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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Extra Element.2.5 渚とシークレットデイズ
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第三話 渚のデイト

――がたん。みしみし。

 シートの下で、少々不吉な音が鳴った。

 視界の先には青々とした夏の空が広がっていて、太陽が少し眩しい。


 私たちは今、ジェットコースターに乗って空へと向かう上り坂をゆっくり進んでいるところだ。

 やがてレールの角度が変わり、背中で受け止めていた重力が腰に、そしてお尻へ移っていく。

 それと同時に、視線の先に広がる光景も変化した。園内はおろか園を取り囲む郊外の風景、その先に広がる市街地、さらには遠くの山々までも視界に収めることができる。一番先頭のシートに座れたのは偶然だったれど、こうして開けた景色を堪能できるのは幸運だったと思う。


 市街地の上空で、赤と白のおめでたい色をした豆粒みたいなアドバルーンが揺れているのが見える。


「ほら両太郎さん、あそこ見てくださ――」


 隣に座る両太郎さんにそれを伝えようと振り向くと、両太郎さんは顔を引き攣らせてマネキンのように固まっていた。口許は微かな笑みを浮かべているのに、目はちっとも笑っていない。顔色も心なしか青ざめているように見える。


「りょ、両太郎さん、大丈夫ですか……?」

「渚」

「はい?」

「喋るな、舌を噛むぞ……!」


 両太郎さんは緊張感を滾らせた早口で、アクション映画の台詞みたいなことを言ったきり黙ってしまった。そんな、カーチェイスじゃないんですから……とは言わないでおいた。


 そのすぐ後にコースターは急降下を始める。天国への階段の次は地獄への落とし穴だ。

 背中の方から沢山の悲鳴が聞こえてきた。女性の声が多かったけれど、中には「ひっ……うおおおおお!」と、悲鳴をこらえようとして雄叫びみたいになっている男性の声も混じっている。

 隣の両太郎さんはといえば、より一層引き攣った笑みを浮かべつつも、声を漏らすのはどうにか堪えきったようだった。


「いやー、渚は凄いな……。全然怖がってなかったよな」


 地上に戻った後、両太郎さんはまだ少し強張った顔で言った。


「俺なんか目を開けてるだけで精一杯だったよ。流石は『最強で最恐で最叫』なんてキャッチコピーを掲げる遊園地だけあるな」

「あら、今のは四つある絶叫系の中では一番ソフトらしいですよ」


 パンフレットに目を通しながら伝えると、両太郎さんは「マジかよ、あれで四天王の中で最弱かよ……」とよくわからないことを言いながら苦笑いを浮かべた。


「無理に絶叫系に乗らなくても良いじゃないですか。要はどこかからこちらの様子を覗っている父に、仲の良さそうな姿を見せるだけでいいんですから」

「そりゃそうだけどなあ、うーん……売りのアトラクションに乗らないのもなんだか勿体ないような……」


 両太郎さんは私からパンフレットを受け取り、園内地図やアトラクション解説と睨めっこをする。

 どう見ても絶叫系は苦手そうだったのに、まだ挑戦心は残っているらしい。


「よし、とりあえず二番目にソフトなヤツを試してみよう。渚もそれで大丈夫?」

「え、ええ……私は大丈夫です」


 むしろ両太郎さんこそ大丈夫なんですか? とは訊かなかった。



             -†-



 もちろん大丈夫じゃなかった。


「ごめん、ちょっとだけ休ませてくれ……まだ魂が身体にちゃんと戻ってない気分だ……」


 両太郎さんはフラフラとベンチに縋り付き、ぐったり座り込む。

 二つ目の絶叫系はドロップタワーと呼ばれる垂直落下型のアトラクションだった。百メートルもの高さまで昇って、そこから一気に落下! ……と思いきや、ほんの少し落ちたところで急減速して停止。「あれ?」と思った次の瞬間、再び猛スピードで落下するという、二段構えのサプライズまで用意されていた。


