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愛と元素のフェアリズム  作者: みなもとさとり
Element.2 世界を繋ぐもの
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第五話 桃と螢と両太郎 1 -Sister and Sys-Ter 1-

 青い空。照りつける太陽。白い浜辺。どこまでも広がる海。……なんて月並みな表現だけど、俺たちの眼前に広がった光景はそう表現するしかなかった。


「ひゃっほー! 両兄りょうにい、こっちこっち!」


 あっという間に水着に着替えた――というか服の下にちゃっかり水着を着込んでた――ひかるが、空手で鍛えられたしなやかな肢体を惜しげも無く晒して、貸し切り状態の白砂の上を駆けて行く。

 ひかるの水着は真っ赤なハイビスカスが描かれたビキニ。引き締まっているのに出るところはしっかり出ているひかるにはよく似合っている。というか正直目の毒だ。


ひかるさーん、準備体操忘れてますよー!」


 俺のすぐ隣――砂浜に広げたレジャーシートの上で、手をメガホンのようにしてひかるに呼びかけたのは渚だ。ひかるからは「浜辺で遊ぶだけだからいらなーい!」と元気よく返事。

 渚の水着は深い青のビキニで、その上にメッシュ状になった水色のカバーアップを着ている。全体としては露出が控えめなものの、普段の渚の淑やかな印象と比べるとギャップが大きい。メガネを外し、髪を編み込んでアップにしているのも印象の違いを生んでいる要因だろう。

 カバーアップの隙間からチラチラ覗くボディラインは、ファッションモデルのようにスラリと整っていて、ひかるとはまた違った意味で魅惑的だ。もちろんガン見したりはしないけど。

 そんないつもと違う側面を見せている渚だが、律儀に準備運動を欠かさない辺り、中身は平常運行。基本的にとても真面目な良い子なのだ。


「準備運動もいいけどさ、渚だって大事なこと忘れてるよ」


 そう言って、ゆうが渚の肘を突っつく。

 ゆうの水着はデニムのショートパンツに、緑と白のボーダー柄のチューブトップだ。快活でボーイッシュな雰囲気が、いかにもゆうらしい。

 っていうか先の二人もそうなんだけど、中学生でセパレートの水着はちょっと早くないだろうか。三人ともスタイルが良いから申し分なく似合っている。しかしそういう問題ではない。どんなに似合っていようが、中学生を大人と同じ基準で見るわけにはいかない。かといって子供のような微笑ましさで眺めるのも難しい。平たく言ってしまえば、如何ともし難い背徳感がある。

 まったく、目のやり場に困ってしまう俺の身にもなって欲しい。


「え、大事なこと? えっと……何かしら」

「決まってるでしょ、海と言えば」

「海と言えば……?」


 何故か得意顔のゆうに、渚は本気でわからないといった顔で首を傾げる。ちなみに俺もわかってない。海で大事なことって、何だ?


「その顔、まさかリョウくんもわからないの?」


 ゆうは心底ショックだと言いたげだ。そんな「裏切られた」って顔で責められても、わからないものはわからない。


「しょうがないなー、もう。それじゃあ梶さん、一緒に渚とリョウくんに見本を見せてあげようよ」

「オッケーゆうちゃん!」


 ゆうの要請に妙に良い笑顔で応じたのは、変態野郎こと我が親友・梶藤也だ。何の面白みも無いハーフパンツ型の水着を履き、スポーツメーカーのロゴが入ったシンプルなTシャツを着ている。モブキャラみたいな地味さ加減だ。

 そのモブキャラはゆうと何かのアイコンタクトを送り合い、軽く屈む。そして「せーの」の掛け声とともに、二人同時に一気に飛び上がった。


『うーみだー!』


 空中で両手をまっすぐ上げ、足は膝で曲げた姿勢になり、バカバカは目一杯叫ぶ。それはまさしく、マンガやアニメで海に行く話になる度、冒頭でお約束のように展開される「海に来た宣言」だ。いくら他に人気のない貸切状態とはいえ、流石に恥ずかしい行動は慎んで欲しい。

