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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Element.2 世界を繋ぐもの
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第一二話 桃と螢と両太郎 7 -Sister and Sys-Ter 7-

「螢がボーっとしてそうだから、玉ねぎが焦げないように気にしておいてくれ」

「なっ――誰がボーっとしてるのよ!」


 失礼な物言いに、思い切り睨み返してやった。すると両太郎はフッと口許を緩めて、それから金元さんを追って行く。

 いつもいつもそうやって人をからかって。死にかけたばかりだというのに、あの男の図太さは一体何だろう。第一、死にかけたのはわたしの攻撃を受けたせいだということをあの男は自覚しているのだろうか。一言くらい何か言えばいいものを、あんな軽い態度で――。


 そう、わたしはあの男をもう少しで殺してしまうところだった。

 思えばこれで三度目だ。

 わたしは人間界を絶望のどん底に沈めようとしている。けれどその手段として暴力を使いたいとは思わない。これまでの戦いでもずっと、フェアリズム以外の人間を傷つけることは避けてきた。それがわたしの信念だ。

 敵であるフェアリズムたちは、きっとわたしのそんな信念など知る由もない。だからわたしたちは永遠に分かり合うことはない。そう思ってきた。

 それなのに両太郎は、人間を傷つけたくないわたしの前に現れて勝手に傷つき、決して理解されないはずのわたしの信念にずかずか踏み込んで来て理解を示した。何度も死にかけて、それなのにヘラヘラ笑って――あまつさえわたしに向かって仲間になれなどと言う。


 やっていることが滅茶苦茶だ。両太郎はわたしの期待と真逆の言動ばかりで、わけがわからない。わたしにとって天敵と呼んでも差し支えない存在だ。

 だというのに、わたしは岩場でそんな天敵に向かって「一緒に《組織》に来い」などと言ってしまった。あの時は衝動的にそんな言葉が口をついて出た。

 滅茶苦茶なのはわたしも同じだ。両太郎といると、わたしという存在が揺らいでしまう。わたしにとって両太郎は邪魔者だ。


 なのにあの時、わたしは両太郎を失いたくないと思った。 


 以前に両太郎を殺しかけてしまった時は、焦りはしたものの、そこまで気に病むことはなかった。けれど今回は違った。両太郎に攻撃を当ててしまった瞬間、頭の中が真っ白になった。吹っ飛んだ両太郎が水面に消えるまで、まるでコマ送りの映像を見ているかのように時間がゆっくり流れた。

 助けなければ! ――瞬時にそう思ったというのに、わたしの身体は動かなかった。身体が鉄の塊になってしまったのかと思った。視界と同じように、わたしの身体もまたコマ送りでしか動かない。そんな気分だった。


 そう。わたしはあの時、両太郎を失うことを恐れて身動きがとれなくなっていたのだ。

 敵なのに? イルネス様から生かして連れて来いと言われているから?


――違う。敵だとか、ヴィジュニャーナがどうだとか、そんな考えはわたしの頭の中には少しも存在しなかった。両太郎を失いたくない。わたしの心はあの瞬間、ただそれだけを考えていた。

 わたしは両太郎を兄さんに重ねている。きっと、それを自覚してしまっていたせいに違いない。


 両太郎を死なせかけたことに、わたしはこんなにも動揺している。なのに、当の両太郎はいつも通りだった。それがまた腹立たしい。

 あの直前、わたしは両太郎に向かって「交渉決裂だ」と宣言した。わたしはシスター、フェアリズムはその敵で、両太郎はフェアリズムの側。決してお互いに相容れることはない。そう言い放った。

 なのに両太郎はそんなことは忘れたとでもいう風に、いつも通りの呑気な態度だ。

 わたしの言葉を否定するでもなく、死にかけた恨み言を言うでもなく、ヘラヘラと茶化してきた。


 ああ、どうしようもなく腹立たしい。

 あの女――シスター・ポプレと同じくらい、わたしにとって両太郎は相容れない存在だ。


「ねえ、螢ちゃん」


 わたしが両太郎への怒りを募らせていると、不意に花澤さんが話しかけてきた。

 ハッと我に返り、慌てて菜箸を動かす。大鍋の中でジュウジュウと音を立てていたスライス玉ねぎは、幸いにもほとんど焦げていなかった。危ない危ない、もう少しで両太郎に言われた通りになってしまうところだった。


