第四話 妖精女王タイタニア 2 -captive and captive 2-
「タ……タイタニア様!」
「ご無事だったんですね! あたしは……あたしは……!」
パックとアリエルは文字通り飛び上がり、壁に映し出されたエヴェレットの鏡に衝突しそうな勢いで縋りつく。
「二人とも、心配をかけましたね。私は大丈夫です。無事……とまでは言えませんが、命の危険はありません」
俺と同じようなことを言って、タイタニアは気丈に笑う。それを受けてアリエルは安堵の息を漏らしつつも、「どうして知ってたの?」と言わんばかり、俺にチラチラ視線を送ってくる。
タイタニアはアリエルの視線を追うように、再び俺の方を見た。目を合わせると、長い睫毛に縁どられた優しい瞳に、好奇心の色が浮かぶ。
そうだった。妖精たちに遮られてしまったが、俺が何者なのかを問われていたんだった。
「タイタニア様、お初にお目にかかります」
俺はできる限り礼儀正しく頭を下げた。王族――それも別世界の――に対する作法なんて俺が知るはずもないが、頭を下げるという行為は首を差し出すのと同じ。犬や猫が腹を見せるのと一緒で、古今東西で通用するマナーであるはずだ。
それが無事に通じたらしく、タイタニアは僅かに目を細め、微笑みを返してきた。
「俺は花澤両太郎といいます。そこにいるフェアフィオーレ――花澤桃の兄で、フェアリズムの五人からはリーダーという役目を任させてもらっています」
「フェ、フェアフィオーレ、花澤桃です!」
桃は大声で名乗り、勢いよく頭を下げる。まるで体育会系のノリだが、実際は緊張でガチガチになっているのを勢いでごまかしているだけなのだ。――まあ、人見知りな桃にしては頑張った方か。
桃に続いて残りの四人も次々に名乗る。タイタニアは優しい笑顔でそれに応え、モモ・ヒカル・ナギサ・ユウ・マミ……と、聞いたばかりの名を憶え込もうとするように呟いた。
「五人のフェアリズム……つまり、あなたたちは五つのエレメントストーンを集めたのですね。いえ、こうしてエヴェレットの鏡を起動できたということは六つでしょうか?」
「そのことですが……」
俺たちはこれまでの戦いの経緯をタイタニアに説明した。五人の仲間が揃ってシスター・ポプレを撃破したこと。しかしそこにエレメントストーンを持つシスターたちが現れたこと。シスター・キャンサーの五大の空のエレメントストーンに為す術もなく敗れたこと。陰陽の闇のエレメントストーンがシスター・ダイアの手に渡ったこと。そして、この状況を打破するための課題は見えているものの、実現方法を掴めずにいること――。
タイタニアは俺たちの説明を、真剣な顔で頷きながら聞いていた。
「そうですか、少なくとも四つのエレメントストーンが《組織》の手に……。でも、エレメントストーンが五つしか無いのならば、あなたたちはどうしてエヴェレットの鏡を起動できたのですか?」
タイタニアの問いに、パックとアリエルはハッとした表情で俺を見る。無理もない。エレメントストーンが五つしかないのに鏡を起動できた理由を、まだ二人は知らないのだ。
だがそんな二人の視線から何かを気取ったのか、タイタニアは少し驚いた顔で俺を見つめてきた。
「――ひょっとすると両太郎、あなたはヴィジュニャーナを宿しているのですか?」
「ええ、そうらしいです。ただ、俺はまだそのヴィジュニャーナがどういうものなのか知りません。どうして俺が六つ目のエレメントストーンの代役になれたのかすら、よくわかっていません。……そして、それは教えられるのではなく、俺自身が知るべきだと、他ならないヴィジュニャーナの化身から告げられました」
「そうですね。それはあなた自身が識るべきものです」
そう言ったタイタニアの表情は、さっきまでの柔和な微笑みが嘘のように、突き放すような真剣さを湛えていた。やはり本物のタイタニアもヴィジュニャーナとやらがどういうものなのか知っていて、そしてそれを俺に教える気は無いらしい。
「……でも、焦ってはいけませんよ」
タイタニアは強張った顔をふっと緩め、再び穏やかな微笑を浮かべる。
俺はその言葉にハッとする。今朝、夢の中で会ったタイタニアの虚像。彼女もまた俺に「焦るな」と言ってくれたのだ。俺はそんなに焦っているように見えるのだろうか?
