第一六話 夏の夜の骨折り甲斐 1 -Midsummer Night's Labour's Won 1-
金元家の別荘から浜辺までは、ほんの数十メートルしかない。裏口から外に出て、防砂林の間を斜めに抜ける小道を歩けば、あっという間に海岸に辿り着く。なんとも贅沢な環境だ。
だが、その僅かな道程の間に俺たちのテンションは最高潮を迎えていた。
「うわー、すっごい! ねえほら、どこ見ても星だよ!」
浜辺に着くなり、もう我慢できないという様子で光が叫ぶ。せっかく大人びたワンピースのビーチドレスを着ているのに、その子供みたいなはしゃぎっぷりですっかり台無しだ。でも、無理もない。光の言葉の通り、見上げた夜空には一面に星が煌めいている。数えきれない――というか、そもそも数えようという気も起きない。
有名な星座を形作る一等星や二等星ならば都心でも時々目に入る。しかし今俺たちの目の前に広がる夜空では、それらの見知った星々の間に無数の星が散りばめられている。まるで「まだ隙間があるから置いてやれ」と悪戯に配置されたかのように、名も知れない星が所狭しと光点を作っている。遮蔽物や人工灯の多い都心では、こんな光景は夢のまた夢だ。プラネタリウムくらいでしかお目にかかれない。光じゃなくたって、こんな星空を見たら感嘆の声の一つも上げたくなるというものだ。
パックとアリエルに留守番を命じたのはちょっと可哀想だったかもしれない。とはいえ妖精を人目に触れさせるわけにいかないので仕方ないのだが。
そして、星の洪水に目を輝かせているのは光だけじゃなかった。桃はポカンと口を開け、言葉も忘れて空を見上げている。螢はその隣で、呆然と口をつぐんでいる。
「来て良かったな……」
そんな感想が思わずこぼれた。みんなでこうして一緒に星空を眺めるのは、きっと大きな意味がある。フェアリズムの五人の結束にも――そして、螢の心のあり方にも。
「毎年見ていても、この夜空には圧倒されてしまいますね」
「初めて連れてきてもらった時、ぼくたちも驚いたからねー」
渚と優はテキパキと天体望遠鏡を組み立てながらも、光や螢の様子を微笑ましげに見守っていた。二人はお揃いで色違いのミニスカートにブラウス、サマーカーディガンという出で立ちだ。同じデザインの服を着てるのに、渚はいつもより快活そうに見えるし、優は逆に大人びて見えて、そのギャップが面白い。
麻美は浜辺だというのに白のシャツの上から黒のカマーベスト、下は黒のスラックス。ふわふわした色素の薄い髪もを後頭部でキュッと束ねて、なんだか妙にフォーマルな格好をしている。コーディネイト的にはカッコ良くキマっているのだが、身長が百四〇センチも無い麻美だとやっぱり可愛らしいという感想が先に来る。怒られそうだから言わないけど。
麻美がそんな格好をしてる理由はすぐに分かった。梶に運ばせた折り畳みのテーブルの上に、俺が担いできたクーラーバッグの中身を広げて、あっという間に即席のドリンクスタンドをこしらえたのだ。どうやら今の麻美はバーテンダーらしい。相変わらず形から入る子だ。
エミちゃんは早速たっぷりの角切りマンゴーが入った琥珀色の飲み物を受け取り、レジャーシートを敷いた砂浜にベタっと座り込んで嬉しそうにストローで突っついている。くそ、やけに重いと思ったらラム酒だのウォッカだののビンなんか入ってたのか。この場に酒が飲める年齢はエミちゃんしかいないってのに。運んできた俺に感謝しろよな。
