第一一話 桃と螢と両太郎 6 -Sister and Sys-Ter 6-
キッチンの外で待っていた麻美は、俺の姿を見とめるなり歩き始めた。すぐ側にあった階段から二階に上がり、鍵のついた赤い金属扉を開けてテラスバルコニーへ。
俺は黙ったままその後ろをついていく。階段を昇る一歩一歩が重い。まるで死刑台へと向かっている気分だ。
六月の下旬に麻美と最初に出会った時は、得体の知れない男だと相当不審がられた。挙句に問答無用で一発殴られ、酷い目に遭った。お互いに決して良い印象とは言えなかっただろう。
けれどそんな印象はすぐに覆った。
協力してシスター・ポプレと戦った。雨の日に傘を持って迎えに来てくれた。花壇で育ててる花について教えてくれた。渚がフアンダーになってしまったのを暴くために一緒に芝居を打った。生天目道場で一緒に稽古に励んだ。桃の誕生日に料理を作ってくれた。様子のおかしくなった渚や優と俺の間を取り持ってくれた。俺が生徒会室に行った時、いつもお茶を淹れてくれた。
思えばいつも麻美は俺を支えてくれていた。
いや、俺だけじゃない。渚や優がそれぞれの得意分野でアクセル全開で力を発揮できるのは、麻美というブレーキ役がいるからだ。桃や光がみんなとすぐに打ち解けたのも、二人のクラスメイトであり生徒会メンバーでもあった麻美の橋渡しのおかげだ。
口数は少ないが仲間思いで、いつも陰から助けてくれる麻美。そんな麻美に、俺たち全員が支えられてきたんだ。
その麻美の信頼を裏切ってしまった。後ろめたさに、胃の辺りがちくちくする。
螢がシスター・ダイアであることを、俺はフェアリズムたちに明かしておくべきだったのだろうか。
いや、俺が目の前で殺されかけたことで、桃や光はダイアに対して相当な敵意を持っている。螢の方も、揺れ動いてるとはいえフェアリズムとは敵同士というスタンスを崩していない。恐らく正直に話していたとしても、余計に状況が混乱していただけだ。決して良い結果にはなっていないだろう。
黙っているしか無かった。
しかしそれはあくまで俺の事情だ。
秘密にされていた側――そしてそれを知ってしまった側は、やはり不愉快だろう。麻美が怒るのは当然だ。
だからこそなおさら気が重い。
麻美に対して口先だけの言い訳や弁明はしたくない。ということは「お前たちに話せないから黙っていた」と正直に言うしか無い。きっと余計に怒らせてしまうだろう。
――などと半ば萎縮していたものだから、開口一番の麻美の言葉に俺は目を丸くしてしまった。
「……本当にごめんなさい」
深々と頭を下げ、麻美はそう言った。あまりに上半身を傾けるものだから、ウェーブのかかった長い髪が地面を擦りそうになっている。
最初、俺はどうして謝られているのかわからなかった。
「……もう少しで、あなたに……取り返しの付かないことを、するところでした」
そう言われてようやく、俺は麻美と螢の攻撃に割って入って死にかけていたことを思い出した。
そうだ、俺はある種の自己満足のために、もう少しで麻美にとんでもない心の傷を負わせるところだったのだ。自分の都合や事情ばかりに頭がいっていたのが恥ずかしい。
麻美は怒っているどころか、苦しんでいたに違いない。それでもなお、この子は俺を責めるより先にこうして謝罪しようとしているのだ。
「麻美、顔を上げてくれ」
「……でも」
「麻美は悪くない。螢のことを黙ってたのも俺、二人の間に割って入ったのも俺、全部俺が招いたことだ」
「………………」
ようやく麻美は面を上げてくれた。
眉間に皺を寄せ、眉尻は下がり、少し細めた目の端には涙を浮かべている。唇はわなわなと震え、頬は紅潮。いつも無表情なその顔は、今は溢れそうなほどに感情に満ちていた。
そのあまりの痛ましさに、胸が締め付けられそうになる。
「俺こそ麻美に取り返しの付かないことをさせてしまうところだった。本当にごめん」
「………………」
麻美は何も答えず、かわりにズズッと鼻をすすった。
