第一七話 夏の夜の骨折り甲斐 2 -Midsummer Night's Labour's Won 2-
渚と麻美との雑談は三十分ほど続いた。
ただ他愛もないことを話してただけだけど、《世界を繋ぐもの》に少しは近づけた気がする。そんな実感を噛み締めながら、俺は渚たちと別れて次に向かった。
今度は浜辺の東側にある岩場の辺り――天体観測をしている優と光だ。
「やっほー両兄!」
「やあ、リョウくん。星を見に来たの?」
岩場に腰を降ろしていた二人は、俺を見るなり無邪気な笑顔を浮かべ、手にした懐中電灯を容赦なく俺の顔面に向けてきた。こらこら、眩しいだろ。
「ああ。折角の機会だからみんなと雑談して回ろうと思ってさ」
「雑談? いいけど……別にいつでもできるじゃん。ましてや今は夏休みだし。なんならあたし、今度一日中付き合うけど、どう?」
「ははは、それはそのうちな……」
妙にはしゃぐ光にたじろぎながら、俺も二人の近くに座る。
「いつもと違う環境で、敢えていつでもできることをするってのも、なかなか贅沢だろ」
「あ、それはぼくもちょっとわかるなあ」
「そりゃ海まで来てビーハンしてた両兄と優はわかるでしょうよ」
光は頬を膨らませてご機嫌斜めをアピールしてくる。桃の百面相とはまた違った意味で、光も良く表情が変わる。まるで気まぐれな猫みたいな子だ。
「光もやってみればいいじゃん。そしたらリョウくんと一緒に遊べるよ?」
「むっ、それは盲点だったわね……。でもあたし、ビーハンって今まで全然やったことないよ。両兄も優も過去作からやってるベテランでしょ?」
「大丈夫、反射神経の鋭い光なら、きっとすぐ上手くなるよ」
「そ、そう? じゃあ今度やってみようかなー」
ほら、もう上機嫌な顔になった。こういう喜怒哀楽のはっきりしてるところは光の美徳だよな。
それはいいとして、このままじゃビーハンの話ばっかりになってしまいそうだ。いくらいつでもできる雑談とはいえ、内容までいつも通りっても流石にちょっとな。
「それにしても優と光が星好きなんて知らなかったな。どんな星を見てたんだ?」
天体望遠鏡を親指で指しながら尋ねる。すると光はフッと遠い目で笑った。
「あたしはちょっと天の川が見たいなって言ったんだけどさ。ほら、七夕とかあったばっかりだし。そしたら優が張り切っちゃって……」
「だって光ったら夏の大三角も知らなかったんだよ」
呆れ顔で告げ口をする優。なるほど、そういう流れか。
夏の大三角は琴座のヴェガ・鷲座のアルタイル・白鳥座のデネブの三つの一等星を結んだ、天の川を跨ぐ大きな三角形だ。そのうちのヴェガとアルタイルは、昔から世界各地で何かとセットで扱われ、二星で一対の呼び名や伝説が与えられてきた。たとえばヴェガはアラビア語で《急降下する鷲》、アルタイルは同じく《飛び立つ鷲》という意味の言葉が語源になっている。そして古代中国では織女星――織姫と、牽牛星――彦星。それぞれ七夕の伝説に登場する星でもある。恐らく七夕の話題から夏の大三角の話に発展したのだろう。
とまあ、流れとしては理解できる。でも別に夏の大三角は誰もが知ってる一般教養とまでは言えないし、光が知らないのは仕方ない。むしろ優がよくそんなことを知っていたものだ。
――まあ、優が知ってた理由は心あたりがあるんだけどな。多分、俺が知っていたのと同じ理由だ。
「優は夏の大三角なんてどこで知ったんだ?」
「え? ぼ、ぼくは……うん、毎年ここに連れてきてもらって星を見てるし、天文とか好きだからね」
「そうかそうか。で、スターライトリングは取れたのか?」
「あちゃー、バレてた。あはは……」
優は照れながら頭をかく。そんな優を見て、光は「え、どういうこと?」とキョトンとした様子。
「ビーハンの七夕イベントにあったんだよ。ヴェガ・アルタイル・デネブの名前を持つ三体のレアビーストを討伐して、限定アクセサリをゲットしよう! ……ってのが」
「なーんだ、いつものゲーム知識だったの! もう、優ってば得意気に言うんだから……」
「あはは、光の反応が新鮮でつい、ね。渚や麻美は最初から『どうせゲーム知識でしょ』って反応しかしてくれないから……」
呆れ顔で笑う光に、照れ笑いの優。うん、このフェアリズム元気担当の二人はやっぱり笑顔が似合う。
それにしても、この二人の組み合わせってなかなか面白いかもしれない。明るいムードメーカーである点は共通してるけど、色々な部分でタイプの違いがある。たとえば同じように気まぐれな行動を取ってる時も、光の場合は豊かな情緒や鋭い直感に従ってるように見えるし、優は自由な発想や迅速な判断に従ってるように見える。
戦闘面では、二人とも格闘技を長年続けてきただけあってフェアリズムの五人の中でも図抜けた体捌きを見せる。でもそのスタイルはやっぱり違っていて、どこまでも強く・鋭く・迅くを貫く光に対して、臨機応変に様々な状況に対処できるのが優だ。野球で例えるなら光は速球派、優は技巧派といったところか。その違いはどちらが優れているというものではなく、むしろ互いに補い合うものだ。
もしかするとこの二人はお互いの力を高め合える、なかなか良いコンビなのかもしれない。
――ん?