麻美は手際よく人数分のアルミグラスにマンゴーや桃、パイナップルを取り分けた。さらにクーラーバッグから取り出した、ビン詰めの赤紫色の液体を注いでいく。一瞬ワインに見えたので慌てて問いただしてみたところ、ぶどうジュースにシナモンや生姜を漬け込んでおいたものだという。
ははあ、つまりこれは夏のフルーツをふんだんに使った、ノンアルコールのサングリア風ドリンクというわけか。流石はお嬢様、飲み物一つとっても洒落ている。
手持ち無沙汰そうにジロジロ眺めているのが気に障ったのか、麻美は俺にカットされたレモンをグラスの縁に添える仕事を命じた。なんかこう、「これならお前にもできるだろう?」と言われてるような気がして胸が痛い。噂に聞く刺身にタンポポの花を乗せるバイトもこんな気持ちになるのだろうか……。
そんなこんなで、最後にソーダを注いで軽くステアして、サングリア風ドリンクは完成した。一人フライングで酒をかっ喰らっていたダメな大人がいたものの、全員で乾杯。乾杯の後はあまり遠くに行かないというルールだけ設けて、各自で思い思いに夜の海辺を楽しむことになった。
桃と螢は浜辺を散策しながら何かを話している。光と優は岩場付近で天体望遠鏡を覗き込み、星を探しながらはしゃいでいる。麻美は無言のままドリンクスタンドに立ち、その傍らでは渚が星明かりを頼りに本を広げ、食休みの続きを読んでいる。
出遅れてしまった俺は、特にすることもなく少し離れた位置からボーっとみんなの様子を眺めていた。すると、何者かに背中をツンツンと突かれる。
「……何してんだよ、エミちゃん」
「何してんだよ、じゃないでしょ。それはこっちのセリフ」
振り向くと、酒が回って赤い顔をしたエミちゃんが呆れた目で俺を見ていた。その隣には梶もいる。二人ともいつから俺の背後に……。
というか、そんな呆れられるようなことをしているつもりはないんだけどな。だって、何もしてないんだから。
「ボーっとしてないで、みんなと話をしてきなよ。両太郎くんは何のためにこの合宿に来たのか忘れたの?」
エミちゃんはグッと拳を握って力説する。そんなこと言われたって、俺だって合宿の趣旨なんか知らないよ。正確に言えば「フェアリズムの新たな力を得るため」という目的ははっきりしてるけど、それがこの合宿とどう関連しているのか理解できていない。だって、エミちゃんが教えてくれないんだもんな。
いや、そもそも教わっちゃダメなんだったか。フェアリズムの新たな力、《世界を繋ぐもの》――それは俺やフェアリズムのみんなが自力で気づかなければならない類のものらしい。
――ん? なるほど、そうか。そういうことか。
「わかってるさ、合宿の目的だろ?」
「え、両太郎くん……ほんとに分かってるの?」
エミちゃんは驚いた顔で、隣にいる梶と顔を見合わせる。
やれやれ、俺を舐めてもらっちゃ困るな。
「ああ、バッチリだ。思い切って周囲の環境を変えてみると、普段と異なる発想が出てきやすい。こうやっていつもと違う場所で話し合うことで、《世界を繋ぐもの》がどういうものなのか浮かぶかもしれない――そういうことだろ?」
俺は自信満々に答えた。
だが、
「………………」
「………………」
エミちゃんと梶はなんだかげんなりした表情で顔を見合わせた。なんだ、俺の答えが間違っていたとでもいうのか?
