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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Element.2 世界を繋ぐもの
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第二二話 螢の決意 -Es werde Nacht-

 虫の鳴き声が聞こえる。

 それに混じって、遠くで寄せては返す波の音。

 わたしは目を開き、そっと周囲の様子を確認した。


 窓からは淡い月明かりが注ぎ込み、灯りのない部屋を薄っすら照らしている。

 両太郎もフェアリズムたちも、ぐっすり眠っているようだ。


 音を立てないように、静かに上半身を起こす。

 その拍子に隣の布団で眠る両太郎が「うーん……」とくぐもった声を上げたものだから、一瞬ビクリとしてしまう。

 だが、目を凝らしてみると両太郎はしっかり寝息を立てていた。


「やめろ……やめてくれ……頼む……」


 はっきりしない口調で両太郎は苦しそうに呻いた。その眉間には深く皺が刻まれている。どうやら悪い夢を見ているようだった。

 両太郎はかつて心に深い傷を負った。その時のことを思い出しているのだろうか?


 わたしはかつて両太郎に、「夜の眠りのような安らぎを世界にもたらしたい」と言ったことがある。両太郎は、なんとも複雑な表情を浮かべていた。

 あの時、もしかすると両太郎は「夜の眠りが安らぎだとは限らない」と言い返したかったのかもしれない。もしも眠りにつく度に辛い過去の記憶が襲ってくるのだとしたら、確かにそれは安らぎとは程遠い。


 でも、今のわたしには陰陽の闇のエレメントストーンがある。

 この眠りを操るエレメントストーンならば、悪夢を見せることもできるし、その逆に幸せな夢を見せることだってできる。

 この力を使って、わたしは理想の世界を実現してみせる。絶望の底で、誰もお互いに傷つけ合うこと無く、穏やかに静かに生きる世界。全てを諦めた人々が、幸せな夢を糧として生きる、優しい優しい世界。