 ……っていうか、大事なことってそれのことかよ。真面目に考えて損したじゃないか。


「はぁ」


 ビーチボールを抱え、大はしゃぎでひかるのところに走って行くゆうと梶。それを見送りながら、俺はシートの上に腰を下ろした。ったく。なんだか早速くたびれてしまった。

 梶のヤツ散々来るのを渋ってたくせに、なんだかんだで楽しそうだな。まあアイツが水着の女子中学生と戯れるなんてイベントを楽しまないはずがないのだが。


「あら、両太郎さんは行かないんですか?」


 一緒に取り残されてしまった渚は、少しそわそわした様子で言う。ゆうたちを追いかけたいけれど、俺を一人置いていくのも気が引ける――なんてことを考えている顔だ。まあ、責任感の強い子だからな。


「俺はここで待ってるよ。桃たちもそろそろ来るだろうし」

「では、私も――」

「いや、渚はゆうたちと遊んできなよ。っていうかゆうひかるも放っとくと何するかわからないからさ、お目付け役を頼む」


 半分本気だけど、もう半分は方便だ。そうでも言わないと、きっと渚は俺に遠慮してしまうだろう。


「ふふ、それじゃあお言葉に甘えて」


 そう言って、渚は悪戯っぽく笑った。はは、方便なのはバレバレか。


「あと、梶は邪魔だったらその辺に適当に埋めていいから」

「わかりました。それじゃ、行ってきますね」


 俺の冗談に真顔で答えて、渚は小走り気味に砂浜を駆けて行く。なんだかんだで渚も、友人と一緒に海に来るというシチュエーションで少しハイになっているようだ。なんだか微笑ましい。


 とまあ、そんなわけで俺たちは今、夏真っ盛りの海に来ている。一応の名目は《組織》のシスターとの戦いに備えた、フェアリズムの強化合宿だ。

 合宿――すなわち泊まりがけ。いくら宿泊先が麻美の家の別荘とはいえ、流石に中高生だけで外泊は好ましくない。そんなわけで保護者が同伴している。というよりは、この合宿自体がその保護者の発案によるものなのだ。


「やー両太郎くん、おまたせ!」


 噂をすればなんとやら、背後からその保護者の声だ。


「はいは――って、なんだよその物体」


 振り向いた俺の目に飛び込んできたのは、目の前に突き出されて視界の殆どを遮っている、直径四〇センチはくだらない緑の球体。北極と南極に相当する二点を結ぶように、放射状に黒い筋が何本も走っている。まあつまるところ巨大なスイカだ。


「そんな、まさかスイカも知らないなんて! 担任教師として教育方針を誤っていたのね……!」


 芝居がかった声でよよと嘆いたのは、俺と梶の担任でもある、エミちゃんこと香月絵美教諭。なんと彼女がこの合宿の保護者なのだ。

 小柄なエミちゃんは、大きなスイカを抱えてほとんど体が隠れてしまっている。まるでスイカから人間の下半身が生えてるみたいで滑稽だ。


「スイカは知ってるけど、スイカ怪人の知り合いはいないぞ」

「うわ、酷いなあ! こんな玉のような水着の美女を捕まえて!」

「いや、スイカしか見えないし……。文字通り玉みたいになってるからな」

「むう……」


 エミちゃんは憮然とした顔でスイカを地面に置く。砂の上なのにゴスッという鈍い音がした辺り、スイカは相当な重量がありそうだ。

 エミちゃんの水着は白地に黄色いフリルがついた、Aラインのワンピースだった。やや子供っぽい雰囲気の水着に童顔・幼児体型の相乗効果で、ひかるや渚と一緒に並んでいたら同級生と思われてもおかしくない。下手すると歳下に見られる可能性すらある。

 まあ年齢的にはダブルスコアなんだけどな。そこに触れるとうるさそうだから黙っておこう。


 スイカに隠れて見えていなかったが、エミちゃんの後ろには残りの合宿参加者三人の姿もあった。うち二人は当然ながら桃と麻美。二人とも水着は露出の少なめなワンピースで、少しホッとしてしまう。

 そして最後の一人。一人だけ学校指定の紺色の水着を身につけ、その上からパーカーを着た、長い黒髪にメガネの美少女。パーカーから覗く、水着の胸元に縫い付けられた名前布には「黒沢」の文字。