「べ、別にボーっとなんてしていないわ! ほら、玉ねぎだって全然焦げていないでしょう!」

「ううん、そうじゃなくて……」


 花澤さんはわたしの反論に何故か苦笑を返した。

 それから少しの間黙って、意を決したように再び口を開く。


「螢ちゃんに訊きたいことがあるんだけど……」

「訊きたいこと?」


 一体どうしてそれで口籠る必要があるのだろう。

 まさかわたしの正体に関するものではないにせよ、よほど答え難い質問なのだろうか。

 少し警戒してしまう。でも、辺に拒むほうがかえって怪しい。


 わたしはコンロの火を止め、花澤さんの方に向き直る。妖精二人は金元さんが居なくなったのをいいことに、どこかに行ってしまった。今キッチンにいるのは、わたしと花澤さんだけだ。


「別にいいけれど――何?」

「あのね、螢ちゃんが昔お兄ちゃんの家の近くに住んでたって――」


 一瞬何を言われているのかわからなかった。そういえば先日、花澤さんの誕生パーティに飛び入り参加する羽目になった時、両太郎がわたしのことを咄嗟にそう説明していたんだっけ。まったく、行き当たりばったりで適当なことを言うんだから。まあ、とりあえず話を合わせて――


「もし間違ってたらごめん。あれって……嘘だよね?」

「――え?」


 心臓を冷たい手で鷲掴みにされたかと思った。

 花澤さんはわたしが精霊界フェアリエンの出身であることに気づいたのだろうか。わたしの正体が、花澤さんたちフェアリズムの宿敵――そして両太郎を幾度と殺しかけた、シスター・ダイアであることが知られてしまったのだろうか。

 背筋を冷や汗が伝う。


 金元さん――フェアステラとの戦いは、両太郎が海に落ちたことで中断された。その後、他の面々と合流してからも、金元さんがわたしの正体を話した様子は無かった。

 同じ料理当番になった時にそのことについて訊ねようと思ったけれど、金元さんがパックとアリエルを連行してきたためにそれは叶わなかった。

 いや、むしろ金元さんはそのために二人の妖精をこの場に連れてきたのかもしれない。わたしと二人きりになって、戦いを再開してしまわないために。


 しかし、だとすると花澤さんは一体どうやって、わたしの嘘――ほとんど両太郎の仕業だけど――を見破ったのだろうか?

 戸惑うわたしに、花澤さんは微笑みを崩さないまま静かな静かな声で続けた。


「お兄ちゃんね、わたしの本当のお兄ちゃんじゃないんだ。お兄ちゃんの本当の家族は、六年前にみんな――亡くなってしまったの」


 それは以前に梶から聞いていたのと同じ内容だ。


「亡くなった家族のことを話す時、お兄ちゃんはどこか遠くを見つめるような目をしてる。いろんな感情が篭っているのに透明な、不思議な目。……そして螢ちゃんも、お兄さんの話をする時に同じ目をしてる」


 わたしは何も言い返すことができなかった。梶から両太郎の過去を聞いた時、確かにわたし自身もその境遇に共感を覚えた。きっとその不思議な目というのは、失われた過去に向けられた眼差しなのだ。


 それにしても「いろんな感情が篭ってるのに透明」とは、抽象的だけれど存外に的を射ているのかもしれない。確かに過去のことを思い出すと、寂しさや懐かしさ、怒り、悲しみ、様々な感情がわたしの中に浮かんでくる。それらははっきりとした輪郭を持たず、複雑に重なり合って、融け合って、交じり合って、名前で呼ぶのが難しい透明な一つの感傷となって胸を締め付ける。

 花澤さんはその透明な感傷の存在に気づき、わたしの「兄さん」が両太郎のことではないと確信したのだろう。ひょっとすると、兄さんが既に死んでしまっていることまで察しているのかもしれない。


 花澤桃――フェアフィオーレ。強力な治癒能力を持つという点を除けば、フェアリズムの中では一番取るに足らない相手だと思っていた。戦闘中は他の四人の陰に隠れてあまり目立たないし、変身していない時はおどおどと内気な印象すら受ける。一番フェアリズムには向いていない子、そう決めつけていた。

 けれどこの子の本当の強みは、もしかするとわたしが思っていたのとは全く別の方向なのだろうか。相手の心に寄り添い、鋭くその中を見抜く力。それは相手の心の不安を見つけて増幅させるシスターの力とよく似ていて、そして対極にある力だ。ひょっとするとフェアリズムに向いていないどころか、フェアフィオーレこそ《組織》にとって最も厄介な相手なのかもしれない。


「――血が繋がってないって言っても、そういう妙に鋭いところは両太郎にそっくりね」

「じゃあ、その……」

「ええ、ご名答。わたしの兄さんは両太郎のことではないわ。兄さんは一年前に亡くなったの」


 観念して答えると、花澤さんは微笑を崩して眉尻を下げ、悲しげな表情を浮かべた。


「ごめんなさい、辛いことを思い出させて」

「別に構わないわ。――忘れたことなんて、無いから」


 そう、忘れたことなんて無い。兄さんの死で、わたしの命の意味は大きく変わった。今のわたしが――シスター・ダイアが存在することは、兄さんが死んだことと切っても切り離せないのだから。