「まあ、両太郎くんはそれでいいのかもね……」
「リョウがこれじゃ、みんな苦労するねー」
エミちゃんと梶は二人で納得して溜息をつく。なんだかわからないが酷くバカにされた気がする。
「なんなんだよお前ら……っていうかその様子じゃ、梶も《世界を繋ぐもの》が何なのか見当がついてるのか?」
「僕はエミちゃんから聞いただけだよ。ま、それはさておき。とりあえずリョウはみんなと話をしてきなよ。リョウの言う通り、いつもと違う場所、いつもと違う雰囲気で話せば答えが見つかるかもしれないからねー」
「あ、こら梶くんヒント出しすぎ! ちゃんと自分たちで気づかせなきゃダメでしょ!」
「へいへーい。そういうわけでリョウ頑張って」
ユルーい態度で俺を送り出そうとする二人。ったく、気楽に構えやがって。この人間界の未来だって、フェアリズムがパワーアップできるかどうかにかかってるんだからな。
「まあなんだかわからないけど、行ってくるよ……」
俺は二人に促されるまま、まずは渚と麻美のいるドリンクスタンドに向かった。
-†-
「あら両太郎さん、どうかなさいましたか?」
俺が近づくと、渚は本を閉じて向き直った。集中しているようで、しっかり周囲に気を配っていたらしい。そういうところは流石だ。
「悪いな、読書の邪魔しちゃって」
「いえ、ちょうど疲れてきたところですから」
セルフレームの奥で理知的な目を細めて、渚は風がそよぐように笑った。なるほど、よく見てみると渚が読んでいたのは経営学の参考書だった。装丁からして、ウィットに富んだジョークを織り交ぜながら学ぶ気のない人間にも易しく教えるような、一般向けの入門書とは一線を画している。著者の名前は当然のように横文字で、横に添えてある訳者もどこぞの大学の経営学教授という肩書きが付いている。専門家が専門家のために書いた、ガッチガチの専門書籍だ。そりゃあ読んでいて疲れるだろう。読書というより勉強だ。
こんなところまで来て勉強しているのだから大したものだ。そして、そんな超人じみた振る舞いがちっとも嫌味に感じられず、ごく自然な姿に見えてしまうあたりが渚らしい。
「それじゃあ少し話をさせてもらってもいいかな」
「ええ、もちろんです。――何かありましたか?」
「いや、雑談だよ。このところ《世界を繋ぐもの》のことで頭がいっぱいで、ゆっくり話す機会もなかったからな」
「うーん……確かにそうですね。私もちょっと、余裕を失くしていたかもしれません」
渚は真顔で頷いてから、「気分を変える意味でも、合宿に来たのは正解だったかもしれませんね」とはにかんだ。うんうん、渚もそう思うか。でもそう言ったら、エミちゃんと梶には微妙な表情されたんだぜ。――まあそれはいいか。
「最初は遊んでる暇なんか無いのにどうして――って思ったけどな。こうやって一緒の時間を過ごせば結束も深まるし、来て良かったよ」
そう言ったところで、不意に横からアルミグラスが二つ差し出された。中には並々と注がれたソーダ。グラスの底には軽く擦り潰したミントの葉が沈んでいる。勿論差し出し主は麻美だ。
渚と二人で礼を言ってグラスを受け取る。一口飲むと、体の中を涼しい風がスーッと吹き抜けていくような爽快感があった。
この合宿では麻美に世話になりっぱなしだ。別荘や車の提供、料理の陣頭指揮。――それから螢の件を皆に黙ってくれていることも。
最後のは渚の前で口を滑らすわけにいかないが、諸々の段取りについて改めてもう一度礼を言う。すると麻美は表情を変えずに黙って頷き、再び即席カウンターの方を向いてしまった。寡黙なバーテンダーを気取っているのだろうか。
「ふふ、両太郎さんは優だけじゃなく、麻美とも随分打ち解けたんですね」
麻美の態度を見て、渚は妙に楽しそうに笑った。そんなに麻美は人見知り気質なのだろうか。そりゃそうかもしれない。最初に会った時は思いっきり俺を不審者扱いしてたもんな。
「私、このままでは両太郎さんに優や麻美を取られてしまわないか心配です」
「へ?」
急に何を言い出すのだろうか。まるで俺と渚のどちらかと仲良くしたら、もう片方とは疎遠になるみたいな言い方だ。
やっぱりずっと仲良くしてきた相手が突然他の知り合いと仲良くなったら、気にしてしまうものなのだろうか。まあ冗談めかした口調だから、渚もそこまで本気で言ってるわけではないだろう。
でも、俺たちはそんな取る取られるの間柄じゃなく、一緒に戦う仲間だ。俺と優や麻美がどれだけ仲良くなろうと、それで渚と二人の間の絆が途切れるようなことは絶対にない。それだけはきちんと伝えておいたほうがいいよな。