 そう、《組織》のシスターに対向するための強化合宿の最後の参加者は、あろうことかそのシスターの一員。シスター・ダイアこと黒沢螢だった。


「ほら、螢ちゃんも行こう」


 波際ではしゃぐひかるたちを指差し、桃が言った。しかし螢は首を横に振る。


「わたしはいいわ。桃は行ってきて」

「え? でも……」

「ちょっと車に酔ったみたいなの。少し休めば元気になると思うから」

「そっか。それじゃ先にいってるね」


 桃は少し心配そうな顔をしながらも、ひかるたちの方に駆けて行った。

 麻美はジッと、俺に何か含みのある視線を送ってきた。その意図が掴めずに首を傾げていると、麻美は呆れ顔でそっぽを向き、桃の後をとことこと無言でついて行ってしまった。


 シートの上に残ったのは、俺と螢とエミちゃんの三人だ。


「ごめんね黒沢さん。運転、ちょっと荒かったかな」

「あ、いえ。そういうわけではありません。わたしが車に乗り慣れていないだけなので。それに、わたしこそ、突然お邪魔してしまってご迷惑ではありませんでしたか?」

「ぜーんぜん、大歓迎だよ。……なんて私が言うのも変か。車も別荘も金元さんちのだしね。あれ? どうしたの両太郎くん、変な顔しちゃって?」


 二人のやりとりに呆気に取られていると、エミちゃんがキョトンと俺の顔を覗きこんできた。


「いや、その……」


 返答に困ってしまう。

 俺が驚いたのは螢の受け答えに対してだ。俺の中で螢は、人との関わりを避けようとする、排他的で厭世的な印象が強かった。『世界を絶望で救う』という考えを持つ彼女にとって、今の人間界は欺瞞に満ちたものに映っているのだろうと思っていた。

 しかし今の、穏やかな微笑みを浮かべてエミちゃんと会話する螢の姿は、ごく普通の女の子のそれに見えたのだ。


 螢がフェアリズムの五人とそれなりに会話できるようになったのは、先日の桃の誕生会に飛び入り参加したのがきっかけだと思っていた。しかし、今日が初対面であるエミちゃんともこうして普通に会話している。俺はそれに驚き、そして妙に嬉しくなったのだ。


――なんだよ。お前、ちゃんと普通の女の子なんじゃないか。


「どうしたの、はっきり言えばいいのに。黒沢さんのことジロジロ見ちゃって……。あ、さては両太郎くんってスク水フェチだったの? そっかそっか、気合入れて可愛い水着を用意した桃ちゃんたちは裏目に出ちゃったのね……」


 俺が黙って喜びを噛み締めている間に、エミちゃんの言いがかりはあらぬ方向へと向かっていた。勝手に俺を変態扱いするんじゃない。それに、その言い方じゃまるで、桃たちは俺に見せるために水着を用意したみたいじゃないか。

 だが螢はそれを真に受けてしまったのか、顔を真っ赤にしながら俺をギロリと睨んできた。パーカーの前面を閉じ、裾を引っ張り伸ばし、水着が俺に見えないように隠している。しかしそれが逆に、まるで裸の上に直接パーカーを着ているかのように見えてしまった。俺は慌てて首を振り、その発想を打ち消す。


「螢に変なことを吹き込むな、珍獣教師」

「誰が珍獣よ、失敬な!」

「変態教師って言いたいところを我慢してやったんだ、感謝してくれ」

「む……確かに変態よりは珍獣の方がいいわね。可愛い珍獣っていう可能性も少しは残されて――って、そうじゃなくて!」


 無駄にノリの良い返しをしてから、エミちゃんは両掌を垂直にピンと前に突き出して、それを少し持ち上げながら横にスライドさせる。「というのは置いといて」というジェスチャーだ。