――確かに、そうかもしれない。
俺たちの戦況は明らかに悪い。なんとかしなければならないとは思っているし、無意識のうちにそれが焦りになっているのかもしれない。
しかし、たとえその通りだとしても、あんまりな言いぶりではないか。エレメントストーンを守ること、《組織》と戦うこと。それは精霊界フェアリエンやタイタニア自身を救うことにも繋がる。俺たちはそのための手がかりを得るために、こうしてエヴェレットの鏡を起動したのだ。
「……焦っているつもりはありません。でも、俺たちは目下に三つも課題を抱えているんです。そして、そのうち二つはまだ解決の糸口すら見えていません。こんな状況で、落ち着いて構えてるのは無理ですよ」
そんなつもりは無かったが、つい批難めいた口調になってしまった。これじゃあ焦って苛立っていることを自ら証明しているようなものだ。
だが、そんな自分の短気さを後悔するより先に、意外なところから援護射撃が入った。
「タイタニア様! モモたちはフェアリエンの人間でもないのに命がけで戦ってくれてます。リョウも生意気で癪に障るヤツですけど、本気で考えてくれてます!」
「パックの言う通りです! みんなフェアリエンのために頑張ってくれてるんです。あたしたちはまだ子供で、全然みんなの力になれなくて……。だから、タイタニア様!」
嘆願するように言ったのはパックとアリエルだ。
妖精たちはタイタニアを責めた俺に対して怒るかと思いきや、その真逆だった。俺が思っていたよりずっと、パックたちは俺たちに仲間意識を持っていてくれたようだ。ひょっとすると、俺たちの中で誰よりも歯がゆさを噛み締め、焦りを抱いていたのはパックとアリエルだったのかもしれない。
「違うよパック、アリエル」
なだめるように言ったのは桃だ。緊張がほぐれたのか、その声は落ち着いていた。
「わたしたちはフェアリエンのためだけに戦っているんじゃないよ」
「桃さんの言う通りです。《組織》は私たちの人間界をも脅かそうとしているのですから」
「あたしは両兄を捕まえようとしてるのも許せないね!」
「……仲間は、守る」
「そういうこと。だからこれはぼくたちの戦いだよ」
口々に戦いへのスタンスを表明するフェアリズムたち。その決意に満ちた言葉から、まだ中学二年生の彼女たちが測り知れない大きな覚悟を持ってこの戦いに臨んでいることを思い知らされる。そんな彼女たちと比べると、俺の覚悟はまだ温かったのかもしれない。「フェアリエンのために戦っているのに」などと少しでも思ってしまったことが恥ずかしい。
美しき妖精の女王は、そんな五人に慈しむような笑顔を向ける。
「ごめんなさい、言い方がよくありませんでしたね。こう言い直しましょう――焦る必要はありません。あなたたちならば、きっとどんな苦難も乗り越えられます」
タイタニアの口調は取り繕うようなものではなく、心の底からそう信じていると言わんばかりの確信に満ちている。
しかしそれを聞いたフェアリズムの五人は、険しい顔でグッと口をつぐんでいる。その気持ちは俺にもよくわかった。俺たちは俺たちなりにトレーニングを重ねてきた。そして、それでも惨敗を喫してしまった。どんなにタイタニアが彼女たちを信頼してくれたとしても、彼女たち自身が勝利を信じられないのだ。
「信頼してくれるのは嬉しく思います。ですが――」
「精神論ではなく具体的な道筋、ですか」
「ええ。シスター以上にエレメントストーンの力を引き出す方法。それから、五大の空のエレメントストーンの攻略法。――タイタニア様、どうか教えてください」
「そうしたいのはやまやまなのですが……」