「取らないよ。俺は渚のことが大事だから」
「あら、お上手ですね」
「いやいや、お世辞じゃないぞ。優や麻美のことが大切なのと同じくらい、渚のことだって大切に思ってる。だから取るとか取られるとかそういうのは無し、俺たちは一緒の仲間だろ」
少し熱が入って恥ずかしい言い方になってしまったが、嘘偽りのない俺の気持ちだ。
渚は少し目を丸くして、「同じくらい……」と呟きながら、ちらと横目で麻美の方を一瞥した。それからセルフレームのメガネを外して、
「ふふふ、そうですね。私も両太郎さんのことを大切に思っています。――きっと麻美や優がそう思っているのと同じくらいに」
そう言って笑った。
そんな渚の顔がいつにも増して大人びて見えたものだから、自分の言葉をほとんどオウム返しされただけなのに、なんだか妙にドギマギしてしまう。
ちょうどその時、視界の端で麻美の背中が一瞬ピクリと震えたような気がした。
「そ、それにしても凄い浜辺だな」
慌てて話題を変える。もう少し無難な話をしよう、それがいい。
「こんなに景色がいいのに全然他の海水浴客がいなくて貸し切り状態だし、そのおかげか砂浜にもゴミなんか全然落ちてなくて凄く綺麗だよな。やっぱりここって麻美の家が所有してる海岸――プライベートビーチってやつなのか?」
すると麻美はこっちを振り向いて、ジィっと射抜くような目で俺を見てきた。はは、強引に話題を変えたのはバレバレだな……。
渚はそんな麻美と俺を交互に見て、くすくすと笑う。
「両太郎さん、日本ではプライベートビーチは所有できませんよ」
「え、そうなのか? よくマンガとかで金持ちが持ってるけど……」
「天然の海岸は原則として全て国の所有物なんです。海岸法という法律に基づいて環境保全のために管理者が置かれますが、それも都道府県や市町村といった自治体の役割ですね。ここも一応は町が管理している公共の海岸です」
「へえ、海岸法なんてのがあるのか。全然知らなかった」
流石は渚だ。得意分野の理系以外でも色々なことを知っている。
……などと感心していたら、
「実は私もプライベートビーチが欲しいと思って、小学生の頃に色々調べたんです……あはは」
少し照れくさそうに笑う。なるほど、実体験に基づいた知識だったわけだ。
しかし「プライベートビーチが欲しい」って発想そのものは子供らしい無邪気なものかもしれないけど、断念した理由が必要金額とかじゃなく法的な面って辺り、やっぱり渚らしいというか……普通の小学生ではないな。まあ、渚の家も相当な金持ちっぽいもんなあ。金額だけの問題ならなんとかなるのかもしれない。
「あれ、でもそれじゃあ――どうしてこの海岸には他の客が全然いないんだ?」
「どうしてだと思いますか?」
渚はニコニコと悪戯っぽい笑みを浮かべている。正解を当ててみろというわけか。よし、その挑戦、受けて立とうじゃないか。
「そうだな……まず事実の確認だ。一つ目、この海岸は誰でも利用できる公共海岸だ」
「ええ」
「二つ目、でも実質的にこの海岸はプライベートビーチみたいな状態だ」
「ええ、ええ」
渚は楽しそうに頷き、俺の次の言葉を待っている。俺が正当に辿り着けると期待してくれているのだろう。その期待に応えなきゃカッコ悪いよな。
「この二つの事実は一見すると矛盾している。でも、実は同時に成立するんだ。その鍵は二つ目の『実質的に』の部分にある」
「――と、言いますと?」
「公共海岸ってことは、別に自分たちの所有物じゃなくても利用することはできるってことだ。そして、そこに他の客さえ入って来なければ、プライベートビーチっぽい状態にはなる。そう、必要なのは海岸の所有権じゃない、他の客が海岸に立ち入らない状況だ。そういうことだな?」
自信満々に言い切ると、渚は一際大きく頷いた。
よし、俺の推察は正しかったらしい。渚と麻美の前できちんと正解できて良かった。ホッと胸を撫で下ろす。
が、安堵している俺に向かって渚は悪戯な笑みを崩さずに、
「ここまでで五十点ですね。あともう五十点です」
厳しい採点結果を下した。
くそ、昼に刹那――ヴィジュニャーナの化身にも似たようなことを言われたぞ。
「どうして他の海水浴客はこの海岸に入ってこないのか――それを当てられたら百点です」
「ぐむ……」
確かに俺の答えは回答として不十分だったかもしれない。しかし、どうやって他の客が入らないようにしてるかなんて、俺に見当がつくはずが無いじゃないか。まさか金に物を言わせて力ずくで排除しているなんてことは無いだろうし……。