「それじゃ、両太郎くんは黒沢さんを見つめながら何を呆けていたの? 素直に答えるのと、学校中に()()()()()()()()吹聴されるのどっちがいい?」

「せめてあること無いことにしてくれよ! 全力で捏造する気満々じゃねえか!」

「だったら素直に吐きなさい」

「――ったく。別に俺はただ……」

「ただ?」

「こういう風にしてる螢もいいなって思っただけだよ」

「なっ――!」


 水着を隠しながら黙って俺たちのやりとりを見守っていた螢が、ギクリと肩を強張らせて後ずさった。

 ただでさえ紅潮していた顔が一層真っ赤になっている。どうやら()()姿()()()()()()という意味に受け取られてしまったようだ。


「ち、違うぞ、変な意味じゃなくて! ほら、螢がこんな風に人と楽しそうに話してるのって珍しいからさ!」


 慌てて正直に弁明する。

 が、それが俺の間違いだった。


 照りつける太陽も焼けた砂浜も、一瞬どこかに吹き飛んでしまったかのような錯覚。それくらい、螢が見せた表情の変化は激しい物だった。


「――そうね」


 さっきまで紅潮していたはずの頬は、蝋人形のように青白い。感情をどこかに仕舞い込んでしまったかのような、冷たい目、冷たい声。


「楽しくなんてないわ。こんな風に馴れ合うのは、わたしの柄ではないもの」


 ゾッとするほど静かな声でそう言って、螢はどこかに歩き出す。


「違うんだ! そういう意味じゃ――!」

「違わないわ。あなたの言う通りだもの」

「待てよ、どこに行くんだ!」

「岩場で頭を冷やしてくるの。――ついて来ないで」


 腕を掴んだ俺の手を強引に振り解き、螢は足早に岩場の方に向かっていく。

 遠ざかっていく螢の後ろ姿。その背には激しい怒気を背負っていて、俺にはそれ以上声をかけることができなかった。


「行っちゃったねえ」


 螢の姿が岩場に消えた頃、エミちゃんがのんびりと言った。その口調は俺を責めるでもなく、茶化すでもない。ただ暗に「落ち着け」と促されているのだ。


「……失言だった」

「失言? 私はそうは思わなかったけどなー」

「もちろん俺はからかったつもりはないんだけど、螢はそう思ったんだろうさ」


 思った通りにそう言うと、エミちゃんは何故かポカンとした表情で俺の顔を覗き込んできた。


「両太郎くん、もしかして黒沢さんが怒ってると思ってる?」

「え? 思ってるとかじゃなくて、実際怒ってただろ」

「それでもしかして、ほとぼりが冷めるまで放っておこうとか考えてる?」

「あ、ああ。とりあえずそれが一番かなって思っ――いてっ!」


 最後まで言い切る前に、エミちゃんに思いっきり背中を平手で叩かれてしまった。小柄なエミちゃんの小さな掌と言っても、その痛みは侮れない。きっと背中にはもみじマークがついてしまったことだろう。


「両太郎くんって、女心を理解することに関しては壊滅的だね……」


 エミちゃんは呆れた声でそう言った。


「すぐ追いかけて」

「え、でも……」

「でもじゃありません。早く黒沢さんを追いかけなさい」


 普段テキトーを絵に描いたようなユルいノリで生きているエミちゃんが、こうやって強張った口調になるのは、相当に真剣な話をしている時に限られる。だが俺にはまだ、エミちゃんが何を言おうとしているのか掴めない。


「両太郎くん。私の推察が間違いじゃなければ、これは《世界を繋ぐもの》に近づく鍵だよ」


 エミちゃんの強い口調には、何か確信のようなものが含まれていた。だがそういう話を持ちだされてしまうと、俺だって黙っているわけにいかない。


「どうしてエミちゃんがそんなことを言い切れるんだ? そもそもこの合宿だって――」

「わからなくてもいいから、黒沢さんを追いかけて。そしてきちんと話をして」

「――くそ、わかったよ」


 エミちゃんとの押し問答は後回しだ。今は言われた通り、螢を追いかけることにした。


「あ、そうそう! 考え無しに謝っちゃダメだからねー!」


 岩場に向かって歩き始めてすぐ、後ろからエミちゃんのアドバイスが飛んできた。


「いきなり謝るんじゃなくて、ちゃんと黒沢さんの話を聞くんだよー!」


 振り向くと、エミちゃんは見守るような穏やかな微笑を俺に向けていた。ったく、年齢不詳のちんちくりんのくせに、こういう時はちゃんと教師の顔をするものだから質が悪い。

 頷いて了解の合図をすると、エミちゃんはグッとサムズアップを返してきた。


 それにしても危ないところだった。エミちゃんに言われなかったら開口一番に謝ろうと思っていたのだが、確かにどうして怒ったのかちゃんと聞く前に謝っても、口先だけだと思われるかもしれない。エミちゃんの言うとおり、俺は女心がわかっていないのだろうか。そのせいで螢を怒らせてしまったのならやはり謝るべきではないか。


 いやそもそも、エミちゃんの言い振りからすると、螢は怒っていたわけじゃないのか……?


 さっぱりわからない。それを理解することが《世界を繋ぐもの》に近づくことなのだろうか。

 しかし《世界を繋ぐもの》はフェアリズムがパワーアップするための鍵だったはずだ。俺が螢と仲直りすることが、一体どうフェアリズムのパワーアップに繋がるというのか。


 わからないことだらけだ。どうしてこんな状況になっているのか。

 その発端は、タイタニアと交信を行った日から二日後、終業式を翌日に控えた放課後のことだった――。

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