなかったこと、申し訳なく思う」
お父様は両太郎さんに向かって深々と頭を下げた。
その姿が、ちょうど二日前のファミレスでの自分と重なってなんだか恥ずかしい。
「いえ、過ぎた話ですから。もっとも、俺自身そう――過ぎた話なのだと思えるようになったのは、つい最近のことです。それは娘さんのおかげでもあります」
「ひぇっ?」
急に話が飛び火してきて、思わず変な声が漏れてしまう。
私のおかげ? そんなバカな。
私が識名博士のことで両太郎さんに言った言葉――それは悶絶したくなるような酷い言葉だった。
『識名博士の息子さんが貴方のような意気地無しでがっかりです』
かつて私は、そんな言葉を両太郎さんにぶつけてしまったのだ。ああもう、思い出すだけで自己嫌悪に陥ってしまう……。
するとお父様は、私の方をチラと見て、いやらしく口角を歪めた。
「ふむ。渚の今の慌てようを見るに、さては渚はきみに何か失礼なことを言ったようだね?」
「ちょ、ちょっとお父様!?」
そこは掘り下げないで下さい。そう目で訴えかけるも、お父様の瞳は余計に喜色を浮かべる。
両太郎さんは「いえ、そんなことはありませんよ……ははは……」と苦笑いだ。
「さっきも言ったが、この子は基本的には物分かりの良い子なんだが、一度決めたらなかなか頑固でね。何かときみにも苦労をかけているのではないかな」
「いえ、逆に助けられてばかりです。仲間たちのまとめ役として、俺の気が回らないところをいつもフォローしてもらっていますから」
「ふむ、そうかそうか。渚は昔からリーダーシップをとるのが得意な子でね。科学者になるのを反対はしないし、なりたいものになってくれればいい。しかし私個人のささやかな願望としては、やはり跡を継いで政界に進んで欲しいものだよ。この子にはその素質がある」
お父様は一転してべた褒めモードのギアが入ってしまったらしい。人前で自分の娘を褒めるなんて、恥ずかしいと思わないのだろうか。いや、別に思わなくてもいい。褒められた娘の方の恥ずかしささえ理解してくれれば。
第一、最後の一言は両太郎さんに言っているのか私に言っているのかわかったものではない。こんなところでそんな言い方をするなんて卑怯ではないか。
ああ、やっぱり両太郎さんのお願いを断ってでも、この会食は避けるべきだった。このきらびやかなレストランが、私にとっては居心地の悪い針のむしろだ。
一方のお父様は、この席が楽しくてしょうがないといった様子だ。グラスに注がれたワインをゆらゆらと揺すっている。これはお父様の機嫌がいい時の癖だ。
「両太郎くん、私は今かなり機嫌がいい。どうしてかわかるかい?」
「え? ……そうですね。俺から渚さんの活躍を聞いたから、ですか?」
「いいや。親バカかもしれないが、この子がそれなりに活躍するのは、私は当然だと思っている。どちらかというとその逆だよ」
かもしれない、ではなく親バカだ。さもなくばバカ親だ。
もう最悪だ。お父様は妙なスイッチが入ってしまったらしい。
両太郎さんに変なイメージを持たれてしまったらどうしてくれるのだろう。
「逆――と言いますと?」
両太郎さんまで、興味深そうにお父様の発言に訊き返す。
今すぐにでもこの会話を遮ってしまいたい――そんな衝動を抑えて、私は仕方なく水のグラスを口に運ぶ。
お父様はそれを見計らったかのように、その質問に答えた。
「両太郎くん。渚はどうやらきみの前だとずいぶん隙を見せてくれるらしいんだ」
――危なかった。もう少しで口に含んだ水を吹き出してしまうところだった。
「お、お父様、何を言い出すんですか!」
「渚は私にとっては可愛い娘だがね、世間一般から見たら無愛想で可愛げのない子なんじゃないかと心配していたんだよ。でも、どうやら杞憂だったようだ。どうだい、私の娘は可愛いだろう」
「え、ええ――はい、そう思います」
両太郎さんはたじろぎながら答えた。
私の怒りはもう限界だ。
「どうだい、この際だから本当にうちの娘と――」
「いい加減にして下さい!」
とんでもないことを口走りかけたお父様をどうにか制止した。
大声を出してしまったせいで、ウェイターが怪訝な顔でこちらを見ている。なんとも気まずい。
しかし元凶であるお父様は、そんなことは意に介していない様子だ。