コンビ……コンビネーション、結合……繋がり。
コンビネーションによって力を高めること――これがフェアリズムの新たな力の鍵、《世界を繋ぐもの》だったりするのだろうか?
いや、いくらなんでもそんな単純なことではないだろう。もし《世界を繋ぐもの》が単なる連携のことだとしたら、複数人のフェアリズムの合体技ともいえるエレメンタルサーキュレーションはその究極形と言ってもいい。しかしサーキュレーションは、既に何度もシスターたちに破られてしまっている。
ううむ……。
「両兄、なに考え事してるの?」
光の声でふと我に返る。気がつけば光と優がジッと俺の顔を覗きこんでいた。
しまった、つい思考に没頭してしまった。さっきも渚に「難しい顔をなさってますよ?」なんて言われたばっかりだってのに。
「あ、ああ。悪い悪い」
「リョウくん、いま完全に一人の世界に意識が飛んでたね」
「まったく両兄ってば、こーんな満天の星空が見える本物の夜の海で、こーんな美少女二人目にしてるってのに!」
光は「こーんな」のところで大仰な身振り手振りを交えながら立ち上がり、言葉の最後には腕組みをして胸を張り、いかにも怒ってると言いたげなポーズを取った。コイツ、案外空手だけじゃなく演劇の才能もあったりするんじゃないだろうか。
いや、ダメだな。チラリと八重歯の覗く小悪魔じみたニヤケ顔のせいで、本当はちっとも怒ってないのがバレバレだ。
「美少女とか、自分で言っちゃうのかよ」
「え、自分で言っちゃダメ? もしかして両兄が言ってくれるつもりだった? じゃあ前言撤回!」
そうきたか。
座り直した光は擦り寄るように身を寄せてきて、大きな瞳をキラキラさせて俺の言葉を待っている。何やら突っ込む隙も無いまま、俺が何か言わされる流れが構築されてしまった。
まあ別にいいんだけどな。実際光も優も一般的に言って美少女の類だと思うから、心にもないお世辞ってわけでもない。ただ、褒め言葉よりも先に、年長者として一つ言うべきことがある。
「光、年頃の女子はそんな無防備に振る舞うもんじゃない」
我ながら口煩いオッサンみたいだと思いつつも、一応注意する。ただでさえ光は普段からスキンシップが多くてハラハラさせられているというのに、今日は輪をかけてくっついてくる。海に来た解放感がそうさせているのかもしれないが、もう少し警戒心や節度を持ってもらわないと危なっかしい。
小学生の頃から見知った光は、俺にとって二人目の妹みたいなものだ。いや、俺をお兄ちゃんと呼んだのは桃より光のほうが先なくらいだ。兄をあまり心配をさせないで欲しい。
「………………」
注意された光の方は、なんだかショックを受けた顔で固まっている。
ちょっとキツく言い過ぎちゃったかな。でも仕方ないよな。光のためにも、こういうことはしっかり伝えないと。
などと思っていたら。
「ねえ、両兄! もう一回言って、もう一回!」
硬直の状態異常から解き放たれた光は、何故か嬉しそうにはしゃぎだした。
「ん? だから、光は年頃の女の子なんだから、そんな無防備な振る舞いは――」
「ホント? あたしって年頃の女の子?」
「――へ?」
予想外の部分に食い付かれてしまった。
「両兄から見て、年頃の女の子に見える?」
またも目をキラキラさせ、光は俺の襟をグイグイ引っ張って問い詰めてきた。
なるほど、光も今年で十四歳だもんな。子供と大人の境目で、自分がどちらに見られるのかを気にする時期なのだろう。もしかすると薄く化粧をするようになったのも、大人の側に見られたいという気持ちの顕れなのかもしれない。
「ああ。光は年頃の可愛い女の子だ。だから色々気をつけてくれよ」
仕方ないので注意の後にしようと思っていた褒め言葉も同時に伝えて、襟元にしがみついていた光を引き剥がす。カミツキガメの如く食いついていたのにあっさり離れてくれた辺り、俺の言葉は雷みたいなショックを与えたのだろうか。あれ、雷が鳴るまで噛み続けるのはスッポンだっけか。
「大丈夫、両兄にしかくっつかないから。ふふふ」
光は含みのある笑みを浮かべて、指先で横髪をくるくると弄んだ。その仕草がなんだか妙に色っぽく見えて、思わずドキッとしてしまう。
ダメだ、落ち着け落ち着け。俺のほうが変に意識してしまったら、せっかく俺を兄のように慕ってくれている光に申し訳ない。
なんて内心の焦りを鎮めていると、
「ねえ……二人ともさっきから、ぼくもいるってこと忘れてない?」
ムスッとふくれっ面をした優に怒られてしまった。
その後は三人で天体観測を楽しんだ。優はあっさり機嫌を直してくれたので、俺は内心ホッとした。
天体望遠鏡は俺の見立て通り、かなり高価なものだった。例のヴェガやアルタイルのようなわかりやすい星の位置をいくつか最初に認識させると、そこから方角や角度を把握して他の星をナビゲートしてくれるという、なかなかの優れ物だ。流石は麻美お嬢様、良い物を持っている。
そんなこんなでしばらく星空を楽しみ、時計が二十三時を示す直前に二人と別れた。
いくら外野の目の届かないプライベートビーチ状態といっても、未成年としては日付が変わるまでには帰っておかねばなるまい。滅多に触るチャンスのない望遠鏡に名残惜しさはあったが、一通り全員と話をして回るにはここいらが切り上げ時だ。
渚と麻美、そして光と優と話したから――残るは桃と螢だ。
俺は砂浜を二人が歩いて行った方向、西に向かって歩き始めた。
微修正(14/12/17)