 わたしはパジャマ越しに、首から下げたエレメントストーンを左手で握りしめる。もう一方の右手は、そっと両太郎の額に伸ばす。両太郎の悪夢を消し去ろうと思ったのだ。

 すると両太郎は、わたしが力を行使するより早く、もう一度呻き声を漏らす。


「やめてくれ、桃……螢……っ」


 口許まで布団をかぶっているせいで聞き取りにくかったけれど、聞き間違いではないと思う。両太郎は今、わたしと桃の名前を呼んだ。

 両太郎が見ている悪夢の正体が、わたしにもはっきりわかった。

 それは過去の出来事じゃない。この先の未来に待ち受ける、わたしと桃――シスター・ダイアとフェアフィオーレの戦い。それが両太郎の心を苛んでいるのだ。


「……バカみたい」


 思わずそんな言葉が口をついて出た。

 まさか夢にまで見るほど悩んでいるなんて。つまり、そんなに悩むほどに――大切な妹と同じほどに、わたしのことを気にかけているなんて。

 わたしは《組織》のシスター・ダイア。両太郎の敵だ。その敵を気にかけるなんて、本当にバカみたいだと思う。

 そして――それを嬉しいと思ってしまったわたしもバカみたいだ。


 そう、わたしは嬉しい。

 桃と仲良くなれたこと。両太郎に大切に思われていること。それを嬉しいと思っている。

 それなのに、その全てを踏みにじって、わたしはフェアリズムと戦おうとしている。

 どうしてだろう。不思議なことに、それだけは決して揺るがない。

 迷いも戸惑いも無いと言ったら嘘になる。でも、絶望によってこの世界を救うという意志だけは決して捨て去ることができなかった。

 この合宿が終わったら、わたしはフェアリズムたちに正体を明かし、敵同士として戦う。


 きっと桃には辛い思いをさせてしまう。両太郎を苦しめてしまう。

 でも、それでもわたしは立ち止まれない――引き返せない。


 だから。


「サイレント・ダークスリープ」


 エレメントストーンを握りしめる手に力を込め、そっと唱える。両太郎の寝顔はフッと険が取れ、穏やかなものへと変わった。

 きっとその時が来れば、わたしは両太郎を苦しめてしまう。だからせめて今くらいは、幸せな夢を見ていて欲しい。


「おやすみ」


 安らかな寝息を立てる両太郎の額を軽く撫でて、わたしは立ち上がった。

 みんなを起こしてしまわないよう、忍び足で布団の海を渡り、廊下へ。そのまま自分に割り当てられた個室に戻り、パジャマを脱ぐ。


 防御力を考えるとシスターのローブが一番なのだが、残念ながらそれは持ってきていない。かわりに、一番動きやすい服――といってもごく普通のブラウスと短めのスカートだけど――に着替える。

 それから、来た時と同じように忍び足で廊下を引き返し、今度はリビングを素通りして玄関へ向かう。

 

 この合宿が終わったら、わたしはフェアリズムと戦う。これはもう決めたことだ。

 でもせめて合宿の間だけは、彼女たちの――そして両太郎の友達でありたい。

 友達として、わたしはみんなを守らなければならない。いや桃の言葉を借りるならば、わたしがみんなを守りたい――そう思ったのだ。

 だから、これからわたしは一人で戦いに向かう。


 ブーツの靴紐を結びながら、そんなことを考えた時だった。


「行くつもりですか?」

「――!」


 背後からの声に、わたしは慌てて振り向く。

 灯りのない暗い廊下には二つの人影。玄関越しに仄かな月明かりが照らしだしたのは、寝ているとばかり思っていたフェアリズムたちのうち二人だった。


 一人は目鼻立ちの通った顔立ちに、深い海を思わせる理知的な瞳のセミロングヘアの少女。いつもかけている眼鏡は、今は外している。もう一人は広大な空を思わせるつかみ所のない瞳と、どこか少年的な印象を持つショートカットの少女。水樹渚――フェアマーレと、生天目優――フェアチェーロだ。二人はパジャマのまま、腕組みをしてわたしを見下ろしていた。


 音を立てずに行動したつもりだったけれど、気づかれていたらしい。

 何と言って切り抜けよう。寝付けないから散歩に――それでいいだろうか?

 でも、もしエレメントストーンを使うところも見られてしまったのだとしたら、まるで話は変わってくる。


 そんな逡巡のせいで、応答が少し遅れる。その隙に相手側は容赦なく言葉を続けた。


「シスター・ポプレを迎撃するつもりですね、螢さん――いえシスター・ダイア?」


 水樹さんはそう言って、ニッコリと微笑んだ。そのあまりに愛想良く整った笑顔に、かえって底知れない凄みを感じてしまう。


「気づいていたの?」


 そう返すと、水樹さんは少し目を丸くして驚き、隣の生天目さんは逆にわたしの反応を予想していたかのようにニヤッと笑った。


「あら、麻美が告げ口した――とは考えないんですね」

「……そうね、思いもよらなかった」


 言われてみればそれが一番シンプルな理由だ。しかし自分でも理由はわからないけれど――合理性とは全く違う部分で、わたしはその答えが間違いだと確信していた。


「金元さんはそういうタイプじゃないでしょう」


 すると、今度は水樹さんも柔らかく微笑む。それはついさっき見せた、不自然に整った笑顔とは別物だ。


「ほら、僕の言った通り。リョウくんと麻美の人を見る目は確かだよ」

「そうね……私が間違っていた」


 二人で頷き合って、勝手に何かを納得している。話がさっぱり見えない。


「本当は最初から――あなたが桃さんの誕生会に現れた時から、以前見たシスターと同じ顔だと気がついていました。政治家の家に生まれ育ったせいでしょうか、私は人の顔を憶えるのがとても得意なんです」

「最初から? だったら、どうして今まで黙っていたの?」

「両太郎さんがそれを望んでいると思いましたから」


 当然でしょうと言わんばかりに、水樹さんは笑顔を崩さずに言い切る。

 その姿に、少しだけ背筋に悪寒が走る。

 この合宿に参加して、フェアリズムの五人が全員少なからず両太郎に好意を寄せていることはすぐに察した。けれど水樹さんのそれは、時々他の四人と少し違っているように見える。