「はっはっは。いやー、渚がこんな風に感情的な表情を見せてくれるなんてね。これは妻も呼んであげればよかったなあ」
ダメだ、私がどれだけ怒ってもお父様には通じない。
それどころか怒れば怒るほど逆効果だ。この人は私が感情を剥き出しにするのを楽しんでいるらしい。
そんなに普段の私はつまらない娘だと言いたいのか。
「…………」
仕方なく私は黙り込み、お父様を精一杯睨みつけることにした。
そんな無言の抵抗をお父様はウィンク一つで軽くいなして、両太郎さんに向き直る。
「それで、両太郎くん。きみの方からも私に何か話があると聞いたが」
「あ、はい。実は一つ教えを乞いたいことがありまして――」
両太郎さんは姿勢を正して真面目な表情に戻る。
それを見てお父様の方も、ニヤけ顔を改めた。
「父の――識名両信の遺産の譲渡先を探しています」
両太郎さんははっきりとした口調でそう言った。
これには流石のお父様も少し驚いたようだった。
識名博士が両太郎さんに残したのはお金だけではなかった。
研究資金の確保のために個人で取得していたいくつかの特許も、両太郎さんが権利を相続した。それらの特許料は年間数千万円にも及ぶ。
ところが両太郎さんの後見人となった花澤夫妻はその遺産に手を付けることを拒み、自分たちの収入だけで両太郎さんを養育しているという。
そのため、使い道の定まらないお金が今も増え続けているそうだ。
そのお金と特許権をしかるべき団体に譲渡し、識名博士の志を継ぐ人たちの援助に充ててもらいたい。
両太郎さんがお父様に告げた内容は、掻い摘めばそんなところだった。
「ふうむ……」
両太郎さんの説明を一通り聞き終わり、お父様が顎先を弄りながら声を漏らす。
「先に一つ質問していいかな」
「何でしょうか?」
「一生遊んで暮らせるかもしれない権利を手放そうという決断には敬意を表したい。ただ今までの六年間、きみはそうしてこなかった。一体何が今になってきみを心変わりさせたのかな?」
その抉るような質問に、両太郎さんは目を大きく見開く。
それから少しだけ考えて、
「妹や渚さんやその友人――俺の大切な仲間たちです」
そう言い切った。
お父様は眉を顰め、黙って次の言葉を待っているようだった。
「――俺は世の中を憎んでいました」
両太郎さんは私もはっきりと聞いたことがなかった、かつての胸中を明かし始める。
「父のことを散々持て囃したくせに、突然手のひらを返して口汚く罵った……そんな連中に父の遺産を渡すなんて考えられませんでした。それに、遺産を手放してしまえば父との繋がりも無くなってしまうと思ってたんです。いま思えば、俺は意気地なしでした」
両太郎さんは一息つくと、私の方を一瞥して穏やかに微笑んだ。
「でも繋がりは失っても取り戻せる。たとえ取り戻せなくても、別の新しい繋がりが生まれる。大切な仲間たちからそう教わりました。だから俺は父の遺産を手放して、もう一度世の中と繋がってみようと思ったんです」
両太郎さんの声に迷いは無かった。その瞳は真っ直ぐ前を見据えている。
もう意気地なしだなんて口が裂けても言えない。
そこにいるのは進むことを決意した勇敢な人。そして誰よりも私たちフェリズムのリーダーに相応しい人だった。
お父様は両太郎さんの答えに満足したのか、静かに頷く。
「きみと話せて良かった。私はきみを気に入ったよ。都の施設や団体には私が心当たりを確認してみよう。それから私の父――つまり渚の祖父は文科副大臣だ。多忙で気難しい老人だが、孫娘にはとことん甘くてね。国の研究機関などはそちらに当たってもらおう」
お父様はニヤリと笑ってウィンクを飛ばしてきた。つまりお祖父様を説き伏せるのは私の役目らしい。
まあ両太郎さんのお手伝いができるなら、それくらいは喜んで引き受けよう。
「ありがとうございます!」
両太郎さんは、ぱぁっと明るい笑顔を浮かべた。
識名博士のそれによく似た、どこか幼い笑顔。――私のヒーローの笑顔だ。
それを眺めながら、私はある一つの決意を固めていた。
両太郎さんが憎しみを乗り超えて繋がっていく世界を願うのならば、私は繋がりの一つとして、その願いを守り抜く。
それがこの水樹渚の――そして千変万化の智慧の水面、水の戦士フェアマーレの誓いだ。
なんとか無事更新できました!
Element2.5渚編、完結です。