 ふと気が付くと、花澤さんは言葉に詰まった様子で不安そうにわたしを見ていた。どうやら返答の際、わたしははずいぶん険しい顔をしてしまっていたらしい。

 花澤さんの視線攻撃にはどうも弱い。合宿への参加をついつい了承してしまったのも、こんな顔で懇願されたせいだ。おどおどした小動物のような目でジッと見つめられると、どうも罪悪感というか庇護欲というか、逆らい難い何かが湧いてくる。


「――本当に気にしないで。ところで、それが花澤さんの訊きたかったこと?」


 花澤さんは首を横に振った。ふぅっと小さく息を吐いて、それから真っ直ぐにわたしに目を合わせる。

 もうそれは庇護欲をそそる小動物の顔ではなかった。口はキッと結び、瞳には力強さ。まったくこの子は、どうしてこんなにコロコロと表情を変えるのだろうか。これはわたしにとって宿敵ともいえる、フェアフィオーレの顔だ。

 シスターとして幾度と無く対峙したフェアフィオーレの眼差しを前に、無意識のうちに全身が総毛立つ。わたしは必死にそれを抑えこもうとした。


――大丈夫、別に正体を気取られたわけじゃない。今のこの子はフィオーレじゃない、花澤桃だ。落ち着け。


 花澤さんはそんなわたしの気苦労を知らず、今度はすうっと息を吸い込んだ。そうして意を決したように放たれた質問は、わたしの想像とはまるでかけ離れたものだった。


「螢ちゃんは、お兄ちゃんと……その、付き合ってるの?」

「――え?」


 思考の外から唐突に投げかけられた問いに、思わず訊き返してしまった。

 それをはぐらかしと受け取ったのか、花澤さんは矢継ぎ早に言葉を続ける。


「いつの間にか知り合ってたし、何か二人で秘密にしてることがあるみたいだし、もしかしたらそうなのかなって」

「ち、違うわよ!」


 あまりに見当違いの指摘に言葉が詰まり、どうにかそれだけ返事をする。

 なんだそんな下らないことか、という安堵が胸の中で広がっていくのを感じながらも、その安堵の奥底でズブりとナイフで刺されたような冷たい痛みが走る。


 何が一体どうなって花澤さんがそんな思考に至ったのか、さっぱり理解できない。なのにどうしてわたしは、こんなに動揺しているのだろうか。

 わたしと両太郎が? そんな馬鹿な、ありえない。だって……ああもう。


「……本当に?」


 花澤さんはなおも追及の手を緩めない。わたしの言葉を疑っているというより、恐る恐る慎重に確かめようとしている、そんな目だ。


「本当よ。むしろわたしにとって両太郎は――天敵みたいなものだから」


 それはあなたも同じだけれどね――心中でそう付け足したけれど、当然そんなものは花澤さんには聞こえるはずもない。わたしの物騒な内心など知らずに、花澤さんはフッと表情を緩めた。

 はて、どうして今の答えに安堵するのだろう?


「でも、きっとお兄ちゃんの方は螢ちゃんのこと、天敵だなんて思ってないよ」

「え?」

「口には出さないけど、お兄ちゃんは螢ちゃんのこと凄く気にかけてる。仲良くしたがってる」


 花澤さんは一切の迷い無く、自信満々に言い放った。何故そんな風に言い切れるのだろうか。やっぱりわたしにはこの子がよくわからない。

 けれど、それは正鵠を射ているのかもしれない。


『俺はやっぱりお前と戦いたくない』

『お前が俺たちの仲間になるのは無理なのか?』


 岩場で両太郎に言われた言葉が不意に脳裏に蘇る。

 確かに両太郎は、わたしと戦わずに済む道を探しているようだった。


 ただ、それは仲が良いとかそういうことではない。

 わたしが両太郎に兄さんを重ねてしまっていたように、きっと両太郎もまたわたしに過去の自分を重ねているだけに違いない。同病相哀れむ、といえば聞こえがいい。でもそんなのは傷の舐め合いだ。

 何より両太郎は、組織に来いというわたしの誘いを拒んだ。わたしよりもあなたたち(フェアリズム)を選んだ。だから――


「たとえそうだとしても、わたしたちは敵同士だわ!」


 そう言い放って、ハッと我に返る。

 花澤さんにとってのわたしはシスター・ダイアではない。二学期からのクラスメイトで、両太郎と顔見知りな、ただの中学生――黒沢螢なのだ。それを忘れてつい思わず「敵同士」などと口走ってしまった。