タイタニアは眉根を下げ、申し訳無さそうな顔を作る。
「まずは五大の空のエレメントストーンの攻略法ですが、残念ながらそれは私にもわかりません。エレメントストーンが敵味方に分かれて戦うということ自体、これまで前例がないのです。――ただ」
「ただ?」
「あなたたちの推察通り、ひとつひとつのエレメントストーンはその司る元素は違えど、力の大きさは等しいはずです。上手く相性を考慮して戦うことができれば――」
それは俺たちが到達していた答えと同じものだった。新しいヒントは何もない。
ただ、考えが間違っていなかったという答え合わせができただけで意味はある。何より、タイタニアに尋ねたかったことの本命はそっちじゃなく、もう一つの方だ。
「では、エレメントストーンの力を引き出す方法については?」
「……それは、私の口からは言えません」
タイタニアは複雑な表情で答えた。
「そんな、タイタニア様!」
「どうしてなんですか!」
パックとアリエルは、鏡の中タイタニアに食って掛かる。
それは二人のタイタニアへの忠誠と敬意が強いからこそだ。タイタニアならばこの状況をなんとかしてくれる。そう信じていたのだろう。
俺はそんな二人をそっと制した。タイタニアの深い色の瞳は、まるで全てを見通すように、穏やかな輝きを湛えている。その瞳を見ればわかる。彼女は勿体ぶったり、ふざけているわけじゃない。恐らく言えない事情があるのだ。
ひょっとするとヴィジュニャーナの正体と同じように、他人から教わってはならない類のものなのだろうか。
「元素と元素を結びつける力。この世界のあらゆる存在を繋ぐもの。それがエレメントストーンの――フェアリズムの本当の力です。そしてその鍵は、誰かに教えられたり強いられたりすることでは、決して得られないのです」
「それはつまり、その鍵をこの子たち自身で見つけなければならないということでしょうか?」
「……そうですね」
タイタニアは頷き、フェアリズムたちを改めて見回す。置いてけぼりで話に加われていない五人は戸惑っているかと思いきや、キリッと口を結んでジッと俺を見つめていた。「この場の話は任せた」と言わんばかりに、信頼の眼差しを向けてくれている。
そんな五人の様子に、タイタニアはフッと口元を綻ばせた。
「ふふ、見つける必要は無さそうですね」
「え?」
「鍵は既に皆さんの手の中にあります。――その存在に気づき、認め、受け入れた時、エレメントストーンは新たな力を放つでしょう」
まるで謎掛けのような意味深な言葉だ。だが五人に向かってそう言ったタイタニアの表情は、どこまでも穏やかで優しかった。
その言葉に、五人も決意を新たに頷く。
それからパックとアリエルがいくつかの報告や相談をして、タイタニアとの初交信は終了した。
交信の最後に、タイタニアからパックたちにエレメントストーンの探知能力が授けられた。本来は王の資格を持つ妖精だけに与えられるものらしいが、状況が状況なので特例ということだ。
探知の条件は、対象のストーンが持ち主となるべき相手を見つけ、覚醒状態になっていること。つまりはフアンダーやシスターが持つ探知能力と同条件だ。
ちなみにシスターたちの手中に落ちてしまったストーンは探知できないらしい。対シスターのセンサーとしては役に立たないということだ。
もちろん次のストーンが覚醒した時にすぐに察知できるのは大きい。俺たちも《組織》もストーンを求めている以上、そこで嫌でもシスターと再戦することになるだろう。
来るべきその時に向けて、俺たちは力を付けなければならない。
世界を繋ぐもの――フェアリズムの新たな力。その鍵とは、一体何なのだろうか。