まあ五十点取れただけで良しとするしか無いな。悔しいけどギブアッ――
「もしも百点を取れたら、ご褒美に私ができることなら何でも一つお願いを聞いて差し上げますよ。――難しいと思いますけれど」
降参を告げようとした直前、絶妙なタイミングで二の矢が放たれた。相手の呼吸を読んで会話の主導権を握る――渚にはそんな話し方が染み付いているのかもしれない。
まあ別に願い事を聞いて欲しいとかじゃないけど、流石にこうまで言われちゃ退く訳にはいかない。挑発されて乗らないのは主義じゃない。
手がかりを見つけるため、俺は周囲を見回した。暗くてあまり細かいことは分からないが、昼間の記憶と繋ぎあわせればこの浜辺の大雑把な地形くらいは把握できる。
砂浜は弓型――あるいは半月形とでも言うべき形状をしていた。どうしてそんな形をしているかといえば、砂浜の両脇をゴツゴツした岩場が囲んでいるからだ。その岩場の先――昼に螢と話をした場所のすぐ目の前には、切り立った断崖があった。いくらなんでも、断崖から飛び降りて浜辺にやってくる者はいないはずだ。加えて、岩場から丘に上がる道は確か防砂林で塞がれていた。そもそも砂浜を経由せずに岩場に人が入るのは難しいだろう。
恐らく反対側の岩場も似たような状態になっているに違いない。両側の岩場からは人が入ってこないものと思って良いんじゃないだろうか。
となると、マトモな侵入経路になりそうなのは海に向かって正面方向だ。
しかしそれも防砂林がぐるりと周囲を囲っている。海岸に通じる道らしき道は、俺たちが通ってきた舗装もされていない道一本しかない。
その道によって海岸と結ばれている防砂林の反対側は、さっきまで俺たちがいた金元家の別荘を含む、いくつかの庭付きコテージが並ぶ空間だ。昼に見た時には、その一帯はバラやシュロの木の生け垣でぐるりと囲まれ、いかにも高級そうな――言い方を選ばなければ近寄り難い雰囲気を放っていた。
――なるほど、そういうことか。
俺は確信と共に、渚に頷く。
「ここは麻美の家だけじゃなく、あの辺りに別荘を持ってる複数の家が共同で確保している場所なんだな。いくつもの別荘を密集させることで、浜辺に通じる唯一の道を覆い隠してるんだ。」
俺の言葉に、渚は今度こそ満足気に頷く。
だが、それはまだちょっと早いんじゃないかな。俺はまだ答えを全部言ってないんだから。
「でもそれだけじゃ無理だよな。外から来た観光客は誤魔化せても、地元の人はここに穴場の浜辺があるって知ってるはずだ。もし近くのホテルやなんかが宿泊客を案内してしまったら、結局大勢がここに殺到することになる。あるいは両側を挟んでる岩場の辺りに浜辺に降りる道を作られる――なんてことも考えられる。そうなったら水の泡だ」
「――そうですね」
「なのに実際はそんなことにはなっていない。考えられる理由はただ一つ――地元の人達も別荘のオーナーたちに協力して、一緒になってこの現状を作り出してるんだ。ここからは推察じゃなく単なる予想だけど、その協力関係を成り立たせてるのは、別荘のオーナーたちによる地域振興とか地場産業への援助じゃないか?」
今度こそ最後まで推察を言い切る。
「……正解、百点」
渚に代わって採点してくれたのは麻美だった。
「ってことは農家の人が届けてくれた野菜とか果物も、ただのおすそ分けじゃなくて品評を兼ねてるんだな。援助のおかげでこれだけ美味しい作物が作れたから、これからも援助をよろしく……って」
「……それも、正解」
「ふふ、流石は両太郎さんですね。百二十点です」
渚も嬉しそうに笑う。どうせなら二百点がよかった、なんて贅沢は言わないでおこう。なんとかリーダーとしての面目躍如だ。
それにしても、この浜辺って面白い仕組みで成り立ってるんだな。地域を振興したい地元の人達のニーズと、ゆったり利用できるビーチが欲しい別荘オーナーたちのニーズが上手く噛み合って、互いに支え合ってる。
金元家の例を見るまでもなく、別荘のオーナーたちはみんな相当な財産や地位を持つ有力者たちだろう。でも彼らはその力によって相手を無理やり従わせてるわけじゃない。相手の願いと自分たちの願いを繋げて、一緒に叶えることで互いに幸せになろうとしている。そのために手にした力を振るっているのだ。
――そう思った瞬間、何か頭の隅に引っかかりを感じた。
繋がることで幸せになる――そのあり方に、俺たちが目下追い求めている《世界を繋ぐもの》の手がかりがある。そんな気がしたのだ。
いや、でも《世界を繋ぐもの》が金や社会的地位のことだってわけじゃないよな……?