俺の自惚れじゃなければ、麻美は口こそ悪いものの、ある程度は俺のことを信頼してくれていたのだと思う。しかしその俺が隠し事をしていて、挙句に敵をかばって死にかけ、麻美に重い十字架を背負わせかけるところだったのだ。麻美としては二重三重に裏切られた気分に違いない。
そんな麻美に対して、この期に及んで事情や真意を隠すわけにはいかない。
別に説明して納得してもらおうってわけじゃない。いや、逆に怒らせてしまってもしょうがない。黙っていることが不誠実だ。
話を聞いた上で麻美がどう判断するかは、麻美自身に委ねるしかない。
「許してくれとは言わないが、説明だけはさせてくれ。どうして俺が螢のことを黙っていたのか、そして俺がどうしたいのかを」
麻美は俺の言葉に少し逡巡して、それからコクリと頷いた。
-†-
俺は麻美にこれまでの経緯を話した。
と言っても、シスター・ダイアとしての螢との経緯は殆ど麻美も知っている。だから俺が話したのは、戦いの途中にダイアが見せた甘さ、黒沢螢としてのアイツとやりとりしたこと、そしてヴィジュニャーナから得た情報が中心だ。
麻美は相槌すら打たず、俺が一方的に話すのを聞いていた。ただ、《絶望のエンブリオ》についての情報をもたらしたのが螢だという部分では、ピクリと眉を動かして反応した。
そして螢が刹那やメトシェラとのすれ違いによって絶望に囚われてしまったこと、俺はそんな螢を救いたいと思っていること、それらを伝え終わると、麻美は目尻の涙を拭って大きく溜息をついた。
「……両太郎さん、質問が二つ、あります」
口調は相変わらずさん付けに敬語のままだ。
「答えられることなら何でも」
そう告げると、麻美の表情が一層真剣さを増す。
「……一つ目、両太郎さんは、誰を選びますか?」
「――へ?」
質問の意味がわからない。
誰を選びますかって、どういう意味だ?
まさか麻美に限って、梶やエミちゃんみたいな下世話な質問はするまい。ましてやこの緊迫した雰囲気の中で。
だが、麻美はそんな俺の戸惑いを打ち消すように、
「……フェアリズムの五人、シスター・ダイア、その中で、誰を選びますか?」
改めて言い直した。声は震えていて、目は真剣そのもの。決してふざけてそんな質問をしているわけではない。それだけはわかる。
だが、そんな問いに咄嗟に答えられるわけがない。
すると麻美は苛立ちを隠さずに目を細めた。
「……もう一度、言い直します。……フェアリズムとシスター・ダイア、どちらかしか選べなかったら、両太郎さんは、どちらを選びますか? ……ダイアを助けるために、フェアリズムの誰かを犠牲にしなければならなくなったら、両太郎さんはどうしますか?」
その問いに、ようやく麻美の言わんとすることがわかった。
フェアリズムは大切な仲間で、ダイアは救いたい相手。これは俺の紛れも無い本心だ。しかしそれはどっちつかずな答えでもある。いや、そもそも答えですら無い。答えることを放棄しているに等しい。
どちらも大事。それを両立できているうちは良いかもしれない。でも、もしどちらか一方しか選べなくなったら、俺はどちらを選ぶのか。極端な話、もしもフェアリズムの五人と螢の中から誰かの命が失われるような状況に直面したら、そしてその時に誰が生き残るか俺の決断に左右されるのだとしたら。俺は誰を選ぶのか。そもそも選べるのか。
リーダーという役割を任されながら、俺の考えはあまりに甘すぎたのかもしれない。
螢を救ってフェアリズムの誰かを犠牲にする――もしそんな決断を下すとしたら、俺はフェアリズムのリーダーには相応しくない。そんな奴をリーダーとして認めることはできない。
麻美が言っているのはそういうことなのだ。
正解はきっと、フェアリズムを選ぶことだ。
フェアリズムを選べばいい。螢を犠牲にすればいい。それが正しい答えだって、考えるまでもなくわかっている。
でも、本当に俺にそれができるだろうか。螢を――かつての自分と同じ絶望の中にいる螢を見捨てて、正しい決断を下す。そんなことが俺にできるだろうか。