 今度も両太郎さんは悲鳴を上げずに耐え切ったけれど、地上に戻った時には顔面蒼白だった。もしかすると単に悲鳴を上げることすらできなかっただけかもしれない。一方の私はといえば、まったく平気だった。鳩尾の辺りのふわふわした感覚、いつも以上に存在を意識させられる重力、一瞬で移り変わる視界――普段味わうことのない様々な要素に、高揚感すら覚えたくらいだ。どうやら私は絶叫マシンの類が相当得意らしい。


「本当に、無理はなさらないで下さいね……」


 そう言いながら隣に座る。両太郎さんは頷きながら「大丈夫だ」と小さな声で返答した。強がりなのは見え見えだ。

 私とお父様の意地の張り合いのために両太郎さんに無理をさせてしまって、申し訳ない気持ちになる。

 なんだかんだで私は絶叫マシンを満喫してしまっているけれど、そもそも今日は楽しむために来たわけではない。別に絶叫マシンに乗らなくても、メリーゴーラウンドやコーヒーカップで適当に時間を潰せばそれで良い。

 何より申し訳ないのは、隣に座っているのが悲鳴の一つも上げない私だということだ。両太郎さんだって、もっと真っ直ぐに感情を表に出して笑ったり怖がったりする子と来たほうが楽しいはずだ。そう、たとえば――(ひかる)さんみたいな。


 そんなことを考えていたら、


「………………」


 いつの間にか隣の両太郎さんが、無言でジッと私の顔を覗きこんでいた。


「渚、次はアレでもいいか?」


 そう言って両太郎さんが指差したのは、円形の巨大な器具の外周にいくつものゴンドラがぶら下がっていて、円自体がゆっくりと回転するアトラクション。絶叫ともスリルとも無縁な、大観覧車だった。


「観覧車ですか、いいですね!」


 そう答えながら、私は内心でホッとしていた。

 観覧車なら両太郎さんに無理をさせなくて済むのだから。



             -†-



 ゴンドラの外の景色がゆっくりと流れていく。

 この遊園地の観覧車は約二十分かけて一周する。今はまだ乗ってから五分くらい。私たちは時計で言えば九時の辺りだ。

 高さ的にはさっき乗った絶叫マシン二種の方がまだずっと高く、景色もそっちの方が良かった。それなのにも関わらず、両太郎さんは窓の外をキョロキョロと見回している。

 さっきは景色を楽しむ余裕なんて無かったのだろう。そう思って見守っていたら、急にその横顔が笑顔に変わった。


「見つけた。ほら渚、桃と(ひかる)がいる」

「え? ――あ、本当」


 両太郎さんが指差した先には、クレープの売店に並ぶ桃さんと(ひかる)さんの姿があった。当たり前だけど二人とも私たちには気づいていない。

 なるほど。両太郎さんは景色を見ていたのではなく、二人の姿を探していたのだ。

 二人を見つけた瞬間の笑顔が、チクリと私の心を刺す。やっぱり私と一緒より、桃さんや(ひかる)さんと一緒のほうが、両太郎さんは楽しめたのかもしれない。あるいは――今は敵同士になってしまった、螢さんだろうか。

 そんな風に思っていたら、


「なるほどクレープか、参考になった。渚、俺達も後で食おう」


 両太郎さんはそう言って、ニッと笑った。


「え……?」

「いやー情けない話だけど、こういうとこに女の子と来る機会なんて普段無いから、渚につまらない思いさせちゃってるんじゃないかなって。それであいつらの行動を参考にしようかと。……クレープは嫌いだったか?」