一瞬の閃きのように湧いた感覚を、自分でも上手く理解できない。答えの存在を感じ取ったはずなのに、それが思考に落ちてくれず、ぼんやりと意識の中に霧散していく。
くそ、もどかしい!
でも確かに今、何かを掴みかけたぞ……!
「どうしたんですか、両太郎さん。難しい顔をなさってますよ?」
渚が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。互いの息がかかるくらいの距離に渚の整った顔があって、思わず背筋が強張ってしまう。ちょっと、近い、近いから!
「い、いや、えっと――」
「……もしかして、渚ちゃんにするお願い、考えてたんじゃ」
「あら、そうなんですか両太郎さん?」
「……にーさまのことだから、きっとえっちなお願いする気」
「ええっ、そ、そうなんですか両太郎さん……?」
渚は顔を真っ赤に染めて後ずさる。いや、恥ずかしいのはこっちもなんだが。
「た、確かに私にできることなら何でもと言いましたけど……でも、その……」
麻美の言葉を真に受けて、渚はモジモジと上目遣いで俺の方を見てくる。渚ってホントこの手の話題に弱いんだな。麻美もそれを知っていてわざとからかったんだろう。
いつも堂々とした態度にハキハキとした口調の渚が、こんな風に恥じらって口籠る姿は新鮮で面白い。しかしあんまり面白がってると今後の信頼関係に亀裂が走ってしまいそうだ。っていうか完全にセクハラになっちゃうしな。
「すぐには思いつかないから、後日でいいか? じっくり考えておくよ」
「じ、じっくり……!?」
「いや、変なお願いはしないから大丈夫だよ……麻美に殴られたくないしな」
「……え?」
今度は麻美がおかしな声を上げる番だった。
「……ど、どうして麻美が、にーさまなんか殴らなきゃいけないの」
渚のが感染ったみたいに顔を紅潮させて麻美が反論してきた。何故そんなに慌てているのだろうか。
っていうかその言い草は無いだろ……いっつも何かにつけて俺のこと殴ってるじゃないか。
「あれ、殴らないの?」
「……別に殴る理由なんか、ないし」
「そんなバカな!? 麻美の中では俺が渚にえっちなお願いをするのはセーフなの!?」
「や、やっぱり私えっちなお願いされちゃうんですか!?」
「いや、しないから! 今のはあくまで麻美の中の判断基準の話であって別に俺が実際ブゴッ!」
弁明を最後まで言い切る前に、麻美の見事な正拳突きが俺の脇腹に突き刺さった。
ちくしょう、いくらなんでも理不尽だろ……。
「……やっぱり、殴る。渚ちゃんに変なお願いしたら、殴るから」
麻美はさっきと真逆のことを言った。何故か顔を背けてるせいではっきりと見えないけど、心なしかまだ頬が赤いように見える。うーん、どうしたんだ麻美のヤツ。
「ふふ、二人は本当に打ち解けましたね。ね、麻美?」
渚は訳知り顔で楽しそうに笑う。
麻美はそれに答えず、余計にそっぽを向いてしまったのだった。