「両太郎さんに考えがあるようだったから、私は黙っていた。それだけです」


 ほら、これだ。

 彼女の両太郎への好意は、どこか崇拝じみている。でも、そこに触れると藪蛇になりそうだ。今はそれよりも、話の核心――シスター・ポプレの件だ。

 私は一度大きく息を吸って、それから全部吐きだした。


「……さっきのスズメバチフアンダー。あれは恐らくポプレが残した残党ではないわ。その逆――復活したポプレが放った偵察兵と見るべきよ」

「うん、それはぼくたちも同感。口には出さなかったけど、きっとリョウくんもそれは考えてたと思う」


 今度は生天目さんが答えた。

 フェアリズムの五人の中で、この子が一番何を考えているのか読みにくい。


「だったら引っ込んでいて。ポプレはわたしが追い返すから」


 そう告げると、二人は顔を互いに見合わせた。


「私と(ゆう)も行きます。シスター・ポプレとは因縁がありますから」

「戦いになったら、戦力が多いほうがいいでしょ? このフェアチェーロにお任せさ」


 二人は力強く申し出る。

 しかしなんとなくその答えを予想していた私は、すかさず首を振ってその提案を否定した。


「戦いになったらじゃなく、あなたたちがいたら確実に戦いになるわ。それに勘違いしないで、わたしは別にあなたたちの仲間じゃない。この合宿が終わったら、殺し合いをする敵同士よ」

「あら、その敵を守るために戦おうとしてる人の台詞ではありませんね」

「くっ……」


 二人は譲ろうとしない。このまま議論を重ねても、きっと徒労に終わる事だろう。

 ならば――。


 私は大きくため息をつき、二人に向かって右手を差し伸べる。同時に、気が付かれないように左手を胸に――服の下に身につけた陰陽の闇のエレメントストーンに添える。


「……ポプレがこの合宿のことを嗅ぎつけたのは、きっとわたしが参加してしまったせい。そしてわたしは、この合宿の間だけはシスター・ダイアではなく、あなた達の友達の黒沢螢なのだと、そう約束した。だから――」


 そう言って微笑みを投げかけると、二人はそれに応じて、わたしの差し出した手にそれぞれの手を重ねた。同行することに納得したと思ったのだろう。

 わたしはそれを見計らって、


「サイレント・ダークスリープ」


 二人に向かって、エレメントストーンの力を放った。


 ドサッと音を立て、二人の身体が廊下に崩折れる。二人は両太郎と同じように、きっと穏やかな夢を見ているはずだ。


「――だからわたしは、一人で戦わなければならないの」


 音を立てないようにリビングから毛布を取ってきて、二人の身体にそっと掛ける。床で熟睡したせいで、朝になったら身体が痛くなるかもしれないけれど、そこは大目に見てもらおう。


 外にでると、背後でガチャリと音がした。オートロック――自動で施錠する仕組みなのだと昼に教えてもらった。つまりもう、わたしの方からは扉を開けることはできないのだ。

 ほんの数センチの厚みしかない玄関の扉が、まるでわたしとフェアリズムたちを隔絶する壁のように感じられる。


 それでいい。

 今はあの子たちを守りたい。でも、あの子たちの仲間になるつもりはない。

 この裏腹な気持ちが迷いに変わってしまわないように、わたしは一人で戦わなければならない。


 ポケットに忍ばせていた飴を取り出して、口に入れる。

 こうして定期的に糖分を摂取して不安の声を抑止している時点で、わたしはシスターとして不完全な存在なのかもしれない。


 でも、それでいい。

 わたしはフェアリズムの仲間でもなく、《組織》の操り人形でもない。わたしはわたしだ。わたし自身の願いのために戦うのだ。


 星空を見上げて、大きく息を吸う。生ぬるい夏の夜の空気は、少し潮の香りがした。

微修正(14/12/22)


年内、遅くとも年末年始中にはElement2完結まで進めたいと思います(ベストエフォート方式)。

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