「あ、いえ……そんなことは。食べましょう、クレープ!」


 慌てて返答する。

 てっきり両太郎さんは私といるのがつまらなくて二人を探していたのだと思っていた。


「せっかく来たんだからさ。嘘のデートとかそういうのは置いといて目一杯楽しもう。……まあ同行者が俺ってのが申し訳ないけど」


 両太郎さんが照れながらそう言ったものだから、私は驚いてしまった。

 両太郎さんも私と同じようなことを考えていたなんて。


「そんな、申し訳なくなんかありません! ……両太郎さんこそ、私と一緒でつまらなくありませんか?」

「え、なんで?」

「だって私、絶叫マシンに乗っても悲鳴の一つも上げずにノーリアクションですし、(ひかる)さんみたいな可愛げがありませんから……」

「ぷっ」


 私は真剣な気持ちで言ったというのに、両太郎さんは堪え切れないといった顔で盛大に吹き出した。


「は……はははは! なんかさっきから渚が難しい顔してると思ったら、そんなこと考えてたのか!」


 呆気にとられる私にお構い無しで、両太郎さんはお腹を抱えて笑う。


「ちょっ、笑わないで下さい! 私は真剣に――」

「いや、ごめんごめん。でも『自分に可愛げが無い』なんてことを気にする渚は十分可愛いよ」

「ひぇっ!?」


 つい変な声を出してしまった。

 急にこの人はなんてことを言うのか。本当に不意打ちはやめて欲しい。


「それに悲鳴は確かに全然上げてなかったけど、ノーリアクションってわけでもなかったぞ?」

「え?」

「絶叫マシンに乗ってる時の渚、表情が凄く活き活きとしてた。実は結構ああいうの好きだろ」

「そ、そうでしたか……?」

「いつも冷静で理性的なのが渚のいいところだけど、時々無理してないか心配になるからさ。今日は楽しそうにしてる渚が見れて良かった」


 楽しそう。私は楽しそうだったのだろうか。

 確かに私は私なりに楽しんでいたけれど、いつも通り平静なつもりでもあった。

 自分でも気づかないうちに楽しさが顔に出ていたのだろうか。そして、自分でも気づかないほどの表情の変化を、両太郎さんは見ていてくれたのだろうか。


 だとしたら、それはなんだかとても嬉しい。


「あ、渚。ほらあそこ――アドバルーンが浮いてる」


 両太郎さんが遠くの街並みを指差した。確かにその先に、さっき見つけた豆粒みたいなアドバルーンが見える。私たちのゴンドラはいつの間にか円の天辺、十二時の位置に来ていた。ここならば絶叫マシンの高さだって超える。

 私たちは今、この園で一番高い場所から二人で世界を見下ろしている。


 上を見上げれば青々とした夏の空が広がっていて、太陽が少し眩しい。――さっきと同じ空だけど、それを見上げる私の気持ちはさっきと違っている。空と同じ晴れ模様だ。


「もう、両太郎さんったら。私もさっきジェットコースターの途中で、アドバルーンが見えるって言おうとしたのに」

「え、そうだったのか? ごめん、全然余裕無かったから……」

「ふふふ。両太郎さん、この世の終わりみたいな面白い顔してましたものね」

「いや、そこまでじゃないだろう!」

「あら、それじゃあ後でみなさんに判定していただきましょうか」

「え?」

「コースターの出口で搭乗中の写真が販売されてたの、気が付きませんでした?」

「なっ――いつの間にそんなの買ってたんだ!」

「両太郎さんがホッとしながら地上の感触を踏み締めている最中に」

「くっ……くそ、こうなったらリベンジだ! クレープ食べたら残り二つの絶叫マシンも制覇して、それからコースターにもう一回だ!」 


 両太郎さんはせっかく見晴らしのいい観覧車の中だというのに、再びパンフレットと睨めっこを始めてしまった。どうやら本気で絶叫マシンを制覇するつもりらしい。


 ひょっとすると私を楽しませようと気を遣って、意地になったふりをしているだけなのかもしれない。本当は少し無理をしてくれているのかもしれない。


 でも、今日はもうそんなことを考えるのはやめて、私自身が目一杯楽しんでしまおう。

 そうしたらきっと、両太郎さんも喜んでくれる――そんな気がするのだ。

この短編は毎日更新! ……のつもりでしたが、風邪でダウンしてしまいました。

明日は更新できないと思います(T_T)

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