そんなの、無理に決まっている。
だから、俺の答えは――
「悪い、選べない」
俺の言葉に、麻美は眉間の皺を深めた。
「……その温い考えが、もし渚ちゃんや優ちゃんを傷つけたら、麻美はあなたを許さない……絶対に許さない……!」
幼い顔立ちにクールな表情――そんな麻美のイメージが跡形もなく吹っ飛んでしまうような、激しい怒りの形相。大人しい麻美の内に秘められていた烈火の如き激情に、背筋がビリビリと震える。
だがその形相に負けて、本心と違う答えで取り繕うような真似はしたくない。この期に及んで麻美に嘘をつくわけにいかない。だから俺は思うがままに答える。
「俺は選べない。螢も、桃も光も渚も優も、もちろん麻美のことも、みんなを守りたい。だからどうしても誰かが犠牲になるしかない時は、俺が犠牲になる」
「…………!」
「もちろん俺だって死にたくはないから、そうならないように全力を尽くすけどな」
照れ隠しにそう付け加えた。まあ本心だけど。
すると麻美はもう一度大きくため息をついて、
「……まったく、にーさまの、欲張り」
まだ少し震えた声で、呆れたようにそう言った。
その言葉に、俺が内心で胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
いつものように「にーさま」と呼んでくれたのは、俺の考えに納得してくれたということだろう。納得させるために言ったわけではないが、それでも麻美に理解してもらえたのなら嬉しい。……別ににーさまって呼ばれるのが嬉しい訳じゃないぞ、うん。
「……それじゃ、二つ目の質問」
そう言った麻美の声は、もういつもの落ち着きを取り戻していた。眉間の険もいつの間にか消えている。
結局二つ目の質問はするのかと面食らいつつも、黙って麻美の言葉を待つ。今の俺に拒否権は無い。
「……ダイアの事情とか、にーさまの考えとかはわかった。……それを聞いて、麻美はどうしたらいいと思う?」
その質問は予想外だった。
っていうかそれが二つ目の質問ってことは、麻美は最初から俺の一つ目の答えを見越していたんだろうか。あるいは俺がどう答えるかはさておき、最初から俺の答えを受け入れてくれるつもりだったのかもしれない。もちろん酷い返答をしてたら許してもらえなかっただろうけど。
「どう思うのも、どうするのも麻美の自由だ。俺にとやかく言う権利はない。もし麻美が螢のことをみんなに話すなら、俺はそれを止めない。止めることはできない。ただ――」
「……ただ?」
「俺の勝手な希望を言えば、秘密にしてて欲しい。俺のことは信じられなくても仕方ないけど、螢のことを少しだけでも信じてみてやって欲しい。それから、これからも仲間でいて欲しい。今まで通りってのは無理だろうけど、俺に麻美の仲間でいさせて欲しい」
気がついたら麻美に向かっておもいっきり頭を下げていた。最初と真逆の構図だ。
麻美は黙っている。俺は頭を下げたまま、次の言葉を待つ。数秒、数十秒、緊張した時間が流れていく。ヴィジュニャーナの見せた幻の中で過ごした数年間よりも、今のこの数十秒の方がずっと長く感じられる。
そしてその緊張が不意にフッと緩んだ。
「……わかった、にーさま。……でもにーさまの言う通り、今まで通りは、無理」
麻美の言葉に、俺はようやく上半身を起こした。
そうか、やっぱり今まで通り信用してもらうのは無理か。
でも麻美が螢のことをみんなに黙っててくれるなら、それだけでもありがたい――え?
俺の目が捉えたのは、予想とは真逆の麻美の表情だった。
「……みんなに、隠し事、できちゃった」
麻美はそう呟くとトコトコと小さな足音を立てて歩き出し、テラスのドアを開けて別荘の中に戻っていく。
俺は今見たものに困惑しながらも、慌ててその後姿を追う。
顔を上げた時に見えた麻美の表情。
それは辛辣な言葉とは裏腹に、何故か穏やかな微笑みだったのだ。
三連休中に12話も更新予定です。