「螢ちゃん……?」

「――怒鳴ってごめんなさい。言い過ぎたわ」


 流石に苦しいかと思いながらも取り繕う。

 どうも今日のわたしは冷静さを欠いていて、すぐに感情的になってしまう。昼間だって同じような流れで金元さんに正体を知られ、戦闘になってしまったというのに。

 これも糖分で不安の声を抑えている弊害だろうか? ――それとも、両太郎やフェアリズムたちと一緒にいて、どこか調子が狂っているのだろうか。


「ううん、螢ちゃんは悪くないよ。わたしこそ変なこと言ってごめん」


 花澤さんはわたしの言葉を訝しんでいる様子は無かったが、かわりにすっかり落ち込んでいた。

 そのずぶ濡れのウサギみたいなしょげかえった顔に、またもわたしはチクチクとした罪悪感を覚える。


――悪い兆候だ。

 わたしはこの花澤桃という子を、宿敵であるフェアフィオーレと同一人物として考えられなくなっている。フェアリズムを倒さなければならないという気持ちは決して消えていないのに、同時に花澤さんを傷つけたくないという思いも芽生えてしまっている。


 このままじゃいけない。

 わたしは思い切り大きく息を吸って、それから一気に吐き出した。肺の中を空っぽにするために――ぐちゃぐちゃに乱れてしまっている自分の思考を一度リセットするために。


 もうこれ以上は絞り出せないというところまで息を吐きだして、胸の力を緩める。萎んだ肺が口から鼻から、一気に空気を取り込む。炒めた玉ねぎの蠱惑的な香りが鼻腔を通り過ぎていった。


「螢ちゃん、どうしたの……?」


 恐る恐るわたしの顔を覗き込んできた花澤さんに向かって、


「ねえ花澤さん、今度はわたしから質問」


 キッチンを包む重苦しい空気を払拭するように、できるだけ明るい声で言う。


「――あなたはどうして両太郎がわたしのことを気にかけてるって思ったの?」

「え? うーん……」


 さっきはあんなに自信満々に言い張ったのに、どうして急に口籠るのだろう。その意味がわからず、花澤さんの顔を覗き込む。

 花澤さんは戸惑う素振りで、ジッと上目遣いでわたしを見つめ返した。それから、コクリと首肯する。


「桃」

「――え?」

「わたしのこと、花澤さんじゃなくて桃って呼んで。そしたら答える」


 花澤さんの声には妙な真剣味が篭っていた。名前で呼ぶ……一体そこに何の意味があるのだろう。

 もともと精霊界フェアリエンでわたしが住んでいた小さな集落では、苗字は家族の区切りを表す記号に過ぎなかった。お互いを呼び合う時は名前が基本だ。今こうして花澤さんたちを苗字で呼んでいるのは、単に人間界の文化に合わせただけのことなのだ。

 だからどうして花澤さんがそんなことを言うのか、わたしには見当がつかなかった。


「――桃、でいいのね?」

「うん、螢ちゃん!」


 花澤さん――桃は、ぱぁっと明るい顔で答えた。まるで大輪の花が咲くような笑顔に、思わずドキリとしてしまう。


「そ、それで桃」


 かつては当たり前のことだったはずなのに、こうして下の名で呼び合ってみると、なんだか胸の辺りにくすぐったさを感じた。それは生まれて初めて感じるようでいて、どこか不思議な懐かしさもある。わたしはそれを振り払うように言葉を続けた。


「わたしの質問に答えてくれるのよね?」

「うん。でも――お兄ちゃんには絶対に内緒だよ。わたしと螢ちゃんの秘密」

「……いいわ、わたしと桃の秘密ね」


 振り解こうとした胸のそわそわした感覚は、もう抑えきれなくなっている。


「あのね、螢ちゃん。わたし――」


 戸惑うわたしに向かって、桃はまたしても今までに見たことのない表情を見せる。

 いつもの照れ笑いとは違う、ついさっきわたしに見せた華やかな笑顔とも違う。静謐な森林を思わせる穏やかさと力強さ。そしてどこまでも見通し、全てを受け入れるような明るさ。

 その笑顔の意味を、わたしは直観的に感じ取っていた。だから、


「わたしね、お兄ちゃんのことが――好きなんだ」


 桃がそういった時、その『好き』に込められた特別な意味も、瞬時に理解できた。

 わたしは桃の笑顔に強く惹かれていくのを自覚しながら、同時に胸のそわそわがチクリとした痛みに変化しているのを感じていた。

誤字・呼称ミス修正(14/10/15)

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